第92話 選士府と息子の仇
小瀬と東埜がウェルデア市に到着する一ヶ月前。
第一王子モルガートが王都の次に大きな都市である交易都市ミュムルにおいて『選士府』の設立を宣言した。
次代の王となる者に帝王学を学ばせ、将来の重臣を選び出す為に建立される選士府の設立宣言は、次期王は自分だという宣言に他ならない。
選士府は宣言した街に設立され、その街の行政の一部を肩代わりする。宣言した王族は、肩代わりした行政を遂行する人材を集めねばならない。徴税や都市の発展を企画する文官と治安維持や魔物退治をする武官などがメインとなる。
港湾都市モントハルにおいて、その情報を聞いた第二王子オラツェルは顔を青褪めさせた。
「子爵、私はどうすればいい?」
第二王子の後援者の一人であるエルバ子爵は、落ち着いた態度で王子に告げる。
「オラツェル殿下も『選士府』の設立を宣言するのです」
オラツェルが息を呑んだ。『選士府』の設立を宣言すると言う事は、兄王子と競い王座を目指すと宣言するに等しいからだ。
「人材はどうする。クモリス財務卿の
「我が派閥の貴族たちに声を掛ければ集められましょう」
「だが、兄上の後援者であるコルメス軍務卿が、将軍たちの子息や軍内の有望株を引き抜くだろう。残ったのは二線級の者だけじゃないのか」
「確かに、軍務関係では見劣りする者たちしか集められないでしょう。しかし、『選士府』の優劣は軍務だけで決められるものではありません。それにモルガート殿下が選んだ街は交易都市ミュムルです。周辺は盗賊や野盗が多い土地ですので、治安維持に武官が活躍するでしょうが、その活躍は地味です」
「子爵は、このモントハル市で『選士府』の設立宣言しろと言っておるのだよな。この街は樹海の傍にあり、対魔物戦に限れば、武官が活躍する機会は多いだろう。しかし、集めた二線級の者が高位の魔物を倒せるとは思えない」
エルバ子爵はうんうんと頷き、王子に視線を向ける。
「殿下、魔物を倒すには専門家の協力が必要です。ハンター共を雇いましょう。そして、街を荒らしに来た魔物を退治するのです」
「ん?」
オラツェルが首を傾げた。
「確かに数年に一度魔物が異常繁殖し樹海周辺の都市を襲う事が有ると聞いているが、都合よく魔物が襲って来るとは思えんが」
「そこは私にお任せ下さい」
「ふむ、いいだろう。だが、試しもせずに本番というのは危ないのではないか」
エルバ子爵が少し考えた。
「では、他の都市で試しましょう。集まった武官やハンターたちの技量も確かめて置かねばなりませんから」
その数日後、港湾都市モントハルにおいてオラツェル王子が『選士府』の設立宣言を行い、国中の人々を驚かせた。
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
ウェルデア市を含む一帯の領主であるエンバタシュト子爵の城に、弟であるミナステスが長男のバルデスを連れて訪れた。城の応接間に通されたミナステスとバルデスは、深々とソファーに身体を沈めながらザライドス・エンバタシュト子爵を待った。
バルデスは、部屋の中を見回し壁に飾られている有名な画家の絵やテーブルに置かれている陶器などを眺め時間を潰す。
これらが黄金と同じ程の価値が有りそうだと推測し嫌な思い出が脳裏に浮かんだ。子供の頃、この城で遊んでいて陶器の壺を壊し父親に滅茶苦茶怒られたのだ。
使用人が出したハーブティーを飲み終わった頃、主であるエンバタシュト子爵が現れた。
五十歳ほどの男で肥満体の身体に豪華な衣装を纏っていた。頭には毛が無く持て余す脂肪を揺らしながら歩く姿はトドに似ている。
親族であるミナステスとバルデスも子爵に似た体型をしているが、頭に赤毛が残っているのだけが異なっている。
「兄上、息子の
エンバタシュト子爵がソファーに座りながら首を振る。
「まだ判らん。黒髪・黒眼の小僧二人が、ハンターギルドに現れたと知らせが入った」
