第84話 宇田川と二人の医師

 逃げるように現場を離れ、仕事場のビルに戻った。東條管理官の部屋に入ってソファーに座ると真剣な顔をしたハゲボスが告げた。


「ミコト、今まで黙っていたが、オークが現れた転移門で民間人八人が行方不明となっている」

 俺は嫌な予感がし、薫の顔が脳裏に浮かんだ。薫が転移門を調べたいと言っていたのを思い出したからだ。


「その中に、三条薫とその従姉妹が居た」

「嫌な予感的中かよ」

 俺が顔色を変えたのを見て、東條管理官が慰めるように言う。

「あの娘はしっかりしている。生き残るだろう」


 俺はどうしようもない焦燥感に駆られ、矢継ぎ早に質問する。

「その転移門から異世界の何処に出るか分かりますか?」

「他の連中の経歴は?」

「オークがこっちに来たのなら、奴らが持っていた武器が転移門に置き去りにされている可能性が有りますよね?」


 気が付けばソファーから立ち上がり、部屋の中を無意味に歩き回っていた。

「落ち着け、次に転移門が起動するまで何も出来ないんだぞ」

 東條管理官からさとされ、少し落ち着いた。


「三条家から捜索の依頼が来ている。当然、引き受けた。お前は異世界に行ったら行方不明者を探す依頼もしろ」

 さすが東條管理官だ。手回しがいい。あれっ、最後に『依頼もしろ』と言ったよな。まさか。


「予定に入っていた病院からの依頼は?」

 いつの間にか普段のハゲボスに戻っていた。オークの事件の時に見せた気遣いは微塵も残っていない。

「同時にやれ。今回から宇田川も見習いとして行って貰うから手伝わせるといい」


 俺は依頼の内容を思い出していた。今回の依頼にはいくつかの課題が有った。その課題は魔法薬の製造方法を調査し、その安全性を確認した後、手術に利用出来ないか研究するというものだ。


 先発組として二人の医師が異世界に転移する。彼らの仕事は、魔法薬についての調査だ。魔法薬にも種類が有るので、それらを調査し最終段階で異世界にやって来る患者三名に有効な魔法薬を見つけ出す。


「東條管理官、ミトア語の『知識の宝珠』はいくらで提供するんですか?」

 二人の医師には速やかにミトア語を習得して貰い、魔法薬の調査を行って貰わなければならない。よって『知識の宝珠』を提供する事になっている。


「三百万円だ。私は安過ぎると言ったのだが、転移門管理委員会で他の管理官たちが反対しおった。我々の部署だけで利益を独占するのが気に食わんらしい」


 『知識の宝珠』に類似する魔道具は幾つか有るらしいが、日本が管理する転移門から手に入るのは迷宮都市クラウザの『知識の宝珠』だけなのだ。

 地道に勉強すれば習得可能な知識だが、転移門を利用する大企業や大金持ちなら大金を出しても買うだろう。


 もちろん三百万円全部が俺の懐に入る訳ではない。一旦JTGが買い上げて顧客に販売したという体裁ていさいを取る為だ。だが、かなりの大金が俺に入るのは嬉しい。


「幾つ手元に有るんだ?」

「現在は十二個です。『ミトア語学習ツアー』とかの企画は通りませんか?」


 東條管理官が少し考えてから、

「十二個じゃ少な過ぎる。もう少し数が揃わないと無理だな」


「ミトア語の『知識の宝珠』は、年に三〇個ほど迷宮から持ち出されているそうです。迷宮都市に死蔵されているものは、その一〇倍ほど有ると思うんです」

「数が三〇個以上になって、拠点が完成したら考えてみよう」


 俺の脳裏にキラキラと輝く魔粒子が浮かんだ。あの魔法現象の事をハゲボスに報告するべきだろうか。駄目だ。研究所の檻の中に閉じ込められる自分の姿しか思い浮かばない。当分秘密にしておこう。


 それから少し打ち合わせをしてから帰宅した。

 翌朝、アパートで目を覚ました俺は、テレビの電源を入れ朝のニュースを見て驚いた。


「げっ!」

 俺がオークをバックドロップしている映像が目に飛び込んで来た。断っておくが、俺が使った技はプロレスのバックドロップではない。ほとんど同じだが、香月流組討術の『霞落とし』と呼ばれる技だ。


