第82話 外道商人と犬人族

 薫は歩きながら後ろを振り返り、真希たちに待っているように伝えた。

 犬人族と馬車の護衛が戦っていた。後尾の馬車が道を踏み外し溝に車輪を落とした為に動けないようだ。


「子供を返せ!」「ミョニ、何処に居るの?」「お父さんが来たぞ」

 馬車を襲っている犬人族が口々に叫んでいるのが聞こえた。どうも犬人族の子供がさらわれ馬車の中に居るらしい。


 商人らしい男が、先頭の馬車の窓から身を乗り出し護衛の傭兵らしい男たちに大声で命じた。

「犬どもを皆殺しにしろ。大事な商品を奪われてたまるか!」


 亜人種の子供を攫い愛玩動物として売る罰当たりな商人が居るとミコトから聞いた覚えがある。馬車の連中はそんな外道な商人なのだろう。


 二台目の馬車から子供の泣き声が聞こえて来た。五人の犬人族戦士が遮二無二しゃにむに護衛の壁を突き崩そうと槍を振るい始めた。だが、護衛の傭兵は手練てだれ揃いで敵を寄せ付けない。


「おらっ、どうした。子供が泣いてるぞ」

 傭兵のリーダーらしい髭面の大男が、情け容赦無いプレッシャーを掛けながら、粗末な槍を受け流し犬人族の戦士を斬り付ける。肩から胸にかけて斬られた犬人族が呻き声を上げて地面に倒れた。


「ざまあみろ、犬っころが人間様に楯突くんじゃねえよ」

 その言葉に薫が切れた。怒りの表情を露わにし、荷物を放り出して馬車に駆け寄る。


「あなた達、子供を返しなさい」

 髭面男が薫を睨み付け、小馬鹿にするような視線を向ける。

「何だ、その格好は。追い剥ぎにでも遭ったのか」


 商人らしい男が薫を見て気持ちの悪い笑いを浮かべた。

「バムス、その女を捕まえろ。もちょっとマシな格好をさせれば高く売れるぞ」


 この国には奴隷制度が存在する。但し、奴隷は戦争奴隷か犯罪奴隷しか存在せず、罪を犯していない一般人が奴隷となる事はない。


 だが、裏社会には一般人を攫い、貴族や金持ちに売りつける者が存在する。薫が一番嫌いなたぐいの奴らだった。


 薫に置き去りにされた真希たちは、少し離れた場所で犬人族と傭兵の戦いを見守っていた。そこに薫が激怒し馬車に駆け寄り傭兵と言葉を交わすのを見た。


「任せときな。その代わり報酬を弾んでくれよ」

 バムスと呼ばれた髭面男と仲間の四人が薫の方へ視線を向ける。傭兵らしい男たちは金属製の胸当てに、これも金属製の籠手を装備し、武器はロングソードか斧を持っていた。


 斧を持った傭兵の一人が薫に歩み寄る。バムス程ではないが大柄で逞しい腕をしている。

「オリョ、近くで見るといい女じゃねえか」


 その言葉を聞いた途端、薫の背筋に震えが走り腕に鳥肌が立つ。生理的嫌悪感から、思わず攻撃魔法の<風刃ブリーズブレード>を放った。風の刃が傭兵に向かって飛び、その左肩を掠めた。傭兵は血が吹き出した肩を庇いながら後退する。

「やりやがったな」


 間合いが開いたチャンスを活かし、薫は呪文を唱える。


「フォジリス・メルバラム・クウォジェル……<旋風鞭トルネードウイップ>」


 ミコトの『流体統御の神紋』用に開発した<旋風鞭トルネードウイップ>であるが、使い勝手が良さそうなのなので薫が持つ『風刃乱舞の神紋』でも使えるように改造したものだ。


 瞬く間に、薫の右手の先から風の鞭が形成される。鞭の先端は空気を圧縮した円錐を選択する。薫が風の鞭を振り上げると鞭がしなり、蛇が鎌首を持ち上げるように敵を威嚇した。


