第117話 帰還と釜山のオーク

 翌日、再生薬が完成すると兎による動物実験を行い成功した。次に教会の治療院に再生薬を持ち込み、地元の怪我人に試した。


 人体実験をしているようで、俺は気が引けたが、いきなり日本人の少年に試すのは後々問題になるような気がして、先に治療院に居る怪我人に試して貰った。


 治療院では高価な魔法薬を提供してくれた二人の医師と俺に感謝してくれた。喜んでくれている修道司祭や患者の言葉が、俺の心にダメージを与えた。


 日本人と異世界人、同じ人間なのに酷い差別をしている。そんな気持ちが湧き起こり、罪を犯したような気がする。


「このつぐないに何かしよう。迷宮都市の人たちに役に立つ事を何か残そう」


 そんな気になったのは、教会の治療院という場所が俺の心に影響したのかもしれない。


 再生薬の薬効は確かめられ、副作用もないと確認出来た。二人の医師は小瀬の病室へ向かった。

 患者である小瀬は、病室になってしまった仮設住宅の一室で、欠けてしまった指を見詰めていた。その暗い表情には絶望感が有った。


「おい、喜べ。再生薬が完成したぞ」

 二人の医師が小瀬の部屋に入り、マッチョ宮田が手に持っている薬瓶を見せた。

「そんな薬、信用出来るのか?」


 暗い声で小瀬が言う。以前はもっと覇気のある声をしていたのだが、ウェルデア市で捕らえられていた数日で変わったようだ。


「薬効は確認済みだ。治療院の患者で左手の指を失くした者が再生し始めた」

 小瀬がマッチョ宮田の手に持つガラス瓶を見て。

「本当だろうな。再生しなかったら訴えてやるぞ」

 マッチョ宮田は隣に立っている准教授が不機嫌になっているのに気付いた。


 宮田はすっかり捻くれてしまった少年には同情するが、正直患者としては最低の部類である小瀬に厳しい口調で言い渡す。


「いや、強制はしないよ。我々は研究の成果を試したいと言う気持ちはあるが、それは治療院での投薬で十分確かめられた。君に再生薬を勧めるのは、同じ日本人への好意からだよ」


 小瀬が慌てたように。

「待って、嫌だとは言っていない」

 明日にはリアルワールドへ帰還する予定になっている。


「再生薬を試したいのかい?」

 小瀬は嫌々という感じで頭を下げた。

「お願いします」


 下級再生系魔法薬が入ったガラス瓶を受け取り、小瀬は恐る恐る飲んだ。苦かったようで顔が歪む。マッチョ宮田は小瀬の右手を掴み、欠けた人差し指を観察する。


「なんか、右手がムズムズする」

 小瀬の言葉と同時に、欠けた人差し指の部分に変化があった。切り口部分に血が集まったようでピンク色になり切り口が盛り上がったように見える。


「ムズムズ感が酷くなっている」

 小瀬の人差し指は再生を始め、ピンク色になった部分が少しずつ成長していった。


 下級再生系魔法薬の効力は二時間ほど続き、その時間内に再生が完了しない場合、次の日にもう一瓶再生薬を飲む必要がある。


 二人の医師が作り上げた再生薬は薬効が高く再生するスピードが早い、それでも人差し指の再生には二日必要だろう。


「順調だな。二時間後にまた来よう」

 マッチョ宮田と鼻デカ神田が病室を出て行っても、小瀬は己の人差し指を見詰め続けていた。


 下級再生系魔法薬の薬効は限定的で、再生可能なのは指程度で腕は無理らしい。そして、負傷してから一ヶ月以内に投薬しないと効果は期待出来ない。


 腕以上の欠損や負傷してから時間が経ち過ぎている者には、上位の再生薬が必要であり、モルガート王子が求めた万能薬並みの希少な素材を必要とする。


 俺の妹的存在であるオリガの眼を治すには、上位の再生薬が必要になるだろう。そんな再生薬は金を出しても手に入らない。貴族や王族が権力を使って集めているからだ。


 入手する手段は自分たちで製造する以外にないが、伝説になっている魔物ヒュドラの魔晶管が必要だと知られている。まだ、俺には必要な素材を入手するだけの実力が備わっていない。


