第5話 ウェルデア市の見習い

 昼飯を食べ、村の北東門を出た時、俺の巾着の中には銅貨六枚と小粒九枚が入っていた。

 巾着が軽い、それが俺の心に不安を湧き起こす。あの跳兎の毛皮を雑貨屋に売ったので銅貨二枚が追加されているはずなのだが、巾着の中身は大して変わらない。


 村を出るとすぐに鉈を回収した。これを所持したまま村に入っていたら、村長に巻き上げられていたかもしれないと気づき、隠そうと思った自分を褒める。


 ココス街道を歩きながら、魔法陣みたいなものがある洞窟を離れたのは失敗だったかもと考えていた。あそこに日本とこの世界を繋ぐ何かが有ったのだとしたら、あの場所で待っていたら日本へ帰れたかもしれない。


 確かにその推理は正しかった。後で知ったが、魔法陣みたいなものは『転移門』と呼ばれており、二つの月が重なる時に起動し、日本とこの世界を繋ぐ。


 俺がこの世界に来た日から五日後、それが再び起こったらしい。五日間、あそこで頑張れば日本へ帰れたという事だ。だが、食事や水を考えると不可能だったと思う。


 ノスバック村からウェルデア市まで、歩いて五時間ほどだと聞いていた。俺は少し急いで北東へ向かう。途中、あの洞窟から街道へと交差する辺りに来たが、明確な目印も無いので洞窟の場所が分からない。適当な場所で森に入り北へと進んでも、洞窟を発見する可能性は低いだろう。


「準備が必要だ。十分に準備が出来たら、もう一度あの洞窟に行こう」

 そう決心した俺は、ウェルデア市へと再び歩き始める。もう少しでウェルデア市が見えるという地点。少し上り坂になっており、南へ細長く伸びた森を横断するように街道が作られている場所で、俺はゴブリンの集団に襲われた。


 相手は三匹、身長百二十センチほど、子供のような体格に醜悪な顔、緑の皮膚、鼻の曲がりそうな悪臭、間違いなくゴブリンだ。ハンターギルドには、魔物図鑑があり、常駐依頼であるゴブリンの特徴は頭に叩き込んで来ていた。


 二匹は棍棒、一匹は錆びた剣を持っていた。一人旅の俺を良い獲物だと判断したのかもしれない。三匹は並んで走ってくる。


 俺はワイバーン爪の鉈を構えた。この鉈が無ければ逃げていた所だ。ゴブリンたちは威嚇のつもりだろうか、気色の悪い声で吠える。

『ギシャグルウウゥ』『グゲゲッ』『ギギッ』


 先手必勝、俺は一番右のゴブリンに鉈を振り下ろす。ゴブリンは棍棒で受けようとしたが、棍棒をスパッと切り裂き肩口辺りを掠めた。手応えから掠めただけだと思ったのだが、盛大に血が噴き出しドタッと倒れた。

 残った二匹は驚いて攻撃を躊躇する。


「おおっ、凄いぜ」

 予想以上の切れ味に、俺は調子に乗ってしまった。続け様に攻撃すれば優勢なまま片付けられたのかもしれないのに、鉈を構えゴブリンの攻撃を待った。


 剣を持ったゴブリンが俺の腹目掛けて切っ先を突き出す。力任せに突き出された剣だが、殺気が込められており、一瞬血の気が引く。


「うわっ!」

 俺は悲鳴のような声を上げ、ドタバタと動き辛うじて鉈の柄で弾く。何とか命拾いした。幸運にも攻撃したゴブリンはバランスを崩し身体を泳がせている。俺は懸命にゴブリンの腰を蹴る。ゴブリンが転がるように離れた。


 残ったゴブリンが上段から棍棒を振り下ろしたのに気付いた。俺は涙目になりながら鉈の柄で受け止める。クッ……思った以上にゴブリンの力が強い。成人男性並の力が有るようだ。


 力負けした俺は、一歩二歩と後ろへ下がった。ゴブリンが勝利を確信したかのようにニヤリと笑う。誰か助けてぇー、声なき悲鳴を上げる俺。


 ゴブリンの顔の先に緑色の裸足の足が目に入る。俺はゴブリンの足の甲を力一杯踏んだ。『グギャツ』と大声を上げ、ゴブリンが棍棒を引いた。


 俺はバランスを崩しながらも鉈を横に振る。奴の胸に鉈が食い込み、その胸筋を抉った。ゴブリンは前のめりに倒れた。


「あ、危なかった」

 生き残っているのは剣を持ったゴブリンだけ。頭を振りながら起き上がった奴は、倒れている二匹を見て怖気づいた。回れ右して逃げようとする。興奮している俺は駆け寄って斬り付ける。渾身の一撃だった。首に当たった鉈が、それを断ち切り刎ね飛ばした。


