第71話 モルガート王子の復活

 王都の北東に聳えるクレメント山の麓、山に抱きかかえられるようにしてエクサバル城が存在する。広大な敷地に幾つもの尖塔が立ち並び、その中心に優雅ではあるが堅牢な城が建っている。


 白亜に輝く城の東側には王子たちの住む離宮が在った。第一王子モルガートが暮らすミナバ離宮は、サミディア正妃の為に建てられたものだが、正妃の子供であるモルガートと第四王子コンデリットの住居でもあった。


 数日前まで不気味なほど静かだった離宮に活気が戻っていた。バタバタと慌ただしく駆け回る使用人達が、次々にお見舞いに訪れる貴族たちの応対に追われ、主人である正妃と客との間を往復している。


「現金なものね。先日まで死を前にした息子を無視し、キメソス離宮をウロウロしていた貴族共が、恥知らずにも妾の前に進み出てご機嫌伺いをしている」


 キメソス離宮と言うのは、第二王子オラツェルの住む離宮である。サミディア正妃は、第一王子が奇跡的に回復した途端、息子の顔色をうかがい始めた貴族に毒を吐く。


 正妃の私室で毒舌の相手をしているのは、兄である軍務卿コルメス伯爵だった。

「貴族たちも必死なのさ。陛下が選士府の設置を口にされたのだから」


 次代の王となる者に帝王学を学ばせ、将来の重臣を選び出す為に設置される選士府は、行政府のミニチュアであり、そのメンバーとなれば、将来が約束される。

 その選士府の設置を、モルガート王子が毒を盛られる数日前に言い出していたのだ。


 コルメス軍務卿もクモリス財務卿も、現王が選士府の中核であった時の中心メンバーであった。

 第一王子モルガートは王太子と呼ばれてはいるが正式なものではない。選士府で力を示し王に認められて初めて正式な王太子の称号を授かる。


 とは言え、このままモルガートが選士府の中核となり人材を集めれば、正式に王太子と呼ばれるのも遠い未来ではないだろう、と噂が広まった。


 焦った第二王子派の一部が暴走し、暗殺者を第一王子に向けたのも選士府の件が原因だった。モルガートは死ななかったが、何時死んでもおかしくない状態になった。

 第二王子派は小躍りして喜んだ。


 だが、迷宮都市クラウザから万能薬となる素材が届き、王家魔法医が万能薬を調合しモルガートの命を救った。


 喜び溢れるミナバ離宮の人々の中で、唯一人暗い表情のままの人物が居た。モルガート本人である。

 その寝室では、未だに青い顔のモルガートがベッドに横になり天井を睨んでいた。その食いしばった口元から呪詛が零れ出す。


「……許さんぞ」

 モルガートの眼から涙が溢れ出すが、本人は気付いていないようだ。

「……いっそ殺してくれと何度叫んだことか」


「王となる我に歯向かった者がどうなるか。奴らの血肉に刻み込んでくれる」


「……手を下したれ者はもちろん、命じた者たちも家族諸共……皆殺しだ」


 薄暗い部屋の中に、狂気を潜ませた眼に力が込められた。モルガートに盛られた毒は、身体だけでなく精神までも傷つけた。


 毒の作用で全身の神経が痛みを訴え、日に日に生命力が抜け落ちてゆく。そんな状態にさらされた第一王子の精神は歪み、その後の王国に悲劇を齎すことになる。


 第一王子の回復を喜ぶ人々がお祭り騒ぎをしている陰で、第二王子派は顔色を無くし、モルガート及び、その後援者であるコルメス軍務卿の仕返しを恐れて縮こまっていた。

 それでも、不安は増し仲間同士で必死に情報を集めようと頻繁に連絡を取るようになった。


 第二王子派のエルバ子爵邸では、数人の貴族が密かに集まり密談を始めた。

「軍務卿が、密かに闇風組ダークブリーズを動かし始めたそうだ」


 第一近衛師団の参謀をしているエルバ子爵の親族からの情報だった。闇風組とは王都を守る第一近衛師団に所属する隠密部隊である。


 貴族でも一部の人間にしか知られていないが、多くの汚れ仕事を任務としている。

「闇風組……王家の隠密部隊が」

「では、モルガート王子が……」


「まさか、闇ギルドの件が知られたのではないでしょうな」

 伝手つてを頼り闇ギルドに暗殺の依頼を出したコウレン子爵は、顔を引き攣らせて確認する。


