第46話 第五階層の攻略

 俺たちの前に現れたのは歩兵蟻ではなかった。本来、この階層に居るはずのない魔物、歩兵蟻の五割増しの体格に焦げ茶色の外殻を纏う軍曹蟻だった。


『ギチッギッギチッ』

 兇悪な顎を威嚇するように鳴らしながら、体長三メートルの巨大蟻が迫って来る。幸いな事にトンネルの幅が狭いので一匹ずつしか通れないようだ。


「皆!……戦うぞ!」

 俺はリュックを放り投げ、ホーングレイブをミリアに投げる。

「用心の為だ。そいつでルキを守れ」


 ミリアが不安そうな顔をしながらホーングレイブを受け取った。薫がミリアとルキを守るように二人の前に移動し魔法使いの杖を構える。俺と伊丹さんは敵の前に出て、竜爪鉈と虹色の剣を蟻に向ける。

「伊丹さん、まずは足を潰そう」

「承知した」


 何の予備動作もなく、軍曹蟻の顎門あぎとが俺の胴を噛み切ろうとする。不意打ちに驚いた俺は、力任せに竜爪鉈を奴の頭に叩き付け、同時に後ろへ跳ぶ。


 ガチッと音がして竜爪鉈が外殻に撥ね返された。辛くも兇悪な顎門あぎとからは逃げられたが、鉄のかたまりを叩いたような手応えに手が痺れる。お返しとばかりに、伊丹さんが蟻の前足に斬撃を叩き込む。剣は正確に関節を切り裂いたが、角度が悪く切断するほどの威力はなかった。


「やはり、切り飛ばすには躯豪術が必要か」

 伊丹は躯豪術を習得しているが、習熟してはいない。瞬時に発動出来るほどではなく、一瞬の溜めが必要なようだ。その一瞬が勝負を分ける事を知っている伊丹は顔を歪めた。


「ミコト殿に教えを請いながら修業するほかあるまい」

 伊丹は呟きながらも蟻を睨み付け、僅かな隙も見逃さないように集中力を高める。


 蟻が俺たちの後ろに回り込もうとトンネルの壁に足を掛け斜めになりながら強行突破を仕掛ける。

「させるか!」

 俺の竜爪鉈と伊丹さんの剣がオレンジ色に輝き蟻の足を薙ぎ払う。二本の足が蟻の胴体から切り離された。蟻はバランスを崩し腹側を上に向け倒れる。


 チャンスだ。ここで仕留めておかないと後ろの軍曹蟻が来る。躯豪術を駆使して首を狙い易い位置に跳び、魔力を込めた竜爪鉈を振り下ろす。一方、伊丹は胸と腹の接合部分に突きを入れ、刀身の先を減り込ませていた。


 一匹目は死んではいないが、時間の問題だろう。後ろの軍曹蟻が藻掻き苦しんでいる仲間を弾き飛ばしながら前に出て来る。後ろで、薫が呪文を詠唱しているのが聞こえて来る。


「ファルゲン・トルモリア・キヴァネス……<豪風刃ゲールブレード>」

 特大の空気の刃が形成され、小さな衝撃波を生みながら軍曹蟻の頭部に命中した。<風刃ブリーズブレード>の数倍の威力を持つ魔法だったが、蟻の外殻は傷付きながらも豪風刃を跳ね返した。

 けれど、薫の魔法攻撃は無駄ではなかった。蟻の触覚を切り飛ばし、脳震盪のような症状を引き起こさせた。


 この隙を見逃すようなミコトと伊丹ではない。二人は左右に別れ、ほとんど同時に蟻の首に斬撃を叩き込む。オレンジ色に輝く竜爪鉈が首の左半分を、同じくオレンジ色に輝く剣が右半分を断ち切る。一度だけ兇悪な顎門が噛み合った後、軍曹蟻の頭が地面へ落ちた。


 数秒後、蟻の身体が地面に倒れ伏す。俺は一匹目の軍曹蟻に近付き止めを刺す。濃厚な魔粒子が放出を開始する。俺たちは魔粒子のシャワーを浴びながら勝利を噛み締めた。


 少し休憩してから剥ぎ取りを開始した。魔晶管は五〇〇ミリリットルのペットボトルほどの大きさが有った。そして、一匹目の軍曹蟻から魔晶玉が見つかった。


 これだけで金貨十数枚の価値がある。他にも外殻の質の良い部分だけを切り取り持って帰る事にする。全部持ち帰りたかったが、さすがに無理だった。


 俺たちが出発しようとした時、

「お前ら大したものだな」

 トンネルの中に男の声が響いた。

「何者だ!」


 トンネルの先から四人の男女が現れた。中の一人に見覚えが有った。ハンターギルドで出会ったモリスという男だ。四人共凄腕のハンターらしく、身体から強者特有のオーラを放っている。もちろん、装備している鎧や武器は、俺たちでは買えないような高価な物だ。