ミナステスが身を乗り出して尋ねる。
「ミコトとか言う小僧ではないのですか?」
「いや、キミハル・ヒガシノ、イサオ・コセと名乗っておる。別人のようだ」
それを聞いたミナステスが不機嫌になった。
「なら、何故我らを呼んだのです?」
「ギルド職員からの情報では、ミコトと言う小僧の関係者ではないかと言うのだ」
「なんですと! それが本当なら、そいつらを捕まえて仇の居所を聞き出さねば」
ミナステスとバルデスが慌てて立ち上がり外に出ようとする。それをエンバタシュト子爵が止める。
「待て、ブッガたちを一人で倒した小僧の仲間かもしれんのだ。凄腕かもしれん、慎重に調査してから動くのだ」
ミナステスは小瀬と東埜を調査する事を長男と部下に命じ、少し様子を見ようと判断する。さすがに一つの都市を任されている者である。情に流され猪突猛進するような馬鹿ではない。
「バルデス、お前がその小僧たちを見極めろ。唯の小僧なら捕縛して、私の前に連れて来い」
「承知しました、父上。このバルデスにお任せを」
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
小瀬と東埜は樹海の浅い地域をうろうろしていた。何故か……もちろん、ゴブリン狩りの為である。ギルドで調べ、ゴブリンと確実に遭遇するにはココス街道沿いの樹海が最適だと分かったからだ。
本人たちは慎重に樹海を探索しているつもりだったが、ガサガサ……と騒がしい音を立てながら広葉樹の密林地帯を進んでいく。
「そろそろゴブリンと
小瀬がボソリと呟いた。その一言がフラグを立ててしまったのだろうか。行く手に一匹のゴブリンを発見した。手に棍棒を持つゴブリンだ。
「きたきたきたあぁ~」
東埜が喜び勇んで突撃していく。いつも制止する薫が居ないので五割増しの勢いがある。ロングソードを抜きゴブリンの傍まで駆け寄るとエイッとばかりに振り下ろした。
「ギャグゥウ!」
ゴブリンが叫び声を上げ棍棒でロングソードを受け止めた。東埜とゴブリンが間近で睨み合いながら鍔迫り合いになった。
近くで見るゴブリンは醜く、その眼からは強烈な殺意を感じる。ヒクッと気圧されるほどの殺意だった。
チッ、勇者がゴブリンに怯えるかよ。そう東埜は
「小瀬、何ボーッとしてるんだ!」
力負けしそうになった東埜は、戦いを見守っていた小瀬に声を上げた。
「あっ、済まん」
小瀬が慌ててゴブリンの脇腹に槍の穂先を突き入れる。グッと槍の穂先がゴブリンの緑色の皮膚に埋まっていく。突然の激痛でゴブリンが馬鹿力を発揮し、ロングソードを撥ね飛ばす。
脇腹に刺さる槍の首を手で掴み醜い顔を更に歪めて引き抜く。
「グゲァ」
ゴブリンの棍棒が小瀬を襲った。左の二の腕を棍棒に殴られ小瀬が悲鳴を上げる。
「痛えぇ!」
あまりの激痛に小瀬は涙目になってしまう。ゴブリンの攻撃は容赦なかった。続けざまに棍棒が振り回される。小瀬は必死で短槍で受け止めるが、ジリジリと後退させられる。
「東埜、何とかしろよ!」
やっとロングソードを拾った東埜が戻って、ゴブリンに斬り付けた。力任せの斬撃だったが、ゴブリンの首に刃が入り致命傷を与えた。
首筋から血を流しバタリと倒れるゴブリン。
「ハアハア……勇者にかかれば、ゴブリンなんてこんなもんだ」
小瀬がジト目で東埜を睨む。小瀬の左腕は骨折はしてないが青痣がくっきりと浮かび上がり内出血を起こしている。……ゴブリン一匹を倒すのに二人掛かりか。
五分ほどボーッとしていただろうか。近くの茂みがガサッと音を立てた。
二人揃って音がした方に振り向く。茂みから五匹のゴブリンが現れた。倒したゴブリンが最初に叫び声を上げたのは仲間を呼んでいたのかもしれない。
小瀬は顔色を変え、東埜は闘志を沸き立たせてロングソードを構える。
「雑魚め、瞬殺してやる」
東埜はゴブリンの中に飛び込んでいった。ゴブリンの中で三匹は棍棒、二匹は錆び付いたショートソードを持っていた。その中に飛び込んだ東埜は、華麗な剣捌きでゴブリンたちを切り伏せ……
