第123話 案内人たちの鍛錬

 異世界に転移して三日目の朝、倉木三等陸尉は気分爽快で目覚めた。日本は冬で、ここは夏、調子が狂った感じが昨日までは有ったが、今日は体が馴染んだ感じがする。


 顔を洗いに井戸まで行くと伊丹が居た。精悍な感じの渋いオジさんで、立ち居振る舞いに威風を感じるような人物だ。


「おはようございます」

「おお、倉木殿。おはよう」

 伊丹は練習用の武器と太刀を持って鍛錬に行く支度をしていた。毎朝の日課なのだろう。


「鍛錬ですか?」

「左様でござる。みなが集まる機会が朝しか無いので、鍛錬は朝と決めているのでござる」


 案内人の面々がどのような鍛錬をしているのか興味を持った。倉木三等陸尉は見学させてくれるように頼んだ。参加を希望しなかったのは、異世界に来たばかりの自分では拒否されると考えたからだ。


「よろしかろう。付いて来なさい」

 倉木三等陸尉は伊丹に連れられて隣の道場へ向かった。十日ほど前までは、道場に寝泊まりしていた貧民街の住人が居たのだが、趙悠館の裏通りを挟んだ向こう側の空き地を買い取って移って貰った。


 いつまでも道場を借りている訳にもいかないし、趙悠館の従業員として正式に雇うとなると住む場所が必要とミコトが考えたのだ。広さは五〇〇坪ほどで三〇人の人間を住まわせる宿舎を建てるには十分な広さだった。


 道場にはミコト、オリガ、伊丹、アカネの他に猫人族五人が集まっていた。猫人族の一人がオリガと同じくらいの年齢なのには驚いた。


「オリガちゃんも参加してるんだ」

「あの子にはミコト殿の奥義を伝授する事になっているのでござる」

「奥義……あんな小さな子に?」


 倉木三等陸尉は父から習った甲源一刀流の技を思い出したが、当然違うだろう。アニメで出て来るような必殺技みたいなものだろうか。


 頭の中でオリガがピカッと光って空中に飛び上がりグルグル回転しながら飛翔し敵に向かって行く光景が浮かんだ。


 空想にはまっている倉木三等陸尉を伊丹がジト目で見ている。それに気付いた彼女がハッとする。

「何を考えているのかは知らぬが、違うと思うでござる」


「すいません。奥義と聞いて変な想像を。でも、小さな子供に奥義とか無理なんじゃないですか?」

「そう思われるのも無理はござらぬが、ミコト殿の奥義は魔力の制御に関わるもので、彼の戦闘術の根幹となる技術なのでござる」


「魔力の制御? 私たちにも教えて貰えるのですか?」

「さすがに奥義は教えられん。倉木殿も剣術を学んでいたのなら御理解頂けよう」


 オリガが道場の隅でミコトから何か教えて貰っている。ちょっと羨ましい。

「私たちはどのような戦闘術を教えて貰えるのです?」


「神紋の適性しだいでござるが、『魔力発移の神紋』、あるいは『魔力変現の神紋』を授かって貰い、それらを基礎とする戦闘術を教えようと思っておる」


「『風刃乱舞の神紋』や『紅炎爆火の神紋』ではないのですか?」

 攻撃的な第二階梯神紋を倉木三等陸尉は口にした。この二つと『土属投槍の神紋』『凍牙氷陣の神紋』『雷火槍刃の神紋』が自衛隊の中では人気が高いらしい。


「よほど適性に恵まれていなければ、それらを一〇日では難しいのでござる」

 優れた魔法の才能を持つ薫でも『風刃乱舞の神紋』を手に入れたのは異世界に転移してから十五日目だった。


 伊丹も鍛錬を始めた。最初は太極拳のような型の練習だった。ゆっくりした動きで全身の筋肉をほぐすような動きをしている。よく見ると動きに差があるのが判った。猫人族の三人とアカネだけが動きが普通なのだ。


