第107話 ウェルデア市の攻防 4

 ウェルデア市へ突入したラシュレ衛兵隊長たちは、すぐさまエンバタ城を占拠した。使用人と数人の衛兵しか残っていなかったので簡単な仕事だった。


「待って下さい。御主人様の言い付けで、城には誰も入れるなと……」

 使用人らしい中年男性がラシュレ衛兵隊長を止めようとしたが、非常時だと怒鳴り付け強引に中に入った。


 ラシュレ衛兵隊長は食料庫と武器庫を探し始めた。食料庫を数人の衛兵が守っていたので制圧し中を確認する。十分な量の食料が保管されていた。


「食料は問題なくなった。次は武器だな」

 ラシュレ衛兵隊長と部下は武器庫を探す過程で、城の片隅にある土蔵の中に小瀬と東埜が監禁されているのを発見した。ミコトから頼まれていた連中だと判り、部下に城の部屋で休ませるように命じた。


 魔物と戦い酷い怪我をしたようで、二人とも半死半生の状態だった。特に東埜は左足・右腕・左肩の骨を砕かれており、高熱を出し意識がない。


 取り敢えず、ミコトから預かっていた下級の治癒系魔法薬を飲ませた。見ている内に傷口から透明な液体が溢れだし傷口を覆おったかと思うと瘡蓋かさぶたが作られていく、表面的な傷はこれで大丈夫だろう。


「ほう……中々効き目が早いな。太守館に保管されている魔法薬より品質は良いらしい」

 だが、出来るのはそこまでで後は教会の治療院から専門家に来て貰うしかなかった。


「隊長、武器庫を発見しました」

 部下の一人が知らせに来たので、武器庫を確認しに行く。城の北側に有る倉庫に武器が仕舞われていた。だが、予想していたように残っている武器が少ない。ここの衛兵たちも戦争蟻との戦いで多くの武器を駄目にしたようだ。


