第2章 勇者の迷宮編

第33話 迷宮都市クラウザ

 マウセリア王国の海に面した一帯は、沿岸に流れ込む寒流の影響により温暖な気候となっている。大陸の南方に位置する国なので全体的には亜熱帯に近い気候であるが、海岸沿いの地方だけは過ごしやすい。王都にエクサバル地方が選ばれたのも、それが大きく関係している。


 一方、海より遠いウェルデア市はどうか、雨量が少なく昼夜の寒暖の差が激しい。北方の山岳地帯を源流とするトルタス河が存在するので農業用水には困っていないが、非常に暑い夏が人々を苦しめる。


 しかも樹海に面しているので人間の活動領域は狭く、耕作地も限られている。この地で支えられる人口は二万人ほどが限度だった。


 国の北端に近い迷宮都市クラウザはどうなのか。クラウザの近くには海が存在する。『三本足湾』と呼ばれる海である。王都の近くから北へ細長く伸びた切れ込みが、鶏の足のような湾となっている。この影響で王都ほどではないが、過ごしやすい気候となっている。


 しかし、ウェルデア市以上に樹海に面している迷宮都市は、人間の活動領域が狭い。耕作地も少なく漁業にも問題を抱えているので、食糧として豊富なのは魔物の肉だけである。


 それなのに人口は約五万人と多い。この都市の主力産業である迷宮が、多くの富をもたらすからだ。必要とする穀物は、王都近辺の地方から運ばれて来る。その代価は魔物を狩って得た素材を換金して支払う。数百年に渡り、そうやってクラウザは発展して来た。


 現在の迷宮都市は、現マウセリア王ウラガル二世の第三王子シュマルディンが太守として支配している。とは言えシュマルディン王子は十四歳であり、神輿みこしとして担がれているだけの存在である。実質迷宮都市を支配しているのは、王子の後援者兼教育係である母方の祖父ダルバルだ。


 ダルバルは、王子の母親オディーヌ第二王妃の父親であり、ゴゼバル伯爵領の元当主でもあった。息子、つまりオディーヌ第二王妃の兄に領地を譲った後、シュマルディン王子の教育係として王室と関係を持つ事になった。


 マウセリア王の子供は、第一子のモルガート王太子、第二子のオラツェル王子、第三子のシュマルディン王子、第四子のコンデリット王子、第五子のサラティア王女の五人である。


 王太子とコンデリット王子は正妃、シュマルディン王子とサラティア王女は第二王妃、オラツェル王子は第三王妃の子供だ。


 それぞれの王子には、ダルバルのような後ろ盾が居る。そして、後ろ盾同士が勢力争いを繰り広げていた。ダルバルは王室内での発言権を強めようと画策したが、財務卿クモリス侯爵の奸計に嵌まりシュマルディン王子と共に辺境に島流しになった。


 シュマルディン王子は、迷宮都市の南側にある高台に建てられた太守館で、家庭教師から詰め込まれた知識で加熱した頭を休めていた。


 銀髪、碧眼の特徴は、父親から受け継ぎ、細い体型と小さな顔は母親から受け継いだ。身長は一六五センチほどで机に向かって勉強するより、訓練場で剣の稽古を好む少年だった。


「説教ジジイが帰らない内に、迷宮ギルドにでも行こうかな」

 太守の執務室を抜け出した王子は、警護の者に見つからないように裏庭に行き古ぼけた物置小屋に入る。太守館の隅から隅まで探検したシュマルディンは、この物置小屋から下のクヌギ林に抜ける通路が隠されているのを発見していた。


 小屋で初心者用の皮鎧とショートソードを身に付け隠し階段を跳ねるように下りた。ここからだと三〇分ほどで街中へと出られる。


 シュマルディンは街に来ると必ず迷宮ギルドに寄る。ここには憧れている凄腕剣士や魔導師が出入りしているからだ。


 迷宮ギルドは、ハンターギルドの東側部分を間借りする形で存在していた。ハンターギルドと同じような受付カウンターと買取カウンターが設けられ、迷宮に出入りする者の動きを監視すると同時に、迷宮内の情報を管理していた。


 シュマルディンは、ハンターギルドと迷宮ギルドの中間に設けられた待合所で、長椅子に座り人の出入りを眺めていた。


 自分と同じくらいの少年少女から五〇代の超ベテランまで様々なハンターがカウンターでやり取りをしている。そこに皮鎧を装備し変な槍を持った黒髪、黒眼の少年が受付カウンターに歩み寄った。


