第93話 遺跡の魔導寺院
ルキの一日は姉のミリアの声で始まる。
「ルキ、朝よ。起きなさい」
「ふみゃあー」
趙悠館の敷地に建てられた仮設住宅で目を覚ましたルキは、猫人族たちの手で掘られた井戸から水を汲み上げて顔を洗う。
小さいルキの力では
顔を洗い手拭いで濡れた顔を拭く。その時、敷地の入り口に立てられた立て札が目に入った。昨日は無かったものだ。
「お姉ちゃん、あれにゃんにゃの?」
ルキが指差す方を見たミリアは、立て札を読んで答える。
「『趙悠館』建設予定地って書いてあるのよ」
「ちょウゆうきゃん?……にゃに?」
「ここに建てられる宿泊施設の
「ふうぅーん」
ルキは首を傾げながら返答をした。理解していないようだ。ミリアも『趙雲』とか『悠々自適』とかは分からなかったが、ミコトが適当に名付けたと言っていたので気にしていない。
それよりも朝の訓練の時間だった。
「ルキ、行くよ。ミコト様が待っている」
ルキとミリアは、リカヤたちと分かれミコトが待つ敷地の一画に向かった。二人は朝一番で躯豪術の鍛錬をミコトと一緒にするのだ。
「ルキ、ミリア、おはよう」
二人はミコトに挨拶を返し、ミコトの前に並んだ。
「あれっ、今朝はカオル様は来にゃいんでしゅか?」
「ああ、カオルは昨晩遅くまで加護神紋の研究をしてたから、今朝はお休みだ」
「カオル様、大変にゃんでしゅね」
ミリアは同情したが、薫は好きでやっているので同情する必要など無い。
「さて、躯豪術の基本である調息からだ」
ルキは意識を体の中心である丹田に置きながらゆっくりとした呼吸を始める。鼻から吸い込む空気の量を調節しながらなるべく長い時間を掛けて吸い込むのが基本だ。
十数回の呼吸で身体が温まってくる。
「よし、次は躯豪舞……」
ミコトがゆっくりとした
ルキにとって難しい鍛錬だ。それでも身体の中にある魔力を動かす度に力が溢れる感覚は面白く、この鍛錬が好きだった。ルキは目をキラキラさせて舞いながらも、ミコトの動きを一つでも見逃すまいとする。
だが、未熟なルキはミコトのお手本通りには動けない。
「にょにょにょ~」
魔力を右足に流し込んだ拍子にバランスを崩したルキが、片足でケンケンしながら明後日の方向に飛び跳ねていった。ルキは魔力の制御を出来ても、身体の制御は出来ないようだ。
躯豪術の鍛錬が終わった後、リカヤたちと合流し槍や剣、組討術の練習を行う。時間にして一時間半ほどの練習である。
基本を繰り返す事で基礎攻撃力を養成する事が目的なので、高度な技は身に付かないが、魔物相手に戦うには有効な練習だった。
朝練後、朝食を食べてからエヴァソン遺跡へ向かう。リカヤたちのパーティで現在ブームとなっているのが『釣り』だからだ。
灰色海トカゲはポーン級上位の魔物だが、体内に筋力増強剤の素材となる油を持っていたのだ。中身は鯨油と同じような成分なのだが、筋肉活性化の効果を持つ成分を含んでおり、一匹分の海トカゲ油が銀貨三枚になった。
昼前にエヴァソン遺跡に到着し、犬人族のムルカに会った。隠れ里の犬人族は、ここに引っ越す事に決めたようだ。先遣隊としてムルカを中心に数名の犬人族がエヴァソン遺跡で調査をしながら生活している。
「今日も来たのか」
「灰色海トカゲの肉は美味しいから気に入ったのよ」
ムルカの挨拶代わりの言葉にリカヤが答える。
「海トカゲ油が狙いじゃないのか」
「まあ、それも有るけどね」
ミリアはムルカたちが疲れている様子だったので尋ねてみた。
「遺跡の調査は進んでいるんでしゅか?」
ムルカがコクリと頷き。
「ああ、この遺跡に在る地下通路と地下室を一つずつ調査しているんだけど、思っていた以上に大変だよ」
マポスが聞き返す。
「地下室とか多いのか?」
「今、下から順に調べてるんだが、千人以上が暮らせるだけの地下室が有るようだ」
「そ、そんにゃに!」
ミリアたちは驚いた。規模の大きな遺跡だとは判っていたが、それほど大きいとは思っていなかったのだ。
「それだけじゃないぞ。近くにガルガスの森を発見したんだ」
ガルガスという樹は特殊な樹で、地面を覆い尽くすように根っこを張り巡らせ、その根から馬鈴薯のような食物を実らせる有益な樹木である。
