第124話 モルガート王子と魔導飛行船

 交易都市ミュムルの選士府では、モルガート王子が各地から届く報告を整理していた。もうすぐ日が落ちる執務室は薄暗く、照明魔道具を使うかどうか迷い始める頃であった。ドアがノックされた。入れと命令すると従士の一人が紙の束を持って入って来た。


「殿下、辺境より報告が届きました」

 異世界での最速通信手段は、鳥系魔物を調教した魔導師による航空郵便である。遥か遠く辺境の都市モントハルからの知らせは、何羽かの白頭大鴉がリレーしてモルガート王子の下に二日で届けられた。


 モルガート王子は紙の束を受け取り報告を読む。その眉間にシワが刻まれた。

「どういう事だ。ベルカナール、タカトル将軍を呼べ」


 王子が選士府にしている場所は、王国の東部地域の守りの要であるボッシュ砦である。砦はミュムル市内にある。元々は市の外側に在ったのだが、ミュムル市が発展し拡大するに従い砦も都市に取り込まれてしまったのだ。


 少しして従士のベルカナールがタカトル将軍を連れて来た。

「急なお呼び出し、何か起こりましたか?」


 タカトル将軍がモルガート王子の顔を見るなり尋ねた。モルガート王子は届いたばかりのモントハルからの報告書を将軍に見せた。


「魔導武器を大量に装備する兵団ですと……」

 報告書を読んだ将軍は驚きの声を上げた。戦闘集団を指揮する者にとって魔導武器を大量に装備したいというのは夢だった。それを実現しようとするオラツェル王子の試みは将軍の気持ちを高揚させた。


「魔導武器に使う魔導核は何処で手に入れたのだ?」

「それについても報告があった。シュマルディンの所から購入しておるらしい」

「迷宮都市でなら大量の魔晶玉が手に入るでしょうが、魔導核ともなると膨大な資金が必要になりますぞ」


「簡易魔導核と呼ばれるものが迷宮都市で開発されたのだ。質は劣るが通常の魔導核より大分安い。それに小さな魔晶玉を使っているので数が揃えられる」


「素晴らしいではありませんか。安価な魔導武器を我が軍に装備させれば、外敵に怯える事もなくなる」


「ふん、素晴らしいだと……大量の魔導武器を用意しているのはオラツェルの奴なのだぞ。その刃を敵国や魔物ではなく我々に向けたらなんとする」


 将軍が厳しい表情に戻った。

「オラツェル王子がそこまで考えておられるでしょうか?」

 モルガート王子が奥歯を噛み締めギリッと音を立てる。

「私を毒殺しようとしたのは奴の配下に違いないのだ。信用など出来るか!」


 将軍はモルガート王子の興奮が冷めるのを待ち質問した。

「殿下、この件を如何いかがいたしましょうか?」

「まずは、簡易魔導核で作られた魔導武器の性能をこの眼で確かめる」


「まさか、モントハルに行かれるおつもりか」

「将軍。私を馬鹿だと思っているのか。行き先は迷宮都市だ。魔導飛行船を用意しろ」

「承知しました」


 王国に二隻しかない魔導飛行船は、デヨン同盟諸国のカザイル王国から購入した輸送船を武装させたものだ。


 デヨン同盟諸国には古代魔導帝国の遺跡が多くあり、そこから発掘された魔導知識を元に様々な魔道具や兵器が作られていた。


 魔導飛行船もその一つで、空に浮かび風を帆に受けて進む姿は空飛ぶ帆船と呼ぶべきものだった。因みにエルバ子爵が乗っていた浮遊馬車もカザイル王国製である。



  ◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆


 迷宮都市の趙悠館では、アカネが新たな試みを始めようとしていた。異世界の果物を使って天然酵母を作る実験をしていたのだが、その酵母作りが成功した。


 用意した五個のガラス瓶に、リンゴや梨、無花果いちじくに似た現地産果物とリアルワールドには似たものが存在しない果物を切って水と一緒に入れ、発酵するのを待った。


 一週間から一〇日ほどで失敗か成功かが判明する。失敗したものはカビが生えおぞましい臭いを発するようになり、成功したものは細かい泡が立ち白く濁ったような酵母液となる。成功したのはリンゴと梨に似た果物と紫色をした現地産果物だった。


