2,一般人には程遠く
いつからだったか、世界には『異能』……レコードと呼ばれる能力を持つレコード保持者がいた。
手を使わず物を動かす力を持つ人、他人の気持ちがわかる人、まばたきをしただけで遠い場所まで移動できる人。
当たり前のように特別な力を持った世界ではその力を使い悪さを考える人々が現れ、同時にそれをやめさせようと考える人々も現れた。
片方は世間のために、片方は自分のために。
それがいわゆる――ヒーローとヴィランのはじまり。
「ふぁあ……」
頭がまだ働いていない状態で小さく背のびをして、あくびをうかべる。
昔はマンガの世界での出来事だったヴィランの事件だって今では当然のようにニュースで流れていて、俺はそれを横目に一口サイズのあんパンを手に取る。
「……これ、こしあんじゃん、誰だよ買ったの」
つぶあんのがよかったよ、食べるけどさ。
いつもなら自分から食べないそれを口に運びながら、ソファーに置いてあったカバンを手に取る。
――先ほど百合丘区で、ヴィランによるテロ事件がありました。現在状況は……
「……百合丘って、隣の区じゃん」
いつもと変わらない、あまり気持ちのいいものではない報道を聞きつつ溜息を一つ。安全安心と言われた日本がどこへやら、今ではどこでヴィランに襲われるかわからない危険と隣り合わせの国だ。
どこでなにが起こるか、どこで事件に巻き込まれるかもわからない。そんな、日常。
自分とは関係ないような他人事で考えていると、朝からどたどたとせわしなく走る音が聞こえてきて。
「若、おはようございます!」
「なにを一人でおっしゃっているんすか!?」
「うるさいよ、そこ」
朝くらい静かにできないのか、こいつら。
肩を落として、目の前にいる大人達の横をすり抜けていく。あぁもう、本当にうるさい。
「……けど、辞めないで父さんについてきてくれているのは助かるよ」
「若、なにか?」
「いや、なんでもない」
そのまま背中を向けて、深呼吸。聞かれても全然いいけど、それはそれでなんか恥ずかしいから。
「じゃあ、行ってくる」
「あ、若学校ですか!」
「そうだよ、学校だからついてこないでよ」
「太一様も、とうとうお一人で登校できるように……」
「いや、もう俺中二だから」
もしかしなくても、俺をバカにしているのかもしれない。
わざとらしくむくれた表情を作りながら背中を向け、足早に玄関へ向かった。
くつを履くと後ろから当然のように全員ついてきて、折り目正しく俺の事を送り出す姿勢を作っていた。そんな、俺は父さんじゃないから送り迎えはいらないって言っているのに。そういう真面目なとこがヴィランに向いていなんだよな、口がすべっても本人達には言わないけど。
「若、お弁当」
「若忘れ物ないですか!」
「うちの中学校は学食、忘れ物はない――いってきます!」
こうやってうるさいのも困りものだけどな。
逃げるように背中を向けて、門まで続く階段を急いで降りる。小さな庭を抜けて門をくぐると、ふと数か月前までは門になかった場違いな看板が目に入り足を止めた。本当に、この一か月で俺の生きる世界は変わってしまった。
「けどなんでこう、家が西洋の感じなのに看板はヒノキの板にしたんだろう」
論点は外れている気がするけど、気にしない。ヨーロッパや高級住宅地でありそうな門の横に置かれたそれを見ながら、溜息一つ。そこに書かれているのは、先日の父さんの言葉を表しているもので――
「……いや、それにしては安直だろ」
万事屋、ヴィラン。
それが父さんの――この街のヴィラン達による新しい形だ。
***
父さんから飛び出したとんでもない発言は、またたくまにラグナロクのメンバーのみならず近くの敵対ヴィランにも届いた。
元々ヴィランは自分達のテリトリーが決まっていて、そのうちの一つが解体を決めたんだ。そりゃ、近くをテリトリーにしているヴィランからすれば一大事だよ。
ラグナロクが、此守区のヴィランが解体される。
此守区のヴィランに穴が開く。
穴が開いた地区を狙って、当然近くのヴィランが集まってくる。
それがわかっていたのか、父さんはラグナロクを解体した直後に万事屋を立ち上げた。それがここ、街を守る万事屋ヴィラン。
「……いや、名前が想像以上にダサい」
もっといい名前はなかったのか、それこそラグナロクのがまだマシだったよ。
最初は俺だって、こんなのは無謀だなって思った。だって、今まで悪役をやっていたレコード保持者が突然人助けの会社を始めたんだ。俺の家がヴィランの本部だったと知らない人でも、急にいかつい大人達が万事屋として活動していたらびっくりするだろう。少なくとも俺なら、お巡りさんを呼ぶ。
「けど、まぁ……」
それでもラグナロクのほとんどは辞めずにそのまま残ってくれたし、そこについては息子としてもありがたいと思っている。正直、このまま反対派ができて分裂まで考えていた。
「そう考えると、そこら辺は父さんの人脈だったのかもしれない……けど、けどさぁ」
「そうっスよねぇ、ボスはいつだって自由だ……まぁオレは、そういうところも好きなんスけど」
「っ……」
俺から見て、少し後ろの右の塀。その声につられて、思わず足が止まる。
どこか間延びしていて、そのくせ感情のわからない不思議な声。聞き慣れたそれに肩を落とすと、俺はそっと声のする方へ顔を向ける。
「ちなみに聞くけど――いつから俺の後ろにいたの、悠人」
そこにいたのは、少し吊り気味の黄色い瞳をこちらに向ける色素が少し薄いくせっ毛の奴で。
神倉悠人。
俺のクラスメイトで幼馴染み……というよりは、ラグナロクで俺の部下という位置づけになっていた奴だ。
元々神倉家は父さんの部下だったのだが、次期ボスと言われていた俺の側近にさせるべく悠人は育てられたらしい。そんな俺の事なんか気にしなくていいのに、悠人本人もそのつもりらしく。ラグナロクが解体された今だって、俺の事を昔と変わらずご主人なんて呼んで後ろをついて回っている。
「ずっといたっスよ」
「お前まさか、また俺の影に」
「それがオレのレコードっスからね?」
当然のように笑う悠人の影は、言葉に合わせるように不規則な動きを見せていた。
悠人のレコード【スカー】。
影を自在に動かしてその中にも入る事ができる能力は、どちらかと言うと夜襲に向いている。まぁ、ラグナロクが解体されてからはもっぱら情報収集要員だけど。
ただし夜襲でもそれは、光がある場所だけ。
真っ暗な場所ではもちろん影ができないから、そこではただの一般人になるのが弱点だ。
「けどいつも思うけど、なんで俺の影に」
「歩くのがいやだから」
「運動しろ成長期」
「それご主人もっス」
そうだけどさ、そこで俺を引き合いに出すな。
自分でもわかるくらいに疲れた顔で溜息をこぼすと、それを横で見ていた悠人があれ、となにかに気づいたように声を上げた。
「今日もご主人は、ストレスマックスのようで」
「当たり前だよ、朝から父さんの部下達はうるさいし」
「なるほどなるほど、それでは感情が溜まっていると!」
「当然だろ…………ん?」
話の流れでうなずいたけど、悠人今なんて言った?
感情が、溜まっていると?
墓穴を掘ったかもしれないと目線だけを悠人へ動かすとじっとニヤニヤ顔でこちらを見る悠人が、あぁだめだ、目が合った。
「さて――そんなご主人に、ご依頼だよ」
「…………なんでまた、俺がこんな事を」
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