第71話.暗雲の開戦③

 緑門莉沙りょくもんりさが自分の腕を切り離せと叫んだことに、砌百瀬みぎりももせは唖然としていた。


 だが、事態は急を要する。


 今、皿井菊美さらいきくみは足元に現れたニタニタと笑う莉沙の奇能、ストローマンの首に気を取られている。

 だが、早くしないと菊美が次に何を仕掛けるかわからない。


「早く!」


 莉沙は叫んだ。


「でも……!」


「わたしの腕に刺さってる蝶をカブトムシのツノで突いて!」


 莉沙の必死の訴えに圧倒された百瀬は、無言で頷くと、奇能のカブトムシに指示を与えた。


 カブトムシは勢いをつけて、硬いツノを莉沙の腕に刺さる蝶へ目掛けて力強く突く。


 ツノが壁を打つ大きな音が響き、多目的室全体が振動した瞬間、莉沙の胴体と左腕が分離した。


 興奮状態で痛みの感覚が無い今がチャンスと、莉沙は三角跳びの要領で勢いよく壁を蹴り、大きくジャンプした。


 その勢いのまま、莉沙は雄叫びを上げながら、驚愕して目を見開いている菊美の顔面に力一杯の蹴りを叩き込む。


 不意に蹴りを受けた菊美は顔を凹ませ、藁に脚を縛られたまま後方に倒れ、後頭部を強か床にぶつけた。


 菊美が倒れると同時に、宙に舞っていた硬い蝶が一斉に床に落ち、騒々しい音を立てた。


 倒れて喘ぐ菊美の元に莉沙は歩み寄り、息を荒くしながらしゃがむ。


「鼻が……折れたわ……」


 菊美の顔は、赤いペンキを塗ったように血で染まっていた。


「どうしてくれんのよ!」


 莉沙は菊美に慟哭しながら怒鳴った。


「町も学校もむちゃくちゃにして!私の腕、かえしてよ!」


 唾の飛沫がかかるほど菊美に顔を近づけて、怒りをぶつけた。


 だが、とうとう腕を切断した痛みが莉沙を襲い始め、意識が揺らいでいく。


 そんな莉沙を見て「もう、どうでもいいわ」と、倒れている菊美が呟き、莉沙の後頭部に手を回して自分へと引き寄せた。


 そのまま莉沙に口づけをする。


 菊美の口から血の味が伝わった。


 菊美が唇を離した瞬間、莉沙の腕の痛みがすっと消失し、それどころか、壁に張り付いているはずの左腕が、莉沙の体に戻っていた。


 莉沙が驚いて後ろを振り向くと、自分の腕はまだ壁に残ったままだ。


「……偽物の腕だけど、それで我慢してちょうだい……」


 戸惑っている莉沙に菊美は、苦痛で顔を歪めながら言った。


「……また、助けてくれたの? なぜ?」


 思わずそんな質問が、莉沙の口を衝いて出る。


「あなた達に負けて、与えられた役目を果たせなかったあたしは、どうせこのままだと天帝に消されるもの……。それならあなた達に終末を、止めてもらった方が……、あたしが助かる可能性、まだあるでしょ……」


 菊美は、半開きの口で喘ぎながら話した。


「終末を止める……? 終末って理想の新世界を創るためのものでしょ?」


 莉沙が困惑しながら尋ねる。


「全然違うわ……。終末は天帝がお創りになった数多くの世界の中で、出来が悪い世界を壊して無にすることよ。天帝はあなた達が生きている失敗作のこの世界が気に入らないの。だから終末で神も悪魔もあなた達人間も全部消えてしまうわ……」


 菊美は弱々しい声で言った。


「そんな。神だけじゃなく、わたしも消える予定だったの……? だいたい誰よ、その天帝って……? そいつはわたし達に何を……」


 混乱する莉沙は唾を飲み込む。


「詳しいことはB棟にある学園祭の実行委員会室へ行って……」


 菊美は倒れたまま、震える指で扉を指さした。


 莉沙は百瀬の方へ視線を向ける。

 二人は唖然したまま、お互いに顔を見合わせた。

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