「『くれない同盟』のモリスだ。覚えてないか?」

「覚えています。『宝珠の間』について教えてくれた……でも、あなたはもうすぐ前頭5級ランクになると聞いています。何故、この迷宮に?」


 迷宮で魔物と戦う者を総称して探索者と呼ぶ。探索者の中には、傭兵ギルドの者や兵士、騎士などもいるので、探索者イコールハンターではない。しかし、モリスは凄腕のハンターだ。この階層で出会でくわすような人物ではない。


 この迷宮は別名『初級者の迷宮』と呼ばれる事で分かるように、迷宮探査を始めたばかりの未熟な探索者が挑戦する場所なのだ。モリスたちほどのベテランなら『魔導迷宮』や『迷宮帝国』に潜るのが普通だ。


「迷宮ギルドのマスターに第五階層の調査を頼まれたのさ」

 俺は軍曹蟻の死骸を見た。こいつらが関係しているのだろうか。

「もしかして軍曹蟻ですか?」


「正解、居るはずのない魔物が出没したと報告が有ったんで、調査及び討伐に来た訳さ」

 モリスの仲間らしい魔導師の女性が口を挟む。


「私たちはこの階層の全域を探査して二十匹ほどを発見したわ。そして、今は討伐の途中だったのよ」

 歳は三十代前半だろうか。妖艶な魅力を持つ美人魔導師だ。


「お前らのお陰で討伐が完了したぜ。ありがとよ」

 巨大な盾と戦斧を持つドワーフのような戦士から礼を言われた。この軍曹蟻たちで最後だったらしい。


 俺は全然気付かなかったが、モリスたちはかなり前から見ていたようだ。

「何時から見ていたんです?」

「お前らが戦い始めて直ぐくらいかな。お陰で面白いものが見れたぜ」

 この先輩たちにとって軍曹蟻など物の数ではないようだ。


「モリスさん、任務完了なら後は帰るだけですよね。御一緒しても良いですか」

 ダメモトで聞いてみた。正直、この迷路のようなトンネルを一つ一つ確かめながら出口を探すのは勘弁して欲しい。この先輩たちなら正確な帰り道を知っているはずだ。


 モリスがニヤリと笑った。その笑顔は精悍な野生児と言う感じの彼をいたずら小僧のように見せる。

「いいぜ、お前らが付いて来れたらな」

「どういう意味です?」


 モリスが、あの大きな空間が広がるトンネルの行き止まりまで進み、すり鉢状になった空間を見下ろしながら、反対側を指差した。目を凝らして指差された方向を見ると、黒い穴のような物が見える。


「何ですかあれは?」

「お前らが探している出口って奴さ」

「えっ!」 

 後ろで俺とモリスの会話を聞いていた薫が、驚きの声を上げた。驚いたのは薫だけではない。俺も驚いたし、伊丹さんもミリアたちも驚いている。


 無理もない。第五階層を攻略するには、下にいる数十匹の歩兵蟻を突破して出口に辿り着かなければならないと知ったのだから。


三段目8級ハンターには無理です。ここは『初級者の迷宮』じゃなかったんですか」

 またもモリスがニヤリと笑う。ちょっとムッと来る。無理だろうけど、ど突きたい。


「そう言う初級者は、トンネルを彷徨さまよいながら、少しでも出口に近い穴を見付け、そこから出口に駆け込むのさ。周りの急斜面を見てみろ、そこら中に穴が空いてるだろ。あの穴は全部トンネルに繋がっている」

 見回すと、急斜面には無数の穴が空いており、それが出口の真上まで続いている。


 モリスが仲間たちに眼で合図する。

「よし、俺たちがお手本を見せてやるからな」

 そう言うと、穴から斜面へと躍り出る。その後を彼の仲間たちが追う。モリスたちは両足でブレーキを掛けながら斜面を滑り降りていく。相当な身体能力が無ければ、転がり落ちてしまう処だ。


 一人の落伍者もなく急斜面の終端に辿り着いたモリスたちは、出口目掛けて駆け出した。途中で襲って来る歩兵蟻は、モリスたちに瞬殺される。


 モリスの魔導剣が雷光を放ちながら振り下ろされると歩兵蟻の頭が真っ二つになり、斧戦士が巨大な戦斧の一撃で歩兵蟻を断ち割る。攻撃ばかりでなく、防御も鮮やかだった。


 モリスは歩兵蟻の攻撃を予想しているかのように軽やかな動きで躱しかすり傷一つ負わない。そして、圧巻だったのは、あの美人魔導師である。彼女が放つ魔法は幾筋もの雷電を召喚し歩兵蟻を薙ぎ払った。ただ、最後の一人は治療士だったらしく、あまり活躍していない。


 あっと言う間に、モリスたちは出口に辿り着いた。彼らが通った後には、十数匹の蟻の死骸が残されている。そして、仲間を殺された蟻は、以前にもまして攻撃的になり、敵を探すような動きを見せ始めた。


