第87話 薫とキャッツハンド

 犬人族と出遭った薫たちは、彼らと一緒に犬人族の隠れ里に向かう事にした。このまま迷宮都市に向かう事も考えたが、身分証になるものを持っていない薫たちが、町や村に入らずに野宿をしながら旅するのは危険だと判断したのだ。


 ギルド登録証などが無くとも、金を出せば規律の緩い村には入れる。だが、その金も無かった。

 小瀬が転移門に残っていた荷物から硬貨を持って来ていたが、それはマウセリア王国で使用している硬貨とは異なっていた。


 一度、貴金属の地金として換金しなければ、貨幣として使用出来ないだろう。

 薫が持っている魔物の素材も同じく換金しないと駄目だ。


 それに人里の入り口でトラブルを起こしそうな人物も同行しているので、犬人族の隠れ里で待つという選択は、間違っていないと思う。


 犬人族のムルカたちと一緒に隠れ里に向かう。ムルカは足の速い仲間に迷宮都市のミコトに連絡するよう手配を頼み送り出した。

 樹海の獣道を警戒しながら進む犬人族はタフな種族のようで、幼い子供たちも弱音を吐かずに付いて行く。


「ちょっと休ませてよ。足が痛いんだから」

 玲香が弱音を思い切り吐く。

「もう少しで日が落ちるぞ。何処で野営するんだ。晩飯はどうすんだ」

 ぶつけた鼻を痛そうにしながら、東埜が薫を睨みながら声を上げた。


「先生、ここは大人の先生が主導権を握って動くべきじゃないんですか」

 小瀬は美鈴に諫言するような言葉を口にした。美鈴は困った顔をして薫の方をチラリと見た。


「先生に無理言ってどうするの。ここの言葉も地理も分からないのよ。薫ちゃんに任せる方が安全です」

 真希が美鈴を庇うように言い返す。


「彼女は中学生だぞ。ちょっと前まではランドセルを背負ってたんだ。任せられるか。少なくとも犬人間の里じゃなく人間の町に行くべきなんだ」


 小瀬は年下の薫に主導権を握られている状況が気に入らないようだ。

「小瀬さん、町に入るには身元を証明する物が必要なの。あなたはそれを用意出来るの?」

 薫が苛立つ心を抑えながら反論した。小瀬は悔しそうに黙り込んでしまった。


 薫たちは気まずい雰囲気のまま旅を続け、翌々日に犬人族の隠れ里に到着した。

 罠の在る場所を避けながらムルカの指示に従い進んで里が見える所まで辿り着いたのだ。小山の中腹に大きな洞窟があり、犬人族はそこを住処としていた。


 洞窟と丸太小屋を組み合わせた村だった。巨大な円錐状の空間を半分に切ったような洞窟で、入り口が広く奥に行くほど狭くなっていた。そこに丸太を使って小屋のようなものが建てられていた。天井のない小屋だが四十ほども有り、総勢百二十人ほどの犬人族が暮らしていた。


 小瀬たちには部屋で休んで貰い、薫だけ里長の部屋に連れて行かれた。

「カオル殿、歓迎致します。あなたはミコト殿のご友人らしいですな?」


「ええ、あなたがここの長ですか?」

「はい、里長のムジェックと申します」

 薫とムジェックは隠れ里の今後について話し合った。外道商人に知らされた隠れ里に住み続けるのは危険だと薫は主張した。


「しかし、何処に移れと言うのです?」

「ミコトがエヴァソン遺跡を拠点にしようと計画しているの。それを手伝って貰えませんか」


 ミコトが初めてエヴァソン遺跡の転移門からリアルワールドへ帰還した後、薫と会って相談した事が有った。その結果、エヴァソン遺跡の転移門を安全に利用するには、拠点化する必要があると言う結論になった。


