第29話 オーガ

 次の小山では一匹の大鬼種オーガが暴れていた。相手は犬のような魔物だから、コボルトだと思われる集団で少なくとも二〇匹以上いる。


 オーガは日本の昔話に出て来る赤鬼に似ている。プロレスラーのような体型と身体中を覆う赤く短い剛毛、デカイ頭には二本の角が生え、その顔を見ると殺戮を楽しんでいると分かる。


 一方、コボルトは秋田犬が二足歩行しているような体型で短い足で走り回る姿は人間のようだ。コボルトの武器は粗悪な槍だった。ほとんどが尖った石を穂先としている原始的なものだ。


 体長三メートル・体重五〇〇キロを超えると思われるオーガが、体長一四〇センチ程度のコボルトに囲まれている光景は、大人が幼児に囲まれているように見えた。


 それは戦いではなく虐殺だった。オーガの手に握られた太い棍棒が振られる度に血を流すコボルトが空を舞う。……へえ~、コボルトって空を飛べるん……あれっ……あまりに恐ろしい光景を見て、俺は現実逃避していたようだ。


 戦いは五分ほどで終わり、残ったのはコボルトの死骸の山。オーガはそこに座り込み、コボルトの肉を貪り始める。俺は見つからない内に退散しよう。ルーク級中位の魔物なんかとは戦えないよ。


 俺はその場を静かに離れ、小山の調査を手早く済ませる。この山も違ったようだ。……オーガの居るような山からは急いで離れよう。


『ガサッ』

 背後の草叢から音が聞こえた。……まさか、オーガじゃ。振り向くと何も居ない。一旦ホッとするが、気配は消えない。草叢をよく見ると小さな白い塊が有る。


「何だ、これ?」

 拾い上げてみるとコボルトの幼児だ。虐殺されたコボルトの子供か。抱きかかえると何か訴えるように鳴く。

「クウゥ~ンクゥ~」


「腹が減ってるのか? ミルクなんかないぞ」

 体長二〇センチほどの白い毛皮に包まれた身体はもふもふで幸せな気持ちにさせる。白い毛に覆われた顔には、小さな眼、突き出ている鼻の下に大きな口、頭には三角の可愛い耳が付いている。殺されたコボルトたちは腰布を巻いていたが、こいつは裸だ。


 鳴き声を上げる口には歯が有った。

「普通の食い物でも大丈夫なのか」

 干し肉を小さく切って与えてみる。小さな手で肉の塊を掴みもぐもぐと食べ始める。夢中になって食べている様子は、本物の子犬のようで可愛い。


「美味しいか? よしよし水も飲め」

 水筒から雑貨屋で買ったカップに水を注ぎ渡してやるとゴクゴクと飲み、また肉を噛み始める。

 しばらくして満足したのか干し肉を握りしめたまま眠ってしまった。


「厄介なものを拾ってしまったな。どうするか」

 俺はコボルトの生き残りが居ないか探す事にした。小山の周辺には、それらしい痕跡は無かったので小山を少し登り中腹の辺りを探す。簡単にコボルトの棲み家が見つかった。


 中腹に開いた洞穴を棲み家としているコボルト集団を目にした俺は、抱えている幼児を洞穴の入り口に置き去ろうとした。もちろん、コボルトの姿が見えなくなった瞬間を狙った。


「お待ち下さい!」

 いつの間にか、俺はコボルトの集団に囲まれている。慌てて竜爪鉈を構える。

「敵対する気はございません。武器を下ろしてくだされ」


 コボルトの中で年寄りらしい者が話し掛けてきた。……驚いた。コボルトって喋れるんだ。

「俺は、この子を返しに来ただけだ」


「判っております。見ておりましたから。あなたには感謝致します。ですが、一つお願いしたい事が有るのです」

 俺は首を傾げ、あの恐ろしいオーガを思い出す。

「まさか、あのオーガを退治してくれと言うんじゃないだろうな」


「いえいえ違います。この犬人族の村について誰にも話さないで貰いたいのです」

 えっ! 犬人族と言ったね。コボルトじゃなかったんだ。危なかった。魔物と間違えてたよ。


「黙っているだけなら、お安いご用だ。本当にオーガはいいんだな」

「はい、オーガは我らの戦士たちが退治してくれるはずでございます」

 脳裏に空を舞うコボルト……ではなく犬人族の姿が思い浮かぶ。


「……二〇人ほどの犬人族なら、オーガに殺されたぞ」

 話し掛けていた犬人族のおさらしい年寄りの体が震える。

「な、何ですと~~~!」


「う、嘘よ」「そんな……」「村最強の戦士たちが……」

 他の犬人族たちも騒ぎ始める。長が一人の犬人族に指示を出す。たぶんオーガの様子を調べに行かせたのだろう。あの惨状を見れば、どんな事が起こったのか一目瞭然だ。


 オーガの様子を見て来た犬人族が報告する。長が嘆きの声を上げ、犬人族の女たちがむせび泣く。その声に含まれる深い悲しみが心に響き、俺もやるせない気持ちになる。


 犬人族を魔物だと思っている人々は多い。実際は亜人種の中の犬人族であるのに。何故魔物だと思われているかと長に聞いてみた。魔王と勇者が戦った時代、亜人種は魔王派と勇者派に分かれ戦ったそうだ。


