第2話 翼竜の爪

 少し疲れた。俺は自分の身長ほどもある大岩に登り休憩した。岩の上で胡座をかきボーッとした視線を前方に向ける。目の隅にチラリと動くものが見えた。


 ん、ウサギか。長い耳、丸い顔、柔らかそうな茶色の毛並みに赤い目。ここまではウサギだ。だが、柴犬ほどの体躯、長く伸びた爪はウサギじゃない。


 俺は岩の上に立ち上がって槍を構えた。ウサギはギョロリと俺を見て甲高い声で鳴いた。初めてウサギの鳴き声を聞いた。―――あれっ。


『ギャーウ!』

 違う、絶対違う。こんなのウサギの鳴き声じゃない。こいつは、俺が初めて遭った魔物だった。後に、このウサギが跳兎とびうさぎという名前であると知った。


 凶悪な魔物ではないが、自分のテリトリーを大事にして敵の実力を知る鋭敏な感知能力を持つ。跳兎にとって俺は強敵では無かったらしい。排除しようと飛び掛って来た。その名の通り、強靭な脚力を持つ奴で一飛で俺の胸に爪を突き立てようとした。


「うわっ!」

 なんとか躱したが、岩から転げ落ちた。俺は飛び起き跳兎の様子を見る。すでに岩を回り込んで飛び掛かる準備に入っている。槍を取り落としていた俺は、ナイフを抜き迎え撃とうとする。


 奴の爪が俺の頬を掠めた。頬から血が滴る。ダメだ……ナイフじゃ無理だ。俺は落ちている槍の所まで走り拾い上げる。後ろで奴の気配がした。振り向き様、槍を突き出す。偶然、槍の穂先と跳兎の軌道が交差した。

 ググッと確かな手応えがあった。槍は奴の胸に突き刺さり血が滴る。ドサリと魔物の身体が落ちた。


「ヘッ、へへへ……やった」

 俺はその場に座り込んだ。こいつが食料になると気付いたのは少し後だった。昔読んだ本から仕入れた知識を基に後ろ足を紐で縛り木に吊るし血抜きをする。


 その後、毛皮を剥ぎ、内臓を取り出した。毛皮は切れ目を入れるとスルリと剥ぎ取れたので自分でもビックリする。


 肉は適当に切り分け、背負い袋に有った塩を擦り込んで、近くに有ったバナナの木のような葉っぱに包んで背負い袋に仕舞った。


 たぶん三日分くらいの食料になるだろう。入りきらなかった肉は、ここで焼いて食うことにした。もちろん残った肉全部は食いきれない。


 まずは火を起こさなければならない。ファンタジー小説なら魔法一発で問題解決なのだが。火起こしに一時間掛かった。乾いた木の枝と燃えやすい枯れ草を使って摩擦で火を起こす方法だ。


 悪戦苦闘の末、火が燃え上がった時は涙が出たよ。煙が目に染みたという要因もあるが、何だか情けない気分になったんだ。


「ううっ、手が痛い。世界最高の発明はマッチとライターだな」

 細かく切った肉を串に差し焼く、最後に塩を振っただけの料理だったが満足した。跳兎の肉は、思った以上に美味かった。


 残った肉は勿体無いが捨てて行くしかない。毛皮は持っていく。もふもふした手触りが気に入ったからだ。これはしょうがない。


 水場を離れ獣道に沿って北へ北へと歩いた。途中、スライムに襲われた。緑色のドロリとしたスライムが俺の行く手を阻む。


 スライムの酸飛ばし攻撃、サッと避け短槍を突き出す。スライムの身体に突き刺さるが効果なし。おっ、次の酸が来た、躱して槍攻撃、ズボッと刺さるが効果なし。


「スライムは雑魚じゃないのかよ。んんっ、あれは何だ?」

 スライムの中央付近に周りより白っぽい部分が有った。もしかしてあれが急所か。俺は白っぽい部分を目掛けて槍を突き出す。


 ズボッ、ハズレ、もう一丁、ハズレ、クソッ、三度目の正直、ググッ……スライムの核に当たった。核を傷つけられたスライムは形を失いドロリとした単なる塊となった。スライムの核と言われるのは魔晶管の事であり、これが破損するとスライムは死ぬ。