 もちろん、児童養護施設の香月師範から習ったものだ。案内人になってから正式に弟子入りし本来の技を伝授された。因みに子供たちに教えているのは、本来の威力を制限した劣化バージョンである。


 テレビのテロップに俺の事を『マスクマン1号』とあった。何故1号かというと、近寄って来た東條管理官が『マスクマン2号』となっていたからだ。


「テレビ局の連中、ふざけてるのか。何でマスクマンなんだ。……1号とかなんだよ」

 俺は頭を抱えてしまった。


 こんな時は、オリガに会って癒されるしかない。俺は近くに在る児童養護施設へ向かった。途中のコンビニでお菓子を幾つか買い子供たちへのお土産とする。


 児童養護施設の敷地に入ると女の子たちが縄跳びをしている姿が目に入った。

「あっ、ミコト兄だ」


 あっという間に小さな女の子に囲まれ、お土産を奪われた。少し話をしてから中に入りオリガを探した。オリガは香月師範と一緒に年少組の部屋の片付けをしていた。


 白い杖を突きながら部屋の中を歩き回り、見付けた玩具を収納箱の中に入れていく。目の見えないオリガが迷うことなく部屋の中を歩き回る姿を見ると何故か暖かな気分になる。


「おう、ミコト。来たのか」

 俺に気付いた香月師範が声を上げた。相変わらず存在感が凄いオッさんだ。

「香月師範、オリガ、おはよう」


 オリガが俺の方へ近付いて来た。俺は中腰になってオリガと向き合った。その時、俺は油断していた。まさか、オリガからあんな威力の有る攻撃を受けるとは思わなかった。


「ミコトお兄ちゃん、マスクマン1号になったの」

「ぐはっ!」 


 俺はHPが半減するような大ダメージを受けた。オリガの横にいる香月師範を見ると、プーッと変な声を漏らし笑っている。師範がオリガに教えたのか。マスクをしていても師範の眼は誤魔化せなかったようだ。


 クソッ、まったく酷い人だ、純真なオリガに余計な事を。

 その日は散々香月師範にからかわれ精神的にダメージを受けて帰った。ただ、オリガに会った事でリフレッシュは出来た。


 翌日から、今回の依頼人である二人の医師と宇田川さんを混じえて打ち合わせを行う。俺が知る限りの異世界医療についての知識を提供し、細かい予定を立てた。


 薫の事はいつも意識していたが、なるべく考えないようにしている。

 そして、転移門が起動する日が来た。今回もエヴァソン遺跡に転移する転移門を使う。こちらの転移門の方が迷宮都市に近いからだ。


 転移の時間が迫った頃。

 俺、宇田川さん、医師の神田と宮田が転移門の出現場所近くで待機していた。神田さんは大学病院の准教授で脳神経外科を専門とする四〇歳代の鼻のデカイひょろりとした男性だった。


 もう一人の宮田さんは時間が有ればスポーツジムに通い筋肉を鍛えるマッチョな若い医師で消化器外科を専門にしており、薬学についても詳しいそうだ。


「ミコトさん、よろしくお願いします」

 宇田川さんの挨拶に俺は「任せとけ」と応える。彼女は案内人になって異世界の食べ物について調査したいと言っていた。趣味が料理であり、美味しいものに目がないようだった。


「神田先生と宮田先生も初めてで緊張しているかもしれないですが、私の指示に従い冷静に行動して下さい」

 鼻デカ神田とマッチョ宮田は幾分青褪めた顔色で転移門の出現場所を注視していた。


 廃工場の中は自衛隊により片付けられ綺麗になっていた。新しいものとして転移門の出現場所を囲むように壁が出来ていた。俺たちは、その壁の内側で時を待っている。


 いつものように転移門による異常現象が発生し、その中に俺たちは侵入した。その時、俺の魔導眼が発動し転移門の奥で輝く特殊な神紋が見えた。


 俺が今まで転移門だと思っていた光は神紋が力を発揮した時に漏れ出る魔力の残滓に過ぎなかったようだ。


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