第94話 雷黒猿とウェルデア市のハンター

 俺と薫は加護神紋の調査を終えた。結果、ほとんどは迷宮都市の魔導寺院と同じものであるのが判った。


 但し、四割ほどが修復不可能なほど傷んでおり、薫が残念がる。特に第三階梯神紋である『崩岩神威ほうがんしんいの神紋』が無残に崩れているのを発見した時は、大きな溜め息を吐いていた。


 薫はリアルワールドにある神紋術式解析システムを使って、神紋付与陣の再構築も研究している。

 魔導寺院で加護神紋を授かる時は、神紋付与陣に含まれる神意文字や神印紋が己の精神に刻まれるのは感じ取れるが、それらがどう組み合わされるのか、全体像が把握出来ない。


 己の精神を観察すると神意文字や神印紋が一塊ひとかたまりに成って加護神紋が形成されているのが漠然と認識可能なのだが、紙に書き出せと言われても無理なのだ。


 カメラでも有れば神紋付与陣を盗み出せるのだが、この異世界では紙に書き写すしかない。それには時間が掛かり、その時間を魔導師ギルドの職員が与えてくれず、すぐに神紋の間から追い出される。


 であれば、薫はどうやって神紋付与陣の研究を行なっているのか。精神の中にある加護神紋を観察すれば、使われている神意文字と神印紋は調べられる。


 それらを神紋術式解析システムを使って、暗号解読や逆コンパイラのような手法で再構築しているのだ。


 今回の発見は、薫の研究に大きな進歩を齎すだろう。本物の神紋付与陣が確かめられたのだから、再構築の結果が正しかったかどうかを確かめられる。


 因みに魔導師ギルドが管理する神紋付与陣が盗まれるという事例は過去に存在する。その時は野盗集団が盗んだのだが、魔導師ギルドに所属する魔導戦士団が野盗集団を壊滅させた。


 魔導師ギルドは己の権益を守る為には容赦しないと世間に見せつけたのだ。

 当然だが、この時、どういう手口で盗まれたかは魔導師ギルドが秘匿した。世間では魔導師の中から裏切り者が出たのではと噂されたが、真実は分からない。


「この遺跡の魔導寺院については、俺と薫に管理させて欲しい」

 俺は犬人族とネリたちに頼んだ。もちろん秘密にして欲しいという約束もした。


「わかっちゃ、絶対に言わにゃいよ」

 ルキから真剣な顔で返事を貰った時には不安になったが、信用する事にする。


 釣りをすると言うルキたちと別れ、俺と薫はバジリスクと最初に遭遇した常世の森と岩山の境目付近にある岩場に来ていた。


 雄大な岩山を背負う形で岩場が広がっている。安山岩に似た岩が多く、石材としては申し分ないものが岩場一面に転がっていた。

 何故、こんな場所に来たかと言うと風呂のためである。


「ミコト、ここで浴槽を作るの?」

 薫が岩だらけの周りを見回してから、尋ねてきた。

「ああ、デカい岩風呂にするつもりなんだ」


「でも、大きいとお湯を用意するのが大変でしょ」

「そうなんだけど、個室の方に浴室を設けないから、大人数でも入れるようにしないと」


 岩場には直径五メートルもある大岩や人が抱えられるほどの岩まで様々な岩があり、その中から一辺が三メートルほどの正方形の岩を選んで加工し始める。


 加工方法は『流体統御の神紋』の<渦水刃ボルテックスブレード>と<水刃アクアブレード>を使用する。最初は<水刃アクアブレード>だけで加工しようと思ったのだが、<水刃アクアブレード>の射程は二十センチほどで大きな岩を加工するのは不向きだった。


