決着

 アルフォンス君の位置取りが、一番遠い距離でよかった。

 僕は手錠がはまった自分の左手首に視線を移す。

 切るのは鎖じゃない。――僕の手だ。


 なんだか急速に音が遠ざかった気がする。息苦しくて、自分の心臓の鼓動だけを激しく感じる。


 大丈夫だ。

 問題ない。

 生きてさえいれば、元通りになる。


 ――暗示をかけるように自分に言い聞かせる。


 残念ながら僕の魔法では痛みは止められない。が、止血ならできる。

 だから、死にはしない。ただ、ちょっと死ぬほど痛いだけだ。

 人を殺そうとするなら、自分が傷付くことも覚悟しろ。


 手錠さえ外せれば、魔法が使えるようになる。

 最終手段として考えていた正当防衛を目論んだ直接攻撃と見せかけて、最善手の密かな魔法攻撃だ。

 スプラッタまがいの派手なパフォーマンスで僕に注目を集めている隙に、あり得ないような事故に見せかけて一瞬でジェラールの息の根を止めてやる。


 そうしたら晴れて自由の身。ジェイソン・ヒギンズの呪いから解放される。最終ゲームの勝者が相続する遺産の中には、キトリーから返還された治癒もあるはずだから、うまくすれば怪我だってその場ですぐに治せるだろう。


 あと、少しだ。


 空中で固定されている鎖の先端に左手を乗せる。周囲に壁や台などないし、鎖の長さが床までは届かないので、安定して置ける場所がここしかないためだ。

 骨で止められて、もう一撃おかわりなんで絶対ごめんだ。手首の関節をしっかりと見定めた。


「だめです、コーキさんっ!!!」


 残念ながらアルフォンス君だけは最後まで騙しきれなかった。僕の意図に気が付き、喉が張り裂けそうな声で絶叫した。

 僕は不安など何もないとばかりに、軽く笑って見せる。


「大丈夫です。僕は、君より先には死なないと決めています。とっとと終わらせて、日常に帰りましょう」

「コーキさんっ!!!!」


 右手で鉈を振り上げる。


 アルフォンス君との緊迫したやり取りと、何より切るはずの鎖を切れない状態にたるませた上で、僕の左手の上にかざされた鉈に、僕の真意を悟った周囲から悲鳴が上がった。



 



 僕は完全に覚悟を決めていたのだが――しかし結果として、鉈が振り下ろされることはなかった。


 視界の端で、何かが光った気がした。

 そしてジェラールの方から、どさりと音が聞こえたのだ。


 はっと視線を送り、予想外の光景に思わず動きが止まる。


 肉が焦げる臭い。

 額から薄く煙を上げているジェラールが、光の消えた目を見開いたまま、糸の切れたマリオネットのように床に倒れていた。


 想定外の光景を、呼吸も忘れて凝視する。


 違う。これは、僕じゃない。まだ、魔法は解放されていなかったのだから。


 一息遅れて、カランと複数の音が床に響く。ちょうど今、勝手にみんなの手から手錠が外れて落ちた。


「え? なに、これ? ――終わったの?」


 誰かの声がひどく遠から聞こえた気がした。


 ――そうだ、全て、終わってしまった。


 さっきまで狂気に満ちた軽口を叩いていたジェラールが、どう見ても事切れている。即死だ。


 信じられないほどに呆気なく。


 僕は愕然として、自分を支えることもできずに膝をつく。

 ――完全にしてやられた……。

 こんな形で終わらせるはずじゃなかったのに。


 どうして? まさかここまでが、ジェラールの計画だったのか?

 いや、が手を組んでいるはずはない。

 おそらくこの場での咄嗟の状況判断だ。僕とジェラールそれぞれの意図を読んだ上で、漁夫の利で出し抜いてきたんだ。


 自分のやるべき仕事に囚われて、僕が最速でやってしまえばいいと、他への観察と読みが甘くなった。僕の目立つ行動を陽動に使われ、まさにこのタイミングを狙われたのだ。

 最後の最後で、全部持っていかれた。

 うかつにも程があると歯噛みする。ゴールを目の前にして、の存在がすっぽりと抜け落ちていたなんて。


 ――僕が、命を懸けてでも一番避けたかった事態が、起こってしまった。


 床に手を突き、ただ後悔の念に駆られる。ちゃんと情報は持っていたのに、どうして注意を払い忘れた。

 軍曹の遺産が、渡してはいけない者の手に相続されてしまうことへの絶望で、しばし呆然とする。


 しかし現実逃避しかけた状況で、ふと周囲の異様な気配に気が付いた。みんなの様子がおかしい。


 強いられた殺し合いの時間は終わり、恐怖の時間から解放されたはずなのに、安堵感がない。むしろ深まる戦慄の表情で、ジェラールの遺体とは別の方向を凝視している。

 僕の後ろの方を。


 なんだ? 何が起きている?