 具体的な話になると労働力不足という障害が存在し、拠点化には時間が掛かると二人は考えていた。

 そこに犬人族の協力が得られれば、拠点化が実現に向け動き出す。


 その日里長と色々話し合った後、エヴァソン遺跡に一緒に行く事を約束した。


 薫たちが犬人族の里に滞在して三日目、リカヤたちが里に到着した。


    ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


「カオルぅ」

 ルキがテトテト走り寄り、薫に抱き付いた。


「ルキ……会いたかったよ」

 中腰になってルキを抱き締める。犬人族の幼児も可愛いが、ルキが一番可愛いと薫は思う。


「カオル様、お久しぶりでございましゅ」

 ミリアが挨拶をする。薫は笑顔になって応えた。

「ミリア、あなたも元気そうで良かった」


 薫がルキたちと再会を喜んでいる後ろで、小瀬たちが猫人族のハンターたちを眺めていた。

「なんだ、犬人間の次は猫人間ですか。まったく常軌を逸していますね」


 小瀬が面白くなさそうに呟く。それに反して東埜は何故か満足そうに頷いている。

「俺としては猫耳美少女が好みだが、これはこれで有りだな」


 玲香が汚いものを見るような眼で東埜を睨んでから。

「そんな事より、いつになったら日本に戻れるのよ。こんな何も無い所はもう嫌」


 小瀬が薫に近付き、不満を訴えた。

「おい、君。僕たちはいつまでここに居なきゃならないんだ?」

「明日には迷宮都市に向けて出発します。そこの近くに日本へ帰れる転移門が有りますから、もう心配ないです」


「ちょっと待て、俺はまだ帰らんぞ。勇者としての使命が有るからな」

 東埜が口を挟む。薫は相手にしたくなかったが、無視すると余計に絡んでくるので答える。


「東埜さん、ここの魔王は大昔に退治されていますから、勇者を必要とするような使命とか無いです。それに、自分が勇者だと言うなら、もう少し鍛えてドラゴンくらい倒せるようになってから言って下さい」


「な、何を言う。俺にまともな武器さえ有ったら、ドラゴンくらい倒してやる」

 日本語で喋っていたので、理解出来ないルキが首をコテッと傾げて薫を見ていた。その姿は可愛らしく、近くで見ていた真希が、微笑んでいる。


「ねえねえ、こにょ人、にゃんて言ってりゅの?」

「ん……あのね、この人は良い武器が有れば竜種の魔物を倒せると言っているのよ。でも、ルキは信じちゃ駄目よ。街にも口だけ達者な人が居たでしょ」


 ルキが納得したように頷いた。

「ニャハ、ルキ知ってりゅ。ガモス君のお爺ちゃんがしょうだよ。昔、ワイバーンを倒ちた凄いハンターらって言っちぇたのに、ゴブリンに遭っちぇ腰が抜けちゃの」


「おい、そこのチビは何を言ってるんだ。そいつの視線が痛いんだが」

 ルキの複雑な気持ちを込めた視線に耐えられなくなった東埜が薫に尋ねた。


「ドラゴンはともかく。ゴブリンくらい倒せないとルキに笑われるよ。それにいい武器は高いの。魔導剣なんて金貨一〇〇枚以上するんだから。……ん……金貨で言っても分からないか。JTGのレートだと金貨一枚が三〇万円よ」


「な……金貨一枚が三〇万だと……剣一本が三〇〇〇万円以上するのかよ」

 東埜はもっといい武器を寄越せと要求するつもりだったが、魔導剣の値段を聞いて諦めた。―――いい武器は高いのか。こうなったら弱い魔物をガンガン倒してレベリングするしかないな。


 不穏な事を東埜が考えていると、薫は気付かなかった。

 ミリアたちから荷物を受け取り、その中身を確かめると薫の服やギルド登録証、防具や魔法の杖、ホーングレイブ、金貨三枚分の銀貨や銅貨が入った巾着袋などであった。その他にも真希たちの下着や服も入っていた。


 それぞれの服を受け取った東埜たちが不満そうな顔をしている。

「ちょっと。この服、肌触りが悪いわよ」

「それにデザインがダサ過ぎです。もうちょっとなんとかならなかったんですか」

 玲香と小瀬が文句を言う。


「これ……もしかして、あれじゃないだろな?」

 東埜がある有名ゲームに出てくる服を思い出して尋ねた。

「前着ていた物よりはマシでしょ。それは一般的な旅行者が着る服よ。丈夫なんだから」


 薫の答えを聞いた東埜が何故か悔しそうにしている。

「クッ……屈辱だ。勇者である俺が旅人の服から始めなきゃならんとは」


 その日は、リカヤたちが狩って来た斑ボアを焼いた豪勢な夕食を食べ、薫たちは眠った。翌朝、隠れ里に別れを告げ、ココス街道を目指して樹海に入った。


 案内人はジェスチである。

「カオル様は、リカヤたちに魔法を教えていると聞いたのですが本当ですか?」

 ジェスチが薫に尋ねた。薫が開発した応用魔法をミリアたちに教えるようミコトに頼んだのを思い出した。


「ええ、私が開発した応用魔法をミリアたちには教えたのよ。『魔力変現の神紋』と『魔力発移の神紋』を元にした応用魔法だから、汎用性が高いのよ」


 その返事を聞いたジェスチが頭を下げた。

「俺にも教えて貰えないだろうか? もちろん加護神紋は俺が用意する」


「そうね、お世話になったからいいよ。でも、じっくり教えている時間が無いかもしれないから『魔力発移の神紋』を授かってリカヤたちに教えて貰ってね……あっ、もちろん許可無く他人に教えるのは駄目よ」