 最も近くに居た斧の男が突っ込んで来た。薫目掛けて右の拳を突き出す。殴り倒して捕まえる気なのだろう。薫が風の鞭を振り下ろす。空中でくねった鞭の先端が斧男の膝に突き刺さり関節を砕いた。


「グアアッ!」

 倒れた男の頭に駄目押しの蹴りをくわえて意識を刈り取った。風の鞭は魔力が途切れたので消えたが、その様子を見ていた傭兵リーダーのバムスが警戒する。


「気をつけろ! 変な魔法を使うぞ」

 バムスが犬人族の相手をしながら仲間に注意する。だが、仲間の一人が怒気で顔を歪め飛び込んで来た。


「小娘、俺の弟に何しやがる!」

 ロングソードを持つ無精髭の男が薫に斬り掛かった。薫は剣を背負い袋と一緒に放り出していた。手に持つのは昨夜作ったホーンスピアだけ。


 咄嗟とっさにホーンスピアで敵の斬撃を受け流した。ただ、敵の斬撃は力強く、薫は少しだけ押されて体勢を崩す。


「チッ」

 受け流されたのが不満のようで、無精髭の男が舌打ちをし、振り下ろした剣を擦り上げるようにして薫の胴を狙う。内心ヒヤリとした薫は、伊丹から叩き込まれた技を反射的に繰り出していた。


 ホーンスピアの先端が小さな弧を描き、一瞬早く敵の利き腕を切り裂いた。鮮血が飛び散り薫を狙っていた剣が宙に飛ばされる。

 薫は気を緩めなかった。ホーンスピアがひるがえり敵の左足を刺し貫く。


 またもや仲間が倒れたのを確認したバムスが、犬人族の相手を仲間二人に任せ、薫の方へ向かった。犬人族四人対傭兵二人の戦いになるが、守るだけなら大丈夫なはずと計算したようだ。


「ケッ、俺がお嬢ちゃんの相手をした方が良さそうだな」

 自分の腕にかなり自信を持っているのだろう。バムスはロングソードを右手に持ち険しい顔をして薫との間合いを縮める。───接近戦を嫌った薫が<風刃ブリーズブレード>を放った。


「おっと……」

 バムスが薫の魔法を予期していたかのように軽々と避けた。薫の目の動きや表情で魔法を放つ瞬間を見切り躱したのだ。


「お嬢ちゃん『風刃乱舞の神紋』を持っているだろう。そいつの基本魔法は<風刃ブリーズブレード>だけ。つまりは呪文無しで使えるのがそれだけって事だ」


 バムスは歴戦の傭兵のようだ。敵の特徴を細かく観察し分析しているのだろう。だが、先程の言葉には納得出来ない点も有った。相手が攻撃用の加護神紋を一つしか持っていないと決め付けている点だ。


「別の神紋も持ってるかもしれないでしょ」

 バムスが馬鹿にするように笑う。

「ふん、お嬢ちゃんが最初に使ったのは<風刃ブリーズブレード>だ。俺らが最も油断していた時に、最も威力が劣る風属性の魔法を使ったんだぜ。他に無詠唱で使える攻撃魔法が有れば、そっちを使って確実に仕留めているさ」


 各属性の攻撃魔法は、風<水<土<火の順番で威力が増して行く。風は威力としては最弱であるが、使い勝手や燃費に関して言えば最高だ。


「私の武器は魔法だけじゃないのよ」

 バムスがホーンスピアを見て鼻で笑う。

「ふっ、双剣鹿の角だろ。初心者の武器だ」


 薫はまずい状況だと悟った。怒りに任せてでしゃばったが、傭兵リーダーは武術において、薫以上の技量を持っているようだ。詠唱のチャンスが有れば、魔法で倒せるだろう。だが、それを許すほど敵は甘くない。