 大岩を刳り抜き側面と底を平らに加工する。出来上がった浴槽は縦横およそ三メートル、深さ六〇センチほどである。


 粗削りの加工でお世辞にも素晴らしいものだとは言えないが、これはこれで何となく味わいがあり気に入った。


 この浴槽を『時空結界術の神紋』の<圧縮結界>を使って縮小する。持ち運ぶ為には圧縮結界で包み縮小するしか無いのだ。


「浴槽は一つしか作らないの?」

 薫の質問に肩をすくめて俺は答える。

「時間を区切って『男湯』の時間『女湯』の時間というように使おうと思うんだ。切り替える時に掃除して、お湯を入れ替えれば問題ないだろう」


 風呂で問題なのは燃料である。風呂に使う水は井戸水を使うので問題ないが、お湯を沸かすまきは買うか雑木林などから取って来ないといけない。魔道具のボイラーは存在するが、それなりに高価なので購入してはいない。


 <圧縮結界>で縮小した浴槽を背負い袋に入れる。

「カオルは、趙悠館に欠けているものは何だと思う?」

「お風呂とシャワーは解決済みだから、快適な寝具と美味しい食事じゃないかな」


「寝具と食事か……やっぱり、藁束と帆布じゃ駄目かな」

 薫は顔を顰め、あの硬く肌触りの悪い藁束ベッドを思い出す。


「もう一つ敷布団が欲しいところね。それに枕が硬過ぎるのも駄目」

 この国の枕は板に布や毛皮を巻き付けたもので、日本で売られている枕に比べるとバリエーションも少なく硬かった。


「食事の方は、宇田川さんが調査しているから、その結果待ちだね」

 料理に関する問題は、調味料の種類が少なく高価なのが問題だろう。豊富にあるのは塩と酢、香草くらいである。


 砂糖は存在するが、南方にある島からの輸入品なので高価だった。他に甘い物と言えば蜂蜜やガルガスの樹液を煮詰めた樹液結晶がある。だが、どちらも樹海産なので、砂糖ほどではないが高価である。


 宇田川は異世界の料理についても研究したらしく、調理器具や料理方法、食材についても日本中の案内人から情報を集め、趙悠館で活用出来るものを研究していたそうだ。


 俺はふと思った事を薫に訊いてみた。

「因みに聞きたいんだけど……料理はどうなの?」

「……」

 薫が沈黙で答えたので理解した。


「誰しも万能じゃないさ。料理なんて料理教室とかで習えばいい」

 薫の顔に悔しさが滲み出ていたが、見なかった事にする。


 岩場から迷宮都市に帰る途中。

 俺は並んで歩いている薫を意識しながら、定期的に<魔力感知>で索敵し樹海を進む。


 俺は薫と二人きりで行動している状況に、胸が高鳴るのを感じていた。ここが危険な場所でなければ、デート気分で楽しいだろうにと思いながら歩みを進める。


 岩場から常世の森の端を通り樹海に入ろうとした時、常世の森の奥から強い魔力を持つ魔物が接近して来るのに気付いた。


 逃げるには岩場に戻るしか無かったが、そこは岩山が立ち塞がる場所。追い詰められるのは嫌だ。


 俺たちが遭遇したのは、常世の森で双璧を成す魔物、雷黒猿だった。体長二五〇センチほどの筋肉の塊である大猿、黒い剛毛の毛皮を纏い額に黒い水晶のような角を持っている。


 常世の森を棲み家にしている魔物なので、いつかは遭遇するだろうと考えていた。

 ハンターギルドの資料室で、雷黒猿の特徴や能力はあらかじめ調べていた。その対策も考えていたが、実物に通用するかは判らない。


「カオル、気を付けて!」

 雷黒猿が発する殺気に二人は自然と戦闘態勢に入る。俺は背中の背負い袋を放り出し邪爪鉈を構え、薫も魔法使いの杖を構える。

 ナイト級下位の魔物である雷黒猿は、一対一では倒せるか分からない実力を持つ化け物だ。


 雷黒猿の雷角には、魔力を雷力に変える源紋が秘められている。雷力が電気と同じものなのかどうかは判らないが、性質は似ているようだ。魔系元素の電気のような存在なのかもしれない。


 俺たちを攻撃可能な間合いまで近付いた雷黒猿は、牙を剥き出し威嚇するように吠える。猿のような甲高い声ではなく、ゴリラのような迫力のある吠え方だ。


 最初に攻撃を仕掛けたのは雷黒猿である。人間より遥かに長い腕を伸ばし、その鋭い爪で俺の顔をむしろうとする。後ろに飛んで避けるが、予想した以上に素早い爪の斬撃は、俺の頬を掠めて血を流させる。