「闇ギルドは心配無いだろう。だが、貴君は誰の伝手で闇ギルドを知ったのだ」

 エルバ子爵の質問に、コウレン子爵が王都に巣食うたちの良くない連中の名を挙げた。


「信頼出来る連中ではないな。十分に口止めをしといた方がよろしかろう」

 コウレン子爵は顔を青褪めさせたままエルバ子爵の屋敷を辞去した。


 そんな状況の中、エルバ子爵は迷宮都市に引き返させた傭兵ニジェスの事を思い出した。

「まずいぞ。こんな状況の中で功労者であるハンターが、何者かに殺されたりすれば必ず調査される」

 エルバ子爵はニジェスに任務中止の連絡を送ろうと決心した。


 だが、その直後、王都に有るコウレン子爵の屋敷が火事となり子爵一家が全員死んだ。貴族たちは騒然となり、エルバ子爵も対応に追われ、傭兵ニジェスの件を失念してしまう。

 こうして、ミコトたちに降り掛かる災厄を未然に防ぐ機会が無くなった。


   ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 迷宮都市には幾つか初等学校が有るが、最も有名なのがクラウザ初等学院である。その学院の門から、猫人族の少女コルセラが走り出た。商店が建ち並ぶ大通りから細い路地に入り、南に抜けると少女の家が有った。


「お母さん、朝の話は本当にゃの」

 家に帰るなりコルセラは大声を上げた。母のモナクは台所で夕食を作っていた。土間にかまどと調理台、水瓶の有る八畳ほどの空間で忙しそうに動いている。


「本当よ。道場もまとめて売りたかったんだけど、あんたが反対するから庭だけ売ったわ」

「庭だけ……良かった」

「道場を残してどうするの、父さんの跡を継ぐつもり?」


「無理に決まってるでしょ。道場はお父さんの思い出として残したかったの」

 コルセラは家を出て道場の方へと向かった。踏み固められた土の上に壁と屋根が有るだけのちっぽけな道場だったが、そこには父親との思い出があった。


 ふと庭の方を見ると、数人の人が居る。猫人族が四人、人族が一人。

「リカヤさん、ここで何をしているんです」

 演習でサポート役をしていた猫人族の少女が、変な形の槍を振り回していた。


 リカヤの新しい武器である『鎌薙ぎ槍』は、足軽蟷螂の鎌を加工して作られたもので突くよりも斬るという攻撃に向いており、槍というより薙刀なぎなたに近い。とは言え、槍と名前が付いている通り突くことも可能な形状をしている。


「コルセラ……そうか、道場の娘だったよね。ここの子供だったのか」

 リカヤが驚いたように声を上げた。


「それより、リカヤさんは何故ここに?」

 コルセラの疑問に答えたのは、ミリアだった。何故か誇らしそうな顔をしている。

「ここは前に話したミコト様が買った土地でしゅ」


 母親が庭を売った相手が、ミリアたちの尊敬するハンターだったらしいとコルセラは知った。

「そうりゃよ。今はイタミしちょうに槍を教えてもらってりゅの」

 ルキが楽しそうに得物を振り回しながら、コルセラの疑問に応える。

 リカヤたちも一緒に伊丹から武術を習うようになって、年長の彼をイタミ師匠と呼ぶようになっていた。


「リカヤさん、見学してもいいかにゃ?」

 リカヤが伊丹の方を見る。

「構わんでござる。今のところ基礎しか教えておらんからな」


 伊丹の答えを聞いて、コルセラは礼を言った。

「ありがとうございます。そう言えば、もう一人のメンバーがいませんけど、どうしたんです」

 ネリが鎌薙ぎ槍の手応えを確かめながら。

「マポスは、ミコト様と一緒に武器を製作している。私たちと違って奴は剣を使っているからにゃ」


   ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 一方、リカヤたちが噂しているマポスは、ミコトと一緒にカリス工房に居た。マポスの前には工房で作られた数種類の片手剣が並べられていた。


 これらの武器は、カリス親方が強化剣を研究している時に製作したもので、少量だがミスリルが含まれている。とは言え、ミスリル合金とは呼べないほど少量なので普通の鋼鉄製と変わらない。