しかも、その樹液は甘く、大鬼蜘蛛さえ居なければ昆虫系魔物の楽園になっていただろう。同様にしてガルガスの実を好む魔物も大鬼蜘蛛や雷黒猿の存在が怖くて近寄らず、無駄に実らせては腐らせている。
例外として逃げ足が速い悪食鶏だけが、ガルガスの実を
「でも、そこには大鬼蜘蛛とか雷黒猿が居るんでしょ」
魔導師として成長し始めたネリの指摘に、ムルカが肩を落とす。
「それで、ミコト様に相談したのだが、強力な対魔物用の武器を作ってガルガスの森から大鬼蜘蛛と雷黒猿を追い出すしかないと言われた」
武器と聞いて、マポスが興味を持った。
「どんな武器なんだ?」
ムルカが肩を竦め答える。
「どんな武器かはまだ教えられていない。開発するのに時間が掛かるから、まずは海の幸を食料とする事を考えてくれと言われた」
「仕方ない。完成してから、ミコト様に教えて貰おう」
そこに犬人族の一人が大慌てでムルカの下に走り込んだ。
「た、大変だ。地下室の床が抜けて仲間が下に落ちた」
その言葉を聞いたムルカは、何も言わず走り出した。その後をリカヤたちが追う。ムルカは遺跡の地下通路に飛び込み奥へと向かう。
途中で用意してあった
同じようにして五階テラス区の地下室まで昇ると地下通路を西へと向かう。西側奥には大きな地下室が有った。暗い空間の中に松明を持つ犬人族の青年たちがムルカを待っていた。
地下室の中央の床が陥没し直径四メートルほどの大きな穴を開けている。穴を覗き込んで見ても暗くて分からないが、四階テラス区の地下室を調査した時には発見出来なかった隠し部屋かもしれない。
「誰が落ちたんだ?」
ムルカが仲間の犬人族に尋ねた。太い尻尾を持つ青年が答える。
「ミニョクだ。呼び掛けても返事がない」
ルキが穴の縁に立ち暗い穴底を覗き込んだ。
「真っ暗、ヤミヤミにゃのでしゅ」
「ルキ、危ないから下がりにゃさい」
ミリアが強い口調でルキを叱る。リカヤが自分の背負い袋からロープを取り出し端を近くの柱に結び付けてから穴に垂らす。
「兎に角、降りて様子を確認しましょう」
リカヤの力強い言葉に、ムルカは頷き松明を下に投げ、ロープを使って最初に下へ降りた。
ムルカに続きリカヤたちも降りる。ミリアが隠し部屋の柱に向かって<
床の残骸の傍には、気を失って倒れている犬人族の青年ミニョクの姿が有る。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ」
返事がないが、気を失っているだけのようだ。ムルカはミニョクを背負い、紐で背中に固定してからロープを使って上に運び上げた。
隠し部屋に残ったミリアたちは周囲を調査する事にした。
「隠し部屋って事は、もしかして宝物でも隠しているのかな?」
マポスが少し興奮した様子で声を上げた。遺跡の中にある隠し部屋、そこに宝物が隠されているというのは、有り得る話だ。だが、部屋の様子からちょっと違うようだとミリアは感じる。
ルキは楽しそうにハミングしながらちょこまかと部屋の中を探検していた。
「判っちゃ。ここ、魔導寺院ににちぇりゅ」
突然、ルキが大きな声を上げる。
「魔導寺院? それはない。こんな遺跡に魔導寺院なんて」
その言葉を聞いて、マポスが否定する。ミリアはマポスと同じように思ったが、確かめようと隠し部屋を見回す。部屋の壁には朽ち果てた金属板が打ち付けられており、何かの文字が刻まれていたように見える。
魔導寺院の壁にも神紋の説明書きが刻まれた板が有り、この部屋の雰囲気も魔導寺院と似ている。
奥に在る通路が加護神紋の部屋に通じているかどうかを調べれば確かめられる。
「確かめてみましょう」
魔導寺院と聞いて興味を持ったネリが皆に告げる。北側の通路へ向かい、通路を<
「やっぱり、魔導寺院なんだ」
ネリが神紋の扉に手で触れてみる。───反応がない。幾つかの扉に触れるが、どれも反応がなかった。
扉に刻まれている紋様から、それが『湧水術の神紋』であると判る。迷宮都市の魔導寺院では反応していたのに……。加護神紋が死んでいるのではと推測する。
エヴァソン遺跡は古代魔導帝国エリュシスが建設したものだと考えられている。そうすると遺跡が放棄されて八〇〇年ほどが経過したと考えられる。
