第86話 ミリアたちの魔法

 俺たちが迷宮都市に辿り着いた時、太陽が沈もうとしていた。北門から入る時、山刀以外武器も防具もない宇田川たちは、門番から変な目で見られた。


 だが、俺のギルド登録証を見せ、規定通りの金額を三人分払うと通してくれた。迷宮都市の景色が珍しい宇田川たちは、周囲をキョロキョロと見回す。はっきり言って『おのぼりさん』状態で、お金を持っていたら気を付けるように注意しただろう。


 日が沈む前に、なんとか拠点である『趙悠館』建設予定地まで来た。リアルワールドへ戻る前は、何も無かった場所に色々な建物が建っていた。


 とは言え、全て異世界仕様の仮設住宅である。柱と板を組み合わせただけの簡単なもの。その中で人の気配がする一番大きな建物のドアをノックした。


 伊丹が中から顔を出し、俺を見てニコリと笑った。

「ミコト殿、ご無事でなにより」

 俺は鼻デカ神田とマッチョ宮田を伊丹に紹介した。


「伊丹さんは、異世界の武士を目指してるんだ。その所為で言葉遣いが武士語になってるけど、気にしないでくれ。ちょっとすれば慣れるから、気にしたら負けだよ」


 何が負けなのか。俺にも判らないが、要は慣れればいいのだ。呆れたような顔をされたが、最初に言っておいた方が誤解されなくて済む。


「彼らの部屋は用意出来てるんでしょ」

「フオル棟梁に頼みこんで、この作業小屋を改造して貰ったでござる。広さ六畳ほどの部屋を二部屋作り、中にベッドと机と椅子を入れておる」


 俺は右手の親指を突き出し伊丹の仕事を称える。

「グッジョ……じゃなくて、さすが伊丹殿でござる」


 伊丹が照れくさそうに笑った。この小屋は十二坪ほどの土地に建てられた小さなものだが、中は二十畳より少し広いくらいであり、そこを六畳づつ区切って個室として使っても、研究用のスペースは残った。


 自己紹介と部屋の割り振りが終わるとシャワー小屋で汗と汚れを落とした。お湯の管理は猫人族のオバさんがやっていた。


 タンクが屋根の上に有るので高い所で作業する必要があるが、猫人族は高所を苦にしないらしい。平気で梯子を駆け上がっていく。


 夕食は飯場の食堂で食べた。ここも仮設の作業小屋に炊事場を付け足したもので、テーブルと椅子は、仕事の合間に大工職人たちが作ったものだった。


 ここでも猫人族のオバさんが数人働いていた。その中の一人はマポスの母親だ。

「あれっ、モニさんはここで働いているんだ」

「ミコト様、お帰りにゃさい。イタミ様に頼んで、ここで働かせて貰ってます」

 

「マポスの弟妹たちの世話も有るのに大変だね。マポスがそれなりに稼げるようになったんだから、子供の世話だけでもいいんじゃない」


 マポスが母親に働かなくてもいいよと言っていたのを知っている俺は意外に思った。マポスの母親モニが首を振る。

「息子にばかり苦労は掛けられにゃいよ」


 食堂で出された食事は、無発酵パンと野菜スープ、鶏肉の塩焼きだった。味はそこそこ美味かった。ただ、味の濃い日本の料理になれている者には、物足りないだろう。


 俺と伊丹、宇田川が寝泊まりする小屋も完成していた。依頼人だけ仮設住宅に住まわせ、自分たちは宿屋と言う訳にはいかない。外観は医師たちのものと同じだが、中は四畳半ほどの小部屋が四つ有った。その中の一部屋を会議室代わりに使うように決めた。