 この実験はマポスの母親であるモニさんが手伝ってくれた。

「こんにゃ果物が腐ったものをどうするんだい」

「酵母液と小麦粉の全粒粉を同じ量だけ混ぜて、また発酵させるんです」


「手間のかかる事をするんだね」

 発酵して二倍になった物に同じ量の水と全粒粉を混ぜ、また発酵させる。これを何度か繰り返してパンの元種が完成する。


 念の為、完成した元種をちょっとだけ千切って、実験動物として飼育している穴兎に食べさせてみた。兎は美味しそうに食べ、体に異常はないようだ。


 後は普通にパンを作る要領でパンを完成させた。この国では酵母の利用が発見されておらず、パンを焼く前に発酵させると言う工程がないので、モニさんは何故パン生地が倍に膨れ上がるのか不思議がっていた。


 パンが焼き上がる頃になると辺りにいい香りが漂い始める。近くに居た子供達が集まって来た。アカネがパン焼き窯からパンを取り出すと黄金こがね色に焼けたパンが姿を現す。


 異世界で食べられているパンはリアルワールドで言えばインドのチャパティに近いものと色々な野菜を練り込んだパン生地を焼いたものが主流だった。

 アカネは蒸かしたジャガ芋を練り込んだパンが好きだが、冷めると固くなるのが欠点だ。


 アカネが焼き上げたパンはコッペパンのような形のもので、これにナイフで切れ目を入れ葉野菜と鎧豚の肉を焼いたものを挟み込みマヨネーズを掛けた惣菜パンを集まった五人の子供達とモニさんに配った。


「まずは、私が試食するわ」

 アカネが惣菜パンに齧り付く。ふんわりとしたパンとシャキシャキした葉野菜、甘い脂が滲み出た焼き肉がマヨネーズと絡まって絶妙な味を作り出していた。


「思った以上に美味しい」

 その声を聞いた子供達が惣菜パンにガブリと噛み付く。その後は夢中になって食べ、あっという間に完食する。


「アカネ姉ちゃん、お代わりはにゃいの?」

 口の周りにマヨネーズを付けた猫人族の子供が眼をキラキラさせてアカネに尋ねる。

「一人一個だけよ。また作って上げるから我慢して」

「うにゅー、もっと食べたかった」


 猫人族のモニさんは初めて惣菜パンを食べ、うっとりした表情を浮かべ金縛りにあったように棒立ちになっている。漸く惣菜パンの呪縛から解き放たれると。


「世の中にはこんにゃ美味しいものが有ったんだね」

 アカネは苦笑した。

「大袈裟よ。お客さんがジャンクフードが食べたいって言うから作ったのよ。これで満足してくれるといいんだけど」


 モニが変な顔をする。アカネが使ったジャンクフードという言葉が自動翻訳され、屋台で食べられる安価な食品というニュアンスのミトア語に変換されたからだ。

 これだけ美味しい物がジャンクフードであるものかと思ったのだ。


 アカネは惣菜パンを三個と蜜柑みかんに似た果物から作ったジュースをトレーに乗せて、A棟に向かった。二階の一室に泊まっているピアニスト児島は指の再生治療を受けているが再生スピードが遅かった。


 同じように再生治療を受けた高校生の小瀬が三日ほどで完全再生したのに、治療を始めて七日目だと言うのに七割ほどしか再生していない。


 原因は児島の体内に蓄積している魔粒子の量に起因すると思われた。曲がりなりにも『魔力袋の神紋』を持っていた小瀬は、児島より多くの魔粒子を蓄積していた。


 児島の部屋の前に立ち声を掛けた。

「食事を持って来ましたよ」

 中から物音がしてドアが開いた。中から出て来たのは三〇代半ばほどで、長い髪を後ろでポニーテールにしているのが特徴的な男性だった。痩せてひょろりとした体型で、顔は歴史教科書に載っているフランシスコ・ザビエルに似ている。


「済まないね。どうしても食べたくなったんだ」

「構いませんよ。依頼人の要望は出来るだけ叶えるのが案内人の仕事ですから。遠慮無くおっしゃって下さい」


 児島は美人のアカネにそう言われ、でれーっと鼻の下を伸ばす。一拍の空白の後、誤魔化すようにコホッと空咳をする。


「もう一つ頼みが有る。音楽が欲しいんだ。この世界にだって音楽をやっている人は居るんだろ」

 そう言われて、アカネは困った。迷宮都市で音楽らしいものを聞いた覚えが無かったからだ。

「案内人のミコトさんと相談してみます。彼なら知っているかも」


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