「迷宮は初めてなんだけど、どうすればいい」

 対応したのは、迷宮ギルドで一番可愛いと評判のルリアさんだった。金髪の長い髪を後ろで束ね花の模様をあしらった髪留めで止めている。パチッとした目は黒く、小動物に似た可愛さを持つ十八歳の新人さんだ。


「まずはハンターギルドの登録証を確認させて下さい」

 少年が登録証を出すとルリアさんが確認し、白紙の申請書を取り出した。


三段目8級ハンターのミコト様ですね。迷宮に入るには迷宮ギルドに加入し、専用カードを作成する必要が有りますので、この申請書をお書き下さい」


 少年は申請書を受け取りカウンターにあるペンを手に持つ。

「迷宮ギルドに入るのに必要な費用は?」

「銀貨三枚になります」


 慣れない手付きで申請書を書き、金と一緒に出す。

「迷宮カードが出来るまでお時間を頂き、迷宮について説明させて貰いますがよろしいでしょうか」

 少年が頷くとルリアさんが説明を始める。


 内容を要約すると、迷宮に入る時は受付カウンターでどの迷宮に入るのか申請し、番号付きの許可札を受け取る。目的の迷宮に着いたら門番に許可札を渡し迷宮に入る。迷宮から戻ったら受付カウンターで報告し、売る素材が有れば買取カウンターで売却する。


 細々とした規則は有るが、要するに死なない程度に頑張って多くの素材を取って来いという内容だ。ただ迷宮内の素材を迷宮都市の外へ持ち出す際には税金を払わねばならないときつく言われる。

 また、迷宮内の素材と樹海の魔物の素材は区別出来るので、誤魔化しは効かないそうだ。


 少年は一通りの説明を聞き、迷宮カードを受け取るとシュマルディンの近くに座って迷宮カードを眺め始める。チラリと盗み見る。


【迷宮カード】

 ミコト・キジマ 迷宮ギルド・クラウザ支部所属

 迷宮レベル:0

 <迷宮1>勇者の迷宮 : 到達階層 0

 <迷宮2>魔導迷宮  : 到達階層 0

 <迷宮3>迷宮帝国  : 到達階層 0

 <特記事項>特に無し


「俺に何か用が有るのか?」

 少年がシュマルディンに話し掛ける。盗み見していたのに気付かれたらしい。


「いや、違う。見ない顔だった故に気になっただけである」

「今日、迷宮都市に来たばかりの新米だよ」

「そうか、僕はディン。この町に住む学生である」


 嘘は言っていない。クラウザ研究学院への編入手続きは終わり、一応学生では有るのだ。ただ、クラウザ研究学院は、迷宮や魔物の研究、優秀なハンター養成を主眼として設立されているので、王族としての教養を身に着けるという点では相応しい教育機関とは言えない。


 そこでダルバルが、学院に通う代わりに家庭教師を三人雇い、執務室で勉強させている。

 少年がちょっと首を傾げた。シュマルディンの革鎧とショートソードを見てハンターだと思っていたのだろう。


「学生か……そんな格好しているから見習いハンターかと思った」

「ハンターになりたいと思うているのだが、祖父じいが反対するのだ」

「ああ、ハンター見習いになるにも保証人が必要だからな」


「そうなのだ。身分証は祖父じいに取り上げられているので困ってる」

「保証人を頼めるような知り合いはいないの?」

祖父じいと二人、この町に越して来たばかりゆえ、友達も知り合いもおらん」


「そうか……でも、クラウザ研究学院に入学しているなら、将来はハンターか、研究者、職人なんかに成るんじゃないのか。それだったら早めにハンターになってた方がいいと思うけど」


