第85話 異世界の医師
「ううっ」
鼻が痛い、気を失って倒れた拍子に鼻を地面に打ち付けたようだ。周りを見回すと真っ暗で何も見えない。今回の転移では気付くまでに時間が掛かったようだ。転移門の光が完全に消えていた。
「フォトノス・ジェネサス……<
呪文の詠唱を切っ掛けに俺の左手が輝きだした。光りに照らされ、周りで気を失っている宇田川たちの姿が目に入った。
俺は荷物の隠し場所まで行き荷物を取り出す。まず、照明魔道具を取り出し明りを点けた。俺が『E転移室』と名付けたエヴァソン遺跡の部屋は、かなり広々とした空間なので、照明魔道具一つでは隅々まで照らせないが、ちょっと動き回るには十分なものだ。
隠してあった服を着る。まだ外に出る気はないので、バジリスク革鎧などの装備は着けない。邪爪鉈だけは背中に背負った。邪爪鉈用の鞘は前と同じで背中に背負えるようになっていた。
邪爪鉈の柄も特別製で、竜爪鉈と同じ魔力伝導率の高い加工材をミスリル合金で補強したものを使っていた。
「ミコトさん、無事に転移出来たんですか?」
宇田川が目を覚まし尋ねた。俺は頷き、迷宮都市で購入した麻の服と編上げサンダルを渡した。服は厚手のズボンとシャツで丈夫だが、着心地はいまいちの品物だ。
医師の二人も目を覚ましたので服と履物を渡す。服を着た医師二人が照明魔道具の近くに来て座った。
「今、何時頃なんです?」
マッチョ宮田が時間を尋ねてきたが、この世界で時計と言えば日時計か、水時計しかないので正確な時間は分からない。たぶん、もう少しで夜が明けると応えた。
「おいおい、そんな時代遅れの世界で医療技術なんか調べる価値が有るのか。手っ取り早く魔法薬とかを購入して患者に飲ませればいいじゃないか」
鼻デカ神田は、異世界に飛ばされた事が不満のようだ。
「どんな副作用が有るか解らない薬を患者に使えますか。十分な調査が必要なのはご存知じゃないですか」
マッチョ宮田が猛烈な勢いで抗議を始めた。
「チッ、魔法薬の調査はする。だが、他の医療方法を研究する必要があるのか。魔法などという怪しい手段で患者が治療出来ると本気で思っているのか」
鼻デカ神田は、医師としての自分に相当なプライドを持っているようだ。二十年間医師として磨き上げてきた医療技術と知識が魔法に取って代わられるのが耐えられないのだろう。
この依頼の病院側担当者は、先発二人に魔法を肯定する医師と否定する医師を選んだ。魔法という現象を客観的に調査するには、それがベストだと思ったからだ。
だが、神田准教授の心の奥に秘められた強烈なプライドまでは知らなかったようで、後に准教授は困った存在になるのでは、と不安になった。
「それを調査するのが我々の仕事じゃないですか」
鼻デカ神田のこめかみがピクピクと痙攣している。若い宮田に諭され、ご機嫌斜めになったようだ。
「ふん、そんな事は承知している。……それより、ここには体を休める場所もないのか?」
おっ、とばっちりがこっちに来た。
「すいません、ここは最近使えるようになったばかりの転移門なので、整備がなされていないんです。ですが、迷宮都市には近いので、今日中には研究拠点となる場所に到着します」
マッチョ宮田が頷き、具体的な場所を訊いて来た。
「迷宮都市の東側にある土地に、仮設住宅を用意しています。近くに教会の治療院もあるので調査には都合がいいでしょう」
「ホテルとか用意出来なかったのか」
鼻デカ神田が口を挟む。
「宿屋に寝泊まりして貰うのも考えたんですが、宿屋の設備も中世ヨーロッパレベルです。風呂やシャワーもないので、仮設住宅の方が快適かもしれません」
「クッ、仮設住宅には風呂が有るのか」
