第20話.紆曲の思いやり

 寿司屋「千浦ちうら」の一人娘、佳奈かなは閉店後もひとり寿司を握り修業を続けるダニエルを、そっと見守っていた。


 真剣に何度もシャリを握り寿司ダネに向き合う彼に、佳奈は小休止してもらおうとコーヒーを入れてあげることにした。


「お疲れさま。少し休憩しよ?」


 カウンターにソーサーを置き、カップを乗せる。


「佳奈さん、ありがとう」


 ダニエルは微笑み、礼を言った。


「わぁ! 美味しそう」


 ダニエルが創作したにぎり寿司を見て、佳奈が感嘆の声を上げる。


「ふるさとのガボンの人でも食べれるように、全ての魚に火を通しました。フライや天ぷら、タネに使えそうです」


「ダニエルって努力家だね。尊敬しちゃうな」


 佳奈が言う。


「いえ、親方の味に届いていません。まだまだ努力足りません」


 佳奈がダニエルが握った寿司をつまみ、口の中へと運ぶ。


「ううん、すっごく美味しいよ! もうお父さん抜いてるんじゃない?」


「そんなことないですよ。それは言い過ぎです」


 ダニエルは謙遜する。


 佳奈は口内の寿司を飲み込むと、今度は茶の代わりにコーヒーカップを口元へ運んだ。


「コーヒーとお寿司、合いますか?」


 ダニエルが訊く。


 佳奈はコーヒーを吹き出しそうになる。


 二人は顔を見合わせて笑った。


 佳奈とダニエル、コーヒーを飲みながら談笑し時間を過ごしていると、佳奈はふと視線を感じた。


 気配のする方へ目を向けると、店の奥の暗がりから荒砥翔也あらとしょうやがこちらを見ている。


 彼は佳奈の視線に気づくと、彼女に向かって手招きをした。


「ダニエル、ちょっとごめんね」


 佳奈はそう告げると、翔也の元へと向かった。


 何事かと呼ばれた佳奈が翔也を見ると、彼の目つきは険しい。


「どうしたの? 翔也くん。何かあった?」


 佳奈は優しい声色で問いかける。


「なんでダニエルにコーヒーなんか出したんだよ?」


 翔也に逆に質問された。


「なんでって……、ダニエルが頑張ってるから休憩にって思って……」


「黒人のダニエル本人にコーヒーを飲ませることが、どれだけ屈辱なのかわかんないのか?」


 翔也が佳奈を問い詰める。


「えっ、どういうこと?」


 佳奈は困惑して首を傾げた。


「コーヒーを飲んだり飲ませたりって、それは色の黒い物を支配してるって意味になって侮辱的な行為なんだよ。こう言った無神経なことがあいつをどれだけ傷つけてるのか、気づいてくれよ」


「そんなことないと思う。さすがにそれは翔也くんの思い過ごしだよ。大丈夫だよ」


 佳奈は興奮気味の翔也をなだめようとした。


「思い過ごしじゃねぇよ! 佳奈さんのその鈍感さが差別を生み、誰かを傷つけるんだよ!」


 翔也はさらにたかぶる。


「どうしたの、翔也くん。最近変だよ? 何があったの?」


「佳奈さんが生きごみと同じなんて思いたくないんだ!」


 翔也が佳奈の両肩を掴み揺さぶった。


「あの、翔也くんには翔也くんの考えがあるのはわかるけど、でもわたしにはごめんだけど、翔也くんの言ってることがわからない」


 興奮する翔也に対して、徐々に恐怖と悲しさが込み上げてきた佳奈は、涙声へと変わっていた。


 そんな佳奈の声を聞いた翔也は、舌打ちをすると彼女の肩から手を離した。


「……俺、世間の連中わからせる為に、今度仲間と一緒にカフェを襲うことにしたから」


 翔也のその言葉に驚いた佳奈の目が見開く。


「ちょ、ちょっとダメだよ! そんなの。仲間って誰? その人たちでもう一度思い直して!?」


「正義の為には、暴力も必要なんだよ!」


 佳奈に向かって吐き捨てるように言った。


 続けて翔也は佳奈を腕力で払い除けると、小走りでダニエルの元へと向かった。


「ダニエル! お前は俺が必ず守ってやるからな!」


 そう言って翔也は佳奈が入れたコーヒーを流し台に捨てた。


「翔也さん、その件はもういいです。それよりも一緒に寿司の修業しましょう」


 ダニエルは翔也に呼びかける。


「お前な、コーヒー飲まされるってバカにされてんだぞ。お前こそもっと怒れよ!」


 翔也は怒気を込めた声でダニエルにそう言うと、怒りを滲ませた表情のまま出入り口へ向かい、荒々しく店の外へと出ていった。




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