錯覚
「あ、今更ですが、改めて――マリオンの従弟のアルフォンス・デュランです」
気まずい空気を振り払うためにか、アルフォンス君が態度を切り替えて挨拶をしてきた。少々きまり悪そうなのは否めないが。
「来栖幸喜です。マリオンさんのチェンジリングだそうです」
僕も自己紹介を返す。おそらくはある程度の情報も、職務権限ですでに得ているのだろうが。
「クルスコーキ、さん……?」
「幸喜で結構ですよ。幸せで喜ぶという意味です。一向にそんなことはありませんがね」
アルフォンス君は、僕の鉄板のブラックジョークに不思議そうな表情を返しながら、「……コーキさん」と上書きするように数度繰り返した。
おそらくはマリオンではないと、自分に言い聞かせているのだろう。ともあれ、この国でこのジョークを飛ばすのはやめた方がよさそうだ。苦笑すらされないとは。
「コーキさんは、これからどうされるんですか? その、すべてがゼロからの出発になってしまうわけですよね……」
話題転換のように尋ねられ、僕も首を捻る。
「さて、まだ考え中です。まずは住む場所を決めて、具体的に考えるのは、生活が落ち着いてからですかね」
「――あなたにとっても、大変な状況なんですよね……そんな時に、俺の個人的な事情で煩わせてしまって、申し訳ないです」
ようやく思い至ったかのように、同情の口振りで反省を示す。
「なに、大したことではありませんよ。どうせ向こうでは発作で死んだところだったんです。命拾いしたと思って、第二の人生を生きるだけです」
僕の気負わない返答に、アルフォンス君は驚いたように目を見開いた。
「どうかしましたか?」
「いえ……マリオンに言われたような気がして……。本当に、そういうことを言いそうな、とにかくおおらかで前向きな姉でしたから」
「マリオンさんでは、ありませんよ」
「――はい……」
最初の一言をもう一度繰り返し、彼もぎこちなく頷いた。
どうやら僕は地雷を踏んでしまったらしい。今の僕は前向きというより、投げやりなだけなのだが、もう少し彼への配慮は必要かもしれない。
あまり錯覚させないように。
やはり家族の死とは、そう簡単に飲み込めるものではない。時間が必要なのだ。
「ああ、そういえば、僕は君の家の権利を半分持っているそうですが……」
ふと、実務的な用件を思い出す。これから必要な事務手続きのうちの一つに、その件も含まれていたはずだ。
「君が気になるようなら、次の手続きの際に権利を放棄しようと思っています」
「え、どうしてですか? 必要ありませんよ」
驚いたように問われ、逆にこっちが意表を衝かれる。親切で提案したつもりなのに、むしろ異を唱えられるとは。
「コーキさんの正当な権利です。これは身一つでこちらに来る――いえ、体すら自分のものではないチェンジリングへの、国が定めた救済措置でもあります。俺が不当に奪うわけにはいきません」
「確かに法はそうかもしれませんが、心情的にはあまりに図々しい気がします。大切な家族の家に、他人が土足で踏み込んでいくようなものではありませんか」
「俺は気にしません……というか、さっきまではいろいろ考えていたんですけどね……」
苦笑しながら、ゆっくりと言葉を探すように続ける。自分の気持ちを整理するように。
「この十五年、刑務病院に収監されていたマリオンには一度も会えなくて……やっと会えたのが今日の処刑で……。正直、俺もずっと、混乱してました」
それは確かに、察するに余りあるものがある。
ただ一人残された家族の生命進退がかかったまま、十五年もの生殺しなど、僕だったらとても耐えられそうにない。ましてや十かそこらの少年の頃からとは。
「あなたに会って、どうするつもりなんだって――自分でも分からないのに、ただいてもたってもいられずに会いに来てしまいました。今こうして話してみて……本当に、いろいろあったものが、全部吹っ飛んだ気がします。目の前で、自由に動くマリオンがいる。それだけで、何か重いものから解放されたような、そんな気がしています」
「――それは……」
「分かっています。代償行為とか――そういったものなんでしょう。それでも、です。今の精神状態を、無理に動かそうとしない方がいいだろうと、自覚しています」
「――そうですか」
どこか吹っ切れたような物言いに、僕はそれ以上何も言わなかった。
彼はあまりにもいっぱいいっぱい過ぎたのだろう。今は、仮初でもマリオンが元気で傍にいる。たった一人残った彼の家族が。
そんな偽りの拠り所に、支えられている状態なのかもしれない。
その精神の均衡を、曲がりなりにも医師である僕が崩すわけにはいかない。
というのは、言い訳になるのだろうか。
今日、いろいろあったのは僕も同じだ。
落ち着いているようでも、人生のすべてがひっくり返る経験に、それなりには動揺しているのだ。
こんな立派な青年の姿の奥に、僕の記憶の中の小さな弟がちらちらと浮かんで、どうしても振り払えない。
彼が僕の中にマリオンを見ているように、僕にも、彼の中に甘えてくる弟が見えてしまっている。
僕は、弟には弱かった。あまりに可愛すぎて、時にからかいが度を越したり、逆にむやみに甘やかしたり――そんな遠い記憶が、最近のことのように思い出される。
そしてその心地よく懐かしい感触を、僕も無理に投げ捨てる気にはなれないのだ。あまり建設的ではないと、弁えてはいても。
そんな感傷的な気分に浸ってしまったせいだろうか。
ふと、言うつもりもなかった言葉を口にしてしまった。
「君達の家を、見せてもらってもいいですか」と。
やはり、僕も少々自分を見失っているようだ。言ってから後悔するが、もう遅い。
不躾ですらある唐突なリクエストに、アルフォンス君はわずかな驚きの後、嬉しそうに笑った。
「もちろんです。歓迎しますよ」
その反応に嬉しさを感じるのは――これは共依存の徴候なのだろうか。
冷静な部分で危うさは感じても、彼の招待を受けない口実が、僕は思いつかなかった。
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