 剣と槍が一〇本ずつほどしか残っていなかった。弓と矢は大量に残っていたが、戦争蟻に弓矢は効かない。


「街の武器屋とハンターギルドへ行って武器を掻き集めて来い。代金は後で支払うと言っておけ」


 武器の無い部下に命じ、やっとの事で必要とする武器が揃うと部下たちを街の石壁に送り出した。街を守る最後の砦である防壁は危険なほど兵員が不足していた。


 六〇名ほどの衛兵が厚さ一五〇センチほどある石壁の上に登る。この街を守る石壁は正式名を『魔物防壁』と言うが、住民たちは単に『防壁』と呼ぶ事が多い。


「迷宮都市から救援に来た」

 その声を聞いて、防壁を守っていたウェルデア市の守り人たちがホッとした表情を見せた。


 だが、迷宮都市の衛兵たちは驚いた。街の衛兵たちが守っているはずの場所には、一〇人ほどの若いハンターと数十人の猫人族しか居なかったからだ。


「どういう事だ。衛兵は何処に消えた?」

 その問いに答えたのは、まだ十代のハンターらしい少年だった。

「衛兵たちは逃げました。領主様が街を出ると知った途端、衛兵は皆居なくなったよ」


「君は誰だ?」

 衛兵の一人が訊くと。

「俺、ロベルトと言います。ハンターギルドに所属しています」

「あの猫人族たちは?」


「領主の命令で無理やりここを守らされているんだよ。戦う技術なんて持っていないって言うのに……」

 衛兵は周りに居る猫人族に目を向けた。全員が疲れ果て絶望感を宿した眼をしている。


「領主も衛兵も逃げたって言うのに、貧乏くじを引いたな」

 ロベルトと名乗った少年は怒りで鋭くなった眼を衛兵たちに向け。

「しょうがないだろ。俺たちまで逃げたら街はお終いなんだから」


 事情を知った衛兵たちは、若いハンターと猫人族の働きを労い、ラシュレ衛兵隊長に報告した。


 一方、東門から撤退したダルバルたちと俺たちは、クエル村へ引き返し第二次救援部隊が到着するのを待った。

 昼頃、ようやくアルフォス支部長を指揮官とするハンターたちが到着した。


「申し訳ございません。遅れました」

 アルフォス支部長が遅れた事をダルバルに謝り理由を説明した。それに依ると食料品が品薄になっており高騰していたのが原因らしい。


「頂いた予算で食料を集めるのに苦労しました。特に塩が高騰しているようです」

「……モントハルからの食料が途絶えた影響か。この騒動がおさまったら対策を講じなければならんな」


 樹海が近い迷宮都市には肉の供給源は多いのだが、暑い日々が続いているので狩りの獲物もすぐに腐敗してしまうのだ。また、保存食にするには塩が必要なので塩が不足しているのも問題だった。


 ダルバルと支部長の話を耳にした俺たちは、モントハルからの食料が途絶えている事実を初めて知った。


「塩か……アカネさんが揚げ浜式製塩方法がどうとか言っていたな。エヴァソン遺跡の海岸でならすぐに始められそうだ……問題は海から安全に塩水を汲み上げるにはどうするかだな。あの辺には海の魔物がうようよ居るからな」


 俺が呟くと聞いていた薫が案を口にする。

「<旋風鞭トルネードウイップ>を応用したらどうかな。竜巻を作って海水を吸い上げ塩田にバラ撒くのよ」

 俺はその魔法を成功させるためにどのくらいの魔力が必要か考えた。


「普通の<旋風鞭トルネードウイップ>より一〇倍くらい魔力が必要じゃないか。なんせ人工の竜巻を作るんだから」

 薫が口を尖らせちょっと頭を傾げて考え込む。彼女の癖らしい。……可愛い。


「ミコトの言う通りね……だったら頑丈なパイプを作って、その中に竜巻を発生させたらどうかな。力が分散しない分、必要な魔力は小さくなるはず」


 原理的にはサイクロン掃除機と同じようなものだと思うが、どうだろう。

「どうだろ? 今度実験してみようか」

「ええ」


 揚げ浜式製塩で製造可能な塩は、一ヘクタールほどの土地で年間約五〇トンである。迷宮都市で必要な塩は年間五〇〇トンほどなので、半分をエヴァソン遺跡で作ろうと計画した場合、五ヘクタールの塩田が必要になる。


 エヴァソン遺跡の前に広がる砂浜は十数キロに渡って続いているので、不可能な数字ではないが、長い年月と大きな資金が必要となるだろう。


「ミコト、久しぶりだな。活躍しているようじゃないか」

 迷宮の歩兵蟻の階層で多数の歩兵蟻が屯している中を突っ切って出口を教えてくれた『くれない同盟』のモリスさんだった。


 この人が電光剣サンダーソードを手に歩兵蟻を蹴散らす現場を見た時には、ハンターとして一生追い付く事など出来ないんじゃないかと思ったが、あれから短期間に実力を上げたので、どこまで実力の差を縮められたか楽しみだ。