「ハアッハアッ……た、倒したぞ」

 俺はこの戦いで気付いた。鉈は強力だが、それを振るう俺は未熟だという事。身体が思った以上に動かない。それほどスピードの無いゴブリンだから倒せたけど、もっと素早い魔物だったら死んでいたのは俺だ。恐怖で俺の身体が震えた。


「な、なんて怖い世界なんだ。……強くなろう。強くならなきゃ死んじまう」

 このゴブリンの襲撃は、俺の心に傷を残した。この日から強くなる為に何をすれば良いか常に考えるようになる。


 落ち着きを取り戻した俺は、ナイフを取り出し、ゴブリンの頭部にある小さな角と肝臓の隣にある魔晶管を剥ぎ取った。これも魔物図鑑から得た知識で、この二つはギルドで換金できる。


 角はともかく、体内にある魔晶管を取り出す作業は、吐きそうになる。初めて見る魔晶管は灰色の試験管のような物で光沢があった。体液が零れないように魔晶管の口を丁寧に縛り、角と一緒に背負い袋に仕舞う。


 ウェルデア市に向け再び歩き始める。程なくすると高い壁が見えて来た。大きな街をグルリと囲む高さ七メートルの壁、それは要塞のような印象を街に与えている。

 数隊の隊商が門の入口に並んでいる。門番の兵士が馬車や荷車を検査をしているようだ。


 馬車や荷車の列とは別に旅人だけが並んでいる列も有った。俺はそちらに並んだ。一〇分ほどで俺の順番が来た。手配書らしいものと俺の顔を見比べてから。


「身分証が有るなら出せ」

 俺はハンターギルドの登録証を出した。兵士は確認しながら薄ら笑いを浮かべる。

「見習いか、入街税は銅貨五枚だ」


 ここでも金を取るのかよ。なけなしの金が消えた。

「おじさん、ハンターギルドはドコ?」

「真っすぐ行け。左側にある」

 愛想のない兵士だった。まあ、愛想の良過ぎる兵士も頼り無さそうで問題だけど。俺は街に足を踏み入れた。


 大きな通りは石畳になっており、行き交う人が多い。道の両側には庶民の家が立ち並んでいた。木造二階建てのものが多く、壁には漆喰が塗られている。


 街の中央に近付くにつれ家が大きくなり、住居ではなく商店や宿屋、工房なども増える。ウェルデア市はエンバタシュト子爵の領地で、子爵の居城が東側の丘に建っていた。四本の塔に囲まれた優雅な石造りの城、子爵の領地は裕福なようだ。


 道行く人々に目を向けると、一番多いのが赤髪や金髪の白人で、次が猫人族だった。

「おいおい……二足歩行の猫だよ。あっ……小さいけどちゃんとした手だ。指も五本有る」


 俺は興奮していた。ファンタジー小説に猫耳少女とか出て来るが、この世界の場合、猫を人型にした生物のようだ。昔流行ったという『なめ猫』の画像を思い出す。猫に学ランやら、ライダースジャケットを着せている奴だ。身長は比較的大きな猫人でも一五〇センチほどで種族的に小柄なようだ。


「猫人が居るなら……」

 俺は通りや広場を見回す。発見、犬人族………ん? 尻尾がない。ブルドック顔のオッさんだった。


 中央広場の手前、左側にギルドが有った。天秤に金貨と剣が載っている看板がハンターギルドだ。石造り三階建ての建物に訓練所が付いた大きな施設。


 両開きのドアを開き中に入ると綺麗な受付嬢のいるカウンターが並んでいた。

 キターッ! ギルドの受付はこうでなくっちゃ。オッサン、ノーサンキューだよ。


 俺は買取受付と書かれているカウンターへ進む。

「いらっしゃいませ、どんな御用でしょう?」


 栗色の髪をした二十歳くらいの美人だった。唇がプクッとして色っぽい、胸もデカイしスタイルもいい。緊張した俺は彼女の言葉を聞き逃した。


「どうかされましたか?」

「いえ、ノスバック村で見習いになったばかりなんですけど、これ」

 俺はゴブリンから剥ぎ取った角と魔晶管をカウンターに出す。


「常駐依頼の換金ですね。登録証も一緒に提出をお願いします」

 俺は序ノロ10級と書かれた登録証をカウンターに置く。

「確認しますので、少々お待ちください」


 そんなに待つ事もなく、彼女が銅貨と登録証をカウンターに置いた。

「ゴブリンの角と魔晶管が三匹分で銅貨十五枚になります。お一人で倒されたのですか?」

「はい」と答えながら、銅貨と登録証を仕舞う。


「優秀なんですね。今後も頑張って下さい」

 俺は礼を言ってカウンターを離れた。

 ふうっ、美人の前に出ると何で緊張するんだろう。


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