 小瀬の指は無事に再生し始めている。問題はリアルワールドに戻るタイミングだ。翌日に迫った二つの月が重なる日までに人差し指が完全に再生しない場合、次のタイミングまで待つ事になる。次は四日後になるので、辛抱できないほどでは無いだろう。


 帰還の日の朝、小瀬に投与された再生薬は人差し指を完全に再生させた。これで小瀬も一緒に帰還出来るようになった。因みに東埜も怪我は治っている。


 寝台に縛られ奇妙な角度で接合してしまった骨をもう一度折り、きちんとした位置に戻してから中級治癒系魔法薬で治療した。東埜はありとあらゆる罵倒と悲鳴を上げ完治したが、人間不信に陥ったようだ。

 俺や医師二人はもちろん、薫とも口を利かなくなった。


 俺、アカネさん、薫と一緒に来た五人でエヴァソン遺跡に向かい、その夜リアルワールドへ帰還した。


 予想した通り、日本では大騒ぎになった。薫と真希はマスコミを拒否したので新聞やテレビに出たのは、小瀬と東埜、玲香の三人だった。美鈴先生は帰って来て気が抜けたのか体調を崩し実家で休養しているそうだ。


 テレビに出た三人は、自分たちの武勇伝を語った。転移門近くでの大人二人の死と樹海でのサバイバル、犬人族との出会い、貴族との諍い、戦争蟻の襲撃など自分たちが先頭に立って行動したかのように語り、世間の話題を独占した。


 JTGは三人の言葉を否定も肯定もしなかった。それどころではない事件が発生したからだ。

 前回の転移時に事件は起こっていた。韓国の釜山において未発見の転移門からオーク六匹と帝王猿二匹がリアルワールドへ紛れ込んでいたのだ。


 日本でのオーク事件以来、世界各国では使用不能転移門の警戒は厳重になっていたが、釜山で使用された転移門は未発見のもので、釜山で帝王猿が暴れ始めなければ永遠に気付かれなかったような人里離れた場所にあった。


 最初、転移門から出て来たのは帝王猿だけかと思われていたが、転移門が発見され六匹分のオークの足跡が見付かると大騒ぎになった。


 知能の低い帝王猿なら偶然に転移門を使ったと考えられるが、人間並みの知能を持つオークがリアルワールドへ侵入したのは偶然では済まされない。


 帝王猿二匹については、韓国政府が特殊作戦旅団に魔物を討伐するよう命じた。ブラックベレーと呼ばれるエリート部隊は犠牲を出しながらも帝王猿を退治した。


 現代兵器を持ってすれば、大きな猿など問題なく倒せるように思われるが、ビルをじ登り素早く移動する魔物を仕留めるのは困難だった。


 まして人口の多い街での追撃戦となったので強力な武器を使用できず、民間人を庇おうとした数名の隊員が犠牲となった。


 釜山では外出禁止令が出され、在韓米軍からも援軍の申し出があったほどの騒ぎとなった。二匹の帝王猿は仕留められた後、釜山に平穏が訪れたかに見えた。


 だが、オークが侵入したと判り、問題の転移門を封鎖すると同時に、警官と軍を動員してオーク探しを始めた。それから数日後、二匹のオークが発見され仕留められたが、四匹が逃げおおせる。


 そして小瀬たちが帰還した日、四匹のオークが転移門を封鎖していた韓国軍の兵士を皆殺しにして異世界に帰還してしまった。


 リアルワールドの情報を持ったオークが異世界に戻ったという知らせは、世界各国の首脳陣に衝撃を与え、各国の案内人から情報が集められた。


 結果、瘴霧の森に近い環境の森にはオークの町があり、全体がオーク帝国とか呼ばれる社会を形成しているらしい。人間のように小さな国に別れ国同士で戦争しているよりは文明的な社会なのかもしれない。


 だが、オーク帝国の詳細は異世界の国でも知られておらず、謎の帝国として霧の中にあった。


 事態を憂慮した各国政府は、オークの町を偵察する部隊を編成し、異世界に送り込む計画を立て始める。オーク語を話せるミコトも偵察部隊の一員として候補に上がったが、自衛隊により拒否されたらしい。


 東條管理官から、その事を知らされた俺は正直ホッとした。オーク帝国という響きに、危険な臭いを嗅ぎ付けたからだ。


 但しオーク帝国の偵察任務について他人事として眺めていられたのも少しだけの時間だった。帰還した日の翌々日、俺は東條管理官に呼び出された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る