第100話 戦争蟻の襲撃 (1)

 アカネたちを助け出す数日前、迷宮都市を旅立った伊丹と美鈴は順調にウェルデア市へ近付いていた。天気は快晴で暑い日が続いている。


 小瀬と東埜が行方不明となったアスケック村を通過し、ウェルデア市に近いクエル村に辿り着いた時、美鈴が熱を出し倒れてしまった。


 樹海でのサバイバルと犬人族の隠れ里での不慣れな生活が美鈴の身体の中に疲労を蓄積させていたのかもしれない。そして、止めとなったのは教え子の失踪だろう。


 村で唯一つの小さな宿屋に宿泊した伊丹と美鈴は、主人に頼んで寝床の用意をして貰う。伊丹は美鈴を寝台に寝かし、主人に果物を用意してくれるように頼んだ。


「美鈴殿、二、三日この村でゆっくりいたそう」

 伊丹が美鈴の体調を考えて申し出る。

「でも一刻も早く二人を探しださないと」


「いや、ここで無理をして体調が元に戻らねば探索を諦めるような事態になるかもしれん。我慢してでも休むのが得策でござる」


 美鈴の顔が歪み、目尻から涙が溢れ出そうとしていた。教え子を連れ戻さなければという義務感が心労となり、少し情緒不安定となっている。

「すみません」


 伊丹が困ったような顔をする。人生のほとんどを武術家として生きて来た伊丹は女性との接し方に不慣れなのだ。薫とは良好な関係を結んでいるが、薫が子供であるのと弟子と師匠という関係だからである。


「謝る必要はござらん。不慣れな異世界で体調を崩すのはよくある事。それに小瀬と東埜はきっとウェルデア市で発見出来るでござろう」


「でも、もっと遠くへ行ったかも」

「この異世界が危険な場所だというのは彼らも存じているだろう。少しでも知っている街で生活しようとするはずでござる……まあ、薫会長ほどの行動力が有れば絶対見付からないように見知らぬ土地へ行く可能性も有るのだが」


 会長? 薫さんは生徒会長なのかしら。美鈴は一瞬どうでもよい事を考えてから。

「でも中学生の薫さんが、そこまで行動力が有るなら二人だって」


「薫会長やミコト殿は特別で、そこらの大人では真似できない行動力と判断力を備えておるのです。でなければ案内人など不可能でござる」


 美鈴の体調が戻るまで二日その宿で休養した。

 休養後、ココス街道を南西へと進み、もう少しでウェルデア市が見えて来ると思われる地点で異変に気付いた。前方から何者かが戦っている気配がして来たのだ。武器を繰り出す気迫の篭もった叫び、悲鳴などが聞こえる。


「魔物が出たんでしょうか?」

 美鈴が不安げな声を出す。

「様子を覗いて確認した方が良さそうでござる」

 二人は慎重に気配のする方へ進み、魔物と護衛のハンターらしい者たちが戦っている光景を目にした。


 襲っている魔物は、黒光りする外殻を纏った馬鹿でかい蟻だった。戦争蟻と呼ばれる種族で体格や能力により幾つかの種類に分類される魔物だ。


 体長が二メートルほどの戦争蟻は『歩兵蟻』、三メートルほどの戦争蟻は『軍曹蟻』と呼ばれる。そして、現在ハンターと戦っているのは、多数の歩兵蟻と二匹の軍曹蟻だった。


 その魔物たちの中心には二頭立ての大きな馬車が有り、それを守るように懸命に戦っている者たちが居た。馬車の中から商人らしい男が身を乗り出し助けを呼んでいる。


 生きて戦っているハンターの人数は三人だけ、倒れている人数は四人。残った三人が魔物を馬車に近づけまいと必死で剣や槍を振るっているが、絶望的な戦いだった。


「助けてあげられないのですか?」

 美鈴が怯えながらも彼らを救えないか尋ねる。伊丹は美鈴の安全を第一に考えており、戦いに参加するのは良い選択ではないと判断する。だが、目の前で戦っている人々を見殺しにするのは武士としての信条に反する。


