マリオン
まずは、現在の体の詳細について知りたい。
ブレスレットには、すべての関係資料が入っている。早速情報を引き出して読み始めた。
ちなみに文字に関しては、ヒアリング同様問題ない。むしろ英語より読みやすいので、アルグランジュ語での表記にしている。
マリオン・ベアトリクス。それが本来の名前。
「――年齢が、現在三十二歳?」
いきなり引っかかる。どう見ても未成年だが、その実年齢だったら、いろいろと納得もできるというものだ。
ちなみにファンタジーのエルフのような長命種などは存在せず、年齢の感覚はほとんど地球と変わらない。進んだ美容医療で信じられないレベルの若作りはあるが、収監されていた身ではそれもないだろう。
死刑囚となった罪科は、家族と血縁者の殺人。その数四人。たとえ未成年であっても、死刑は免れなかった。
「は、ははは……」
思わず、乾いた笑いが漏れる。
――これは、まさしく凶悪犯ではないか。もはや驚きを通り越して、失笑するしかない。
資料によれば、十五年前の十七歳当時、一族が集められた遺産相続の場で、相続人候補を四人も殺したのだという。被害者のうち二人は、マリオンの実の父と双子の弟だ。
思わず、口元を押さえる。
――家族を殺すなど、ありえない。
どれほど遥か遠くなっても薄れない記憶――思い出したくない映像が頭をよぎれば、決して消えてなくなることのない怒りが、僕の中で蠢き始めてしまう。
冷静に努めるように、資料に視線を戻した。
見た目の年齢がほぼ当時のままな理由も、そこに記されていた。
事件解明のため、マリオンの体の時間が止められたのだ。
SF風に言うなら、人体冷凍保存のようなものだろうか。実際には冷凍ではないのだが、特別な事情がある場合に限り、個体の時間を停止する装置の使用が許可される。
この国では、基本的に偽証や黙秘はあり得ない。
犯罪者などに対しては、脳内の記憶を外部から読み取る装置を使うためだ。自白などなくとも、直接脳に刻まれた記憶を映像化してしまう技術で、問答無用に立証される。
マリオンの場合の事情は、本人が事件後、何故か昏睡状態で発見され、以後十五年近くそれがずっと続いた点。
そして殺されたという四人の遺体も、殺人の痕跡も、凶器すらも、まったく確認できなかった点。
まったく、これほど意味不明の連続殺人事件があるだろうか? 見つからなければ、ただの行方不明ではないか。
これでマリオンが犯人となったのは、一族の中から犯行の目撃証言、それと遺体の目撃者が複数出たことだ。
しかし肝心のマリオンは、まったくの無傷でありながら、一向に目覚める気配がなかった。
一方で目撃者は、自分の記憶をのぞかれるというプライバシーの侵害を拒否する権利があり、当然行使した。確かに脳内丸裸というのは気分のいいものではないので、強制されない限りはほとんどの人がその選択をするそうだ。
しかしこの世界版の、いわゆる嘘発見器では、証言者は全員偽証していないと判定された。こちらの世界の嘘発見器の精度は、ほぼ100パーセントだ。
そこで容疑が濃厚となったマリオンに、記憶読み取り装置の使用が許可された。
ただ、一つ大きな問題があった。
長期間正常な活動をしていない脳からは、記憶が徐々に損なわれていき、読み取り精度が落ちてしまうのだ。
そこで鮮明な記憶を保つため、記憶走査をする間以外のマリオンの肉体の時間経過は止められることになった。
しかもその装置を利用する場合、被験者の心身の負担を考慮して、十日間の内、二時間以内しか使用が認められないと、厳格な基準が定められている。
たとえ犯罪の容疑者であっても、さすがに人権意識の高い国は違う。
しかし実際のところは、体の時間が停止されているわけだから、クールタイムなどないと言える。法の穴を突いたかなり悪辣なやりかたである。人権はどこへ行ったのか。
人権団体からの抗議の声もあったようだが、何故か門前払いだったという。
ともかく、事件から十五年が経つが、マリオンの体は、十日につきせいぜい数時間ほどしか、成長していないということなのだ。肉体の実質年齢は、ほぼ事件当時の十七歳のまま。半年も成長していない。
昏睡時の脳の走査は、手間と時間がかかる。会話が成立する相手でなければ、核心を突いた質問を投げかけて、意識を誘導することができない。すべての膨大な記憶を、片っ端から当たっては潰していく、非常に地道で困難な作業だ。
結果、十五年かけてようやく、殺人を犯した記憶を、不鮮明ながらも一件だけ記録することに成功した。マリオンは確かに、その手で人を殺していた事実が確認されたのだ。
そして連続殺人事件は立件され、容疑者意識不明のまま裁判は進み、とうとう死刑が確定した。その頃合いを見計らったかのように、なぜか突然マリオンの意識が突然回復したが、もう手遅れだった。
その上、やはり無理な脳内走査の悪影響か、完全に錯乱していて、正常な精神状態ではなかったそうだ。
そんな中でも死刑の日取りは無情にもやってくる。大人しくなる薬で行動を抑制され、ついに本日執行となったわけだ。
その死亡のタイミングが、まさに僕の急死と重なり、奇跡的なチェンジリングに繋がったと。
――なんという巡り合わせだろう。いや、それともこれは、お互いに心残りを抱えた者同士の執念というべきか。
それにしても、一体なんなのだ、この事件は……。あまりにも、不可解で滅茶苦茶だ。
まるで僕の趣味の推理小説のように謎だらけだ。なぜこれほど無理やりな結審がなされたのか、理解に苦しむ。
まず、なぜマリオンは、意識不明となったのか。それすら分からないままだ。怪我でも病気でもなくずっと昏睡が続くなど、尋常ではない。まして、医学が遥かに発達しているこの社会で、その原因も解明されてはいないなどと。
しかも死刑が確定してから、突然意識が戻った? 確認してみたが、この国の法では昏睡状態のままでの死刑執行はない。まるでわざわざ死刑にされるために復活したようではないか。
その上、被害者全員の遺体が今もなお発見できないまま? ますますわけが分からない。
実際には一人として死亡確認はされていないのに、マリオンは四人殺害したことになっている。
容疑者の記憶を直接読み取るなどという究極の捜査手法が確立されているせいで、最も初歩的な基本の証拠集めなどが蔑ろにされているのではないだろうか。
容疑者マリオン・ベアトリクスを死刑に追いやった証拠は、その記憶の映像から録れた一件の犯行記録と、目撃したという親族の証言のみなのだ。
結局真相は闇の中。ただ、裁判でそれらしい物語が作り上げられ、一人の少女は反論の機会も与えられないまま、殺人者として死刑にされてしまった。
あまりに進みすぎた科学捜査が、逆に事実の解明の邪魔になっているかのようだ。
この件に関しては、資料を読み込みながら、随時考察していこう。
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