 猫人族と虎人族、鳥人族は勇者と共に戦い、狼人族と熊人族は魔王に従った。犬人族は中立を唱え戦争に巻き込まれるのを回避しようとしたが、魔王軍に攻め込まれた。魔王軍に隷属するか滅ぼされるか選択を迫られ、仕方なく隷属を選んだ。


 魔王軍が敗れた後、犬人族は迫害されたらしい。魔王討伐戦争では多くの人が死に、その親兄弟は魔王軍に与した犬人族を憎悪したようだ。犬人族は人目を避け、隠れ里のような場所で生活するようになった。


 ここも隠れ里の一つであり、最近までは厳しい環境に耐えながらもほそぼそと暮らしていた。だが、一匹のオーガが小山の麓に住み着いて以来、隠れ里は地獄となったという。


「折角、ミコト様に里の赤児を助けて貰いましたが、この里の命運は尽きたようです」

 里長は、今にも自殺しそうな感じでしょんぼりしている。この里には一五〇人ほど住民が住んでいたが、今は一二〇ほどに減少している。すべてオーガに食い殺されたのだ。


「オーガ一匹なら、皆で戦えば何とかなるじゃないか」

 俺は励ましてやる。

「しかし、最強の戦士たちが死んでしまいました」


「碌な武器もないのに、正面から戦おうとしたからじゃないのか」

 里長が俺を見詰め、すがるように訊いてくる。

「だったら、どうしたら良かったのでございましょう?」


「……例えば、罠を使って仕留めるとか」

「罠でございますか? ……申し訳ございません。犬人族は猟で罠は使わない種族でして」

 犬人族は短い足だが強力な脚力と優れた体力を使い、小さな動物や魔物を追い詰め槍で仕留める狩りが一般的だった。


「それじゃあオーガは倒せない。強力な武器か罠が絶対に必要だ」

生憎あいにく、罠についての知識がほとんどございません」

 俺は知っている限りの罠について説明した。この知識は古いアクション映画や小説、ネットから覚えたものが多く正確なものではない。それでも里長は感銘を受けたようでしきりに頷いていた。


 オーガは必ず犬人族の里にやって来る。これは里長を始めとする多くの犬人族が感じている事だった。オーガは大量の食糧を確保したので、数日は大人しくしているだろう。その間に、里の周りに罠を作り上げようと話し合った。


 この世界で作れる罠は、一番単純な落とし穴、樹の枝のしなりを利用した罠、重い物重力を利用した罠、毒を利用した罠、紐を利用した罠の五種類がある。他には金属製の罠トラバサミや爆薬、生物などを使った罠が有るが、この里では無理だろう。


 犬人族と俺は二日掛けて罠を量産した。犬人族が落とし穴を掘っている間に、俺と数人の犬人族は、丸太を切り出しに行く。直径三〇センチほどの木を五本ほど竜爪鉈で切り倒し、枝を払って里に運び込む。


 罠にするのに丁度いい長さに切り加工する。樹海で採れる丈夫なつるを利用し木の枝にぶら下げ、それを別の木に引っ張り上げる。罠が作動すれば、丸太は振り子のように目標目掛けて飛び衝突する。


 落とし穴は一五ヶ所、もちろん底には尖った杭が立てられている。丸太を使った罠が一七個、木のしなりを利用した罠は二〇個が二日で完成する。里が無くなるかどうかの瀬戸際だから犬人族は必死で罠を作った。その結果が、計五二個の罠である。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 オーガを迎え撃つ準備が整った頃、肝心のオーガは穴兎を追い駆けていた。すばしっこい穴兎はオーガを翻弄し巣穴の中に逃げ込んだ。


 巣穴を覗き込むオーガの目には暗くて何も見えなかった。だが、巣穴の奥で恐怖に震えている穴兎の気配を捉える。太い棍棒を持ち上げ、巣穴の上に振り下ろす。


 その衝撃で巣穴が揺れ穴兎は死ぬほど驚く。もう一発、もう一発と棍棒が振り下ろされる。恐怖で混乱した穴兎は、巣穴を飛び出す。そこにはオーガが居ると知っているのにだ。穴兎はオーガに捕まり生きたまま食べられた。