「モリスさんも来たんですね。これは心強いな」

 精悍な野生児と言った感じのモリスさんは、帝王猿の革を使った革鎧を装備し腰には電光剣サンダーソードを差していた。


「何言ってやがる。バジリスクを倒した奴が言うと嫌味に聞こえるぞ」

「そんな事ないです。ウェルデア市の周りには嫌と言うほど戦争蟻がたむろしてますから、実力のある人の参戦は正直嬉しいですよ」


 モリスが首を傾げ。

「衛兵の奴らとお前たちで相当な数を倒したと聞いたが、まだ残っているのか?」

 戦争蟻たちを監視していた者からの報告で、今でも樹海から戦争蟻がウェルデア市へ集まっているらしい。


「ああ、支部長が考え込んでたな。何でウェルデア市に集まるんだって……呪いかもしれないと噂が流れているぞ」

 『呪い』か、それはないと思うんだが、魔法のある世界では完全に否定は出来ない。


「あっ……そうよ!」

 薫が突然大声を上げた。周囲の人間が驚き、薫に目を向ける。

「急に大声を上げて、どうしたんだ?」


「蟻が集まって来なくすればいいのよね。だったら、蟻が嫌うような臭いのするものを撒けばいいんじゃないかな。確か、蟻は酢の臭いが嫌いなはずよ」


「それは本当か!」

 ダルバルが身を乗り出して来た。俺たちがダルバルと支部長の話を聞いていたはずなのに、逆に俺たちの話を聞かれたらしい。


「魔物じゃない普通の蟻の場合はそうです。でも、魔物の蟻もそうかは試してみないと……」


 この異世界にも普通の小さな蟻は存在する。小さい蟻と魔物の蟻との間にどのような関連が有るかは判らないが、大きさを除けば形や特徴は同じだ。


「試してみる価値は有るな……支部長、大量の酢を用意してくれ。戦争蟻が樹海から街に来る通り道に撒くんだ」

 ダルバルがアルフォス支部長へ指示した。


「集まっている蟻共に酢を掛けたら逃げて行くだろうか?」

 俺が疑問に思った事を口にすると、モリスが否定する。

「たぶん、怒って襲って来るだけだと思うぜ」

「そうなると既に集まっている蟻は実力で駆逐するしか無いのか」


 その日の内に大量の酢が樹海と街周辺に撒かれた。その効果が有ったのか、樹海から街へ来る戦争蟻は途絶えた。それを確認したダルバルは驚いた。

「おいおい……本当に蟻が来なくなりおった。あの娘、只者じゃないかもしれんな」


 翌朝、ダルバル率いる衛兵たちとアルフォス支部長率いるハンターたちがウェルデア市に到着した。東西南北の門に分散し一気に戦争蟻を壊滅させる作戦を立てていた。

 ディンの合図である<缶爆マジックボム>の爆音で戦いが始まった。


 俺と薫、伊丹の三人はディンと一緒にココス街道と繋がる西門で戦いを始めた。西門の周囲に居る戦争蟻は軍曹蟻が六匹と歩兵蟻が八〇匹ほど、対する味方の兵力は、衛兵が三〇人、ハンターが九〇人であった。

 俺は衛兵の中に雷槍隊が一人も居無いのを確認して、活躍を見られないのを残念に思う。


 昨日と同じように五芒星躯豪術を完成させようと実戦訓練を兼ねて戦い始めた。最近では、躯豪術の特殊な呼吸法を日常でも行うようにしているので寝ている時以外は腹の中に魔力の球体が形成されている。これは伊丹に推奨されて始めた訓練方法で、そのお陰か扱う魔力量が格段に増えた気がする。


 戦闘時には意識して、魔力の塊の中に五芒星を模した流れを作り上げる。この五芒星躯豪術は誰にも教えていない。俺だけの奥義とし切り札にするつもりだ。


 伊丹も躯豪術と古武術を組み合わせ色々試している。ちょっと尋ねてみたが、秘密だと言って教えてくれなかった。


 躯豪術は何人かに伝授したので、この先、躯豪術を基礎とした様々なオリジナル技が開発されていくのだろう。本家本元としては遅れを取らないよう頑張らねば。


 今日も軍曹蟻狙いで戦いを始めた。俺たちは左隅に居る戦争蟻を目指して進み、その手前で二匹の歩兵蟻に阻まれたので俺と伊丹で排除する為に前に出る。


 格段に強くなった脚力で地面を滑るように移動する。剣道の『送り足』を参考にした歩法であるが、要は『すり足』である。


 脚力を強化した状態で普通に歩くと重力の小さい月面で歩くようにピョンピョンと飛び跳ねるような進み方になってしまうので、この歩法がベストだと考えている。


 但し、脚力が驚異的にパワーアップした結果、反動もきつくなった。動き出す時に首などにも力を入れていないと鞭打ちになりそうになる。


 俺は一振りで歩兵蟻の頭を邪爪鉈でかち割り仕留めた。同時に伊丹も瞬殺したようで、軍曹蟻へと向かう。


 薫が試したい事が有ると言うので軍曹蟻を前に、武器を構えて待機する。

 薫が一匹の軍曹蟻を見詰めながら、呪文を唱える。


『フェナルス・アルジェスタム・コキュス・ボルデス……<高圧繭界ハイプレジャーコクーン>』


 薫が見詰めている軍曹蟻を中心として空気の渦が発生し、周囲の空気を集め始めた。ゴーッという空気が吸引される音が響き、狙った軍曹蟻と傍に居たもう一匹が高圧の空気の繭に包まれる。