……られるはずもなく、ロングソードをへし折られ棍棒で足を払われて地面に倒される。それ以降、反撃をするチャンスもなく袋叩きに合う。
「イテッ、止めろ。俺様は勇者なんだぞ」
『ドカッ……ボコッ』
「ウガッ……や、止めろと言ってるだ……」
『ガッ……ボコ』
「ブフッ……止めて、お、お願いします」
『バカッ……ゴツッ』
「マ、ママ、助けてぇー」
東埜の狂った精神がポキリと折れて正気に戻った瞬間だった。日本で虐めに遭い精神に傷を負ったまま異世界に飛ばされた影響で、妄想と現実が融合していた精神が、今はっきりと現実を認識したのだ。
だが、これが良かったのかは判断が難しい。現実を認識した精神は、自分を殺そうとする魔物に恐怖し一生消えないトラウマを生んだからだ。
一方、小瀬は逃げようとしたが、二匹のゴブリンに追い付かれ錆び付いたショートソードで足を斬られた。太腿の太い筋肉を切断された小瀬は、大量の血を流しながら地面に倒れた。
焼け付くような痛みが小瀬を襲った。痛みで体中の筋肉が収縮し動けなくなる。
二匹のゴブリンが、地面に横たわった小瀬に止めを刺そうとショートソードを振り上げる。
「ヒヤッ」
小瀬は這いずるようにして必死で逃げようとする。
ゴブリンは雑魚じゃなかったのかよ。───薫が鮮やかな手並みで魔物を倒すのを見て、魔物の実力を低く評価してしまったのだ。
魔物の実力があの程度なら、自分たちでも倒せると思ってしまった。それが大きな間違いだと気付いた時には遅かった。
ショートソードが振り下ろされようとした時、二匹のゴブリンを矢が襲った。一匹は胸、もう一匹は首に矢が突き立つ。
樹海の奥から貴族らしい若い男と兵士らしい男たちが現れた。
「ゴブリンを排除し、あいつらを捕縛しろ」
三人の兵士がロングソードを抜きゴブリンに襲い掛かった。戦いは短時間で終わった。さすがに鍛えられた兵士である。ゴブリンを倒すのに手間取るような者は居ない。
ゴブリンにボコボコにされ、左足・右腕・左肩の骨を砕かれた東埜は半死半生。足に深い傷を受けた小瀬は出血多量で気を失っていた。
「バルデス様、こちらの奴は放っておけば死ぬかもしれません」
兵士たちが小瀬の傷を見て、主人であるバルデスに告げた。
「確かめたい情報が有る。手当しろ」
「ハッ、承知しました」
兵士たちが手慣れた様子で血止めの傷薬を塗り、サラシのような布を巻く。
小瀬と東埜はウェルデア市にあるミナステスの屋敷に運ばれ、そこの土蔵で尋問を受けた。
「お前ら、ミコトと言う小僧を知っているか?」
バルデスが尋問を開始する。だが、小瀬も東埜も要領を得ない受け答えをするので、必要な情報を得るのに時間が掛かった。
その情報を得て、バルデスは父親であるミナステスに報告する。
「父上、ミコトと言う小僧が何処に居るか分かりました」
「奴は何処にいる?」
「迷宮都市です。そこで案内人をしているそうです」
「案内人? 何だそれは?」
「奴らの故郷から来る依頼人の要望を叶える為に、迷宮都市や樹海を案内する職業だとか……異世界とか日本とか、訳の分からない事をほざいておりましたが、ブッガの仇が迷宮都市に居るのは確実です」
「奴らは仇の仲間なのか?」
「いえ、奴らの仲間であるカオルと言う娘が案内人と知り合いらしいです」
「仲間なら、奴らを餌に仇を呼び寄せられるかと考えたのだが」
「父上、そんな面倒な事をせずとも、刺客を送りましょう。腕利きを三、四人も送れば
「そうだな。仕方あるまい、本当は目の前で殺してやりたかったが……」
バルデスはウェルデア市の闇社会で最も腕利きの四人を迷宮都市に送り出した。小瀬と東埜は何かの役に立つかもしれないので、土蔵に監禁する事にした。
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