第31話 重なる月

 二日目の夜は、鼻が痛い以外何事も無く過ぎた。―――追伸、堅パンと干し肉の食事には飽きた。


 三日目の朝、樹海を吹き抜けた風が洞窟の入口から入り込み身震いするほどの冷気を俺に吹き付ける。完全に目が覚めた俺は、入り口の丸太をどけ外に出た。雲一つない青空が目に入り、眩しさで目を細める。焚き火の傍で寝た所為か喉が渇いていた。水を飲もうと水筒を持ち上げる。


「おっと空か。水を汲みに行かなきゃ」

 洞窟から離れるのに躊躇ためらいは有ったが、こればかりは仕方ない。リュックなどの荷物を持って湧き水が在る北へと歩き出す。すぐに戦争蟻が作った道を見付けそのまま進む。周りを警戒しながら樹々を観察していると所々に実を付けた木が有るのに気付いた。


「こいつは柿じゃないか」

 この世界で一般的に柿と呼ばれている果物を見付けた。日本で食べた柿とは違い紫色をしている果物で、形は真ん丸の野球ボールほど、だが味は柿そのものだ。


 上を見上げていた俺の横を何かが通り過ぎる。その気配に驚き飛び避けてから竜爪鉈を抜く。慌てて確認すると、昨日の出目兎だった。全体的に白いが所々に黒い毛が生えており、背中に星形の模様がある。その星形模様には見覚えがあった。


 そいつは兎のくせに二足歩行でゆっくりと歩き柿の実を見ている。その柿の木は直径六〇センチはある巨木で柿が実っている枝もかなり高い位置にある。物欲しそうに見上げている兎だが、あの高さまで飛び跳ねるのは無理だろう。


 何だか偉そうに前足を組むように胸に当て上を見上げてから、柿の実を目掛けて跳躍する。体長八〇センチほどの兎が二メートルを越えて跳躍する様は驚きである。魔物ではないはずなのだが、異常な跳躍力だ。前足を精一杯伸ばし柿を採ろうとする。もう少しで届かない。何度も跳躍しその度に届かない。


 その姿があまりに一生懸命で、俺の笑いのツボを刺激する。

「ブゥハハハーーーー 無理無理……諦めな」

 笑い声を聞いた兎は、デカイ眼を吊り上げ突き刺すような視線を俺に向ける。そんな兎の怒り顔も笑いのツボを刺激し腹を抱えて笑う。


 昨日あれだけ反省したのに、また油断してしまった。突然、兎が俺に襲い掛かり、俺の身体を駆け登り頭を蹴りつけた。


「アタッ!」

 頭を蹴られて蹲る俺の頭上で、ガサッと音がした。頭に手を当てながら立ち上がり、無礼な兎を探す。背後に居た。しかも前足で紫色の柿を抱え美味しそうに食べている。俺を踏み台にして飛び上がり、柿の実を取ったのだ。


「このデメウサ、何しやがるだ!」

 怒りの声を上げるが、相手の兎は幸せそうに柿を齧っている。一旦は頭に血が上ったが、兎に対して本気に怒るのも馬鹿らしくなった。


「デメウサ、今度蹴りやがったら丸焼きにして食うからな」

 三下ヤクザの捨て台詞ぜりふみたいな事を言いながら、その場を離れた。


「はあっ……朝から疲れた感じがする」

 デメウサを置き去りにし、湧き水の場所まで歩いた。縦横一メートルほどの岩が数個ともう一回り大きな岩がある場所に湧き水は在った。周りは膝まである雑草が生えている。ただ枯れてしまった草も多くスライムが好みそうな場所だ。


「やっぱりか」

 岩陰から緑スライムが出て来る。わらわらと現れる緑スライムをドリルスピア一本で始末した。躯豪術は使わず捻りを加えた突きだけでスライムの魔晶管を正確に貫き倒す。最近は竜爪鉈よりドリルスピアの方が出番が多いようだ。