「どうだ、気に入った剣が有ったか?」

 カリス親方がマポスに尋ねると、マポスはカットラスに似た片手剣を選んで持ち上げた。

「この双剣鹿の剣角に似たやつにするよ」


「鋼鉄製の海軍刀か。ここいらじゃ人気はないんだが、いい剣だぜ」

 王国の海兵隊が好んで使う剣だったので、いつしか海軍刀と呼ばれるようになったものだ。


 カリス工房の作業台に古書『源紋の構築と魔導武器への応用』を広げて読んでいた俺は、自分の精神に刻まれている『魔力変現の神紋』と『時空結界術の神紋』を確認しながら新たな魔法を構築していた。


 新たな魔法の構築と言っても、本に書かれている神紋術式を『魔力変現の神紋』と『時空結界術の神紋』の二つの神紋を使って、どういう風に代替するかを検討しただけなので思ったほど時間は掛からなかった。


 これでも魔法のエキスパートである薫から、神意文字や神紋術式について学んでいる。基本的なもので、手本が有るものなら構築は可能だった。


 俺は纏めた神紋術式を何度もチェックし、一つの付加神紋術式として記憶した。この記憶は魔導眼の<記憶眼>を使って行うもので覚え間違い等は起こらない。


「よし、こっちの準備は整った。選んだ剣と足軽蟷螂の鎌を作業台の上に置いてくれ」

 マポスが海軍刀を、カリス親方が鎌を作業台に置く。


「ミコト、その本は信用出来るのか。こんな方法で強化剣が作れるのなら、職人は苦労しないぜ」

 カリス親方が懐疑的な眼で俺を見ている。その弟子である職人たちも同様な眼で作業台に置かれている海軍刀を見守っていた。


「信用出来るかどうかを調べる為に、試してみるんじゃないか」

「わかったよ。とっととやってくれ」


 カリス親方が作業台から一歩下がり、マポスが固唾を呑んで見守っている。俺は精神を集中し、本に書かれていた呪文を唱え始める。


『キジェグルナス・ルシカフェラ・フェズ・グルコウェン……<源紋複写クレストコピー>』


 魔力が抜け落ちる感覚を覚える。取り敢えず、魔法は起動したらしい。

 作業台の上に魔力の特殊力場が生じた。淡い紫の泡のような力場で、それが海軍刀と足軽蟷螂の鎌を包み込む。


「おおっ」

「何だ、この魔法?」

「見た事ねえぞ」

 職人たちの口から驚きの声が漏れ、不思議な現象に沈黙する。


 海軍刀と足軽蟷螂の鎌を包み込んだ淡い紫の泡は少しの間脈動を繰り返した後、泡の中で火花のような発光現象が発生し、周囲に光を放つ。


 それは美しい魔法だった。泡の内部が怪しく輝き、海軍刀を火花が包み込む。それが十数秒続いた後、光が消え淡い紫の泡も消滅した。


 暫らく静寂が続き、我慢出来なくなったようにカリス親方が口を開く。

「終わりか……成功したのか?」


 俺は作業台の上の海軍刀を手に取り魔導眼で確認する。海軍刀の刀身に『切断』の源紋が浮かび上がった。新しい神紋術式は成功したようだ。


 俺は海軍刀をマポスに渡し。

「試してみろ」

 マポスは頷き、真剣な表情で手に持つ海軍刀を見詰め始めた。そして『魔力発移の神紋』の基本魔法である<魔力導出>を起動した。マポスの身体から魔力が流れだし海軍刀に流れ込む。数秒後、淡く黄色い光が海軍刀から放たれる。


「強化剣だ。……源紋が複写されたんだ!」

 カリス親方が大声で叫んだ。驚いているのは親方だけではなかった。マポスや職人たちも目を見開き、光っている海軍刀を見詰めていた。


 親方が驚くのも無理はなかった。過去に強化剣を製作した時は一ヶ月ほど時間が掛かったのだ。それが数分で唯の剣が強化剣に生まれ変わったのだから。


「そ、そうだ。足軽蟷螂の鎌はどうなった。源紋は無事なのか?」

 親方の疑問を受け、俺は鎌を確認する。鎌に秘められた源紋は消え失せてはいなかったが、浮かび上がった源紋は力を失い存在感が薄くなっていた。その事を親方に知らせると少し考えるような表情を見せてから。


「以前に強化剣を研究していた時、そんな状態になった強化剣を見た事がある。その時は五日ほどで元の状態に戻った。源紋に含まれる魔粒子が減少した為だと思うのだが確証はない。だが、この鎌が元の状態に戻れば、何度でも強化剣を作製可能だという事になる」


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