第78話 オーク来たる

 その年の夏、数年に一度と思われる大嵐が迷宮都市を襲い大きな傷跡を残した。都市の中心街や南側の貴人地区、学院地区にはほとんど被害がなかったが、北西にある貧民街は大きな被害を出した。


 ミリアたちの住むオンボロ荘も例外ではなく屋根が吹き飛び、何本か柱が折れ建物が傾いた。屋根が不気味な音を発し始めた時点で、住民は避難を決めた。そのお陰で死傷者は出なかったが、喜ぶ者は一人として居ない。


 大嵐が去り、都市住民の混乱が治まった頃、俺と伊丹さんはミリアたちの様子を見に行った。

 貧民街の惨状を見て、ミリアたちのオンボロ荘へ急ぐ。


「ルキが怪我とかしていないかな……薬を持って来た方が良かったかも」

「ミリアたちはしっかりしておる。心配無用でござる」

 そう言う伊丹の歩みが幾分速くなった。ミリアたちは伊丹の愛弟子である。心配でないはずがないのだ。


 ミリアたちは風で飛ばされた柱や桶に呆然とした様子で座り、壊れたオンボロ荘を見詰めていた。ルキはミリアに抱き付き泣いていた。


「皆、無事だったか」

 声を掛けるとルキがトテトテと走り寄って来て、俺に抱き付いた。

「ミコトしゃま、いえが……家が……」


 泣きじゃくるルキを、抱え上げてあやす。ルキを抱えたままオンボロ荘の状態を確認した。修理は無理だと分かった。この先どうするのだろうと心配になる。


 一人前のハンターに成りつつあるミリアたちなら、宿屋を拠点としてハンターを続けるのは難しくないだろう。

 だが、弟や妹が居るマポスや他の住人はどうだろう。


 ルキたちが怪我をしていないのに一安心した俺は、炊き出しをしようと提案した。一睡も出来ず嵐の中で耐えていた人々が疲れきった顔をしていたからだ。


「炊き出しでしゅか。でも、炊事場のかまども潰れて使えにゃいでしゅ」

 ミリアが悲しい顔をして言った。それに燃料となる薪も雨に濡れていた。

「問題ない。新しく作った魔道具がある」


 以前に仕留めた灼熱陸亀の甲羅に宿る『灼熱』の源紋を利用した魔道具である。<源紋複写クレストコピー>の応用魔法を使って丸い鉄板に『灼熱』の源紋を複写し、その鉄板に魔力伝導率を高めた木の柄を付けただけの簡単なものだ。


 使い方も簡単で柄を握って魔力を少量流してやるだけで鉄板が加熱され料理に使える。迷宮で使えたら便利だと思い作ったものだ。


 別途、これに魔力の蓄積・放出を可能とする補助神紋を刻んだ魔晶玉を追加し、誰でも使える『調理板ホットプレート』として金貨八枚で売れないかとミトア語の『知識の宝珠』で世話になっているアモダ魔道具のレダ婆さんに相談しているところだ。もちろん、同様の機能を持つ魔道具は存在するが、金貨数十枚もする高価なものである。


 ミリアたちに銀貨数枚を渡して食材を買いに行かせた。俺は調理板ホットプレートを取りに行き、伊丹さんには木製汁椀とスプーンの購入を頼んだ。


 オンボロ荘には寸胴鍋が一つ有るが、一つでは足りないだろう。寸胴鍋を二つ買い足しカリス工房に預けてある調理板ホットプレートを三つ取って来る。

 この調理板ホットプレートは後にロングセラー商品となるが、今の段階では新しい変わった魔道具と言う評価だ。


 ミリアたちが食材を買って来た。悪食鶏の腿肉、数種類の茸、根菜などだ。

「ミコトしゃま、買って来ちゃよ」


 先程まで泣いていたルキが、茸の入った袋を持って笑顔を見せている。ミコトたちが助けに来た事で安心したのだろう。


「よし、今日はきのこ汁を作るぞ。ミリアたちは食材を一口大に切ってくれ」

 猫人族の少女たちは、オンボロ荘の炊事場からまな板を探し出し綺麗に洗ってから、腿肉を細切れにする。


 俺と伊丹さんは、寸胴鍋の下に調理板ホットプレートを敷き、柄の部分に有るストッパーを外しめ込まれている小さなツマミを前方へとスライドさせる。ツマミの位置で魔晶玉から流れ出す魔力量が三段階に変わり、強火・中火・弱火の調整をする仕組みになっている。