 緑スライムを駆逐して湧き水を手に掬いゴクゴクと飲み干す。

 美味い、町中の水より樹海の水の方が美味いと感じる。樹海の水の中には魔粒子をたっぷり含んだ水もあり、そういう水は魔法薬を製造するのに欠かせないという。


 水筒に水を汲み周りを見回す。茶色の丸い毛玉が跳ねている。跳兎の姿を確認した俺は、ドリルスピアを構え岩陰に隠れる。幸い気付かれていないようなので、気配を殺しジッと待つ。カサッ……カサッという音が近付き、十分に引き付けたと確信し、岩陰を飛び出しドリルスピアを突き出す。狙い通り跳兎の首を貫き即死させた。


 すぐさま血抜きをし解体する。今使っているナイフは、転移門の洞窟で手に入れたものではない。ドルジ親方から購入したもので剥ぎ取り用ナイフとしては高級な部類に入る。とは言え銀貨一枚のナイフなのだが、切れ味が違う。


 手早く解体した肉は大きな葉っぱで包み持ち易いように紐で縛る。魔晶管はリュックに仕舞い、毛皮を丁寧に処理する。毛皮の内側に付いた脂をナイフでこそぎ取り、湧き水を使って綺麗に洗う。すべての処理が終わるまで三〇分位しか掛かっていない。今や手慣れた作業だ。


 帰り道では食べられる山菜や柿の実を採取し、採取用の丈夫な革袋に入れる。この革袋は双剣鹿の革で作られた丈夫なもので仕留めた魔物の肉や皮、薬草などを入れるのに使っている。


 あの洞窟に到着し転移門をチェックする。何の変化もない。試しに置いている俺のトランクスも転移門の中心に鎮座していた。元の世界から一緒に来た下着なので、もう一度転移門が起動した時に元の世界に戻るかもしれないと思い置いといたものだ。


 陽が高くなり腹も空いたので、軽く塩を振った兎肉を焚き火で焼く。塩味だけでも十分に美味いのだが、偶には甘辛いタレを付けて食べたくなる。この世界には、砂糖は有ったが醤油は存在しない。小麦や大豆に似た穀物は有ったから麹菌さえあれば醤油を作れると思うが、麹菌についての知識がないので無理だ。


 午後は鉈術の奥義修業をして過ごした。躯豪術を駆使し高速で踏み込み、魔力を込めた気合を発し怯む相手に躯豪術を駆使した追撃。この間に五回の魔力制御を連続で行う。連続三回までなら成功しているのだが、四回目の制御を行う時に魔力の方向転換が上手く行かず失敗してしまう。


 制御する間隔が短くなると魔力の流れを速くする必要がある。意志の圧力を強めると速度は上がる事に気付いたのだが、それが難しい。


 攻撃動作を繰り返し失敗した原因を考え、踏み出す足の角度や膝、腰の捻り、肩の動きや竜爪鉈を振り下ろすタイミングや角度、そして一番重要な魔力の流れを制御する感覚を試行錯誤で確かめてゆく。何度目かの試行で連続五回の魔力制御を成功させた。


 この成功を確実なものにする為、一旦休憩し魔力を回復してから修業を続ける。日が傾き始めた頃、コツを掴んだ。魔力に対するイメージの違いで成功率が全く違うのだ。


 今までは魔力を一つの球のようなもので、それが身体のあちこちへ移動するというようなイメージで制御していたのだ。しかし、調息により魔力が蓄積される場所に非常に柔軟で丈夫なゴムの塊みたいな魔力球があり、そこから体の各所に触手のような魔力が伸びるイメージに変えたところ、魔力制御が楽になった。


 魔力の触手は、今のところ一本だけしか制御できない。これが複数制御出来るようになれば、躯豪術は一段上のレベルに進化するだろう。


 夕方、最後の堅パンと跳兎肉と山菜の炒めもの、デザートに柿の実を食べる。直径十五センチほどの小さな鍋を持って来て正解だったと思う。この鍋がなければお湯さえ沸かせなかった。


 食事が終わり、焚き火の前でボーッとする。この日を最後と決めているので何か起きて欲しいのだが、その確率は少ないと思っていた。この世界に転移して一ヶ月とちょっと、その間に二度めの転移門起動が有ったのだろうか?


