第8話 お見舞い

 翌日の放課後。六時限目を終えて私は花井と連れ立って病院へと向かった。花井とまともに話をするのは初めてだったが、人見知りの激しい口下手な私相手でも変に警戒することなく、かといって妙な気を遣うでもなく、至って自然に接してくれた。

 なんだ、花井、意外といい奴だな。

と素直に思った。花井も理系志望だが化学選択であるため、授業が一緒なのは数学だけだったが、道中、途切れ途切れに互いに理数系ならではの愚痴や悩みを吐露しあった。

 病院はB駅から降りてバスで十分程のところにある。入口では感染症予防のため面会者にマスクをするよう指示が張り出されていた。

「花粉症の常備品。どうぞ。」

 そう言って常に持ち歩いている個包装の使い捨てマスクを花井に渡すと、花井は遠慮することもなく素直に受け取った。

 マスクをつけて階段で三階へ上る。病室は廊下の一番奥の部屋で、入口で窓側のベッドであることを確認すると花井が先導して恐る恐る入っていった。半分だけ引かれているカーテンをそっと覗く。するとベッドの背もたれ部分を斜めに起こし体に細い管を数本付けられ目を閉じている相馬がいた。花井が囁くように

「おう。寝てる?」

と声を掛けると、すぐに目が開いて

「いや、寝てないよ。」

と相馬は答えた。視線だけを動かして花井を見たが、後ろに私の顔を認めると

「あ・・・おう。」

と少し慌てたように姿勢を正した。私は慌てて

「あ、そのまま、無理しないように・・・。」

と言ったものの、こんなとき何と言えばいいのかわからず頭が真っ白になった。沈黙の数秒間、私は久しぶりにまじまじと相馬の顔を見た。なんだか病人のような血の気の薄い顔色をしている。いや、入院しているのだから病人らしい顔色が正解なのかもしれない。

「どうなの?調子は。」

 花井は気さくに声を掛ける。この二人、思っていた以上に仲が良いらしい。

「うん。まあ、普通。入院していて普通も何もないけど。」

 そう言って屈託のない笑顔で相馬が応える。

「これ、担任に頼まれた書類ね。お見舞いの花とか果物とか、何も持ってこないけど。」

 花井は鞄からクリアファイルをベッド脇の棚に置いた。

 なるほど。お見舞いと言えば花束か。全く思いつきもしなかった。

「ありがと。今どき、病院の面会は手ぶらが普通だよ。お気遣いなく。」

 相馬が微笑む。

 え、そうなのか。なんだ、じゃあ変に気を回さなくて良かった。

 私は一人で勝手に焦って勝手に胸をなでおろした。花井はお見舞いというものに慣れているのだろうか、目についた椅子を勝手に引き寄せて座ったが、私はどのタイミングで何を話すべきなのかと焦った状態のまま花井の後ろに立っていた。

「坂田も、わざわざありがとうね。」

 相馬が気を使ってか私に声を掛けた。

「あ、いや・・・」

 暇つぶしの本が欲しいを言っていたのはこういうことだったのか、と病床の相馬の姿を見て腑に落ちた。本に興味があったわけでもないし、読書に目覚めたわけでもない。ましてや、私に興味などもったわけでもなかったわけだ。少し冷静に考えればわかることだったのに・・・私はいったい、何を期待していたのだろう。病院という場所のためか、なんだか自己嫌悪気味になって視線を落とすと、相馬の枕元にある本が目に入った。

「そうだ、あの、私、五作目、持ってきたんだけど・・・」

 言いながら鞄から本を取り出し、ぎこちなく相馬に手渡した。できれば、その枕元の三作目か四作目かわからないが、それは返してほしいのだが・・・。

「ありがとう。あ・・・えっと・・・。」

 相馬は枕元の本には触れず、ベッド脇の棚に置かれたいくつかの袋の中から、見慣れたカバーのかかった本を取り出した。

「これ、返すね。面白かった。今、やっと四作目に入った。」

 相馬が手を伸ばしたので私はそそくさと本を受け取り、すぐさま花井の後ろの立ち位置に戻った。

「手術の日程は?」

 花井が尋ねる。

「うん。検査の結果にもよるらしいけど、たぶん明後日にはできそうだって。」

 多少顔色こそ悪いが、平然と手術日程を告げる相馬は心なしか大人っぽくみえた。

「そっか。頑張れよ。」

 花井はどことなくそっけない言葉を返す。

「ま、俺自身は何を頑張るんだって話だけどな。ま、そんな難しい手術でもないから。最短なら三学期の学年末テストには余裕で間にあうって。」

「そっか。テスト受けられるんだったら、次来るときには授業のノート、各種集めてくるな。えっと、選択授業とかは誰と一緒?」

「ああ、えっとまず・・・。」

 花井は頭の回転が速いというのか、状況把握能力が長けているというのか、これだけしか会話していないのに、次にどう行動するのかもう提案をしている。よくわからないが、男子の会話というのはこんなものなのだろうか。少なくとも女子の遠回しな説明とか謙遜とか探り合いとか、そういうものが一切省かれているような気がして、小気味いい。