 他の人たちは大きな力を押さえ込もうとしているような感じがする。特に猫人族の小さな子供は時々失敗し空中に飛び上がったり、よろけたりしている。


 ふと見るとオリガも参加していた。ミコトの方に目を向けながら真似て手足を動かしている。

「えっ、そんな馬鹿な」


 目の見えないオリガが、他人の動きを真似るなど出来ないはず。何が起きているんだ。倉木三等陸尉はオリガに近付いて質問した。


「オリガちゃん、見えるようになったの?」

 オリガが首をちょっと傾げる。その仕草が可愛い。

「光は見えないの。でも、魔力は見えるようになったから、ミコトお兄ちゃんみたいな綺麗に光っている人はちゃんと見えるの」


 異世界の生物はすべて魔力を発しているそうだ。人間も例外ではなく、微弱ながらも魔力を発しており、感知能力の有る者なら、それが見えるらしい。


 しかし、それはぼんやりとした影みたいなもので、よほど強い魔力を持つ者でないかぎり人間の形として判別不可能である。


「ミコトお兄ちゃんと伊丹のオジちゃんはちゃんとみえるの。でも、倉木お姉ちゃんはよく見えない」

「へえ、そうなの……オリガちゃんにちゃんと見て貰えるように、お姉ちゃんも頑張るわ」

「うん、あたしも頑張る」


 素振りが始まった。それぞれの武器で素振りをしている。オリガは短い棍棒を持ってミコトの真似をしている。

「オリガ、無理しなくていいぞ。疲れたら休むんだよ」

 ミコトがオリガを気遣っている様子は微笑ましい。


 鍛錬の最後にミコトと伊丹を相手に全員が技を繰り出した。自由組手という奴だろうか。素振りの時とは違い、使用している武器は棒に魔物の革を巻き付けたもののようだ。それが異世界の竹刀のようなものらしい。


 猫人族の動きは猫のように素早く柔軟で、鋭い連続技が特徴のようだ。その連続技を簡単に躱し受け流すミコトと伊丹は相当な実力を持っていると判る。

 悔しいが自分なら受けきれず、手痛いダメージを受けているだろう。


 伊丹と組手をしている猫人族の一人が呪文を唱え始めた。ミトア語を習得していないので意味は判らない。その猫人族の名前を思い出した。リカヤだった。


 昨夜、伊丹に紹介して貰ったのだが、初めて見る猫人族に驚いて、名前が記憶の底に仕舞い込まれてしまっていた。


 呪文を唱え終わると同時に、リカヤの動きが速くなった。踏み出される一歩の速度が上がり、振り払われる槍の鋭さが増した。


 このスピードは避けきれないと思った。だが、槍は伊丹により受け止められた。リカヤはそれを予想していたらしく、次の攻撃を放っていた。突き・薙ぎ払い・打ち下ろす、高速の連撃が伊丹を襲うが、余裕を持ってすべてを捌かれた。


 最後に突きを躱され懐に入られたリカヤが肩口に打撃を受け、地面に転ばされた。道場は床がなく土間なので転ばされると服が汚れるのだが、お構いなしだ。


「踏み込みが甘い、魔法にだけ頼らず素早い重心移動を心掛けよ」

「はい」

 リカヤは素早く起き上がり、今度はミコトに向かって行く。


 ミリア、ネリ、マポス、アカネが次々にミコトと伊丹に向かって行き返り討ちに合う。

「ほっひゃー」

 ルキが変な気合を発しミコトに突撃する。ミコトの傍まで来ると小さな体からは想像出来ないような鋭い勢いで槍を突き出す。槍はミコトの持つ棒で受け流され、ルキの体がコロンと転がされる。

「ルキ、相手をよく見るんだ」


 鍛錬の最後にミコトと伊丹が練習試合を始めた。ミコトが高速踏み込みからの袈裟斬りを放つと、伊丹が受け流しミコトの胴へ一撃を放つ。それをミコトが躱し、一旦距離を取ってから目にも留まらぬ速さで、伊丹の懐に飛び込んだ。ミコトの上段からの打ち込みを伊丹が防ぎ、すかさず前蹴りで反撃する。


 その後、息もつかせぬ攻防が続き、二人のスピードが尋常ではない領域に達した。一つ一つの攻撃や防御が眼に見えないほど速くなり、練習用の武器が奏でる風切音が道場内に響き渡る。