「あ、ありがとうございます」

 薫はリカヤを見て。

「お願い出来るかな」

「カオル様の依頼でしたら、お引き受けします。ところで習った応用魔法に<氷結魔導印フリーズマジックマーク><爆炎魔導印エクスプローズマジックマーク>と言うのが有ったのですが、これはどういう風に使うのでしょう」


「えっ、ミコトが教えてくれなかったの?」

「教わっている途中で、ミコト様が迷宮都市を離れられたので、発動方法だけしか教わっていにゃいんです」

 リカヤの代わりにネリが応えた。


「そうだったの……そうね、パチンコは持ってるでしょ?」

 薫がリカヤたちに訊く。

「はい」


 薫は鉛玉の代わりに地面に落ちていたドングリをパチンコにセットするように言い、そのドングリに<氷結魔導印フリーズマジックマーク>の応用魔法を込めるように指示した。

 リカヤが代表でパチンコを構える。


「ヒュジサス・ゲレンダル・モヴァーティア……<氷結魔導印フリーズマジックマーク>」


 ドングリが青白い光を微かに放ち始めた。

「そのドングリを、あそこに居るスライム目掛けて放って」

 リカヤがドングリを放つ。ビュンと飛んだドングリがスライムに命中した。次の瞬間、スライムが凍りついた。


「あっ」「うわっ」

 猫人族の間から声が上がった。

 リカヤが凍りついたスライムに近付き小刀甲虫の剣角で作ったナイフで切り付け魔晶管を取り出した。スライムの体液には多くの空気が含まれているからなのかシャーベット状になって凍結していたので簡単に剥ぎ取れたようだ。


 スライムの魔晶管は魔法薬の原料となるので比較的高く買い取られる。高いと言っても銅貨二〇枚である。

 それでもスライムは何処にでも居る魔物なので、その魔晶管を集められるのなら生活には困らないだろう。


 ネリが薫に視線を向けた。

「あの、何故ドングリだったのでしょう?」

「魔力の伝導率の問題よ。鉛よりどんぐりの方が魔法の威力が高くなるのよ。一番いいのはミスリルとか貴重な金属になるけど高価だから……魔物の骨とか加工すればいい魔導弾になると思うわ」

 それを聞いたネリは嬉しそうに頷いた。


 薫たちは樹海を抜けココス街道に到着した。そこからウェルデア市は近く、すぐに辿り着いた。

 入り口で薫のギルド登録証を見せ、規定の金を支払うと全員が街に入れた。


「ヨッシャ、やっと人間の町だ」

 東埜が嬉しそうに叫んだ。

「ちょっと五月蝿うるさいわよ。何を騒いでいるのよ」

 玲香が東埜に刺の有る言い方で注意した。


「ここには冒険者ギルドが在るんだぞ。異世界に来たらギルドに登録だろう」

 それを聞いた薫はぐったりした。


「君、我々も身分証を持っていた方がいいだろ。手配してくれないか」

 小瀬が薫に頼んだ。だが、その口調は命令するような言い方でムッとする。

「分かりました。それから冒険者ギルドじゃなくハンターギルドですから」


 薫たちはウェルデア市のハンターギルドへ行った。石造りの三階建ての建物に入るとカウンターが有り、綺麗な女性職員が受付嬢をしていた。


「これだよ、これ」

 東埜が五月蝿い。……殴って静かにさせようかな。でも、ギルド内で目立つのも嫌だしと薫の心に雑念が浮かぶ。女性職員が話し掛けて来た。

「本日は何の御用でしょうか?」


 薫は登録証を提示して、真希を含めた五人を見習いとして登録したいと申し出た。手続きはすぐに終わり、各人が名刺大の板を受け取った。


「なんだ、安っぽい板だな。何でそっちの奴と違うんだよ」

 東埜がガッカリしたような声を上げる。薫が持つ登録証と異なるのに気付いたようだ。


「こっちは正式なギルドメンバーの登録証だけど、あなたたちのは見習いの登録証です」

「俺もそっちがいい」


 やっぱりど突きたい。迷宮都市に行けば、この傍迷惑はためいわくな人たちから開放されると思ったけど、日本に戻るまで迷惑を掛けられるんじゃないでしょうね。

 薫は何故か不安になった。


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