 その繭の内部は通常気圧の数倍にはなっているだろう。二匹の軍曹蟻が苦しそうに藻掻いているが、息の根を止めるほどの威力は無いようだ。


 魔物は厳しい環境に耐えぬく能力を持っている。高圧となった環境に順応しようと軍曹蟻の体内部では、様々な変化が始まっていた。


「カオル、こいつは失敗じゃないのか」

 一向に仕留められないまま、段々と元気になっていく軍曹蟻を見て、俺が声を上げた。───唐突に空気の渦が消え、軍曹蟻二匹が開放された。

 伊丹がなぐさめるような眼を薫に向け。

「ドンマイでござる」


「失敗なんかしてないわよ。ちゃんと見てなさい」

 心外だというように薫が怒る。開放された二匹の軍曹蟻が、突然苦しみ始めた。

「えっ、何で?」

 俺の問いに、ドヤ顔の薫が応える。


「減圧症よ。高圧の状態で体内に溶け込んだ気体が、急激な減圧により体積が膨張し大きな気泡となったのよ」

「聞いた事ある。潜水病とかって言われている奴だ」

 伊丹が怖い顔で苦しむ軍曹蟻を見ている。


「<高圧繭界ハイプレジャーコクーン>はどれほど大きく出来るのでござるか?」

 薫は少し考え応える。

「直径二十メートルの<高圧繭界ハイプレジャーコクーン>までなら可能だと思う」


「隊列を組んだ兵士に対して使った場合を想像すると怖いな」

 俺の言葉で、実際想像してしまったのだろう。薫が顔を青褪めさせている。


「しばらく封印して、使い方を考えるわ」

 せっかく考え出した応用魔法だったが、薫は封印する事にした。


 苦しみ藻掻いている軍曹蟻を見て、他の軍曹蟻は警戒しているようだ。苦しんでいる軍曹蟻から距離を取り、俺たちの周りを回っていた軍曹蟻に攻撃を加えようとした時、ココス街道の港湾都市方向から大勢の人馬が近付いて来た。


 その正体に最初に気付いたのはディンだった。

「オラツェル兄上、どうしてここに?」

 現れたのは漆黒の馬に乗り、ミスリル製のハーフアーマーを纏った第二王子のオラツェルだった。


「弟よ、相変わらず愚かだな……ここに来た目的だと、蟻の魔物を駆逐する以外に何が有るのだ」

 ディンはこの兄が嫌いだった。王都に居る時も会う度に馬鹿にされ、意地悪い態度を取られた。


 オラツェル王子の背後には、派閥貴族の子弟やハンターらしい者たちが続いていた。

「行けっ、ウェルデア市を救うのだ!」


 第二王子の号令で配下のハンターたちが一斉に動き出す。その中にナイト級上位の独眼巨人サイクロプスを倒した『雷光の祝福』パーティの姿が有った。


 リーダーである剣士ダロイスは、俺たちを押し退けるように前に出て、苦しんでいる軍曹蟻に止めを刺す。ダロイスの武器は魔導鋼製のバスタードソードで軍曹蟻の外殻に負けない頑丈さを持つ剣だった。


「おい、そいつは俺たちの獲物だぞ」

 俺が文句を言うと。

「ふん、軍曹蟻くらいでガタガタ言うな。貴様らは俺らの依頼を横取りしただろ」


 『雷光の祝福』は王家からビショップ級以上の魔晶管採取という依頼を引き受け、失敗したパーティだ。依頼の横取りというのは、バジリスクの魔晶管を王家に渡した事を言っているのだろう。


「横取り……心外な。貴殿たちが期間までに依頼が果たせ無かっただけでござろう」

 珍しく冷静沈着な伊丹が文句を口にする。


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