 何が切っ掛けで転移門が起動するか分からないし、周期的に起動するなら、それが数日なのか数ヶ月なのか分からない。


 洞窟の奥には休止状態になっている転移門、その中央には俺のトランクスが鎮座している。……あのトランクスは回収した方がいいかな。軍人オークたちがゲートマスターと言う言葉を使っていた。初めて転移門を使った者はゲートマスターとして登録されるらしい。即ち俺がゲートマスターだ。


 転移門はゲートマスターが居ないと動かないらしいから、転移門にトランクスだけを置いても意味はなかった事に気付いた。日が落ちて暗くなった洞窟内を奥へと進む。手には蝋燭を持ち、その心細い灯りを頼りに転移門の中心に置かれているトランクスを拾い上げる。


 洞窟の入口の方で何かの気配がした。急いで出口に向かうと、デメウサが柿の実の入った革袋をあさっている。柿の実を二つ抱えてニヤリと笑う。ヤクザスマイルが似合っている。顔さえ見なければ可愛い兎なんだが。


 柿を齧りながら夜空を見上げている。俺もつられて上を見る。周りには焚き火の他は明かりがない。樹海の闇は濃く、時折獣か魔物の叫び声が聞こえる以外シーンとしている。夜空には無数の星が輝き、その瞬きを邪魔するのは二つの月しかない。


 昨日見た月と今夜の月がちょっと違うように感じる。すぐに原因は分かった。大きな月と小さな月の間隔が狭いのだ。隙間が殆ど無く外縁が接触している。見ていると月と月とが重なろうとしている。


『ブモッブモッ』

 突然、デメウサが鳴き始めた。変な鳴き声だと思ったが、こちらの兎の鳴き声はこれが標準なのかもしれない。デメウサを驚かし警戒の鳴き声を上げさせたのは、暗闇から出て来たオークたちだった。


 ボロボロになった服を着て手には粗末な槍を持っている。その数は三匹、一昨日の軍人オークではないが、警戒すべき敵だ。


「火が見えたんで来てみりゃ、美味そうな兎と人間じゃねえか」

「今日はついてるな。人間の肉は久しぶりだぜ」

「お前らよく見ろ。その小僧は槍を持っているぞ」


「それがどうした。どうせガキじゃねえか」

 俺はドリルスピアを地面に置き、竜爪鉈を取り上げる。昼間、魔力を使い過ぎたのを後悔した。手練のオークでないのを祈りながら洞窟の外に出る。


「こいつ逃げねえぜ」

「ハンターとか言う奴じゃねえのか。俺らに歯向かう気だぜ」

 ヤクザ兎がヤクザオークを連れて来た。そんな感想が頭に浮かぶ。チラッとデメウサを見るとちゃっかり俺の後ろに隠れ、相変わらず柿を齧っている。


 先手必勝、ヤクザオークとの距離六メートルを瞬時に飛び越え気合を発する。

馬鹿め◆◆◆!」

 オークたちからは俺の姿が突然眼前に現れ威嚇されたように感じただろう。三匹の中で左端のオークがビクッと身体を硬直させた。魔力を右足に送り強化された脚力で左端オークとの間合いを詰め、竜爪鉈を首筋に送り込む。オークの首から鮮血が吹き出し崩れるように倒れる。