「本当にこれで料理が出来るのでしゅか」

 ミリアが不思議そうに声を上げる。ルキは眼をキラキラさせて寸胴鍋を見詰めている。


「お姉ちゃん、お鍋が暖きゃくにゃってましゅ」

 鍋に近づいて熱気を感じたルキが嬉しそうに声を上げた。

「本当だ。不思議でしゅ」


 一つ目の寸胴鍋が温かくなると油を入れ、腿肉の細切れを炒める。肉の色が変わるのを確かめてから、刻まれたきのこを放り込み一緒に炒める。


 その頃になると、料理をしているミリアたちに気付いたマポスの母親や知り合いのオバさんたちが手伝い始めた。


 水を加え根菜と酒を少々、味は塩で整えて根菜が煮えてきたら出来上がりである。鶏肉から出た甘い脂ときのこの出汁が良い香りとなって周りに漂い出す。

 三つ有る寸胴鍋のきのこ汁がほとんど同時に出来上がった。


 味見をしてみると薄味だがきのこの旨味が出汁として効いており美味い。調味料の種類が少ないので満足な味には仕上がらなかったが、炊き出しとしては合格点だろう。


 貧民街で力なく項垂うなだれていた人々が、そのにおいに誘われて寸胴鍋の近くに集まり始めた。

「さあ皆、このきのこ汁を食べて元気を出してくれ」

「順番に配りますから並んで下さい」

 俺やリカヤたちが声を上げると猫人族に限らず貧民街の住人が集まって来る。


「美味い、これ美味いよ」

「俺にもくれ」

 腹を空かした多くの人たちが、寸胴鍋の傍らできのこ汁の入ったお椀を配っているオバちゃんたち目掛けて集まって来た。


「あんたたち、これはハンターのミコト様が用意してくれたんだ。お礼を言うんだよ」

 マポスの母親が俺に感謝するようにと言う。貧民街の住人はこんな若者が……と言うような目で見ていたが、礼は言ってくれた。


「分かった。ハンターの兄さん、ありがとうな」

「お兄ちゃん、ありがとう」

 大勢の人達に礼を言われると照れくさい。だが、心の底から温かいものが湧き上がるようで嬉しくなる。


 炊き出しのお陰で少しだけ貧民街に活気が戻ったようだ。住居を失くした人々が、今日寝る場所を探して動き始めた。親兄弟や親戚の居る者はそれらを頼るようだ。問題は、頼れる者が居ない人々だ。

 三十人ほどが完全なホームレスとして取り残された。中には親を亡くした三人の子供も居た。


 迷宮都市の役人は未だに現れない。日本なら職務怠慢でマスコミに叩かれ責任問題となるが、ここでは誰もが貧民街の住人に手を差し伸べる必要を感じていないようだ。


「ディンは何をしてるんだ?」

 シュマルディン王子が太守となってから、王都の財務府から要求される領地税が増加した。第三王子派に資金を渡したくない第二王子派のクモリス財務卿が手を回し上限まで増加させたのだ。


 その影響で都市経済は苦しい。大嵐で被害の出た貧民街に援助の手を差し伸べるだけの余裕がない。いや、貧民街だけなら何とかなっただろう。


 大きな被害ではないが他の地区にも被害は出ている。それを無視して貧民街だけにとは言えないのが政治である。なにせ貧民街より他の地区の方が発言力が強いのだから。


 後にディンと会った時に知ったが、太守だというのに貧民街の事は知らされなかったようだ。本当に名前だけの太守のようで、ディンは自分の不甲斐なさをミリアたちに謝罪した。


 炊き出しが終わり、後片付けも済んだ。

「取り敢えず、今日寝る場所を探そうか」


 俺には一つだけてが有った。買った土地の前の持ち主であるモナクが所有する道場だ。建物の基礎はしっかりしており屋根も丈夫そうだったから、大嵐でも壊れてはいないだろう。