「・・・そうそう、それで。じゃ、頼む。悪いな。助かる。」

 相馬がそう言うと同時に花井が立ち上がった。もう帰るつもりらしい。

「じゃ、また。お大事に。」

 小さく手を挙げて花井が歩き出した。私は慌てて、

「本はいつでもいいから。お大事に。」

と言いながら頭を下げ、花井の後に続こうとした。

「あ、ああ、ねえねえ。」

と相馬は慌てる様に手招きをして私を呼び止める。

「ん?」

「これ、栞、四作目の頭に挟まってた。」

 相馬の手には、一枚の栞が握られている。

「あ、ああ、あああ・・・。」

 そっと近寄って受け取ると、素早く鞄に押し込んだ。その栞は百鬼夜行絵巻の絵柄を写した私の妖怪関連グッズの中でもお気に入りの一品なのだが、自分以外の人間が手にしているとマニア的な自分の趣味を晒されたようでものすごく恥ずかしい気持ちになった。

「あ、ありがとう。お気に入りの栞だったから。」

 視線を逸らせたまま私がそう言う。

「やっぱり。そうじゃないかと思って。無事返せて良かった。」

 見てはいないが、相馬はきっといつもの笑顔を浮かべている。

 なんか、妖怪好きということが思いっきりばれたな。いや、当然か。あの本を貸した時点でとっくにばれているか。

 ちらりと横目に相馬の顔を見ると、優しく微笑んでいる。どうやら、妖怪好きでも引いている感じではない。

 花井がカーテンから顔だけ覗かせた。

「俺、先帰ろうか?」

「いやいや・・・あ、じゃあ、残りの本もいつでもいいから、いつの日か返してもらえればそれで。じゃあ、えっと、お大事に。」

「うん。必ず返すよ。」

 私の動揺した様子を屈託のない笑顔で受け流した相馬は、病院慣れしているのだ、と思った。病の“気”が満ちたこの“異次元”的空間の中で、相馬はこの雰囲気をはねのける術を身に着けている。はっきりと、相馬が私とは別次元の世界で生き抜いてきた人に見えた。

「わざわざありがとう。気を付けて帰って。」

 右手を挙げて、もう一度微笑んだ。花井と私は、それぞれ小さく手を挙げて別れを告げた。

 

 花井とはB駅で別れ、一人モヤモヤとした気分のまま家路についた。

 なんか、入院患者に対して本をちゃんと返せと言ってしまったが、失礼だったりしなかっただろうか。そもそも、入院時の暇つぶしとして本を貸すと知っていたら、新しい物を買って渡せばよかったのだ。そうすれば返却も紛失も気にすることなくゆっくり体調のいいときに自分のペースで読み進めればいいし、読破するという義務感だってなくて済む。体に管をつけたまま読むとわかっていれば、もう少し持ちやすい薄さ軽さの本の方が良かっただろうし、こんなにマニアックなものではなくもっとシンプルな普通の恋愛小説とか、簡単な推理モノとか、より一般ウケするような本を薦めてあげることもできたはずなのに。知らなかったとはいえ、随分と気の利かないことをしたものだ。ああ、なんだか、気が滅入る・・・。

 私は生まれてこの方、大病も大怪我もしたことがなく、入院はおろか予防注射とアレルギー検査のための採血意外にこの身に針を刺したこともない。そんな私には入院中の人の身になって考えるということができないのだ。どんなに考えても想像しても、結局今の自分には、相馬にしてやれることが何一つ浮かばない。無力だ。相馬は入院していて、手術を受けるほどの人間であって、私はというと単なる読書好きの妖怪マニアだ。この二者の間に共有できることなど、あるはずもない。相馬がRPゲームに生きる勇者であるなら、私は倒されるためだけに現れるモンスターにさえ成り得ない。次元が、違いすぎる。

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