 そして、掠めた頬に感電したようなショックと痛みが走る。


 うっ、こいつが雷力か。感じとしては静電気がバチッと来た時の痛みを数倍にしたようだ。掠っただけでこれなら……危険だ。


 薫の<三連風刃トリプルゲール>が放たれる。三本の風刃が薫の頭上で形成され雷黒猿を目掛けて飛翔する。風刃は目には見えないが、魔力を纏っているので敏感な者には感じ取れる。


 雷黒猿が魔力を感じ取って、横に跳び退く。二つの風刃は空振りとなったが左端の風刃が雷黒猿の肩を掠る。黒い体毛を数本刈り取るが強靭な皮膚に弾かれ掠り傷を負わせただけに終わる。


「ただの風刃じゃ、駄目みたい」

「ああ、少なくとも<豪風刃ゲールブレード>じゃないと通用しそうにないな」


 雷黒猿がお返しとばかりに暴れ始める。俺との間合いを詰め、鋭い爪の付いた熊手のような手を振り回す。空気を切り裂いて襲い掛かる凶悪な爪をステップして躱す。


 息吐く暇もなく次の攻撃が俺を襲う。無詠唱で使える<風の盾ゲールシールド>で受け流し、追撃してくる大猿にシールドバッシュを放つ。風の盾が大猿の凶悪な顔を押し返す。ダメージは与えられないが距離を取るのに成功する。


 だが、雷黒猿の攻撃が途絶えたのは一瞬だけだった。

 大猿の爪が何度も俺を捉えようと襲い掛かる。邪爪鉈で反撃しようとしたが思い留まった。


 戦闘中の雷黒猿は雷力を全身に纏っており、武器を打ち込めば纏っている雷力に感電しダメージを受けてしまうとギルドの資料に記述されていたからだ。


 雷黒猿や大鬼蜘蛛用の武器を用意しようと考えていたのだが、今はまだ用意出来ていない。

 頼りの薫も攻撃魔法を放つが、素早い大猿を捉えきれないようだ。


 大猿が苛立って吠えた。俺たちの気力を削ぎ、僅かだが精神にダメージを受ける。大猿が間合いを取る為に後ろに飛び退る。


「雷撃が来る!」

 ハンターギルドの資料室で知ったのだが、雷黒猿が接近戦で暴れた後に間合いを取る時は、大猿の最大攻撃である雷撃を放つのだ。


 雷黒猿の雷角に魔力が集まり始めていた。雷角の周りで放電現象が起き、火花と小さな球電が浮かび爆ぜる音が聞こえて来る。


「ミコト、ヤバイのが来そうよ」

 俺は薫の近くへ移動し大猿を睨み付けた瞬間、雷角から三〇センチほどの青白く輝く球電が生まれ、こちらに向かって飛んで来る。俺は急ぎ<遮蔽しゃへい結界>を展開し自分と薫を包み込む。


 球電と結界が衝突し力比べとなった。目の前で青白い光を放つ雷力の塊が結界を押し破ろうと暴れる。俺はそれを押し留めようと結界に魔力を注ぎ込む。


「ミコト、大丈夫なの?」

 薫は俺の額に浮かぶ汗を見て心配になったようだ。

「雷撃は抑える。カオルは反撃を頼む」


 雷黒猿について調査した時、雷撃を放った後に隙が出来るという情報が有った。

 カオルは頷き、詠唱を始める。


 大猿が猛り狂い球電に魔力を注ぎ込むが、結界に注ぎ込まれる魔力が競り勝った。球電は力を失い急速にしぼみ消える。


 俺が<遮蔽しゃへい結界>を解除した時、薫が即興でアレンジした<豪風刃ゲールブレード>が解き放たれる。通常の<豪風刃ゲールブレード>より三倍の魔力を練り上げた豪風刃が雷黒猿と薫の間にある空間を切り裂き大猿に襲い掛かった。