 その会議室に三人が集まり情報交換する事にした。まずは、俺から日本での出来事を話した。

 オークが日本に現れたと聞き、伊丹が深刻な顔をしている。

「今後も魔物が日本を襲う可能性があると、ミコト殿は思われるか?」


「異世界の転移門が存在する場所が、樹海の中だったり遺跡の中だったりする為、知性有る生き物がリアルワールドに転移する可能性は低かった。けど、オークたちは積極的に転移門を探しているようだから、きっと同じ様な事は起こると思う。―――それより重大な情報を東條管理官から聞いた」


「何でござる?」

「三条薫を含む八人が、オークと入れ替わりに転移したようなんです」


 俺は伊丹が酷く驚くだろうと思っていた。だが、伊丹の表情は変わらず、何故か納得したような顔をしている。


「薫会長の事でござるが、一昨日、猫人族のハンターを介して連絡が有りました」

「ええーっ!」

 俺の方が驚いてしまった。猫人族のハンターによると薫たちは、俺が以前に助けた犬人族の里に居るらしい。


「迎えに行かなきゃ」

 俺が慌てて出発しようとするのを伊丹が止めた。

「心配ござらん。リカヤたちに荷物を持たせ、すでに送り出しました」



    ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 二日前。

 一人の猫人族ハンターが、『趙悠館』建設予定地にミコトを訪ねて来た。ミコトの代わりに伊丹が応対に出ると奇妙な事を告げた。


 薫がこちらの世界に来ており、犬人族の隠れ里で助けを呼んでいるというのだ。

 ジェスチと名乗った猫人族の若者は、二〇前後の青年で現役のハンターらしい。樹海で仲間とはぐれ彷徨っていた時に犬人族に救われ、その里を中心にハンターとして働きながら犬人族に恩返しをしているそうだ。