 バムスが剣を上段に構える。ジリッジリッと間合いを詰めるバムスに、薫はホーンスピアの穂先を向ける。バムスが気合を発し飛び込んで剣を振り下ろす。


 正面から打ち合えば力負けするのは分かっている。薫はホーンスピアで剣を受け流し、石突で敵の脇腹に突きを放つ。バムスが横に飛び退いて躱した。


「ヘッ、やるじゃねえか」

 バムスにはまだ余裕が有るようだ。ニヤリと笑い大きく息を吸った後、力強く激しい斬撃で薫を攻め始めた。薫は躯豪術を駆使してホーンスピアで受け流し、あるいはステップして躱した。


 数合の打ち合いで薫は追い込まれていた。バムスが下段から掬い上げるように逆袈裟を放ち、薫が懸命に後ろに飛ぶ。ロングソードの切っ先が薫の肩を切り裂いた。


「うっ!」

 苦し紛れに<風刃ブリーズブレード>を放った。バムスがスッと横にステップして躱した。

「お嬢ちゃんの魔法なんか見え見えなんだよ」


 薫の肩から一筋の血が流れ落ちる。傷は浅い、戦いに支障はないだろう。追い込まれても、薫は諦めていなかった。薫にはまだ切り札が残されていたからだ。


 もう一度無詠唱で魔法を放とうとする。バムスはそれに気付き魔法が発動した瞬間、横にステップする。

「無駄だと……ぐはっ!」


 <風刃ブリーズブレード>だと思って横ステップで躱したバムスは、もう一つの風の刃で右足の太腿を切り裂かれた。

「馬鹿な……無詠唱で<三連風刃トリプルゲール>だと」

 バムスは血を流しながら驚愕の表情を浮かべた。


 薫が放った攻撃魔法は<風刃ブリーズブレード>ではなかった。詠唱が必要なはずの<三連風刃トリプルゲール>を無詠唱で発動したのだ。そんな事がどうして可能なのか。


 昨夜、ちょっとした実験を行なっていたのだ。加護神紋を改造する方法を発見した薫は、『風刃乱舞の神紋』に少しだけ改造を試みた。応用魔法である<豪風刃ゲールブレード><三連風刃トリプルゲール>の二つを無詠唱で使えるように改造したのだ。


「小娘だと思って油断するからよ」

「……殺してやる」

 バムスが鬼のような形相をして足を引き摺りながら薫に迫る。その迫力に青褪めた薫は、ホーンスピアの柄でバムスの頭を薙ぐ。足を痛めたバムスは回避出来ず、ドタッと地面に倒れた。


 その様子を見たバムスの仲間は形勢不利と悟り雇い主の方へ逃げて行った。雇い主も動かない馬車を見捨て、一台の馬車だけで走り出した。


「貴様等、覚えていろ。あの里ごと皆殺しにしてやるからな」

 商人らしい男が捨て台詞ぜりふを残して去ると、犬人族は残った馬車の中に入る。しばらくして中から犬人族の子供七人が出て来た。三歳から七歳くらいまでの子供でその顔は涙で濡れていた。


 犬人族の一人が薫に近付いて来た。小柄な犬人族にしては大きく、薫と同じほどの背丈が有った。

「ご助勢には感謝する。だが、人族は信用出来ない。俺たちには関わるな」


 別の犬人族の一人が暗い表情をして話し掛けて来た。

「ムルカ、ニチェは駄目だった」

 薫に話し掛けた犬人族の戦士は、ムルカと言う名前らしい。ムルカは倒れている仲間に駆け寄り、仲間の死を確認した。その直後、幽鬼のようにゆらりと立ち上がったムルカは、薫が倒した男たちに止めを刺した。


 薫はそれを止められなかった。子供を攫われ仲間を殺された犬人族の怒りを理解したからだ。

 仲間の死体を埋め、死んだ傭兵たちから全てを剥ぎ取った犬人族は、残った死体を樹海に捨てた。


「ちょっといい、聞きたい事が有るんだけど」

 薫が話し掛けるとムルカが対応した。ムルカの話から、ここがウェルデア市と港湾都市モントハルの中間くらいの場所だと知った。迷宮都市まで歩いて五日くらいの距離が有る。美鈴や真希の足だと六日くらいは必要かもしれない。