 ミリアたちと一緒に交渉に行った。


「そりゃあ災難だったね。同じ猫人族としては助けてやりたいが、この先ずっとという訳にはいかにゃいよ」

 モナクは一ヶ月ほどなら道場を提供しても良いと言ってくれた。


「本当によろしいのでしゅか」

 ミリアが申し訳無さそうに尋ねた。

「ああ、あたしにもあんた達くらいの娘が居るからね。他人事とは思えにゃいのさ」

「おばさん、ありがと」


 マポスは弟妹たちの寝る場所が確保出来たので喜び、モナクに感謝した。

「でも、道場は土間だよ。寝台とかどうするのさ」


 モナクが尋ねた。寝台については、来る途中に伊丹さんと相談して結論が出ていた。俺はリカヤたちに大量の麦藁と帆布はんぷを買って来るように頼んだ。道場の床に藁を置き、その上に帆布を敷いて寝台とする為だ。


 異世界にも亜麻あまや綿花に酷似した植物が存在する。一般的な帆布は亜麻の繊維を使って作られるが、こちらの世界では少し高価な部類の布になる。


 俺は、暑くなる季節を考え、肌触りが良く通気性・吸湿性に優れた亜麻繊維を使ったものが良いと思い帆布を指定したが、貧民街の住人からすれば安い麻布で十分だったようだ。


 広い道場なら三十人は寝泊まり出来るだろう。だが、一ヶ月だけだ。その間に家を探さないといけない。

「ミコト殿、フオル棟梁が話しておったが、見習い職人や日雇い人夫の為に飯場はんばのようなものを建てるそうでござる」


 飯場はんばというのは、大掛かりな土木工事や建築現場で食事の提供や寝泊まりする施設の事だ。フオル棟梁には無理を言って完成を急がせているので、そのような施設が必要なのだろう。


「仮設住宅のようなものか。どれ位で出来るんだろう?」

「材木屋の倉庫に、組み立てるだけで小屋が完成する加工済み木材が有るそうで、運搬と組み立てで数日、早いものでござる」


「そいつは借りるのかな」

「まあ、工事中にだけ必要なものでござれば、レンタル品であろう」


 フオル棟梁と相談し、貧民街の人々の分も合わせて六棟の仮設住宅を借りる契約を結んだ。棟梁と取引のある材木屋だったので少しだけ安くして貰ったが、一ヶ月一棟銀貨五枚であった。


 寝る場所は確保した。元と同じ生活に戻れる訳じゃないけど生活可能だろう。仕事は幾らでもある。ここの建設現場で日雇い人夫として働くのもいい。


 子供だけ生き残った三人は、人族の子供で八歳と七歳の男の子と七歳の女の子である。この子たちは、俺が雇う形にして飯場はんばの手伝いをさせる予定だ。


 食事はマポスの母親モニさんを雇い用意して貰う事にした。マポスの父親は迷宮で行方不明になったそうだ。母一人で子供たちを育てるのは大変だっただろう。


 大嵐の騒ぎが片付いた後、俺は研修を終えた宇田川と次の依頼元である大学病院の医師二名を迎えにリアルワールドへ帰還する予定となっている。今回も俺一人だ。


 医師二名は、こちらで治療する予定になっている患者三名の治療方法を探し出すと同時に、医療における魔法及び魔法薬の活用調査を行う予定だ。


 この依頼は長期で四ヶ月ほどサポートする契約になっている。まずは第一陣の二名だ。当初は宿屋で寝泊まりして貰う予定だったが、仮設住宅の契約をした時に大きめの作業小屋が有ると聞き、それをレンタルし、フオル棟梁に住めるように改造して貰うよう頼んだ。


 全ての手配が終わった後、俺は迷宮都市を出てエヴァソン遺跡の転移門へ向かった。


   ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 リアルワールドから異世界へ転移する場合より、リアルワールドへ帰還する場合の方が身体的に受ける衝撃が大きいようだ。自分の感覚として思っているだけのなので検証されている訳ではない。


 定例の検査や報告書の作成が終わったのは、日本に戻った日の夜遅くだった。疲れていた俺は、アパートには帰らず、仕事場の医務室で寝た。


 俺は激しく肩を揺すられて無理やり覚醒させられた。

「ミコト、起きろ。緊急事態なんだ……寝てる場合じゃないぞ」


「もう少し寝かせてくれよ……それから濁声だみごえはチェンジで」

「誰が濁声だみごえだ。威厳溢れる私の声をそこらのオッさんと同じと思うな」

 もしかして、この声は東條管理官か。やべえ!


