アルフォンス

 続いて気になるのは、僕の――いや、マリオンの家族。


 資料の写真を確認する。黒い髪、青い瞳の青年。

 ああ、やっぱり、彼だった。残されたたった一人の家族だ。


「――――」


 一通り目を通して、深い溜め息を吐く。


「――これは、想像以上に重い……」


 思わず唸るように独り言を漏らした。


 彼のこの十五年間を思うと、痛ましさに胸が苦しくなる。境遇が僕とあまりに似ているせいだろうか。

 いや、ある意味、僕よりひどい。


 僕は、これからどう彼と関わろう。


 それとも、いっそ一切関わらないであげた方がいいのだろうか。苦しい記憶から切り離して、そっとしておいた方が。


 基本的に即断即決の僕が、珍しく結論を出しあぐねて迷っている間に、決断の機会を逃すこととなってしまった。


 僕の方に近付いてきた足音が止まった。


「――マリオンっ……?」


 ほんの数時間前、処刑場で僕を呼んだ声が、再び聞こえた。


 顔を上げた先に、長身の男性が立っていた。あの黒髪の青年が。


「アル……フォンス君、でしたか」


 僕も彼の名前を呼ぶ。

 彼の名は、アルフォンス・デュラン。血縁上は従弟。

 実質的には義理の弟。


 なぜここに? ――とは思わない。


 資料によれば、彼は警察関係者だ。

 それも、日本でいうならバリバリのキャリア組。最難関の弁護士資格まで持っている、二十四歳の超エリート。

 職場のシステムを私用で使うのはあまり感心しないが、今はそんなことも言ってられなかったのだろう。


「マリオンさんでは、ありませんよ?」


 静かに、言い聞かせるように告げる。


 分かってはいても、そう呼びかけずにはいられなかった。そんな気持ちが伝わってくる。


 ――やはり、姉ではなかった。


 すがっていたひとかけらの希望を当人からあっさりと否定され、彼の顔にどこか自嘲めいた色が浮かぶ。


「そう……でした、ね……。すいません……」


 きっちりとしたスーツ姿の見るからにエリートといった青年が、あからさまに悄然と肩を落とす。


「謝らないでください」


 僕の小さな弟の姿が、また脳裏でちらつき出した。

 あまりに可愛くて、ついかまいすぎては泣かせてしまった過ぎ去りし日を思い出す。


 彼――アルフォンス・デュランは、マリオン・ベアトリクスの従弟であり、弟だ。


 父親同士が兄弟で、母親同士は親友という、家族ぐるみの付き合いだった。

 二家族での楽しい旅行中、事故に巻き込まれるまでは。


 それによって彼は、七歳で両親を喪い、たった一人の身の上となってしまった。


 同じくベアトリクス家も、その事故で母親を亡くしていた。

 悲しみを癒し合うように、一家に迎え入れられた少年。

 父親のセヴラン。双子の姉弟のマリオンとルシアン。末の弟のアルフォンス。

 お互いにかけがえのない家族となった。


 彼にとって、マリオンは母親代わりでもある義姉なのだ。


 そして十五年前の事件では、義父と義兄を殺した、仇でもある。


 ――ああ、確かにこれは、複雑だ。


 僕は彼の扱いに困り、ただ無為に見つめて相手の出方を待つ。


 彼自身、感情に任せて駆け付けたはいいが、どうすればいいのかと戸惑っている気配がありありとうかがえる。

 姿こそ姉のマリオンだが、僕にとって彼は初対面の他人のはずなのだから。


 友人のつもりでうっかり親しげに声を掛けたら、振り向いた人はまったく見ず知らずの他人だった。たまにあることだが、実に気まずく恥ずかしい空気となる。

 今の場合、そんな軽いものとは比較にならない緊張感をはらんでいるのだが。


「――す、すいませんでした」


 結局また、彼は謝った。


「何に謝っているのですか?」


 少し言い淀んでから、観念するように白状する。


