第32話 案内人の誕生
転移門が初めて起動した日、世界各地で混乱が起こった。目の前で異変が起き、人が服や持ち物を残して消えてしまったのだ。騒ぎにならないはずがなかった。
最初はネット上で騒ぎが広がり、行方不明となった人々の親族が警察に訴えた事により、マスコミが騒ぎ始めた。テレビ局も不思議な消え方をした人々を調べ始め、全国の数十箇所で同じように人が消えたと判明した後、大々的なニュースとして取り上げた。
更に世界各地で同じように人が消えていると判り、各国政府も動き始める。最初にアメリカが本格的に調査を始めた。その数日後、イタリア北部の町で消えた人間が下着姿で戻って来た。
イタリア警察は戻って来た者を取り調べ、地球とは異なる世界に行っていたという証言を得た。この証言は初め信用されなかった。
だが、二人目、三人目と異世界から戻って来る人々が増えるに従い、その証言が真実味を帯びてくる。日本でも十三日後に一人の男性が異世界から戻って来た。彼は世界で初めて異世界の生物を伴って、こちら側に戻った。二〇センチほどもある足切りバッタの群れである。
彼が現れた場所は商売を再開したばかりのコンビニの中だった。足切りバッタに追われながら日本に戻った彼は気を失い倒れた。
その後、コンビニの中で足切りバッタが大暴れした。コンビニの客と店員が襲われ、その場が地獄に変わった。警官がコンビニに到着した時、周りに野次馬が集まりガヤガヤと言いながら店の中を覗き込んでいた。
警官が中に入ると、足切りバッタはコンビニの中で飛び回り、顔や手足を噛み切られた店員はレジの後ろに座り込んで震えていた。
「何だ、こいつらは?」
駆け付けた警官は特殊警棒で足切りバッタを撃退しながら負傷している店員や下着姿の男をコンビニから担ぎ出した。
血だらけの男がコンビニの外で目覚めブツブツと呟き始める。
「二つの月……化け物……」
このコンビニで異世界生物を手に入れた日本政府は、遺伝子レベルで徹底的に調査を行い、この生物が地球のものではないという結論を得た。
日本は調査した結果を各国政府に通達した。
それを受け、各国政府は異世界が本当にあるらしいと考え行く方法を模索した。その結果、異世界からの帰還者が異世界に行く為の鍵になると突き止めた。
まず最初にアメリカが軍人を異世界に送り込み異世界の存在を確認した。この事実は世界を震撼させる。各国政府は異世界と行き来出来るポイントを『転移門』と呼び、転移門を管理する組織を立ち上げた。
本来の転移門と呼ぶべき装置は異世界側に有るのだが、この時点では判明していなかった。日本も転移門を管理する組織JTGを立ち上げ、自衛隊と協力しながら転移門が現れる場所を封鎖し、管理するようになった。
世界各国の転移門管理組織は転移門だけを管理するだけでは駄目だとすぐに気付き、異世界からの帰還者も確保し管理するようになる。
異世界の調査が進むに連れ異世界情報も一般社会に漏れるようになった。そうなると民間からも異世界を調査したいという声が上がる。
最初は発展途上国や小国が案内人の仕事を始めた。それが先進国や大国の間にも広まり、日本も案内人という職業を認め、JTGに管理させるようになった。
この初期の段階で、
「東條管理官、Jb2転移門から帰還者が現れました」
「何っ、身元は判っているのか?」
「身元はまだですが、高校生くらいの少年だと連絡が有ります」
東條は急いでファイルを取り出し、該当する転移門から行方不明となった人物を探した。
「これか……鬼島実言。中学を卒業したばかりの少年か。案内人にするには難しいかもしれんな。だが、上からは案内人を増やせと言われているし、確かめてみるか」
東條は帰還者が発見された場所へ急行した。転移門が出現した場所は自衛官により封鎖されており、東條が近付くと自衛官が制止した。
「JTGの東條だ。帰還者が現れたそうだが、その場に居た自衛官の話を聞きたい」
東條が待っていると一人の自衛官が出て来た。
「今日は君が警備をしていたのか?」
「そうであります」
「時系列に沿って状況を説明してくれ」
自衛官の説明によれば、最初は窓や照明が揺れ始めたので地震かと思ったそうだ。だが、転移門の出現場所が光り始め魔法陣のようなものが浮かび上がった。
自衛官たちは警戒し銃を転移門の方向に向けた時、転移門から変なウサギが飛び出して来たらしい。
「そのウサギはどうした?」
「手子摺りましたが、捕獲し異世界生物研究所に送りました」
異世界生物研究所とは奥多摩に新しく設けられた研究所で、名前通り異世界から転移して来た生物の研究をしている。
「それで少年は?」
少年が血だらけの姿で現れたと聞き、東條は眉をひそめる。異世界で何があったのだろうか。状況を聞き終えた東條は少年が運び込まれた病院へ向かった。
病院に到着し、少年を治療したという医師に話を聞いた。
「その少年の怪我の具合は?」
「肩の傷が一番の重傷でした。ただ……」
その医師は首を傾げ言い淀んだ。
「何か有ったのですか?」
「ええ、肩の傷なのですが、信じられない早さで傷口が閉じ回復してしまったのです」
「ほう、面白い」
「面白いじゃ済まされませんよ。私が見ている間に傷口が塞がり治っていくんですよ」
その医師はだいぶ興奮しているようだった。
「他に何か有りますか?」
「あの少年はかなり危険な環境に居たようです。身体中に大小様々な傷跡が残っていました」