 薫はミコトを知っているかと尋ねた。ミコトに犬人族の話を聞いていたからだ。偶然にも、ムルカたちはミコトが助けた里の者たちだった。


「そうか。ミコト様の友達なのか」

 薫の脳裏に疑問が浮かんだ。犬人族の里は幾重ものトラップ陣に囲まれた場所だとミコトから聞いていた。その里から子供が攫われたと言う事実が奇妙に思えたのだ。


「我々に油断が有ったのだ。怪我を負ったハンターたちを里に招き入れ手当してやったのがあだとなった。そいつらが俺たちを裏切り、敵を引き入れた」

 里の位置が知られ、そこを守るトラップ陣の情報も漏れたとなれば、里の存亡の危機だ。


「一度ミコトに相談した方が良いかもしれない。迷宮都市に連絡する手段はないの?」

 ムルカが俯いて少しだけ考えてから顔を上げた。


「有る……迷宮都市近くに在る隠れ里に、猫人族の元ハンターが住んでいる。彼に手伝って貰えば連絡が付くだろう」


 ムルカと薫は話し合い、薫たちの事も迷宮都市のミコトか伊丹に知らせてくれるように頼んだ。ムルカは助けられた恩は返すと言い承知した。


 長らく放って置かれた小瀬たちはショックを受けていた。目の前で繰り広げられた戦いは本当の殺し合いだった。その殺し合いに中学生が参戦していた。


 小瀬は薫の存在感に飲み込まれそうになっている自分に気付き苛立ちを覚えた。そして、気力を振り絞り薫に近付き声を上げた。


「いきなり戦い始めて、どうなってるんだ。説明してくれ」

 小瀬が苛立った様子で声を上げた。薫は、真希たちも呼び寄せ、奴らが人身売買目的で子供を攫った事と迷宮都市の案内人に連絡がつきそうだと説明した。


 美鈴と真希は案内人との連絡の件を聞くと安堵あんどする。

「あれっ……何か忘れている気がするんだけど」

 薫が呟くと玲香がジト目で薫を見る。


「あんたがぶっ倒した勇者様が倒れたまんまだけど……いいの?」

 薫がハッと気付いたように、鼻血を出して倒れている東埜に駆け寄った。



    ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 同じ頃、日本のミコトは、うんざりした時間を過ごしていた。ちょっと前に行なったオークとのやり取りを何度も何度も刑事たちから訊かれているからだ。気分は犯罪者で、もう少しすれば「私がやりました」と自白してしまいそうだ。


 取り調べがやっと終わり、またも指揮車に連れ込まれた俺は、オークたちの会話の通訳をさせられた。

「差し入れたものを食べて少し落ち着いたようです。脱出の相談をしています」


 金井管理官がギロリと俺を睨んだ。

「詳しく通訳しろ。何と言っている?」

「子供を盾にして逃げ出す算段をしています」


 その言葉を聞いた金井管理官は無線機を取って特殊部隊と話し始めた。

「蒼井君、準備は出来とるか。奴らが人質を盾に取り動き出そうとしとる。時間がないぞ」

【配置完了、いつでも突入可能です】

 無線機から特殊部隊の隊長である蒼井警部補の声が返って来た。突入が秒読み段階に入ったようだ。

「情報が欲しい。出来れば、殺さずに捕獲して欲しいんだが……麻酔銃とか用意出来ないのかね」

 東條管理官が注文を付ける。


「そんなものを用意する時間はない」

 金井管理官はギロリと睨んで切り捨てた。

「最後に念を押しておくが、人質の命が最優先だ……突入のタイミングは君の判断に任せる」


 学習塾の周りは特殊部隊により包囲されていた。隊長である蒼井は、手に持っている小型端末に映る教室の映像を見ながらタイミングを図っていた。


 室内では部屋の奥に中学生たちが一塊となって座っており、その前をオークたちがウロウロしている。オークたちが、ドアの前に集まり相談を始めた。


「突入開始五秒前……5・4・3・2・1 突入!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る