 穴兎の肉は少ない、追い駆けて走り回ったオーガは、そんな少ない肉では満足出来なかった。二日前に殺した獲物の事を思い出す。大半は寝ている間に他の魔物が奪っていったが、あの肉は旨かった。あの獲物の匂いを覚えている。確か山の上から匂いは来た。


 小山を登り始める。途中、木の根っ子に躓き転んだ。……イタイ、コロス……小さな灌木に太い棍棒を叩き込む。枝が折れ、幹に亀裂が走り終には真っ二つになる。


 登るにつれ獲物の匂いが強まる。他の匂いもするが一番強いのはあの美味い獲物の匂いだ。獣道を登り中腹の平地に出る。他の場所は斜面だが、そこだけ平になっており針葉樹と広葉樹が混じった林になっている。


 それほど広くはない、三〇歩も歩けば反対側に着くだろう。林の奥には洞穴が有った。そこから美味しそうな匂いがする。獲物だ……オレ様に戦いを挑んで来た馬鹿な獲物。


 洞穴を目指し足を進め半分ほど来た時、突然、足が宙に浮く。地面が消えデカイ穴に落ちる。深さは身長より深く、底に何かある。


「グガッ……ガアアアアアーッ!」

 尖った杭が足に刺さった。痛みより怒りが叫び声を上げさせた。力任せに暴れ残っている杭を叩き潰す。叫びながら刺さった杭を抜き、穴から這い出る。


 痛みを堪えて立ち上がったオレ様の背後で、ブーンという音がする。振り向くと太い丸太がオレ目掛け飛んで来る。脇腹に丸太が減り込み体重五〇〇キロを超えるオレ様を弾き飛ばす。


「グギャッ!」

 ゴロゴロと転がり痛みで蹲る。また、ブーンという音が響く。頭に衝撃が走りうつ伏せに倒れた。握っていた棍棒は何処かに飛んでいる。フラフラしながら立ち上がり、前を見ると丸太が宙を走りこちらに向かって来る。オレ様は咄嗟に避ける。……テキ? ナニガオコッタ テキドコ……。


 それから幾つもの丸太がオレ様を跳ね飛ばし、数回も落とし穴に落ち、数本の木の枝に叩かれた。最初は種族特有の回復力により、傷はあっと言う間に治ってしまった。だが、繰り返す内にその回復力が次第に衰え始める。


 初めて危機感が湧き起こり逃げ出そうとする。フォンと風を切る音がして木の枝がオレ様の腹を叩く。唯の枝ではなかった。枝には先の尖った杭が結び付けられており、その杭が腹を抉っていた。


「ぐふっ!」

 杭を抜き枝をへし折る。眼の隅に動く陰を捉えた。腹から血を零れ落としながら迷わず追う。木の枝が頭上から降って来た。同時に三本の杭が、両肩と首の根本に突き刺さる。


 最後の力を振り絞り枝をへし折り逃げようとするが、またも足が宙に浮く。落とし穴に並べられた杭がオレ様の首を貫通する。……オレサマ オーガダゾ コレクライデ シ……意識が暗黒に飲まれた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


「ウオーッ!」「ワーッ!」「ヤッター!」

 犬人族の大歓声が樹海に響き渡る。隠れていた犬人族がわっと現れ、死んだオーガに歩み寄る。俺も本当にオーガが死んだかを確かめる為に近付く。


 その時オーガの死骸から濃厚な魔粒子が放出された。それを吸収し魔粒子の濃さが槍トカゲの特異体に匹敵すると感じる。


「ミコト様、ありがとうございます」

 里長のムジェックが感謝の言葉を口にする。俺たちの周りでは興奮した犬人族がお祭り騒ぎをしている。手伝って貰いオーガを穴から引き上げる。


 オーガの換金部位は、薬の素材となる角と魔晶管、丈夫な皮だ。ちょっと期待したのだが、魔晶管の中には魔晶玉は無かった。角と魔晶管は俺が貰った。皮は鞣して戦士用の防具にするらしい。


 女性や子供が洞穴から出て来て喜ぶ犬人族の集団に加わった。中には俺が助けた幼児も居る。幼児の名はチットミーナという女の子らしい。


「そう言えば、何故あんな所に子供が一人で居たんだ?」

「チットミーナの母親は、食料となる木の実を採取している途中、ゴブリンの集団に出会い夢中で逃げている中にはぐれたようです」


 詳しく聞いてみると、母親はチットミーナを茂みに隠し、自分が囮となってゴブリンを引き付けながら逃げ出したのだそうだ。幸運にも母親は逃げるのに成功し、現在、チットミーナは母親の腕の中で笑っている。


 この後、この小山にはムジェックたちが作り上げた罠が網の目のように張り巡らされ、一種の要塞のように場所になる。犬人族の間では『罠師の里』として有名になるのだが、それを知るのはずっと後の事だった。

 俺は感謝されながら里を後にする。予定外のオーガ討伐で洞窟探索が遅れてしまった。


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