 その視線を追って振り返り、息を呑んだ。


 フワフワの手にレーザー銃を持った僕の執事クマ君が、ジェラールの遺体を撃っているという、実にシュールな光景がそこにあった。


 それも一度だけでなく、何発も何発も執拗に。ゆったりとしながら微動だにしない片手の射撃姿勢で、数秒おきに淡々と。


 その行動と、周りの反応を見てはっとした。

 不覚にもショックで頭が真っ白になってしまったせいで、こんなことに気が回らなかったなんて。


 さっきジェラールの身に起こった出来事を正しく把握しているのは、おそらく僕とだけなのだ。何故なら全員の視線は鉈を振り上げた僕の行動に釘付けになっていたのだから。


 テディベアが突然レーザー銃でジェラールを射殺した――それが今、目撃者達の目に映っている真実。

 まさに、合えり得ない事故が起こった――そういう構図だ。僕が思い描いていた通りの。


 絵に描いたような『突然狂って暴走するロボット』の図が、目の前で繰り広げられている。すでに動かないジェラールの死体に、淡々と作業のようにレーザー銃を撃ち込み続けるクマ君。

 ぱっと閃光が走るたびに、ジェラールの服と体に焦げ跡が付き、煙と嫌な臭いが充満していく。傷口は焼き付いて、血が噴き出ることもなく、ただ数秒間隔で小さな黒い穴が全身に増えていく。


 心を持たないロボットの矛先が、いつ自分に向くとも分からない。

 狂気の沙汰の光景に、もう誰も悲鳴すら上げられず、下手に動くこともできずに恐怖に立ち尽くしていた。


 そんな中で、僕だけは胸を熱くして震えていた。

 呼吸すら忘れ、思わず口元を手で覆う。


 クマ君、クマ君、君は!


 その誰が見てもまったく理由の読めない不気味な行動の意味が、僕には分かった。

 まるで僕の自傷行為を止めるために、元凶を始末してくれたかのように見えるだろう。

 でも違う。僕は何の命令もしていない。全てが終わった直後、ただ切実に願っただけだ。

 クマ君は、僕の手なんかよりも、もっと大切なものを守ろうとしてくれてくれている。僕の一番大事なものを、願いに応えて手を貸してくれているのだ。

 ジェラールが死亡し、ゲームが終了したからこそできることで。軍曹のプログラムとは別のところで、自身の判断で。


 ――涙が出そうだ。

 そしてこの状況だったら、まだ僕にやれることはあると気付いた。君が力を貸してくれるなら。


「「「「おめでとうございま~~~~す!」」」」


 にぎやかな『おもちゃの交響曲』をBGMに、テディベア達が祝福の口上を述べる。


「課題の演目をオールクリア!!!」

「ジェラール・ヴェルヌの死亡を以て、ジェイソン・ヒギンズの遺産相続を終了といたします!」

「皆様、お疲れさまでした」

「これで永遠のお別れよ~~~バイバ~~~~イ!!」


 何が何だか分からない混沌の中で突然出た思わぬ宣言に、一同は我に返り、顔を見合わせる。


「え、なに!?」

「どういうこと!?」

「終了って……帰れるのか?」

「本当に、終わったの……?」

「え、えっ? 遺産って結局どうなったの?」


 絶望的状況から突然差した光明に、みんなの表情に希望が宿る。最後の空気を読まない発言はジュリアンだ。


 冷静さを取り戻した僕は、次にやるべきことを計算する。僕の失敗をリカバリするチャンスが、一つだけ残っている。

 できる保証などなくとも、思いつく限りで全力を尽くすしかない。


 もう余力を残す必要はない。全てが終わるこのタイミングで訪れる、一度きりのチャンス。

 僕の――マリオンの魔法でのみ、掴み取れる可能性がある。


 残る全ての魔力を振り絞り、おそらくこの機動城では最後となるだろう魔法を発動させた。

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