 俺は、こういう『死闘?』を繰り広げながら北へと旅した。夜が来て、寝る時は木に登った。木に抱きつくようにして眠ったが、十分な睡眠を取れたとは言えない。


 北に進むに連れ出遭う魔物が強くなっているのを感じた。スライムの次は、ゴブリン。こいつは錆びた剣を持っていたので一生懸命逃げた。次に遭ったのが狼、コワーッ、もちろん逃げました。そして、特大の魔物に遭遇した。


 広葉樹が多かった森が変化し、針葉樹が多くなり、足元の落ち葉が少なくなる。空気もおかしい。空気が重く息苦しいような感じがする。


 灌木が生い茂る中を進み、もう少しで茂みから出ようとした時、獣の咆哮を聞いた。身体の芯が痺れるような吠え声だ。そして、別の声が鳴り響く。


『キシャーーーッ!』

 俺は茂みから顔だけを出して見た。三匹の怪獣が戦っていた。三メートルほどの巨大ゴリラ二匹と体高五メートルほどの翼竜が物凄い迫力で戦っていた。


 鋭い爪で巨大ゴリラの身体を引き裂こうとする翼竜と三〇〇キロはありそうな身体で体当りするキングコング。巨大ゴリラは雄と雌のつがいのようだ。


 この時、俺は占いなんか絶対に信じないと決めた。何でこんな化け物がいるんだ。

 俺は悟った。北の方角に人間が通るような道はないと。静かに決着が着くのを待つ。


 翼竜の翼と一体化した前足の先端には兇悪な爪が備わっていた。金属製でないはずなのに鈍い光を放っている。巨大ゴリラの強靭な皮膚を簡単に切り刻むほどの鋭利さを持ち、巨大ゴリラの打撃を受け止めても刃毀れしない強靭な材質で作られた爪だ。その爪が雌ゴリラの胸を引き裂く瞬間、オレンジ色に輝くのを見た。


『ウギョーーッ!』

 雌ゴリラの悲鳴が大気を埋め尽くす。血飛沫を上げたゴリラは地面をのた打ち回る。怒った雄ゴリラは、翼竜に組付き、翼竜の翼をもぎ取ろうとする。


 今度は翼竜が悲鳴を上げる。反射的な動きで蛇のように動く尻尾が雄ゴリラの後頭部に叩き付けられた。


『ウゴッ!』

 ますます怒った雄ゴリラは翼竜の爪の付け根に噛み付いた。ゴリラの鋭い牙がゴリゴリと音を立て爪を切り離す。ゴトッという音がして兇悪な爪が地面に落ちた。


『ギシャーーッ!』

 もう一度、尻尾が空気を切り裂き、雄ゴリラの顔面を強打した。強靭な筋肉の塊である尻尾は、雄ゴリラの歯を砕き鋭いナイフのような牙も根本から折れ飛んだ。


『ブゴッ!』

 雄ゴリラは脳震盪を起こしたようで大地に倒れ伏した。翼竜は執拗に尻尾を振り回し雄ゴリラの顔面を叩き潰す。一〇回以上の攻撃で雄ゴリラは絶命した。残る雌ゴリラは、未だにのた打ち回っていた。翼竜は後ろ足の鉤爪を雌ゴリラの首と腹に打ち込んだ。


 その一撃で雌ゴリラは息絶える。翼竜の勝利の雄叫びが森に響き渡った。俺はもう少しでチビッてしまう所だった。


 翼竜は雌ゴリラを掴んだまま北の空へと消えた。勝利した翼竜がナイト級上位のワイバーン―飛竜種―、負けた巨大ゴリラがナイト級下位の帝王猿と知ったのは、俺が異世界でハンターギルドに登録した後だった。


