第60話 大鬼蜘蛛

 迷宮都市クラウザのハンターギルド規模は、王都に次ぐ二番目になる。そのハンターギルドのギルド支部長ともなると要職である。


 迷宮都市で五本の指に入る権力者なのだが、現役支部長であるアルフォス・ジョゼフは、自分が何の権力もない小間使いになったような気分を味わっていた。


 アルフォスは身長一八五センチの鍛え上げた身体を椅子に深く沈めていた。六割ほど白髪の方が多くなった髪の下にある顔は、悪魔に終焉を告げられた預言者のような苦悩が浮かんでいる。


 アルフォスが居るのは、ハンターギルドの二階奥に在る執務室である。重厚な執務机の前には座り心地の良さそうなソファーが有り、そこに苦悩の原因である人物が座っていた。


「ダルバル様、それは真なのですか?」

「お主に嘘を言ってどうなる」

 ダルバルと呼ばれた初老の男は、この迷宮都市の太守であるシュマルディン王子の母方の祖父であり、実質的な迷宮都市の支配者でもあった。


 その容貌は鋭い青色の眼と高い鼻、長い白髪が特徴で綺麗に切り揃えられた口髭が貴族らしさを強調していた。鮮やかな刺繍をした絹の上着の下には中肉中背の引き締まった身体があり、規律正しい生活を送っているのが判る。


「もう一度言う、王の御下命である。当月中にビショップ級以上の魔物から採取した魔晶管を王宮へ届けよ」


 アルフォスの顔に浮かぶ苦悩が一層深まった。ビショップ級の魔物と言えば、ほとんどが竜種である。それを倒して魔晶管を持って来るように絶対権力者から命じられたのだ。苦悩するなというのが無理というものだ。


「ダルバル様、理由をお尋ねしても宜しいですか?」

 竜種の魔晶管を必要とする事態は限られている。

「モルガート王太子が何者かにより毒を盛られ、生死の境を彷徨っておられる。何としても万能薬の素材となる竜種の魔晶管が必要じゃ」


「な、なんと」

 予想していた中で最悪な状況だった。もし、魔晶管が手に入らず王太子が死んでしまうような事になれば、御下命を果たせなかったアルフォスの命も危ういだろう。


「毒ならば、解毒剤でも良いのでは。それに治癒魔法<対毒治癒ポイズンキュア>では駄目だったのですか?」


「<対毒治癒ポイズンキュア>は効果がなかった。特殊な毒を暗殺者は選んだのだ。それに毒の正体が分からない現状では、汎用の解毒剤しか使えず、毒の効力を抑える事しか出来ぬ」


 暗殺者は何者なのか。王家に連なる者が黒幕という可能性もある。王太子が邪魔だという勢力は、第二王子オラツェルの後援者である財務卿クモリス侯爵の派閥、そして、第三王子シュマルディンの後援者であるダルバルもその一人である。


 だが、ダルバル自身と親族には暗殺者を雇った覚えはない。そうなるとクモリス侯爵が怪しいと思われるが、証拠はなかった。それにクモリス侯爵ほどの人物が、あからさまに暗殺者などを送り込むとは思えない。


「誰が暗殺者などを?」

 アルフォスが呟くように問うと。ダルバルが難しい顔をして応えた。

「さあな。分かっているのは我々ゴゼバル家の者ではないという事だけじゃ」

「毒を盛った者は捕まっていないのですか?」


「近衛隊が暗殺者を探しているが、捕まっては居ないようだ。それより、ビショップ級の魔物を狩れる実力があるハンターは何人ほど居る?」


 ダルバルの質問にアルフォスは声を詰まらせた。ビショップ級の魔物を狩れるハンターとなると、上から四番目である小結4級ランク以上のパーティになる。


 そのような実力者はクラウザ支部でも数えるほどで、アルフォスが知っているだけなら五組のパーティしか居ない。上から三番目である関脇3級ランクのパーティが二組、小結4級ランクのパーティが三組である。

 だが、それらのパーティは迷宮に潜っている場合が多い。何組が街に残って居るか。


「兎も角、ハンターを魔物討伐に向かわせろ。これは王命である」


 アルフォスは直ちに街に残っている高ランクパーティに召集を掛け、ビショップ級の魔物を探し出し魔晶管を採取するように要請した。


 だが、間の悪い事に関脇3級ランクのパーティ二組は、迷宮に潜っており連絡が取れず、魔晶管が手に入る確率が減ってしまう。



   ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 巨大蟹を倒し、その肉をたらふく食べたミコトたちは、甲羅を回収し<水刃アクアブレード>で加工する。足の大きさに合わせて甲羅を切り抜き靴底とし、雑木林に生えている蔓を使ってサンダルを作る。