「どんな傷です?」
「刃物のようなもので切られた傷や鋭利なもので突かれた傷、それに何か獣に噛まれたような傷も有りました」
異世界には魔物が居ると聞いていた。少年は魔物と戦ったのかもしれない。
東條は少年が休んでいる病室まで行き、その寝顔を観察した。
少年の顔は実際の歳より年上に見えた。少年が経験した苦難が顔に刻まれているのかもしれない。
少年は一日眠り続け翌日に目を覚ました。それは東條が少年の様子を伺っている時の事だ。
「ウッ……ウワッ」
少年は呻くように叫ぶと上半身をバッと起こし、鋭い視線で周りを見回した。
「%#&#@……」
「エッ、何だって」
少年は知らない言語で声を上げ、東條は日本語で話し掛けた。少年は少し混乱しているようだ。
「……ここは何処?」
「ここは病院だ。もう心配ないぞ」
東條の言葉を聞いて安心したようだった。
「俺は戻って来れたんだ……」
少年は目に涙を浮かべている。日本に戻って来れたのが嬉しいのだろう。
「君の名前を教えてくれるか?」
「鬼島実言です」
「やっぱり、君は異世界に行っていた。それで間違いないね?」
「ええ、そうです。何で異世界の事を知っている?」
「異世界から帰って来たのは、君が初めてじゃないんだ」
東條は世界各地で転移門の起動に巻き込まれた人々が行方不明となり、その中の一部が帰って来たと教えた。
「ところで、君と一緒に行方不明となった三上さんはどうなったか、知っているかね?」
少年は何か思い出し顔を顰めた。
「あの人は死にました。何か魔物に殺られたんだと思う」
「……そうか」
その頃になって少年が目を覚ましたのに気付いた医師が近付き診察を始めた。
東條は一旦JTG支部に戻ると報告書を作成し本部に送った。少年は完全に回復するのを待ってから、本部に所属する研究所に送られ人間ドックより詳しい検査や体力測定などが行われるようだ。
数日後、少年の体力測定の結果が東條の下に届いた。
「何だと……握力九八キロ、背筋が三〇四キロ」
外見からかけ離れた数字が体力測定の結果として並んでいた。東條は魔導細胞の存在を知っていたが、これほどのものだとは思っていなかった。
どうやって魔導細胞を手に入れたのか、詳しい情報を聞き出さねばならない。
翌日、研究所へ行くと少年は不満そうな顔で採血されていた。
「元気になったようだな」
「血を抜かれ過ぎて病気になりそうです」
体力測定の数字を見た研究員がもう一度検査をやり直しているらしい。
「体力測定で張り切り過ぎたからだよ。研究員が君に関心を持ったようだ。……さて、君は神紋を持っているようだね?」
「ええ、『魔力袋の神紋』を授かりました」
この頃は神紋に関してあまり情報がなく、日本政府は情報を求めていた。神紋を得るまでの状況と神紋について聞き出さねばならない。
「転移門で転移してからの状況を話して欲しい」
東條は鬼島実言が異世界に転移した時からの状況を聞いた。
「魔導寺院という施設で、神紋を授かったのか。そこには他にどんな神紋が有った?」
神紋の種類を聞き出しメモした。
東條は鬼島少年が帰還するまでのあらましを聞いたが、所々に抜けている箇所が有るのに気付いた。喋りたくない事も有るのだろうと察し、話す気になるまで待つ事にした。
待つと決断したのは失敗だったと分かった時、何故あの時に言わなかったのだと問い詰めると、
「太陽が眩しかったから」
と東條のピカリと輝く頭を見ながら言うので、思わずどつく事になる。
この少年が部下になり一筋縄ではいかない奴だと判った時には遅かった。その頃には図太い神経を持つ案内人に成長していたからだ。
取り敢えず情報を得た東條は、鬼島少年を案内人としてJTGに入れなくてはならないと考えるようになっていた。
そう考えるようになった理由の一つは、魔道具を使って異世界の共通語であるミトア語を完全に習得していた事である。この頃にミトア語を習得している者は少なく、言語学者が言語ライブラリを作成している段階だった。
鬼島少年に手伝わせれば言語ライブラリの作成も大いに捗るだろう。
そして、案内人にしたいと考えた最大の理由は、日本でチマチマ生きるより未知の世界である異世界で活躍した方が成功すると感じたからである。
世界最高レベルの身体能力を持ち、見知らぬ世界に放り込まれ数々の魔物と戦った事により手に入れた強靭な精神を日本のような平和な場所で活かせる機会は少ないだろうと判断したのだ。
東條が案内人になるよう説得すると最初は渋った。
「俺は高校に入学する予定になっていたんですよ」
「それは判っているが、働きながら学ぶというのも可能だぞ。今働いて金を貯めれば大学にだって行けるかもしれない」
「でも、俺に依頼人の世話なんか出来るかな」
「大丈夫だ。案内人になると決まれば、研修を受けて貰い教えるから」
東條は時間を掛け説得した。
最後に、案内人になれば異世界と日本を自由に行き来して仕事をする事になると言うと異世界に未練を残しているらしい鬼島少年は承知した。
この少年にとって、異世界は余程魅力のある場所だったらしく、また異世界に行けると聞くと顔を綻ばせ笑顔となった。
東條は満足し、鬼島実言を正式な案内人とする契約を交わした。
この瞬間、案内人ミコトが誕生した。
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