 俺は腰が抜けたようだ。下半身が痺れて動かない。目の前の大地に残っているのは、翼竜の爪と雄ゴリラの死体だった。漸く立ち上がった俺は、雄ゴリラの生死を確かめた。ツンツンと槍で突いてみた。反応がない。本当に死んでいるようだ。


 俺はどうしようかと悩んだ。ゲームなら他人が倒した獲物は剥ぎ取れないが、この異世界なら可能だろう。

「あの翼竜が戻って来たらまずいよな。手早くやれば大丈夫か」


 まず、あの翼竜の爪と折れ飛んだ雄ゴリラの牙を回収した。強力な武器が作成できると考えたのだ。次にゴリラの毛皮を剥ぎ取る。俺はナイフを毛皮に押し当てたが切れない。力一杯突き刺すが刃が立たなかった。


「なんて丈夫な皮なんだ……でも、あの爪は切り裂いたぞ」

 俺は爪を使って毛皮を切り裂いた。今度は成功した。かなり時間を掛け毛皮を剥ぎ取った俺は、翼竜が戻って来ないかとビクついていた。


「時間がない。後は少しだけ肉を持って行こう」

 俺は雄ゴリラの脇腹の肉を爪で切り取り肩に担いだ。遠くで空気を切り裂く音が聞こえた。翼竜が帰って来たのだ。俺は逃げ出した。もちろん、南へ向かってだ。あんな化け物が住む北へなんぞに行けるもんか。


 帝王猿の毛皮と肉、結構な重さだが手放す気にはならなかった。背後で翼竜の鳴き声が聞こえたが、休まず駆けた。それこそ死に物狂いで。日本に居た時の俺だったら、途中でぶっ倒れていただろう。だが、この異世界に来てから体力が増したみたいだ。


 俺は来た道を戻った。途中、木の上で一泊し、翌日湧き水の水場に着いたのは昼頃、体を拭き、水を補給した後、南へ進み、夕方近くに洞窟に到着した。


 そこで一休みした。この世界で三日ほど経過したと思われるが、十分な睡眠を取ったのは、これが初めてだった。


 翌朝起きると強烈な空腹感が襲った。跳兎の肉は食べ尽くしていたので、帝王猿の肉を食べた。筋張った肉はお世辞にも美味いと言えなかったが、貴重な食料だ。無駄にするなど許されない。


 帝王猿の肉を食べた俺は熱を出した。毒に当たったのかと心配するが、腹が痛い訳ではないので疲れが出たんだろう。その日は洞窟で過ごそうと決めた。ちょうど良さそうな木の枝を探し、ワイバーンの爪と帝王猿の牙を武器に加工しようと試みる。


 ワイバーンの爪は長さ三〇センチほどで鉄よりは軽いが、ズシリとした重さが有る。この爪に五〇センチほどの木の枝を取り付け紐で固定した。大きめの鉈の完成だ。試しに自分の腕ほどの太さの細木に斬り付ける。

 ほとんど抵抗もなく細木が切断される。


「な、なんちゅう切れ味だ。こいつは鉈の『村正』や」


 帝王猿の牙は長さ一五センチほどで、槍の穂先のような鋭さが有った。これに一五センチほどの柄を付け、クナイのような武器にした。鉈のような切れ味はないが、どんな硬い木にも突き刺さる十分な威力が有った。


 その日の昼と夜にも帝王猿の肉を食べた。また少し熱が出たがすぐに平熱に戻った。体力が削られるような感じではなく、逆に力が漲るような感じがする。この肉には興奮剤のような効果があるのかもしれない。


 翌日、南へと向かった。今度はあっさりと街道に出た。その街道は南西から北東へ伸びているようだ。迷った末、南西へと向かう。少しでも北から離れたかったのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る