 遺跡や砂浜なら裸足でも何とか活動可能だが、さすがに森の中を裸足で走破は無理だ。二人分のサンダルを作り上げたミコトは履いてみる。正直履き心地は良くなかった。だが、我慢出来るレベルである。


 海岸沿いに迷宮都市へ向かうのも可能だが、遠回りになりそうだ。なので、常世の森を通り迷宮都市へ進もうと思う。常世の森については、ハンターギルドの資料を読んだ記憶がある。


 常世の森は、常緑広葉樹であるカシやクスノキに似た樹が生い茂る森である。空を覆い尽くすような緑の下は、下草も少なくジメッとした土や岩が苔に覆われている。


 少し寂しい感じの景色だが、見た目に反して生き物の気配は濃い。苔の上を多くのスライムや虫がうごめき、それを餌とする特殊な鳥類が駆け回っている。鋼鉄の胃袋を持ち、スライムの酸など歯牙にも掛けない悪食の鳥達。また、その鳥達の肉を狙う中型の魔物。


 幾種類もの木の実が年間を通して実る森には、樹上で暮らす虫や小動物、鳥も多く、それらを狙うネコ科の魔物も棲家としていた。


 そして、この森の生態系を支配している強者は、ナイト級下位の雷黒猿と大鬼蜘蛛である。

 雷黒猿の好物は樹々に住まう大型の虫であるので、人を襲うことは滅多にない。だが、大鬼蜘蛛は人であろうと獣であろうと、樹上から突然襲い掛かるので警戒が必要だ。


 そんな常世の森を三人の男たちが駈けていた。三人ともすさんだ顔に恐怖の表情を浮かべ、何者からか必死で逃げていた。彼らの背後には体長三メートルほどある大鬼蜘蛛の姿があった。


「クソッ……ハアハア……何で化け物が居る……んだ」

「ゼェゼェ……ここは常世の森だ……居ても不思議じゃ……ねえ」

「……ハアハア、首領ボスはどうしたんだ?」


 ――― 数十分前


 この三人は、常世の森にアジトを持つ盗賊団の一味で、アジトの西側出入り口で見張りをしていた。見張りの盗賊たちは前方から悪食鶏の群れが駆け寄ってくるのを見付け、持っていた弓で矢を放った。


 運が悪い事に、この群れを二匹の大鬼蜘蛛も狙っていたらしい。当然のように大鬼蜘蛛たちは怒り、悪食鶏の群れではなく盗賊たちに襲い掛かった。


 盗賊団のアジトは、遥か昔ミスリル鉱山だった坑道出入り口に簡単な扉を付け、蟻の巣のように伸びた坑道を住めるように工夫したものだ。


 常世の森を西から東に横断するように掘られている坑道で、常世の森の西と東の端に二つの出入口があった。


 西の出入り口を見張っていた盗賊たちは、化け物蜘蛛に襲われパニックに陥り、出入口からアジトに逃げ込んだ。だが、扉を閉めようとする前に大鬼蜘蛛がアジトに侵入する。


「うわーっ! 化け物蜘蛛が……助けてくれ!」

「誰か来てくれ!」

 大声で助けを求めながら三人は東へと逃げた。後ろでは仲間の盗賊たちが悲鳴を上げている。二匹の大鬼蜘蛛は、仲間の助けを求める声に集まった盗賊たちに襲い掛かったのだ。


 大鬼蜘蛛の一匹だけは執拗に三人を追って来た。暗い坑道の中には幾つかの照明魔道具があり、それらの明かりを頼りに東へと逃げ、東側の出入口から外へと逃げ出した。


 必死に逃げている間に弓矢は消え失せ身軽な格好になっていた。かなり遠くであるが、後方から大型の魔物が追ってくる気配がしている。


「ゼェゼェ……このままじゃ……追い付かれる」

「……ん、人だ」

 前方に在る大木の陰から、二人の奇妙な格好をした男たちが姿を現した。手に槍らしきものを持っているが、何の防具も身に着けていない。この危険な森では考えられない格好だ。