 俺は急いで上半身を起こした。

「東條管理官……どうして」

 目の前にハゲボスが不機嫌そうな顔で立っていた。


「やっと起きたか。服を着て付いて来い」

 周りを見回し仕事場の医務室だと気付いた。テーブルの上に俺の服が置いてある。手早く服を着ると外に出ようとしている管理官の後を追う。


 そのままJTGのバンに乗り込んで、何事なのか訊く。

「こちらに魔物の集団が現れた」

「な……魔物だって!」


 耳を疑う情報だった。東條管理官から聞き出した情報だと使用不能転移門が突然起動し一般人八人が異世界へと消え、代わりに魔物の集団が現れたらしい。


 最初、警察や自衛隊は魔物の出現に気付かなかったが、ある別荘の管理人が惨殺死体で発見され、鑑識が人間ではない足跡を発見した。人間の足に似ているが四本指の足跡を。


 ミコトが連れて行かれたのは、山間に在る別荘だった。そこには数台の警察車両が停まっており、一目で警察関係だと思われる者たちが忙しそうに行き交っている。


 新米刑事である石井が別荘の管理人だった死体を見て表情を変えた。これほど異様な現場は初めてだった。被害者の顔は何か鈍器で殴られたように潰れ陥没しており、首が握り潰されたように細くなり得ない角度で曲がっていた。


 首にくっきりと浮かぶ指の跡を見て、

「この人……ゴリラにでも襲われたんですかね」

「アホか、この辺にゴリラが居るわきゃないだろ」


 ベテラン刑事らしい中年男性が相棒らしい若い刑事にきつい口調で反論する。ひょろりと背丈だけは有るが頼りない相棒が青褪めているのに気付き、無理もないかと思う。

 長い刑事経験の中でも、この遺体は特別だった。


「JTGのお偉いさんが来るんだって?」

 ベテラン刑事の絹田は不機嫌そうな声で相棒の石井刑事に声を掛けた。

「ええ……今回の事件は転移門が関係しているらしいです」


「まさか、どこかの馬鹿が変な化け物を連れ戻ったんじゃないだろうな」

 若手の刑事が微妙な表情を浮かべる。


「おい、冗談で言ったんだぞ。マジかよ」

「鑑識が人間のものでない足跡を見付けたそうです」

 若手だが変に顔の広い石井刑事が知らせた。


 そこに東條管理官とミコトが到着した。


 俺は死体を見て顔を顰めたが、青褪めるような事はなかった。これくらいの死体は向こうの世界で見慣れているからだ。


「おい、そいつは未成年だろ。何で事件現場に連れて来たんだ?」

 絹田が遠慮のない口調で東條管理官に文句を言う。東條管理官はギョロリと絹田刑事を睨み、ドスの利いた声で応えた。


「ミコトはJTGの案内人だ。魔物に詳しいので連れて来た」

「えっ、案内人なんですか。若いのに凄いですね」

 石井刑事が感心したように声を上げる。ネット上の誤った情報を信じているのかもしれない。


 俺は死体の首に残る指の跡とここに来る途中に見た魔物の足跡から正体を推測した。間違いないだろう。

「足跡とここの様子から考えると……四、五匹のオークが襲ったようです」


 石井刑事が息を呑み、絹田刑事が首を傾げた。

「オーク? 何だそりゃ」

「絹田さん、知らないんですか。ファンタジーじゃ定番の化け物じゃないですか」


「そんなもの知らん。それより、オークとか言う化け物はどれほど危険なんだ?」

 絹田刑事の質問に、ちょっと考える。

「奴らは人間の三倍の筋力を持つ殺し屋だ。人間を獲物としか思っていない。早く探し出さないと犠牲者が増えるぞ」


 二人の刑事が深刻な顔をして押し黙った。そこに警官が走り込んで来た。何か有ったらしい。

「本部より連絡です。化け物が町の学習塾に立て籠もりました」

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