 シュマルディンは少し嬉しくなった。こんな風に気軽に話が出来る友人が欲しいとずっと思っていたのだ。

祖父じいが反対するゆえ、仕方ない。それより名前を教えてくれんか」

「おっと、まだ名前も言ってなかったか。俺はミコトだ。三段目8級のハンターだよ」


 それから少しの間話をした。ミコトという少年が、初めて槍トカゲを狩った時の話や投げ槍猿との戦いの話は物凄く興奮した。


「ありゃ、宿に仲間を待たしていたのを忘れていた。ディン、そろそろ俺は行くよ。今度会ったら、また話をしよう」


「どの宿に泊まっておる?」

 シュマルディンは、迷宮ギルドでよく聞く宿屋の名前を告げられた。

 少年は変わった背負い袋を担ぎ、迷宮ギルドを後にした。


「ミコトか。良い奴だな」

 シュマルディンは、今日の出会いを神に感謝した。



   ◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇


 シュマルディンとミコトが出会う前に時間は遡る。


 ミコトが異世界から日本に戻ってから三ヶ月が経過していた。戻った時、意識朦朧としていた俺は、自衛官により病院へ搬送され一週間ほど入院した。

 その後、検査や尋問を受けた後、政府の役人により『異世界案内人』として雇用された。


 入学する予定だった高校は休学扱いとなっており、そのまま高校へ通う事は可能らしい。でも、俺のボスである第二地区転移門管理課の東條勇とうじょういさむ課長がキリが悪いから一年間休学しろと言いやがった。


 要するに、今は忙しいから学校より仕事を優先しろと命令したのだ。雇用する時は、高校へ行きながら働いてもいいよと言っていたのにだ。


 俺が文句を言うと、受けられなかった授業の分を取り返せるほど頭がいいのか、と問われた。そして、月給はちゃんと払うんだから、来年の春まで我慢しろとバーコードのような頭部で威圧しながら言い放った。

 俺は泣く泣く我慢し、案内人としての仕事を始めた。


 今、俺は四回目となる依頼に取り組んでいる。だが、後悔していた。

 今回の任務を言い渡された時の事を思い出す。


「依頼は、依頼人二人を迷宮へ案内する事だ」

 依頼人は中学二年生の少女といかつい顔の護衛だった。当然、迷宮の危険性を指摘した。まして子供を迷宮へ案内するなんて。


「ミコト、依頼人の三条薫さんじょうかおる君が依頼料として幾ら払ったか知っているか。四千万円だぞ。それをお前は断れと言うのか」


 四千万円……でも、案内するのは俺なんだぞ。

「でも、迷宮は本当に危険なんです」

「スライムとか、スケルトン位なら大丈夫なんだろ」


「それはそうですが……」

「だったら、そいつらと適当に戦わせて満足させろ」

「ちょっと待って下さい。迷宮に入るにはハンターギルドの三段目8級にならないと無理なんです」


 『バーコードボス』あるいは『ハゲボス』が鼻で笑う。

「ふん、だから三十五日という長期の契約なんだ。その期間に三段目8級にして、迷宮に潜らせろ」

「そ、そんな無茶な!」


   ◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇


 中学校の夏休みが始まる頃、俺と依頼人二人は、樹海の中にある転移門を使って異世界に転移した。この転移門には難点がある。転移門は人間の身体と下着だけしか転移しないのだ。これを作った奴がどんな奴だか分からないが、きっと根性が曲がった嫌な性格をしていたんだろう。


 依頼人の二人には、用意した厚手のシャツとズボン、茶褐色のローブを着て貰っている。靴は迷宮都市で買う予定なので安い編み上げサンダルを用意した。


 転移門から樹海に出た俺たちは、ココス街道へ出て馬車に乗った。ゴトゴト……ゴトゴトゴトッ……。馬車が街道を走る音が聞こえる。


「三条さん、何で迷宮へ行きたいと思ったんだい?」

 ココス街道を迷宮都市へと向かう馬車の中で、俺は依頼人に確認した。


 三条薫と言う少女は、普通の中学生に見えた。身長は俺より少し低いくらいで、スポーツマンタイプというより、家で静かに本でも読んでいそうなタイプだ。何処かのアイドルグループに所属していても、なるほどと納得する美少女である。但し、胸は……。


 俺の方をキッと睨んでから応えた。

「日本と言う国が詰まらないからですよ」

「それは否定しないけど、旅行ならヨーロッパやアメリカの方が安全だよ」


 薫は溜息を吐きながら言う。

「ヨーロッパやアメリカは飽きました」

 チッ、俺は一度も行った事がない。


「でも、四千万円は大金だよ」

 こいつは何処かのお嬢様なのか?