 集中力が途切れた俺は飛び退いて敵の間合いから遠ざかる。

「鉈術奥義の初披露だ。奥義名を考えなきゃな」

 オークは仲間を殺され驚き、そして怒った。

「この野郎よくも……」

「コロス!」


 その時、夜空に輝く二つの月が重なった。洞窟の奥にある転移門が輝きを放ち、周囲が細かく震動を始める。低い唸るような震動は、外にいる俺にも聞こえる。


「な……このタイミングはまずい」

 二匹のオークが同時に襲い掛かる。突いて来る槍を二本とも竜爪鉈で払い、少し体勢を崩したオークの懐に飛び込み鉈の刃を太腿に滑り込ませる。


 傷を負ったオークが倒れ、残り一匹が槍を繰り出す。ステップして避け反撃しようとしたが、オークの連続する攻撃を受けズルズルと下がる。


 最後に残ったオークは槍術の修業をしている訳では無さそうだが、実戦慣れしていた。連続した攻撃で主導権を取られ防御に徹するよう仕向けられる。


 荒々しい突きを払い退け、頭を目掛けて振られた槍の穂先を躱し、下半身を刈り取るように薙ぎ払われた槍を飛び退いて避ける。


 足を斬られたオークが血を流しながら立ち上がり、よろよろとした歩きで俺の後ろに回った。前後に挟まれ、恐怖を感じる。


 後ろに回ったオークが体当たりを敢行。一瞬体当たりに気付くのが遅れ凄い力で弾き飛ばされた。宙に浮いた俺の身体目掛け槍が突き出される。竜爪鉈で軌道を逸らすのが精一杯。槍の穂先は俺の左肩を抉り血を流させる。


「グッ」

 強烈な痛みが走り、背中を嫌な汗が流れる。追撃を地面を転がって避け、立ち上がりざま大きく飛び退く。ポケットから治癒系魔法薬ポーションを取り出し、肩の傷に少しかけてから残りを飲む。出血が止まるのを確認したが完全に治すには時間が必要だ。


 追撃の槍を躱し前方を見る。体当りしたオークが倒れていた。痛みを堪え歩み寄り脳天に竜爪鉈を振り下ろす。頭蓋骨が割れ絶命した。


『グギァア!』

 悲鳴のような雄叫びのような叫びを最後のオークが発した。


 その後、狂ったように無茶苦茶な攻撃を繰り返すオークを相手に最小限の動きで防御し、その勢いが止まるのを待った。激しく動くと激痛が走り息を詰まらせる。


 我慢比べだった。ついに息切れを起こしたオークの動きが止まり、俺の奥義が放たれる。気合を発し制御された魔力で加速した身体は宙を飛びオークの死角に滑り込み竜爪鉈が風を切り裂いて首を刈り飛ばす。

 無理をした所為で肩の傷口が開き血が流れ出す。一瞬目の前が暗くなる。


 戦いが終わり辺りに静寂が戻った時、洞窟の奥から響く震動が高鳴っているのを感じる。

「い、急がなきゃ」

 肩の痛みを耐えながら洞窟の奥へ歩む。転移門が青白く輝き重厚な震動を響かせている。


 ……帰れる。これで帰れるんだ。


 極限まで高まった震動が僅かに小さくなった気がする。時間が……時間がない。一歩踏み出す度に痛みで意識が飛びそうになる。それを堪え転移門に近づく。


 懸命に転移門に近づこうとしている俺の横をデメウサがトコトコと歩いて転移門の中に入る。デメウサが転移門に入っても、その姿に変化はなく稼働しないようだ。


「デメウサ……何してるんだ……どけ!」

 もう少しで転移門と言う所で足がもつれて転んだ。その拍子に右手の指先が転移門に触れる。


 転移門がブレたように見えた。転移門の中に立つデメウサが何かを叫んだように見えたが声は聞こえない。突然、デメウサが消えた。

 俺は懸命に立ち上がり転移門の上に入る。


 その瞬間、目眩めまいを起こし意識が遠くなった。


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