 倉木三等陸尉は二人が人間の領域を超えていると感じ、何十年鍛錬しても二人に追い付く事は不可能だと思った。二人共、人間の形をした化け物よ。


「ここまでにしましょう」

 ミコトが飛び退いて間合いを取り、終わりを告げた。オリガとルキが興奮して目を輝かせている。オリガは二人が放つ魔力の輝きに興奮し、ルキは凄すぎる攻防の技に興奮していた。


 倉木三等陸尉は趙悠館に戻って、A棟の玄関ホールで寛いでいた二人の同僚に朝稽古の様子を話した。

「私も見たかったな」


 森末陸曹長は素直に信じてくれたが、筧一等陸曹は懐疑的だった。

「ミコトは、まだ十代だろ。そんな凄腕には見えないんだけど」

「見かけで判断しない方がいい。彼が正式な案内人で、伊丹は助手、アカネは見習いなのだから」

 あの樹海を一人で生き抜き生還した男がミコトなのだ。普通の人物のはずがなかった。


 伊丹が近寄って来て今日の予定を告げた。

「今日は、拙者と一緒にコボルト狩りに行って貰う予定でござる」

 筧一等陸曹が顔を顰める。


子鬼ゴブリンの次は犬か。勘弁して欲しいよ」

 早くも愚痴をこぼし始めた筧一等陸曹に、倉木三等陸尉が注意する。

「何を言っているの。遊びに来ているつもり」

「申し訳ありません」


 筧一等陸曹がわざとらしく敬礼してみせた。こういう所が上官から睨まれ降格させられた原因の一つなのだが、注意しても治らないだろうと倉木三等陸尉は諦めた。


「狩りに行く前にミトア語とオークの言葉を習得して貰う」

 いつの間にか傍まで来ていたミコトが告げた。手には知識の宝珠を持っている。ミコトは一人一人に宝珠を手渡し使い方と呪文を教えた。


 筧一等陸曹が水晶の珠にしか見えない宝珠をお手玉するように空中に放り投げてはキャッチしている。

「こんなもので異世界の言葉が覚えられるのか」

 宝珠をぞんざいに扱う筧一等陸曹にミコトが告げる。


「因みに宝珠は一個三〇〇万円なので、取り扱いには注意するように」

「うっきゃあ!」

 変な叫び声を上げ、放り投げた宝珠を筧一等陸曹が慌ててキャッチする。その様子を見て倉木三等陸尉は頭を抱えたくなった。


「馬鹿なの、一瞬で言語の知識を与えてくれる魔法の道具が安い訳ないでしょ」

 森末陸曹長も呆れたような顔をして醜態を晒す筧一等陸曹を見ていた。


 最初に倉木三等陸尉が宝珠を額に押し当て呪文を唱えた。その瞬間、膨大な知識が頭の中に流れ込んで来た。


 くらりと目眩めまいがして体がふらつく。脳細胞が電撃を食らったように痺れるような痛みを感じた。その痛みは、吸収した知識が脳に定着するまで続いた。


 伊丹が心配そうな顔で尋ねる。

「拙者の言葉が判るでござるか?」

 ミトア語で聞く武士言葉は一層変な感じがする。それでもミトア語が聞き取れるのが判った。頭の中に自動翻訳機が組み込まれたような感じだった。


 周りを見ると森末陸曹長と筧一等陸曹が虚ろな目をしているので、宝珠を試したと気付いた。

「ええ、わかりゅましゅ」

 ミトア語で返事を返そうとしたが、思い通りに舌が動かない。


「始めはそんなもの。数日もすればうまく喋れるようになるでござる。それより、防具を買いに行こうではござらんか」


 樹海で狩りをするには防具が必要だ。商店街に向かった一行は、大きな武器兼防具屋に入った。品揃えが豊富なのが売りの店で、初級者から上級者まで満足する防具が揃っていた。