「おい、奴らに擦り付けるぞ」

 盗賊たちは奇妙な格好の二人の方へと駆ける。


「どうした。何かに追われているのか?」

 奇妙な格好の若い方が盗賊たちに声を掛けた。

「ハアハア……何でもない。急いでいるだけだ」

 盗賊たちは二人の横を擦り抜け、樹林の中へと消えていった。



「ミコト殿、あやつらは何だったのでござろう」

「ん……まさか」

 ミコトは急いで<魔力感知>を発動する。急激に広がる『感知の風』が大型の魔物を捉える。


「やっぱりだ。大型の魔物を感知」

「まずいでござるな。今の装備で大型の魔物は……」

「逃げるぞ!」

 回れ右をした俺と伊丹は、全力で駆け出す。


 追い付かれる。どうしたら……必死で考えた。どうやったら、この危機を乗り切れるか。俺は藁をもすがる気持ちで<旋風鞭トルネードウイップ>を発動し、渦巻く空気の鞭を八メートルほど後方の大鬼蜘蛛へと伸ばす。


 鞭の先端には圧縮された空気が円錐を形成する。それが大鬼蜘蛛の頭に命中した。だが、短い剛毛の生えた大鬼蜘蛛の外殻は、旋風鞭をなんなく跳ね返す。

「駄目か……」


 俺の身長より倍くらい大きな蜘蛛が後ろに迫っている。木の枝をホーンスピアで払い、岩を飛び越え懸命に走るが、追い付かれそうだ。一、二歩くらいなら躯豪術の力も借りて走れるが、さすがに長い距離を躯豪術を使ったまま走るのは難しい。


 こういう時は『躯力強化くりょくきょうかの神紋』が欲しくなる。躯豪術も数年修業すれば、短時間なら走れるようになりそうだが……そう考えている間に大鬼蜘蛛に追い付かれた。


「ミコト殿、<渦水刃ボルテックスブレード>は?」

「スマン……魔力が回復していない。もう少し休んでから森に入るべきだった」


 巨大蟹との戦いにおいて、実戦で初めて<渦水刃ボルテックスブレード>を使った。思わず魔力全開で発動してしまったが、魔力の八割ほどを消費し直径八〇センチほどの大きさにしかならなかった。


 巨大蟹を仕留めるには十分な大きさだが、それほどの魔力を使えば、本来二メートルを超える渦水刃を形成出来たはずなのだ。結果として、かなりの魔力をロスし、未だに回復していない。まだまだ訓練が必要なようだ。


 ギルドの資料から大鬼蜘蛛について少し知識を仕入れている。通常の蜘蛛と同様に腹部に有る出糸突起から粘着性の有る糸を飛ばし獲物を絡めとり捕食する。その他に体表を覆う短い剛毛を毛針として飛ばし敵を攻撃する事も知られていた。


 二人同時に振り向いてホーンスピアを突き出した。大鬼蜘蛛には四つの目があり、そこを狙って突きを放ったのだが、前足の一振りで防がれた。


 俺は複雑なステップを踏みながら高速移動し腹と胸の接合部分にホーンスピアを叩き付けた。ジーンと痺れるような手応えで撥ね返される。


 伊丹がもう一度眼を狙って槍を放つ。蜘蛛が槍を躱し、体毛の一部を伊丹に向けて飛ばす。


「あっ!」

 何の防具も着けていない伊丹は、その攻撃を防ぎきれなかった。伊丹の脇腹に毛針が突き立っていた。一筋の血が足を伝い地面へと流れ落ちる。


 その毛針がただの針なら、伊丹の治癒魔法で即座に回復していただろう。だが、その毛針には麻痺毒が含まれており、伊丹の身体から力が抜け落ちる。一呼吸後に伊丹は地面に倒れ伏した。


「伊丹さん!」

 俺は伊丹の下に駆け寄り大鬼蜘蛛から助け出そうと抱き起こす。明らかに無謀な行動だった。大鬼蜘蛛は腹部から糸を吐き出し俺と伊丹の体を絡め取る。粘着性の有る白い糸が俺たちの身体に巻き付き数秒でぐるぐる巻にしてしまった。


 ―――クソッ、しくじった。


 俺は蜘蛛の糸を引き千切ろうと暴れたが、蜘蛛の糸はワイヤー並みの強度を持っていた。

 大鬼蜘蛛の足で乱暴に扱われたミコトと伊丹は気を失い、蜘蛛の顎門に咥えられたまま森の奥へと運ばれていった。


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