第11話 そういえば

 三年生になり、数学の選択授業で花井を見かけたときに、私は突然相馬のことを思い出した。そういえば、どうなったんだろう。もうとっくに学校に出てきていてもおかしくはない頃だ。そう思って改めて花井に声を掛けようと思ったとき、花井は私の顔を見たとたん、あからさまに視線を逸らせた。

 ん?今のは、なんだ?

 よくわからない。わからないが、とにかく今、花井は私と会話を避けたいのだろうということはわかった。少し考えてみたがよくわからず、もう一度花井を見た。分かりやすいほどに意識的にこちらに背を向けて、友達に話かけている。きっと、不自然なほどの声量で意味のないことを話しかけているのだろう。相手の男子が戸惑い気味に相槌を打っている。

 ほう。そんなにはっきりと避けるとはね。まあ、そういう態度を取られること自体は慣れているからいいんですけどね。

 私はそう心の中でつぶやいて花井から情報を聞き出すことを諦めた。昼休みか、明日のHR後にでも、隣のクラスを覗いてみよう。相馬の姿があればよし、なければないで誰かその辺にいる人に尋ねればいいだけだ。

 

 その日の放課後。物理の授業が終わりへとへとになった私は自分の教室に戻ることなくその足で帰ろうとしたときのこと。廊下で堀居がその友達らしき女子に慰められながら泣いている。

 年頃の女子は、学校の廊下で泣いたりするんだな。泣くほどのことが何かあったのか。かわいそうに。

 そんなことを思いながら、私なりに気を使って少し足音を潜めて通り過ぎようとした。すると、堀居を慰める友達の声が耳に飛び込んできた。

「相馬、残念なことしたね。」

 ・・・ん?相馬?

 二歩ほど通り過ぎてから、私は思わず立ち止まった。

 今、相馬、と言ったか?

 私は無意識にゆっくりと首を傾げていた。今、ここで振り返って泣いている堀居とその友達に「今の、何の話?」などと声を掛けても良いだろうか・・・いや、それはできない。でも気になる。今朝の花井の態度が脳裏に浮かぶ。

 何だか今日はずっと違和感があった。何だ。何か妙に胸騒ぎがする。

 私は思い立って廊下を走った。化学選択の授業は理科室のはずだ。

 花井、今度は話をしてもらうぞ。何を隠している?言え、言わせるぞ、花井。

 廊下を曲がったところで、ちょうど突き当りの理科室から生徒が出てきた。近づきながら花井の姿を探す。勢いづいて近づく私の様子を怪訝な顔で避ける奴らの後ろに花井が見えた。

「花井。」

 予想以上に大きな声に自分でも驚いた。廊下に響いたその声に、私以上に花井が驚く。その場にうなだれたまま、私が近づくのを待っている。

「相馬、どうなった?」

 私が聞くと、花井といつも一緒にいる男子の内の一人、加勢が横に並んだ。

「ねえ、花井。」

 詰め寄る私を制して、加勢が口を開いた。

「相馬なら、来週から学校出て来られるってよ。」

 私はその言葉で体の全神経が硬直するのを感じた。そして、一呼吸置いて、全筋肉が弛緩した。思わず、その場にしゃがみ込んでしまった。加勢は、私と花井の様子を交互に観察しつつ、ひそひそ声で私に向かって言った。

「死んだかと思った?」

 思わず私は頭をもたげて加勢を睨みつけた。

「そんなこと・・・。」

 花井は一瞬だけ私を見たが、すぐに顔を背けた。加勢はほとんど表情を変えることもなく立っている。深く息を吐きながら私はゆっくりと立ち上がり、今度は花井の横顔を睨みつけた。視線を感じたのだろう、花井はより一層縮こまる。

「うん、そう。実は、死んだかと思った。」

 そう言った私の花井に対する圧力を感じたのか、すかさず加勢が割って入った。

「生きてるから。大丈夫だってよ。」

 私は勢い余って加勢を睨み尋ねた。

「その話、いつ聞いたの?」

「今朝のHR。」

 加勢は普通の顔で普通の態度で、普通の話を普通にする。それに引き換え、妙に私を避ける花井がちっぽけに見えて、なんだかやたらと気に入らない。

「朝一の数学の時に教えてくれればよかったのに。」

 とげとげしくそう言うと、花井が意を決した風に口を開いた。

「いや、だって、坂田が相馬とどういう仲なのかわかんないし。」

 いったい、どういう仲なら教えていたと言うのだろう。

「どういう仲も何も、別に・・・」

 そう言いかけた私に、花井は小さく

「特別な深い仲でもないんでしょ。」

 と言った。

「深い仲って・・・別に、ただ本を貸しただけですけど。」

 そう言うしかなかった。花井は何が言いたいのだろう。

 私が花井の真意を考える間、花井もまた私の様子を伺っている。謎の牽制をしあう間、加勢は無言で立っている。

 均衡を破ったのは花井だった。

「相馬が言ったんだよ。春休み前に本、返しただろ?あれ、本当は新しいのを買って返したんだ。読み終わってないけど、先に返したいからって。」

「え、どういう・・・」

 私が聞き返すのを遮って花井が続ける。

「なんか、希少本らしいじゃん、あれ。」

「そうだよ。あの四作目は結構探して手に入れた。」

「だから、それで相馬が、もう関わらない方がいいかなって言ってたんだよ。そう言われたら、相馬のことを俺から報告するのもなんか、相馬に悪いかなって思って・・・俺からでなくて、どっかから坂田の耳に入ればその方が相馬的にもいいのかなって。」

 私は、思わず眉間に皺を寄せたまま、加勢の方を見た。加勢も、事の詳細を知らないらしく、首を傾げて私の顔を見返した。

 花井の対する質問事項が多すぎるぞ。なんだそりゃ。説明になっていない。そもそも花井の説明が下手なのが悪いのか?それとも、理解力なり察する力なりが乏しい自分が悪いのか?ん?なんだ、誰が悪いんだ。いや、何が悪いんだ。悪い?何かが悪いのか?ちっともわからない。わからないだらけでイライラする。

「つまり、相馬は、私と関わりたくないと、そう言ったのか?」

 要約すると、そういうことのはずだ。

「そうはっきり言ったわけじゃないけど・・・。」

 どこか自己防御をしているような姿勢のままで横を向く花井のことをまじまじを眺めるうち、スッキリしないがちょっと面倒くさくなってきた。

「・・・もういいや。」

 私は花井との会話を諦め、加勢に向かって言った。

「とにかく、あと一冊だけ貸してるから。相馬に、本をね、貸してるの。だから学校に出てきたら、いつでもいいけど絶対に返してくれって、そう相馬に伝えてくれる?」

 加勢は、肩をすくめて頷くと、呆れたように花井を見やった。

「じゃ。」

 私はそう言って、その場を去った。

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