第3話 ノスバック村

 その街道は、人や使役獣、荷車などが踏み固める事によって維持されているだけの道だった。日本の道路のように舗装されている訳ではなく、むき出しの土に石が転がっている。路傍には雑草が生い茂り、野生動物らしい小動物の姿も見受けられた。


「江戸時代にでもタイムスリップしたような感じだな。これで侍でも通ったら完璧に勘違いしそうだ」


 三台の馬車を含む隊商と擦れ違った。馬車の御者や用心棒らしい男たちは、金髪、赤毛、銀髪とヨーロッパの白人種族を思わせるような人種だが、瞳の色だけは黒だった。顔つきも鼻が高く彫りの深いものでイギリス人とかフランス人だと言われても納得という感じだ。ただ、体格はそれほど大きくない。平均一七〇センチほどだろうか。


 俺は話し掛けようと思ったが、用心棒たちの警戒する目付きや荒々しい口調で交わしている言葉を聞き、話し掛けず道の端に避け通り過ぎるのを見送った。


「うわーっ、あいつらが話している言葉、一言も分からなかった」

 もちろん、異世界である。日本語で話している訳はないと思っていたが、全然知らない言葉で話しているのを聞くと、俺の背中に嫌な汗が流れた。人が住む街に行けば何とかなると思っていたが、言葉の壁があるとは。


 もう一つ気付いたのは、ここの連中の文明レベルだ。擦れ違った馬車は少量の鉄と木材だけで作られていた。車輪も木製でゴムの欠片もない。


 用心棒たちが装備していた鎧などは、今俺が装備しているものと変わらなかった。装備している武器は剣か槍で、鉈を持っている者はいない。

「やっぱり、鉈は少数派かな。もしかするとオンリーワン……ちょっと心細いかも」


 俺は歩き続け、その村の近くに来るまで、四つの隊商と擦れ違った。道の向こうに村が見えた時、俺はどうやって交渉するか悩んだ。


 その場に立ち止まったまま考えるのは、さすがに怪しまれると思ったので、街道の脇に聳えるくすに似た大木の影に入り根本に座り考えた。


 まず、自分の姿をチェックする。背丈は平均に近いが、用心棒たちと比べると厚みがない。要するに筋肉が足りないのだ。だけど用心棒の皆さんは普通の人より筋肉質だろうから問題ないだろう。


 顔はどうだ。鼻は低いしのっぺりした顔だ。イケメンじゃないがブサメンでもない。服装もちょっとみすぼらしいが大丈夫だ。


 武器は鉈だが、ちょっと兇悪な武器だ。街道までの途中でゴブリンと遭遇したが、こいつの一撃で首を飛ばして始末した。


「兇悪な武器を担いだ男が、訳の分からない言葉を喋りながら村に入って来たら……騒ぎになるか」


 鉈を手放す気は無かった。だが、騒ぎになるのも困る。俺は鉈を隠してから村に入ろうと決めた。座り込んでいる大木に登り、五メートルほど上にある枝に紐で鉈を括り付けた。


「ちょっと不安だけど、後で回収すればいいか」

 俺は村に向かって歩き始めた。村は高さ四メートルほどの石壁で囲まれていた。魔物の出没する世界では、村や町を壁で囲うのは当たり前なんだろう。


 朝起きたら、家の前に魔物が立っていたというのでは、安心して生活できない。しかし、あの翼竜なんかには効果が無いと思うんだが、別の防御策があるのだろうか。

 村の入口には門番が居た。俺は慎重に声を掛けた。


…………

………

……


 一時間後、俺は村の牢屋の中に居た。言葉の通じない俺は、必死に害意のない人間だと訴えたんだが、通じなかった。


 俺は村人数人に取り囲まれ、牢屋に投げ込まれた。荷物は取り上げられ、血で汚れたシャツとズボンだけは取られずに済んだ。


「クソッ! 神様、ひど過ぎるよ」

 牢屋は、村長宅の倉庫だった建物を改造したものだった。木の格子により囲まれていた二畳ほどの広さの牢だ。俺はしょんぼりと座り込む。


「日本に帰りたいよ。白いご飯が食いたい。風呂に入りたいよ」

 情けないと思うかもしれないが、この時の俺はホームシックに罹っていた。自力で牢から脱出するのは無理だと悟る。出来るのは待つ事だけだ。


 牢の中で眠れぬ夜を過ごした後、牢に一人の女が入って来た。歳は四〇代、赤毛の背の高いおばさんだった。魔法使いが着るような黒いローブを着ていた。


 整った顔立ちをしている。昔は可愛かっただろうが、今は―――そのおばさんが、殺気を孕んだ視線で俺を睨む。


「ご、ごめんなさい」

 俺は何故か謝っていた。本当に凄い視線だったんだ。


 おばさんは牢に入ると、俺が座っている所まで来て、俺の頭に手を当てた。

【聞こえますか。異国の人】

 俺は驚いた。


「あ、あんた、日本語喋れるの?」

【これは念話です。あなたの心に直接話し掛けています】

「テレパシーみたいなものか……あなたは誰なの?」


【私は村長のご子息に魔法学を教えているカステアと申します】

「俺は、日本から来たキジマです。牢から出して下さい」

【日本? それはどこに在るのです?】

「遠い島国だよ」


【聞いた事のない国です。余程遠い、海の彼方に在る国なのですね】

「それより、ここは何処なんだ?」

 念話というのは、考えていることを漠然と読み取るのではなく、言葉として形成された考えだけで交信するものらしい。つまり嘘もつけるし隠し事もできるようだ。


【ここは、ノスバック村です。知らなかったのですか?】

「知らない。何も知らないんだ。なのに牢に入れられて。出してくれよ」


【駄目です。門番が不審者だと言っています】

「違う。俺は犯罪を犯した事なんか無いし、犯すつもりもない」

【では、帝王猿の毛皮はどうしたんですか?】


 俺は正直に森で起きた出来事を話した。但し、ワイバーンの爪については隠した。

【分かりました。あなたは幸運な方のようです】

「この状況の何処が幸運なんだよ」


【私はミトア語をあなたに教えられます。どうしますか?】

 ミトア語というのは、大陸中央部で共通語として使われている言語だ。俺は喜んだ。言葉の壁が無くなれば、苦労が大幅に減る。


「お願いします」

【しかし、無料でとはいきません】

「ええっ! 金取るの。俺の荷物に巾着が入っていただろ。それが全財産だ」

【銀貨三枚と銅貨が少しでしたね。……足りません】

「どうしろと言うんだ?」


【銀貨三枚と帝王猿の毛皮、それに帝王猿の牙で作ったナイフを貰いたい】

 俺は正直、罠に填められたと思った。だが、別の選択肢は無かった。

「牢から出してくれるんだろうな」

【もちろんです。犯罪者でないと分かったのですから】


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