第5話 五作目は修学旅行
体育祭の余韻冷めやらぬまま、二年生はすぐに修学旅行となった。宿では同部屋の女子達が恋バナを繰り広げて大盛り上がりだ。私はきゃいきゃいと騒ぐ彼女たちの浮かれ調子にすっかり疲れてしまって、読みかけの五作目を手に一人ロビーに降りて行った。どこか落ち着ける場所がないかと模索したところ、ロビーの隅の柱の影にソファーを見つけた。少々薄暗いが本を読むには支障のない明るさだ。もちろん一晩中そこで過ごすつもりもないが、少し、静かになりたかった。
基本的に、私は一人の時間を持たないと窒息する。消灯まで二時間弱ある。浮かれた雰囲気が少し落ち着いた頃に戻って寝ればいい。人目を盗んで悪さをしていたわけではないので、二回ほど教師に見つかって声を掛けられたが、消灯までには戻れよ、と言われただけでそっとしておいてくれた。
どのくらいの時間、読書していたかわからなかったが、いつの間にか寝てしまっていた。読書をしながらの寝落ちほど、至福の瞬間はない。しかも授業中ではないので、ここで寝てしまっても誰にも怒られないし、迷惑もかけない。いつも自分の部屋では照明をつけたまま寝落ちするので、ひと眠りしてからまた照明を消すという作業が眠りの心地よさに水を差すが、ここはその心配さえない。布団がないのがマイナスだが、気候的にも空調的にもうたた寝には十分な環境だ。遠くでは、まだきゃいきゃいと浮足立っている高校生たちの声が聞こえる。
小説の中では、主人公が状況整理をしながら謎解きを試みている場面だった。
私は今自分がどこにいるのかよくわからないが、日常的ではない旅先のお宿で、謎解きの様子を見学している。まだ謎は完全に解明されていない。主人公と、その知人である旅芸人が怪現象の状況検分さながら土間でああでもないこうでもないと言っている。旅芸人が柱の陰に一枚のよれよれになった紙切れを発見する。これは消息を絶った長屋の女が持っていたものなのか、それとも事情を知っている宿の女将さんの・・・・・・いや待て待て。おっと、それは私の栞ではないか。
あ、あの、すみません、それは私のです。事件とは全く関係ないんです。すみません、紛らわしいところに落としてしまって。ああえっと、それはこの件とは全く無関係である私の栞であって・・・・・・
「すいません、私の。」
そう言って目が覚めたが、夢の中で言い終えてから現に戻ったのか、本当にそう声に出して寝言を言ったのか自分ではわからなかった。自分の声で目が覚めた気もするし、誰かがそう言った声で目が覚めた気もする。少々混乱している意識の中、目の前に人の足が見えた。驚いて顔を挙げると、相馬が立っていた。
「え?」
相馬が言った。私は、状況を把握するのに時間を要した。相馬はゆっくりと私の横に座った。
「もしかして寝てたの?ここで?」
そう言いながら、私の手に本を乗せた。寝落ちとともに、本を落としたらしい。
「夢、見てた。」
私がそうつぶやくと、相馬は少し笑って本の上に栞を乗せた。
「そろそろ消灯時間だよ。」
「え、ああ、うん。」
ぼんやりとそう答えると、
「とうとう五作目突入したんだね。」
と言いながら相馬が立ち上がった。私はまだ少し話がしたい、と思った。
「相馬、あの・・・」
思わずそう声を掛けた。相馬は腰をひねって上半身だけ私の方を向いた。
「あ、あれ、あの、二作目、読み終わった?」
「うん。昨日の移動中に読み終わったよ。あ、でも帰ってから返すね、荷物になると悪いから。」
「うん。そうして。」
「じゃね。おやすみ。」
そう言い残して去っていった。相馬は、いつからここにいて、どのくらい私のことを観察していたのだろう。少なくともこの本が五作目であることは確認していたらしいが・・・。
私はふと、口回りを確かめた。良かった。よだれをたらしていた形跡はないようだ。
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