「予算はどれほどなのです?」

「一人金貨一枚まで。初級者用の装備ならば十分な額でござる」

 倉木三等陸尉は鎧豚の革鎧、脛当て、籠手を選んだ。森末陸曹長は黒大蜥蜴のものを選択する。筧一等陸曹は軍曹蟻の鎧の前で物欲しそうにしているが、明らかに予算オーバーである。


「筧殿、その鎧は高過ぎるので、無理でござる」

 筧一等陸曹はようやく諦め黒大蜥蜴の鎧を選んだ。自衛官たちには買ったばかりの装備を着けさせ、西門からココス街道へ出る。


「今日の課題は、魔粒子の吸収を体験して貰う事でござる」

 伊丹の言葉を聞いて、筧一等陸曹が反応する。

「だったら、獲物はコボルトに限らなくてもいいんだな」


「コボルトでなくとも構わぬが、ここ数日ココス街道でコボルトの集団に襲われたという商人が増えているそうでござる」


「ココス街道を荒らすコボルトの集団を退治しようと言うのか。気に入った」

 筧一等陸曹の言動は、どうも軽い感じがして倉木三等陸尉は不安になる。それは伊丹も同じだったらしい。


「言っておくが、これは遊びではござらんぞ」

「判ってるよ」


 ココス街道を南西へ移動し、『蛙沼へ二十三ペス』という道標の有る地点まで来た。その道標の横には樹海の奥へと続く獣道が有った。


 ハンターの一人が蛙沼の近くでコボルトを見たとギルドに報告を上げているので、伊丹は蛙沼とココス街道の間にコボルトの巣があるのではないかと考えている。

 その獣道に入り樹海の奥へと足を踏み入れた。


 その二時間後、コボルトの集団と遭遇した倉木三等陸尉たちは、必死になってコボルトと戦った。相手は十三匹で正面から戦えば自衛官三人だけだったら敗退していただろう。


 だが、伊丹がほとんどのコボルトを引き付け、倉木三等陸尉たちの方へは三、四匹しか行かないように戦場をコントロールしてくれた。


 コボルトのほとんどが槍を持ち、鋭い突きで攻撃して来る。倉木三等陸尉は突きを躱しブルドッグ顔のコボルトに剣を振り下ろす。


 肩口に入った剣の刃が血を流させるが致命傷ではない。怪我をしたコボルトは殺気をはらんだ眼で倉木三等陸尉を見ながらがむしゃらに突撃してくる。


 倉木三等陸尉の顔に一瞬怯えが浮かぶが、気合を発して剣で迎撃する。コボルトに止めを刺すと死んだコボルトから魔粒子が放出された。自衛官三人は初めて魔粒子の吸収を体験した。


「伊丹さん、次をお願いします」

 倉木三等陸尉が声を上げると前方でコボルトの群れを相手に壁役をしていた伊丹が、三匹のコボルトを自衛官たちの方へ放った。


 十三匹のコボルトが仕留められた頃、倉木三等陸尉は疲労困憊で立っていられないほどだった。

「ハアハア……たかが犬の化け物だと思っていたのに、なんてタフな奴らなんだ」


 筧一等陸曹が愚痴を溢すように、竜爪鉈を持つ森末陸曹長以外はコボルトを一撃では仕留められなかった。血塗れになっても戦いを止めないコボルトに心が折れそうになった。


「倉木三等陸尉、武器を替えた方がいいんでしょうか。竜爪鉈が凄すぎて手応えがないんです」


 森末陸曹長が贅沢な悩みを告げた。実際、コボルトの肩に打ち込まれた竜爪鉈が骨を絶ち胸まで達する致命傷を与えるのを見ると問題かもしれないと思う。

 本番では使えない武器に頼る戦い方に慣れてしまうのは、大きな問題になるだろう。


「そうね、いざという時に保険として残しておきたいから、竜爪鉈は予備として残し、もう一本鉈を用意して貰いましょう」


 その言葉を聞いた伊丹は苦笑いする。確かに技量に似合わない武器は問題となるだろうが、一匹でも多くの魔物を倒し多くの魔粒子を吸収すれば強力な神紋を得られるかもしれないのだ。

 彼女らは訓練だという意識が強過ぎるのかもしれない。


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