「――こんな、居所を探って追い回すようなことをしてしまって……」

「かまいませんよ。君の事情は把握しています。アルフォンス・デュラン君」


 僕は、努めて軽く答える。


 彼の心の中で吹き荒れる葛藤は、本人にしか分からない。

 大切な家族である姉。けれど大切な家族を殺した仇。


 目の前で執行される死刑を、どんな思いで見届けたのか。

 国家によって否応なくもたらされたその死を受け入れ――いや、受け入れる間もなかったかもしれない。それが、今度はまったくの別人として蘇って、囚人だったはずが今や堂々と自由の身だ。


 その上、事件当時とほとんど変わらない姿の姉が、今こうして、他人として接してくる。

 彼の中で渦巻いているであろう怒りも悲しみも復讐心も、ぶつける対象ではもはやなく、幸せな家族の思い出も共有できるわけでもなく。


 運命の彼に対する仕打ちには、同情の一言ではとてもすまされない。


「君は僕を……いえ、マリオンさんを、恨んでいるのですか?」


 単刀直入に尋ねてみる。もしその感情があるのなら、僕達はこれ以上関わるべきではない。


「そんなはずがない!」


 アルフォンス君は反射的に激高し、それからはっとして気まずそうに、けれど真っ直ぐに僕を見返す。


「すいません。――でも、マリオンが、父さんとルシアンを殺すわけがない。絶対に、ありえない。訳の分からないことばかりだったけど、俺は、それだけは確信しています」


 そう、迷いのない顔で断言した。そして苦しそうに、掠れる声で微かに呻いた。


「――なのに、俺は、間に合わなかった……」


 振り絞るような心の叫びに、僕は言葉もない。


 どんな証拠があろうとも、世間に何をどういわれようとも、彼は一瞬たりとも揺るぎなく、姉の無実を信じ続けていた。わずか十歳で、また一人残された時からずっと。


 その絶対的な信頼と強い想いに、胸を打たれる。


 資料で読んだ情報に過ぎなかったはずの彼の十五年間が、重みを持って僕の中で形作られていく。

 その愚直なまでの努力が、軌跡が、目に浮かぶようだ。


 児童施設で勉強に明け暮れ、たった三年で義務教育をスキップし、独り立ちの権利を得て家族の残した自宅へと戻った。

 姉の無実を勝ち取るために法律を学び、弁護士資格を取り、家族の死の真相を追求するために、捜査官の道へと進んだ。

 それはおそらく、僕が医師を志した理由と、根を同じくするものだ。


 だとしたら、今の僕でもきっと、彼に力を貸せる。


 いや、むしろ僕自身が、それを望んでいるのだ。


 平穏が一番いい。その理想は今も変わらない。


 しかし相反する思いが、僕を突き動かそうとしている。


 無情の処刑直後の、チェンジリングという奇跡。


 まともとも言えない証拠によって、死刑という方法で合法的に口を封じられてしまった亡霊から、恨みを晴らしてくれと、まるで僕に託されているようだ。


 今、君がどうなっているのかを知る術は、僕にはない。

 だが、事件後ずっと意識不明で、何も知らないままに冤罪をかぶせられ、やっと目覚めたところで抵抗の余地もなく処刑されたのだとしたら、どれほど無念だったことだろう。


 ほんの少し前まで、確かにこの体の中にいたはずの魂に、心の中で誓う。


 今の僕には何の力もないけれど、君の無念は、必ず僕が晴らそう。

 君を処刑に追い込んだ何者かに、正当な報いを受けさせよう。


 自分の足元すらまだ定まってもいない現状で、ただ強い意志だけが、僕を奮い立たせる。

 この予期せぬチェンジリングは、この使命を果たすためにあったのだとすら錯覚している。それでかまわない。


 僕は必ず、マリオンの無実を明らかにしてみせる。

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