 俺たちは凍りついたように残された蟻の死骸を見ていた。そして数分後。

「ねえ、カオルお姉ちゃんも、あのきれいな魔法をちゅかえるの?」

 ルキの無邪気な質問に薫は力なく首を振る。ルキが残念そうな顔をする。


「ご、御免なさいでしゅ」

 ミリアが慌てた様子で謝る。薫がもう一度首を振り、

「謝る必要は無いのよ。それより、どうするの?」

 薫が俺に尋ねる。答えは決まっていた。

「俺たちに、モリスさんたちの真似は無理だ。地道に行こう」


 伊丹が暗い表情で頷いた。俺たちはかなり戦えるようになったと自信を持ち始めていた。だが、この世界の実力者をの当たりにして、その自信も揺らぐ。


 実際、ルーク級中位の軍曹蟻でさえ一匹ずつなら倒せる実力は有るのだ。但し、ルーク級下位の歩兵蟻でも集団で襲い掛かられるとられる。

 眼下に群がっている歩兵蟻の集団を突破するには、一人で軍曹蟻を瞬殺するぐらいの技量が必要だろう。


 俺たちは軍曹蟻と戦った場所まで戻った。

「げっ、死骸が地面に食われている」

 軍曹蟻の死骸が半分ほど、迷宮の地面に吸い込まれていた。倒した魔物の死骸は他の魔物に食われると思っていたが、実際は迷宮に食われるらしい。迷宮は謎に満ちている。いつか解明される日が来るのだろうか。


 その後、俺たちは時々歩兵蟻と戦いながら五時間ほどトンネルを彷徨い、出口近くの穴に辿り着いた。そして、ルキを俺が荷物ごと背負い、他の荷物は各自が分担して背負った後、急斜面にしがみ付くようにして底まで下り、後は出口までダッシュした。


 途中、二匹の歩兵蟻に邪魔されたが、何とか躱して出口に辿り着いた。

「ハアハアハッ……皆、大丈夫か?」

 ルキを除く全員が肩で息をしている。特に薫とミリアは限界まで力を出し切ったようで、地面に倒れている。傷物の革鎧が入った袋もしっかりと持って来ているミリアはさすがと言うしかない。


 俺の背中から降りたルキが、トコトコとミリアに歩み寄り心配そうに顔を覗き込む。

「お姉ちゃん、らいじょうぶ?」

「ハアハア……し、心配無いでしゅ」

 少し休んでから階段を降りた。


 第六階層は、ギルドの資料通り森林地帯だった。縦横五キロメートルの広大な空間に樹々が生い茂り、樹海と同じ空気のにおいがした。俺は迷宮カードを取り出し確認する。


【迷宮カード】

 ミコト・キジマ 迷宮ギルド・クラウザ支部所属

 迷宮レベル:5

 <迷宮1>勇者の迷宮 : 到達階層 6

 <迷宮2>魔導迷宮  : 到達階層 0

 <迷宮3>迷宮帝国  : 到達階層 0

 <特記事項>特に無し


 俺が迷宮カードを取り出したのを見て、薫と伊丹が確認している。俺と内容は同じだろう。周りを見回すと降りて来た階段の横に同じような階段が有った。その階段が地上へと続く階段で間違いない。

「今回はここで終了だ。戻るとしよう」

 俺たちは地上へと向かった。


 地上に戻ると日が傾いていた。ルキは途中でダウンしたので俺が背負っている。疲れた足を引きずりながら乗合馬車に乗りギルド前で降りる。馬車の中で少し休めたので体力がちょっとだけ戻った。


 迷宮ギルドに入り、ミリアとルキを待合所に残して、受付カウンターに向かう。カウンターはかなり混んでいた。この時間に帰ってくる者が多いのだろう。並んでいる列の最後尾に並び。順番が来るのを待つ。


 やっと順番が来たので報告をして、買取カウンターで魔法使いの杖と軍曹蟻の外殻以外の素材を売る。合計で金貨二十八枚と銀貨三枚になった。銀スライムと軍曹蟻の魔晶玉が高額で買い取られたようだ。


 待合所に戻り、ミリアに金貨一枚と銀貨九枚を渡す。銅貨の計算まですると面倒なので切り上げて銀貨一枚を加算している。


「こんなたくさん貰って宜しいのでしゅか」

「本当なら、魔法使いの杖の分も渡さなきゃならないんだ。遠慮せずに貰っていいよ」

 ミリアが涙ぐんでいる。今までの生涯で最高の収入だったのだろう。

「でも、何か怖いでしゅ」


 持ち慣れない大金を持つと不安になるものだ。ましてミリアたちが住むのは、治安の悪い貧民街である。俺は考えた末、迷宮ギルドの貸金庫を二つ借りる契約をした。


 一年契約で銀貨一枚、サイズは二リットルのペットボトルが二本入る大きさだ。鍵を二つ貰い一つはミリアに渡す。

「失くすなよ」


 ミリアは貸金庫に金貨と銀貨を仕舞うと安心したように笑顔になった。俺も巾着袋に入れておくには重くなったので、貸金庫に金貨四十枚を預け、皆が待っている待合所へ戻った。ちなみに巾着袋に残っている金貨の枚数は十八枚である。


 薫たちと話し合い、明日は休養日とする事に決まった。


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