「取り敢えずシャワーは用意させました。風呂はこれからだけど、数日中には入れるようになります」
伊丹にシャワー室を用意するように頼んであった。シャワーと言っても給湯器が有る訳ではないので、お湯を沸かしてシャワー室の屋根に設置したタンクに入れ、そのお湯をシャワーとして利用するだけの簡易的なものだ。お湯の温度管理は人力で行うので人件費が必要だが必要経費だと思っている。
仮設住宅について説明している間に朝が来た。俺はバジリスク革鎧などを装備し、保存食などが入っている背負い袋を背負うと強い意志を込めて声を掛ける。
「明るくなったようです。迷宮都市に行きましょう」
宇田川、鼻デカ神田とマッチョ宮田が立ち上がった。三人には刃渡り三〇センチの山刀を渡した。藪を払う為と護身用だ。
「こんなものを渡すからには、外には危険な獣が居るのか?」
鼻デカ神田が不安な様子を見せた。俺は心配ないと
「私の指示に従えば、必ず迷宮都市に行けます。さあ、出発です」
通路を出て階段状地形の二段目、二階テラス区に出た。そこから常世の森に入った所で魔物と遭遇する。
「こ、こいつはなんなの?」
宇田川の悲鳴に似た問い掛けが聞こえた。
俺たちが遭遇したのは、通常の狼より三倍ほどの大きな体格を持つ
「ヒッ……ば、化け物だ」
青斑狼が発する殺気に鼻デカ神田が腰を抜かしたようで、その場に座り込んだ。俺は背中の背負い袋を放り出し邪爪鉈を構える。
「俺が倒しますから、後ろに下がって!」
俺は<魔力感知>で魔物が近付いているのは気付いていた。ただ、感知した感触から
ここで案内人として実力を示しておけば、これから先の仕事がやりやすくなると計算したのだ。
青斑狼が俺の首筋目掛けて飛び掛って来た。青斑狼の爪が俺の体に触れる直前、横にステップして躱す。構えていた邪爪鉈を青斑狼の後ろ足に叩き込んだ。
青斑狼の右後ろ脚に骨が覗くほどの深い傷が生じた。着地した青斑狼はよろけるが、闘志を失ってはいなかった。すぐさま血が凍るような雄叫びを上げる。
「ウルォオオオオオーーーーーーーゥ」
後ろに居る宇田川たちは、雄叫びに精神を侵食され凍りついたように動けなくなった。例外は、俺一人だけ。青斑狼が足を引き摺りながらも鼻デカ神田を狙って駆け出した。
俺は躯豪術を駆使して青斑狼の前方に回り込む。その時、青斑狼は跳躍していた。大きな牙が並んでいる顎門が俺目掛けて落下してくる。
邪爪鉈を青斑狼の頭へ送り込む。同時に、青斑狼の爪がバジリスク革鎧を引き裂こうとする。だが、堅牢なバジリスクの革は、その爪を弾き返した。一方、邪爪鉈は青斑狼の横顔に食い込み深い傷を着けた。
青斑狼の顔から血が吹き出し、その体は地面に叩き付けられ転がった。
「さすがバジリスクだ。青斑狼の爪程度じゃ歯がたたないらしい」
ちょっとヒヤリとした。青斑狼が依頼人を狙ったので、慌てて間に飛び込んだ結果、相打ちのような格好になってしまった。―――バジリスク革鎧を作ってて良かったぁ。
青斑狼は死んではいなかった。大量の血を流しながらも立ち上がり逃げようとした。俺は追撃し青斑狼の首を刎ねた。
後ろを見ると鼻デカ神田を筆頭に三人が呆然としてこちらを見ていた。俺はもう大丈夫だと声を掛けてから、青斑狼の剥ぎ取りを始めた。
腹を割いて魔晶管を取り出す。嬉しい事に小さな魔晶玉が入っていた。次に皮を剥ぎ取る。青斑狼の皮は防具として使われるので高く売れると聞いていた。
「なんて世界だ」
鼻デカ神田が呟いた。この瞬間、本当に自分が異世界に来たんだと実感したのだろう。
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