 大猿は大きな魔力を放出した後の虚脱感で判断が遅れる。一声吠え豪風刃を避けようと真横に跳ぶが、タイミングが遅かった。豪風刃が大猿の右足に刃を突き立て両断する。雷黒猿の周りに真っ赤な血が飛び散る。


 その後、片足を失っても大猿の闘気は衰えず、最後まで抵抗するが、二発目の<豪風刃ゲールブレード>が止めを刺す。


 荒い息をする俺の目の前で、豪風刃に断ち切られた大猿の首が地面に落ちた。雷黒猿の死骸から濃い魔粒子が解き放たれ、俺と薫の身体に吸収される。


 バジリスクの魔粒子をすでに吸収している俺はともかく、薫は魔力袋の神紋レベルがアップしたようだ。


「カオル、咄嗟にアレンジして豪風刃の威力を高めるなんて、さすがだね」

 薫が嬉しそうに笑う。

「ミコトが結界で時間を稼いでくれたお陰よ。それより怪我は大丈夫?」

「掠り傷だけだ。心配ない」


 仕留めた雷黒猿を解体する。毛皮を剥ぎ取り、魔晶管を採取すると中に魔晶玉が見付かった。ナイト級以上の魔物からは高確率で魔晶玉が発見されるので期待通りである。


 しかも、大きさはビー玉ほどだが、質の良い魔晶玉でギルドの買取価格は期待出来る。他にも雷角と爪、牙も剥ぎ取ると背負い袋に仕舞う。


「常世の森は危険ね……犬人族やルキたちは大丈夫なの?」

 薫がルキを心配して訊く。

「常世の森は通らずに、坑道を通ってエヴァソン遺跡へ行き来するように注意しているから大丈夫だろ。犬人族も猫人族も鋭い感覚を使った索敵能力を持っているから心配ない」


 魔物の素材を担いで迷宮都市に向かう。


 北門から迷宮都市に入りハンターギルドに到着した。魔物の素材を換金する為に来たのだ。

 夕方は外に出ていたハンターたちが戻って来るので、かなり混んでいる。どのハンターも魔物の素材や採取した物を持ってカウンターに並んでいる。

 その列に俺たちも並ぶと、背後から鋭い視線が向けられているのに気付いた。


 その視線の主をさり気なく確かめる。四人の男が待合所の長椅子に座り、こちらを探るような目で見ている。

「あの人たち、ミコトの知り合い?」

 カオルも気付いたのか、訊いて来た。

「いや、知らない顔だ。受付の人に確認しようか」


 しばらく待って順番が来ると、ギルド支部長アルフォスのお気に入り受付嬢であるカレラに、雷黒猿の素材を渡す。受け取ったカレラが目を大きく見開き驚く。


「これは……!」

 雷黒猿の素材は珍しいもので、年に二、三頭分しか持ち込まれない。雷力を身に纏う能力を持つ雷黒猿は、武器で攻撃すると手痛いしっぺ返しを受けるからである。

 その事を知らずに雷黒猿に殺されるハンターも少なくない。


「さすがミコト君ね」

 バジリスクを倒した実績を知っているカレラが称賛の言葉を口にする。すぐに俺は否定した。


「雷黒猿を倒したのは、俺ではなくてカオルですよ。俺の邪爪鉈で戦う訳にはいかなかったからね」

「そうすると彼女の魔法で倒したの……優秀な魔導師なのね?」

 雷黒猿のほとんどが魔法で倒されているのを思い出したようだ。


 俺は魔晶管と雷角以外の素材を換金して貰った。魔晶管は二人の医師に渡し魔法薬の材料とする予定であり、雷角は『雷発』の源紋を秘めているのを確認したので、大鬼蜘蛛用の武器にならないか研究する予定である。


「カレラさん、待合所の隅にいる四人は何者ですか?」

 俺が尋ねるとカレラさんが待ってましたと言うばかりに話し始めた。それによると彼らは、ウェルデア市から来たハンターであり、ミコトを探していたという。


 ウェルデア市と言うと心当たりは一つしか無い。

 自業自得で死んだブッガの親が送り込んだのか。面倒な事になりそうだ。


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