 この猫人族が嘘を言っているとは思えなかった。薫の存在を知っているのは親しい者だけだからだ。


「ジェスチ殿、感謝します。厚かましいお願いだとは重々承知でござるが、その犬人族の隠れ里まで案内を頼めぬだろうか」


 伊丹がジェスチに頼む。ジェスチはムムムッとか言って悩んだ末。

「いいよ。その代わり迷宮都市に来た時は、ここの食堂で食事させてよ。ここの料理凄く気に入っちゃった」

 何となく軽薄な感じがするが、悪い奴ではないようなので、伊丹は依頼の報酬として無料にすると約束した。


 伊丹は薫を救出に向かいたかったが、ミコトから頼まれた仕事があった。

「仕方ござらん。リカヤたちに頼もう」

 リカヤたちを呼び出し薫の救出を頼んだ。


「イタミ師匠、お任せ下さい。必ずカオル様を迷宮都市にお連れします」

 リカヤの承諾の言葉を聞いて、ルキが笑顔で耳をピコピコ動かしている。


「カオルぅはルキが助けりゅ。大丈夫にゃのでしゅ」

 鼻息を荒くしたルキは、腰に手を当て胸を張る。


 伊丹の横で話を聞いていたジェスチは、小さなルキを見て驚いた。樹海は危険なのだ。こんな子供が一緒では危ない。それに保護者らしいリカヤたちも、なんだか頼りない。


「大丈夫にゃの。樹海は危険だよ」

「心配はござらん。樹海と言えど第一層なら生き残れるくらいに鍛えておる」

 高ランクのハンターらしい伊丹が太鼓判を押すのだから、大丈夫なのだろう。不安は有るがリカヤたちと一緒に迷宮都市を出発した。


 ルキがステップするように歩き、楽しそうにハミングしていた。

「一日目に♪ 林に行っちぇ♪ うっかり毒茸を食べちゃ♪ ハリャゲリゲリボロボロホミャラ♪ にゃんて一日にゃんだろう♪」

 とうとうルキが、御機嫌で歌を歌いだした。


「二日目に♪ 草原はらっぱに行っちぇ♪ 鹿に尻を突つかれちゃ♪ シリハレハレナミダガホリョリョ♪ にゃんて一日にゃんだろう」


 リズム的には楽しそうな曲なのだが、歌詞の内容に納得出来ないものを、リカヤたちは感じた。

「三日目に♪ 樹海に行っちぇ♪ 蜂に雷落とされちゃ♪ キャラダビリビリプルプルパーマ♪ にゃんて一日にゃんだろう」


「ルキ、その歌、誰に教わったの?」

 聞いていたリカヤが質問すると、ルキがニャハハと笑って答える。


「ミコトしゃまだよ。『七日間』と言う歌にゃんだって。元は『市場』や『お風呂』が出てくる歌にゃんだけど、ハンター見習いの歌に替えて教えてくりぇちゃの」


 ジェスチは呆れていた。こんな緊張感のない奴らを樹海に連れて行って大丈夫なのだろうかと。

「お前ら、ココス街道でも魔物が出る事は有るんだぞ」

「分かってるよ。心配すんにゃ」


 マポスが胸を張って応えるが、その瞬間石につまずいて転けそうになった。ジェスチは疑わしそうな目で見詰めるが、ニコニコ笑っているルキを目にして諦めたように溜息を吐いた。


 ココス街道を南西に下る途中、三匹のゴブリンに遭遇した。棍棒を持つゴブリン二匹に、錆び付いたショートソードを持つゴブリンだ。


 ゴブリンたちは二十メートルほど先の樹海から姿を現わしたばかりで、こちらに気付いているが、人数的に不利なので戦うかどうか迷っているようだ。ジェスチがロングソードを抜き指示を出した。