「金を稼ぐなんて簡単です」

 その答えに俺は驚いた。

「えっ! 君は仕事をしているのか?」


「一〇歳の頃から、パソコンをいじり始め、十二歳の時に開発した暗号化システムが、アメリカの大企業の目に止まったの」


 それまで黙っていた護衛役の伊丹源治いたみもとはるが口を挟む。伊丹も古武術家だった。香月師範とは流派が異なるらしいが、実践的な流派なのは何となく雰囲気で分かる。


「薫会長は、SDP開発というIT企業のオーナーだ」

 俺はまじまじと依頼人を見る。この少女は天才らしい。


 俺が金貨一枚で雇った馬車が、ようやく迷宮都市に辿り着いた。門の前で馬車を降りる時、薫に手を貸してやる。いい香りがふわっと漂い、俺の鼻孔を刺激する。香水とか着けているはずないんだが。


「ありがとう」

 美少女に礼を言われ、俺も少しニヤけてしまう。―――しょうがない。男なんだから。


 迷宮都市は、高さ十二メートルの石壁に囲まれた要塞都市である。南は高台の太守館を中心とした貴族の屋敷が点在する緑豊かな邸宅地区、東はクラウザ研究学院や図書館の在る学生の街、北は迷宮に通じる門があるので、ハンターギルドや迷宮ギルドを中心として武器屋、防具屋、魔道具屋、各種工房、宿屋などが無秩序に乱立している。最後に西は、商店街と住宅地が入り混じった人口密集地となっている。


 それだけではない。北西の一画には貧民街が有り、怪我をしてハンターを続けられなくなった者たちや猫人族などが狭い地区で生活していた。


 迷宮都市には十五箇所に見はりやぐらが建てられ、昼夜を問わず警備兵が見張りをしている。ココス街道の終点である西門を通る。


 依頼人二人の身分証が無かったので、門番に止められたが、俺のハンターギルド登録証を見せて銀貨を一枚ずつ払うと門を通してくれた。


 三方向に別れる大通りを北東に進むと、剣や槍、メイスなどを装備した者たちやローブを纏ったまさに魔導師といった格好の者たちの姿が多く見られるようになる。


 西門の門番にギルドの場所を聞いていたので、迷わずハンターギルドの建物に辿り着いた。頑丈そうな石造りの建物で、多くの荷車や馬車、ハンターたちが出入りしている。


 ファンタジー小説に出て来るギルドと言うより、青果市場などに感じが似ている。倉庫や魔物の素材を仕分けする加工場、素材を買い取りに来た商人たちと交渉している職員たち。


 俺はハンターギルドと看板が掲げられた入り口を通り建物の中に入った。広々とした部屋の中にカウンターが有り、その後ろではギルド職員が忙しそうに働いていた。


 受付のオッさんに依頼人二人がギルドに登録すると告げた。身元保証人は俺だ。申請書は俺が代筆した。問題なく受理され、見習いの登録証が発行される。


 依頼人が不思議そうな顔で登録証を見ている。ミトア語については一〇日間ほど集中講座を受けたらしいので少しは読めるのかもしれない。

 次は宿を探さなけりゃな。

 

 見付けたのは『ラッキーお宝亭』料理屋と宿屋を兼ねた店だった。後で知ったが中堅クラスのハンターが贔屓ひいきにしている宿屋らしい。


 石造り二階建ての建物で、風雨により壁や屋根に歴史が刻まれているので新しくはない。一階は食事処で、二階が宿になっているようだ。


「すいません、部屋空いてますか?」

 店の中で宿帳をチェックしているオバさんに声を掛けた。赤毛の中年太りした陽気そうな女性だ。


「あれっ、若いね。ハンターかい?」

「そうです」

「ここはちょっと高いよ。大丈夫なの?」


「一人部屋と二人部屋は一泊幾らですか?」

 オバさんが俺たち三人を素早く観察してから応える。

「二部屋かい、素泊まりなら方銀三枚、朝夕の食事付きなら銀貨一枚だよ」

 ウェルデア市で泊まっていた宿屋と比べると四倍高い。


「朝夕の食事付き五泊でお願いします」

 銀貨五枚を支払い、部屋の鍵二つを受け取った。

「階段を登って、左の突き当りだ。それとお湯が欲しけりゃ銅貨一枚で用意するよ」


 疲れた顔をしている薫と伊丹を部屋で休ませると、俺はもう一度ギルドへ向かった。迷宮ギルドについて事前調査をしたかったのだ。


 ギルドに到着すると、今度は迷宮ギルドと看板が掲げられた入り口から中に入る。

 中は、東側が迷宮ギルド、西側がハンターギルドというように分かれている。俺は迷宮ギルドの若く可愛い受付嬢に加入申請し、無事迷宮カードをゲットした。


 その後、銀髪、碧眼の少年と知り合い情報交換した。その少年に妙な違和感を持ったが、話す内に真っ直ぐで明るい性格の少年だと分かった。


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