第4話 体育祭は四作目
秋の体育祭があった。陸上競技に関しては超がつくほど運動センスのない私はいかにして存在を消してこの日一日をやり過ごすか、ということだけに躍起になっていた。とにかく日中の日差しにおける紫外線が大嫌いだ。グラウンドの埃を触るとすぐに手指の皮膚がひび割れる。それに加えて秋花粉のせいだろうか、なんだか朝から喉が痛痒い。もちろん、喉を傷めるほど誰かと会話をしたわけでもないのに、時間が経つにつれどんどんと喉が痛くなってきた。午前中だけでも五回もうがいをしにいったが効果は乏しく、昼食を食べるころには唾を飲み込むのさえつらくなった。
だめだ、これはもう完全に咽頭炎だ。それにしても、風邪だろうか、アレルギーだろうか。鼻水が出ないから、風邪かもしれない。
アレルギー体質なため、通常ならアレルギー鼻炎の市販薬を持ち歩いているのだが、今日に限っていつもの通学用とは違う鞄で登校したため持参していない。こういう非日常的イベントなどの状況下にあるとき、私はたいてい何かしらのミスを犯す。
ああ、とにかく喉が痛くてどうしようもない。
マスクさえ忘れてきた私は、タオルを口に当てたまま教師に頼んで救護テントの中に退避した。そこには何かしらの体調不良による退避生徒が数人パイプ椅子に座っている。
その中に相馬が居た。
彼はいつぞやと同じ屈託のない笑顔で私に向かって右手を挙げた。
「坂田。どうした?」
「喉が痛くて・・・」
声を出すと喉が痛いので、囁くようにそう答えた。それだけでもやっぱり喉が痛い。相馬には聞きたいことがいくつかあったのに、ようやく会話するチャンスなのに、喉が痛くて話ができない。聞きたいことが頭の中にどんどんと湧き上がってくるのに、喉からそれが出て行かずにグルグルと渦巻いている。
「風邪?何か飲む?」
何か飲み込むのも痛いのだよ。
そう伝えたいのにしゃべれない。もどかしくて頭をぶんぶんと横に振った。
「そっか・・・ま、座りなよ。」
救護担当にもらったトローチを口に含むと、相馬に促されるまま隣に座った。
相馬こそどうしてこんなところにしれっと座っているのだ。いや、そんなことより、結局、あの本はどうなったんだ。受け取ったんだよな?数ページだけでも読んでみたりしたか?実はもう読み終えたりとか?え、どうなんだ。ああ、もどかしい。くそう、喉が痛い。
テントの下は直射日光こそ避けられて、炎天下にいるよりは諸々ストレスが和らぐ気がした。でも咽頭炎自体はこんなことで収まるはずもなく、下手したら徐々に発熱するかもしれない感じがした。いや、まだ寒気も関節痛もないから、アレルギーという可能性も捨てきれない。もし隣に相馬がいなければ、風邪だろうがアレルギーだろうがとっとと帰宅していたに違いないのだが。
それにしても・・・。隣に座っておきながら沈黙の状態が続いているとはどういうことだ。なんなんだ、これは。「近くて遠い」とはよく聞く表現だが、今まさにそういう状況ではないか。話がしたいだけなのに、どうしてそれがままならないのだ。
この事態を受けて私の腹には不満が溜まる。
どうすればいい?喉を使わずに会話をするにはどうすれば・・・。
日頃から人の目を見て話をすることに苦手意識を持っていたが、この時ばかりは口元をタオルで抑えたままなので、なんとかこの小さな目だけで会話を試みる。
おい、相馬。なんか言え。
私は、そんなことを念じながら相馬の横顔を睨んだ。少しばかり暗いテントの下とはいえ、相馬の顔色は少しよどんでいる様に見える。
気のせいか?・・・いや、救護テントに居るのだから、どこかしらの調子が悪いに違いない。頼む。おい、なんでもいいから、なんか言え。
「大丈夫?熱は?」
少しだけ顔をこちらに向けて、そう聞いてくれた。
私は一往復ほど、頭を横に振る。
「悪化しないといいね。」
そう言って、相馬はグラウンドに顔を戻してしまった。
え、終わり?まあ、終わるか。だって私からの返事は頭を動かすだけなのだ。そうなるのも致し方ない。いや、でもね、私と相馬との接点は本だけだろう?本についての何かしらの報告はないのか?ねえ、おい。ああ、くそう、喉が痛い・・・。
「あ、そうだ。本、ありがとうね。」
相馬が、顔をグラウンドに向けたまま会話を再開してくれた。私は小さく頷くと、
それで終わりにしないでくれ。
とすがる思いでそのまま目を逸らさずに相馬の横顔を見つめた。
あのね、言葉の続きを待っているのだよ。わかれ、わかってくれ、相馬。
「もうすぐ読み終わるよ。分厚いから正直読めるかなって思ったけど、結構読めた。」
そう言って相馬はようやく私の顔を見た。
なんだ、意外とこのつぶらな瞳でも言いたいことは伝えられるじゃないか。そうか。読んだのか。良かった。それで、感想は?二作目も読む気になったのか?
「二作目も、貸してもらえる?」
私は三回も頭を縦に振った。
相馬は屈託のない笑顔を浮かべる。
「全部で何冊あるの?」
私がすかさず手で五、と示す。
「それで完結する?」
私はゆっくりと頭を縦に落としてから、斜めに傾けた。
「あ、まだ五作目まで読んでないのか。」
私は二度、頷いた。
「でも、もう三作目は読み終わったんじゃない?」
私は深く一度だけ頭を縦に振った。
「そっか。やっぱ読むの早いんだね。俺、ちょっと遅いんだけど・・・でも五作目までたどり着けるといいな。」
私は頷いて、そして声もなく笑った。相馬も私の目が笑ったのを見て、笑顔になった。
なんだ、意外と会話ってできるもんだな。
口の中のトローチをかまないように転がしながら私の口元はニヤついていたに違いない。タオルで隠していたのは不幸中の幸いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます