第62話 バジリスク
俺と伊丹は森を出て大きな岩の陰に飛び込んだ。もちろん、化け物達に気付かれないように最大の配慮をしてだ。岩山側のバジリスクと森側の大鬼蜘蛛の間に三人の盗賊が腰を抜かして座り込んでいる。
盗賊たちは、一度大鬼蜘蛛から逃げ延びたのだが、アジトの様子を探りに行き、またも大鬼蜘蛛に発見され、ここまで追い駆けられて来たのだ。
バジリスクが
俺たちに盗賊を助ける気など全くなかった。商人や旅人を襲い、命を奪った上に金品を強奪するような連中に助ける価値などないと思っている。
大鬼蜘蛛は自分たちの縄張りに入ろうとしているバジリスクに怒り、何とか追い返そうとしていた。
青い空に白い糸が舞い、バジリスクの口元に貼り付いた。その糸を嫌がったバジリスクが、前足の爪で口元を引っ掻くようにして白い糸をバラバラにする。
俺の力ではどうしても無理だった頑丈な糸をいとも簡単に切る力は半端なものではない。それに加え、バジリスクの爪の切れ味は相当なものだ。
竜爪鉈に使っているワイバーンの爪もかなりの切れ味だったけど、あの爪はそれ以上だと感じる。
大鬼蜘蛛が一瞬動きを止め、全身に魔力を纏わせる。次の瞬間、麻痺効果のある剛毛をバジリスクの顔に向けて飛ばした。
カッン、カッ、カッンと音が響き、バジリスクの体表を覆っている群青色の細かく強靭な鱗が毛針を弾いた。
ビショップ級下位のバジリスクとナイト級下位の大鬼蜘蛛では、3ランクも差がある。この差は決定的だ。以前に帝王猿とワイバーンの戦いを見た経験が有るが、帝王猿とワイバーンはナイト級下位と上位の2ランク差だった。それでも二匹の帝王猿にワイバーンが圧勝した。
バジリスクが初めて攻撃した。巨大な口を大きく開け大鬼蜘蛛を噛み砕こうと襲い掛かる。ドタドタと緩慢な動きで近付き顔を突き出しパグッと口を噛み合わす。
動きは緩慢に見えるが巨体である。実際のスピードはそこそこ有る。大鬼蜘蛛がピョンと飛んで噛み付き攻撃を躱す。
大鬼蜘蛛は大きさに似合わず身軽だった。ピョンピョンと飛び跳ねながらバジリスクの腹や喉元に飛び掛かり短い牙を突き立てる。
短いとは言え、それはバジリスクと比べればで、実際は剥ぎ取り用のナイフ並みの大きさは有る。
バジリスクの腹や喉元は背中などに比べ鱗が薄いようで、大鬼蜘蛛に噛み付かれる度に浅い傷が生じた。
「ギェグググォーーーー!」
バジリスクの殺気を込めた咆哮が大気を震わす。咆哮は衝撃波となって周りに広がり俺たちも目眩を起こす。しかし、大鬼蜘蛛だけは衝撃に耐え攻撃を続けた。
バジリスクが苛立ち、大鬼蜘蛛が脇腹を攻撃したタイミングで体を震わせ、大鬼蜘蛛を押し潰そうと転げ回る。それに巻き込まれた樹木がへし折れ、地面が掘り返されモウモウと土煙が上がった。
大鬼蜘蛛が慌てて距離を取った。それを見たバジリスクが体をくの字に曲げ、その反動で尻尾を振り回す。鞭のようにしなった尻尾が遠心力も加わり高速で蜘蛛の身体目掛けて飛翔する。
バジリスクの尻尾は途中に有った岩なども吹き飛ばしながら、大鬼蜘蛛の胴体に命中し、ミシッと言う音を響かせてから、その体を十五メートルほど弾き飛ばした。大鬼蜘蛛は地面をゴロゴロと転がり大木に当たって止まる。
大鬼蜘蛛は口から体液を吐き出しクタッと地面に倒れ伏した。
「ヒィッ」
大鬼蜘蛛が倒されたのを見て、盗賊の首領が情けない悲鳴を上げた。次は自分たちだと気付いたからだ。バジリスクが倒れた大鬼蜘蛛に近寄る。
ズシン、ズシンと言う地響きが聞こえ、巨大な口がパクリと大鬼蜘蛛を咥え込んだ。バジリスクの口には小さい歯がズラリと並んでおり、その歯が大鬼蜘蛛の身体に突き刺さり、口内へと引きずり込む。
大鬼蜘蛛をほとんど丸呑みにしたバジリスクが、盗賊たちをジロリと睨んだ。バジリスクが俺たちに気付いてないと分かっていても、背中に冷や汗が流れる。
伊丹が小声で尋ねた。
「ミコト殿、このバジリスクは聞いていたものより大きいではござらぬか」
通常のバジリスクはおよそ七メートル、目の前の化け物は一回りでかい。
「かなり長生きした個体ですね」
「バジリスクの長老みたいな奴でござるか。それにしても何故石化の邪眼を使わないのでござる?」
「あいつらがバジリスクの食事だからだよ。石になったら消化できないだろ」
「ふむ、さようか」
「それより、そろそろ逃げましょう」
俺たちは大岩の陰から森に飛び込み、盗賊のアジトの方へ駆け出した。バジリスクには気付かれなかったが、盗賊の首領が気付いた。
「ウオーッ!」
気合を発した盗賊の首領が、いきなり立ち上がり俺たちを追って走り出す。残された盗賊たちが助けを求めて騒ぎ出したが、バジリスクの食欲を刺激しただけだった。
俺たちの背後で盗賊たちの断末魔の叫びが響き渡る。バジリスクが何かを咀嚼する音を立てるが、想像したくない。
「馬鹿野郎 付いて来るな!」
俺たちの後ろに顔を恐怖で塗りつぶした盗賊が、必死で追いかけて来ていた。
「タスケ……助けてくれ!」
はた迷惑な男だ。ガサガサと大きな音を立てながら追い掛けて来る盗賊は、バジリスクにすればいい目印となる。
バジリスクが森の樹々を薙ぎ倒しながらドタドタと追って来る。地面から伝わる震動と樹々が倒れる音でバジリスクの位置が分かった。非常にまずい状況だ。
俺が後ろを振り返ると大型トラック並みの巨体が突進して来る。
「右に方向転換だ」
伊丹に声を掛け右方向に急カーブする。木立をすり抜けながら全力で駆ける。その後ろを盗賊が付いて来るが、その背後にはバジリスクが迫っていた。
バジリスクが大きな口を開け横に逃げようとする盗賊に襲い掛かる。ぎりぎりで盗賊がすり抜けると、バジリスクの巨体が急カーブで曲がり切れず崖下に落ちたトラックのように横転し樹々を薙ぎ倒す。
人間なら一〇回ほど即死するような衝撃だったはずだが、バジリスクにはほとんどダメージを与えなかったようだ。こんな化け物をどうやったら倒せるのだろう。唯一ダメージを与えられそうな魔法は<
しかし、逃げながら応用魔法を放つのは困難だ。誰かが盾役となってバジリスクを足止めし呪文を唱える時間を稼ぐ必要がある。伊丹一人じゃどうしようもない。
相変わらず、盗賊が付いて来る。俺は無視してバジリスクを仕留める方法を考える。
「タスケテ!」
―――バジリスクを足止めする方法は?
「助けてくれ!」
―――俺の魔法で使えるものはないか。
「お願いだ、助けてくれ!」
―――そうだ。『時空結界術の神紋』の<圧縮結界>が使えないだろうか。<圧縮結界>は結界で包み込んだ物体を空間ごと圧縮する応用魔法だ。アイテムボックスの代わりに使えないかと調べてみたが、制限がキツ過ぎて駄目だった。空間を圧縮する時の魔力量の多さ、維持用の魔力が必要な事が原因である。
「おい、助けてくれよ」
―――だが、魔力を大量に使えば圧縮率は素晴らしい。最高で一万分の一まで圧縮可能だ。これを使えば……
「おい、お前ら助けてくれと言っているのが分かんねえのか!」
俺は地面に落ちていた小石を拾うと盗賊に投げ付けた。盗賊に向けて二つの小石が飛び、一つは腹、一つは足に当たった。
伊丹も同時に小石を投げたようだ。盗賊は転んだが、すぐさま起き上がり悲鳴を上げながら逃走を開始する。
「チッ、頑丈な奴だ」
俺は
「伊丹さん、もう一度岩場に戻りましょう」
「御意」
俺たちは岩場に戻り、軽乗用車ほどの岩を捜し出す。精神内に存在する<圧縮結界>のトリガーを引き、その岩を圧縮結界で包み千分の一に圧縮する。それは一瞬の事だった。
大きな岩が瞬く間に片手で持てるほどの大きさに縮む。俺はその岩を拾い上げる。<圧縮結界>の不思議な事は、重量まで圧縮率に比例して軽減される事だ。
バジリスクは盗賊を追って常世の森を追い掛け回していた。何故か知らないが、盗賊の首領は俺たちを探して追い掛けて来る。
投石で少しだけ距離が離れたので、
俺たちは全力で盗賊のアジトへと走りだす。木々の間を走り抜け、あの坑道への入り口を見付けた。岩山の裾野に開いた幅三メートル、高さ三メートルほどの穴に扉の残骸が残っていた。
俺たちは穴に飛び込む。入り口から少し奥へ入った場所に圧縮した岩を置き、バジリスクが来るのを待つ。程なく盗賊が坑道へと走り込んで来た。盗賊はアジトに入ると力尽きたように倒れた。
「ギィオオオオオーーーー!」
バジリスクの咆哮が坑道の外で響き渡り、入口付近で扉の残骸が吹き飛ぶ。入り口からバジリスクの顔がにゅ~と現れ、倒れている盗賊を咥え込もうと首を伸ばす。
「ひぇぇぇぇ~」
盗賊が這いずるようにして坑道の奥へ逃げる。それを追ってバジリスクが坑道の中へ頭と身体を押し込み、足を使わず蛇のようにズリズリと這い寄って来る。
バジリスクが俺の置いた岩を乗り越え坑道の奥へと進んだ時、圧縮解除の引き金を引いた。瞬時に岩が軽乗用車並の大きさへと戻り、バジリスクの胸を押上げ坑道の天井へ縫い付ける。
バジリスクの悲鳴が初めて発せられた。化け物が全力で身体をバタつかせ坑道から
「ミコト殿、さすがでござる」
「ふう、上手くいって良かった。地の利をこんな形で活かせるチャンスは滅多にないよ。だが、油断は禁物だ。奴にはあれが有る」
「承知」
這いずりながら逃げようとしていた盗賊が立ち上がり、変な笑い声を上げた。
「ゲハッヘヘヘ、ザマアねえぜ。このクソ化け物が」
逃げればいいのに、馬鹿な盗賊だ。怒りで見開かれたバジリスクの眼が怪しく輝く。俺と伊丹は坑道に掘られている試掘跡に身を潜ませた。バジリスクの眼に魔力が集まり、それが赤光となって放たれた。
その光を浴びた盗賊が瞬時に硬直しバタリと倒れた。皮膚の色が灰色へと変わり痙攣していた身体が静かになった。
「伊丹さん、よろしく」
「お任せあれ」
俺は精神を集中し全身から魔力を掻き集め始めた。俺たちの姿に気付いたバジリスクが再び眼に魔力を集め始める。そこに伊丹の<
バジリスクが悲鳴を上げ眼に集まっていた魔力が霧散する。
必要な魔力が集まり<
直径一メートルの渦水刃が形成され、そこに魔力を追加する。渦水刃の回転が音速を超える。チャンスが訪れた。バジリスクが大口を開け咆哮を放とうとした瞬間、渦水刃を奴の口に放り込む。
渦水刃は内側から喉を突き破って外に飛び出す。首から大量の紫色の血が吹き出した。バジリスクが狂った様に暴れ出す。
今回の<
魔力量から考えると攻撃は後一回が最後となるだろう。それが駄目なら逃げるしかない。もう一度精神を集中し<
紫の血がバジリスクの身体から吸い出され渦を形成する。渦は速度を上げ音速を超えた時点で真紅の光を放ち始めた。
真紅の光を放ち始めた時から渦水刃の制御が難しくなった。高速で回転する紫の血が暴れ拡散しようとする。必死で制御しようとするが、どんどん制御が難しくなる。
今回だけどうして? 違うのはバジリスクの血を使っている事だけだ。この血が俺の魔力に干渉しているのだろうか。
制御出来なくなった渦水刃をバジリスクの頭に放り投げた。
「失敗した。逃げよう!」
俺は伊丹に告げ、奥へと逃げ出した。その時、バジリスクの断末魔の叫びが響き渡る。振り返ると真紅に輝く渦水刃がバジリスクの頭部を貫き地面に沈み込もうとしていた。
狂った様に暴れていたバジリスクの身体から力が抜け落ち、呻き声のような音を立ててから静かになった。
渦水刃の制御を失敗したはずなのに、威力は先程の渦水刃を上回っていたようだ。……不思議だ。
次の瞬間、バジリスクから濃厚な魔粒子が放たれ始める。坑道という狭い空間に濃密な魔粒子が充満し、それが俺たちを包み込む。始めはいつもの通り身体が熱くなる感じがしていただけだったが、それが溶鉱炉に放り込まれたかのような熱に変わる。
全身を焼き尽くすような苦痛が俺たちを襲い、地獄のような苦しみを味わう。
熱い、呼吸が出来ない。苦しい……。
その苦痛が続いたのは実質一〇分程度だったが、俺たちには何時間にも思えた。苦痛が去り、普通に呼吸が出来るようになった時、俺たちの筋肉細胞の多くが魔導細胞に変異したようだ。
後で調べると魔力袋の神紋レベルが4から6へ急上昇していた。
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