「美鈴殿、あの木に登ってジッとしていられるか?」

 伊丹が指差した木はかなりの大木で五メートル上に大きな枝が張り出している。そこで待機させられるならある程度の安全を確保可能だ。


「どうやって登るんです?」

「ロープをあの枝に渡して輪っかを作り、そこに足を引っ掛けたら拙者が引っ張り上げよう」

「判りました」

 伊丹は大きな枝に美鈴を引っ張り上げてから、戦いの場におもむいた。


「助太刀する!」

 ハンターに声を掛けた。だが、防戦に必死の彼らには返事を返す余裕もないようだ。伊丹は豪竜刀ではなく予備の武器として持って来た邪爪鉈を抜いた。


 蟻の外殻は硬く刀より刃の厚い鉈の方が蟻退治には向いていると判断した。駆け寄りざま歩兵蟻の首関節に邪爪鉈を叩き込む。首の半分が断ち切られ歩兵蟻は藻掻きながら倒れる。


 その後流れる水のように歩兵蟻の間を移動しながら邪爪鉈を振るう。的確に急所を切り裂く鉈の刃は赤い光を帯びるようになった。


 躯豪術を駆使して魔力を流し込み邪爪鉈の中に潜む『断裂斬』の源紋を覚醒させ、その力を借りて歩兵蟻の外殻を断ち割る。

 赤い光を帯びた邪爪鉈は関節を狙う必要はなくなり、硬い頭であろうとカチ割ってしまう。


 ものの数分で全ての歩兵蟻を倒した伊丹は、ハンターや馬車を確認する。ほとんどの魔物が伊丹一人に倒されたので呆然とした感じで伊丹を見守っている。

 馬車からも商人らしい男が顔を出し、こちらを見ていた。


 残っているのは二匹の軍曹蟻である。前に軍曹蟻を相手した時はミコトと二人で共闘したが今回は一人だ。助けたハンターたちはすでに戦う気力を失くし腑抜けた顔になっている。


 伊丹が軍曹蟻を睨み付け邪爪鉈を構えた時、風向きが変わりウェルデア市の方角から乾いた空気が吹き込んで来た。それを切っ掛けとして軍曹蟻がそわそわとし始め、ついにはウェルデア市の方角へ去って行った。


 伊丹は美鈴の所に戻り枝から下ろすと馬車へ近寄る。軍曹蟻の姿も見えなくなり気が抜けたのだろうハンター三人は亡くなった同僚の傍で暗い表情をして立ち尽くしている。


「命拾いしました。ありがとうございます」

 馬車に乗っていた商人が感謝の言葉を告げる。旅商人らしい男から事情を聞くとウェルデア市へ入ろうとした時に戦争蟻の集団が街を襲いここまで逃げて来たそうだ。


「ウェルデア市を襲った蟻共は、あれで全てだったのでござるか?」

 商人が思い切り首を振り否定する。

「とんでもない。あれはほんの一部で、ほとんどの戦争蟻はウェルデア市を攻撃しています」

「何っ!」


 伊丹は近くに在る大木の天辺近くまでじ登りウェルデア市を確認する。

「信じられん、数百匹の戦争蟻が街壁を取り囲んでいる!」


 街の境界線である高さ七メートルほどの石壁の周囲を真っ黒な蟻の集団が占領していた。都市の出入口は堅く閉ざされ、石壁を登ろうとする戦争蟻たちを衛兵らしい兵士が上から撃退している。


 これは明らかに非常事態だった。伊丹は素早く地上に降り美鈴の下に戻ると樹上で見た光景を説明した。

「そんな……あの中に二人が居るのに」


 美鈴が肩を落とし途方に暮れたようになげく。伊丹としてはなんとかしてやりたいが、この状況では諦めて貰うしかない。


「一旦、前の村に戻るしかないでござる」

「でも、二人はどうするのです?」

「戦争蟻を撃退してからでないと街に入ることすら無理でござる。撃退は個人でどうにかなる状況ではござらん、あれは軍隊が必要になると思う」


 伊丹と美鈴は助けた商人とハンターに同行して村に引き返す事にした。村に到着すると商人と一緒に村長の所へ行き状況を説明した。


 村長は驚き早馬を用意させた。迷宮都市に緊急の救難要請を出す為だ。伊丹は状況を知らせる手紙を書き、迷宮都市に居るミコトへ渡すように村長に頼んだ。


 村長に呼び出された村の男が迷宮都市に向けて出発する。馬を乗り継げば明日には迷宮都市へ到着するだろう。


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