この魔導寺院と同じような設備を持つ場所も八〇〇年はメンテナンス無しで放置されていたのだ。加護神紋が正常に稼働していないのも当然だろう。
ネリは扉を開け中に入った。中は真っ暗である。ミリアを呼び、<
神紋付与陣はサラマンダーの血と闇灯石の粉末、それに歩兵蟻の魔晶管内容液を混ぜたものを塗料として描かれている。闇灯石は迷宮で採掘される結晶石で、勇者の迷宮の一〇階に採掘場があると聞いている。
「カオル様にお知らせしにゃいと」
薫が加護神紋について研究しているのを知っているネリは、ミリアにそう告げる。
「カオル様にゃら、ここにある神紋付与陣を修復して、また使えるように出来るかにゃ。そうすれば、犬人族の人たちも魔法が使えるようににゃる」
ミリアは自分たちが魔法を使う度に、犬人族の人々が羨ましそうにしているのに気付いていた。歴史的事情から人が支配する町に入れない犬人族は、数百年の間、加護神紋を授かる者は居なかったのだ。
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
翌日、薫とミコトがエヴァソン遺跡を訪れた。ネリから遺跡で魔導寺院と同じ施設が発見されたと知らせを受けたからだ。
早速、五階テラス区の地下通路から落盤の有った地下室へ行き加護神紋の有る隠し部屋へと降りる。
「空気が乾燥している。神紋付与陣の保存状態が良かったのは、これが原因かな」
神紋付与陣の塗料にはサラマンダーの血も使っているので湿気が多い環境だとカビが生え早期に駄目になるのだ。ネリからの情報通り、魔導寺院の構造に似ている。
「興味深い、これが魔導寺院の原型なのかしら」
俺は薫の言葉にピンと来た。
「そうか、魔導師ギルドの歴史は四〇〇年ほどだから、こちらの遺跡の方が古いのか」
「そうなのよ。もしかすると未発見の神紋付与陣が残っているかもしれない」
「そ、そいつは大事だ。早く調べよう」
魔導師ギルドも知らないような神紋付与陣が存在した場合、その価値は莫大なものになる。一〇〇年ほど前に別の遺跡から神紋付与陣に関する古文書が発見され、その中に未知の神紋付与陣が発見された事が有った。その時、魔導師ギルドは金貨一万枚で、その古文書を買い上げたという事例がある。
薫は一つ一つ神紋の扉を調べ始める。そこに刻まれている紋様でどの神の神紋かが判別出来るのだ。
「これは大地の下級神バウルの神紋ね。お馴染みの『魔力袋の神紋』よ」
「必ず有ると思っていたけど……よし、これで犬人族たちも魔法が使えるようになるな」
薫はオヤッという顔をする。
「でも、神紋付与陣は劣化しているから修復が必要よ」
「専用塗料が有れば、我々でも修復できそうだろ」
「サラマンダーの血と歩兵蟻の魔晶管内容液、闇灯石が必要なのよ。迷宮に取りに行くの?」
「いや、迷宮ギルドで買う。カオルがこちらに居るうちに『魔力袋の神紋』だけは使えるようにしたいからな」
専用塗料の材料は、どれも勇者の迷宮で手に入れられるものだが、採取に行って手に入れるのは時間が掛る。少し高くはなるが買った方がいいだろう。
「あっ、『魔力発移の神紋』、こっちは『光明術の神紋』」
薫が次々に並んでいる扉を調べ、何の神紋か教えてくれる。
「『紅炎爆火の神紋』に『念話術の神紋』か……ん……凄い……『
「マジかよ。ここの事は極秘扱いにしないと駄目だな。ネリたちにも念押ししておこう」
薫の調査が一つの扉の前で止まった。
「ミコト……」
薫の様子を見ると、驚き緊張しているのが判った。
「どうしたんだ?」
「これ、未知の加護神紋よ」
「中の神紋付与陣を調べてみよう。カオルが知らないだけで王都の魔導寺院とかには存在する加護神紋かもしれないからな」
俺たちは神紋の間に入り、薄くなった神紋付与陣を調べた。エトワ語で『太陽の上級神ギリウリオス』と記されており、その下には『
未知の加護神紋だった。俺が持っている『時空結界術の神紋』と同格の加護神紋のようだ。
「決めた。私はこの加護神紋を授かるわ」
薫が落ち着いた口調で宣言した。
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