「ゴブリンだ。お前らは下がっていろ」


 リカヤたちは指示に不満を持った。だが、道案内をしてくれるジェスチの実力も知りたかったので、指示に従おうと後ろに下がる。

 けれど一人だけ戦う気満々の人物が居た。

「ルキも戦うにょれしゅ」


 ルキはミコトから貰ったパチンコを取り出し鉛玉をセットした。教わった躯豪術を使って魔力を込め魔導ゴムを引き絞る。先頭のゴブリンに狙いを定めて鉛玉を発射した。


 鉛玉がゴブリンの額を撃ち抜いた。

「ヤッチャー!」

 ルキが尻尾をフリフリ踊るようにして喜ぶ。


「あっ、ルキだけ狡いぞ。オイラも負けにゃいぞ」

 マポスもパチンコを取り出し構えると『魔力発移の神紋』の<魔力導出>を使ってパチンコに魔力を流し込む。騒いでいるゴブリンに狙いを定めて鉛玉を発射。


 鉛玉は棍棒を持っているゴブリンの横を通り過ぎた。

「下手くそね。アタシに任せにゃさい」

 リカヤが自分のパチンコでゴブリンを狙う。鉛玉が宙を飛び、ゴブリンの胸を抉った。


 最後に残ったゴブリンは悲鳴を上げながら樹海へと逃げた。

 ジェスチは抜いたロングソードを持て余すように肩に担いだ。


「お前ら変わった武器を使うんだにゃ。見直したぜ」

 簡単にゴブリンを撃退した手際から、自分と同じ三段目8級ランクの実力は有ると判断した。


「あらら…ミコト様に頂いた槍を使う暇もにゃかったのでしゅ」

 ミリアたちの持つ槍は特別製だった。この槍の刃はミスリルが少しだけ混じった鋼鉄で作られていた。そして、ミコトにより『剛突』の源紋が複写されていた。


 その源紋はバジリスクの象牙のような爪に宿っていたものだ。邪爪鉈に使えなかったバジリスクの爪も二本だけ売らずに保管していたのだ。


 『剛突』には貫通力増加と武器加速の効力が有り、その源紋を秘めた鋼鉄製の槍ならナイト級下位の歩兵蟻でも貫けるとカリス親方が保証してくれた。


 ジェスチとリカヤたちはウェルデア市の宿屋で一泊した後、樹海に入った。藪を切り分け、足元に注意しながら進むと獣道に遭遇した。その道を西へと進む。


「今日の夕方には隠れ里に到着するはずだ」

 ジェスチがリカヤたちに告げる。

「カオル様か、早く逢いたいにゃ」

 ネリが憧れの王子様にでも会うかのように目を輝かせた。


「あんた、何でカオルとか言う人間に会いたいんだ? 特別にゃ人にゃのか」

 ジェスチが不思議そうに尋ねた。


「カオル様は、凄い魔法研究家にゃのよ。魔導師ギルドも知らないような魔法を開発したんだから」

「ふん、どうせ俺たち猫人族にゃ教えてはくれにゃいんだろ」

 ミリアがキッとジェスチを睨んだ。


「そんにゃ事にゃい。カオル様たちは猫人族に優しいのよ。魔法だって教えてくれた」

「大した魔法じゃにゃいから教えたんじゃにゃいのか」

 ミリアが言い返そうとした時、リカヤが警告の声を上げた。


「何かが近付いて来る」

 獣道の脇から二匹の足軽蟷螂が姿を現した。後ろ足で立ち上がるとミリアたちより頭二つほど高い背丈が有る。注目すべきは凶悪な前足の鎌だ。

 ミリアたちに気付いた足軽蟷螂は、威嚇するように鎌を振り回す。


「カリチャス・ジェノベラス・ミニボム……<缶爆マジックボム>」


 ミリアの手にガス爆弾が生まれ、それを足軽蟷螂目掛けて投げる。

「伏せて!」

 ジェスチを除いた全員が地面に伏せた。ガス爆弾が足軽蟷螂に命中した瞬間、小さな爆発が起こった。小さいとは言え、その威力はなかなかで足軽蟷螂二匹の身体は三メートルほど吹き飛ぶ。


「ウニャーッ」

 ジェスチだけはまともに爆風を浴び、地面に引き倒された。起き上がったミリアが慌ててジェスチの介抱に向かう。


「ルクセリス・カノゥバス・ギレスジェズ……<魔力弾エナジーブリット>」


 今度はネリの詠唱で、その人差し指から見えない弾丸が発射された。その弾丸は『ボゥン』と言う響きを残し狙った足軽蟷螂の頭に減り込み、大きなダメージを与える。


 マポスが強化海軍刀に魔力を込め駆け出す。一気にダメージを負った足軽蟷螂に近付き、淡く黄色い光を放つ海軍刀が足軽蟷螂の首を撫で斬った。―――残るはもう一匹。


 漸くジェスチが起き上がるとリカヤが呪文を唱えていた。


「ケルスベリア・ノバクテス・フリジェンチ……<魔纏マナコート>」


 リカヤの体中の魔導細胞から魔力が流れだし全身を循環する。この魔法は『躯力強化くりょくきょうかの神紋』の基礎魔法である<躯力強化>を模倣した応用魔法で、全身の筋力を七割ほどアップさせた。


 但し、<魔纏マナコート>には<躯力強化>にない欠点が有った。時間制限が有るのだ。約二分経てば効力が失われるのだ。


 リカヤは重力を感じさせないような軽やかな動きで足軽蟷螂に襲い掛かり、手に持つ槍に魔力を込める。マポスの持つ強化海軍刀と同じような淡く黄色い光が槍の穂先に生まれた。


 『剛突』の源紋を宿した槍が、その力を発揮し足軽蟷螂の胸を容易たやすく貫く。

「ちゅごい、さしゅがリカヤ姉ちゃんにゃのでしゅ」

 ルキが大喜びした。ジェスチも驚きの表情を浮かべ呆然としている。


 足軽蟷螂は迷宮に潜れるようになったハンターでも倒すのに苦労する魔物なのだ。もちろん高ランクハンターやベテランなら瞬殺するのも可能だが、リカヤたちは若い低ランクハンターなのだ。


 彼女たちはジェスチの知らない魔法を使っていた。この魔法が凄いという事なのだろうか。もし、それを教えたのがカオルという人なら、会ってみたいと思った。


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