第15話.切断の男(成星純真)③
僕は退勤後、昼間の女性が教えてくれた地図を頼りに、その相談所へと足を向けた。
福地さんを完全に信用したわけじゃない。
でも悪そうな人には見えなかったし。
それに精神的に強い清水さんと比べて、自分が情けなくなって、誰かに慰めて欲しくなったのだ。
溺れる者は藁をも掴むじゃないけど、今の僕は変な宗教にまで救いを求めてしまうような精神状態なのかもしれない。
地図の通りだとここか。
ずいぶん綺麗なマンションだ。
相談所はこの建物の7階と記されている。
植物の彫刻が施されている立派な柱に、広いエントランス。
その奥にある大きなエレベーターに乗った。
ドアが開いて7階で降りると、廊下がたくさんの照明ですごく明るい。
ここは部屋を借りるにしても相当高いんじゃないかななんて、いらない心配をした。
このフロアの703号室。
「ようこそ!」
部屋のチャイムを鳴らすと、中から昼間に出会った女性が笑顔で迎えてくれた。
「失礼します」
僕はお辞儀をしてそろそろと室内へ歩みを進める。
部屋の中は讃美歌のようなパイプオルガンの優雅な曲が流れていた。
「やあ、ようこそお越しくださいました」
部屋の奥に立派な大机が置かれていて、その机の椅子に男性が座っていた。
その男性は椅子から腰を上げ、にこやかに僕の方へと近づいてきた。
明るいベージュのスーツを着こなし、ワインレッドのネクタイを締め、ブラウンの長髪にパーマでウェーブをかけた男性。
「私がここの所長を務めております、アマゾノツカサと申します。どうぞお見知り置きを」
そう言うと所長は僕に名刺を差し出した。
「あの、
僕も自分の名刺を差し出し、交換する。
名刺には『サクラメント人生相談所 所長 天園司』と記されている。
「どうぞ、お掛けください」
僕はソファーへ促される。
まるで雲に腰かけたような座り心地のソファーだ。
「どうぞ」
福地さんが目の前のガラステーブルに、香りの良いコーヒーを置いてくれた。
「ありがとうございます」
僕が頭を下げると、福地さんも折り目正しいお辞儀を返した。
「ではさっそくですが、ここにいらしたと言うことは何かお悩みのことがお有りと存じます。どのような悩み事ですか。我々で良ければお力になりますよ」
「あ、あの……」
僕は躊躇したものの、ぽつぽつと清水さんが受けているセクハラのこと、そしてそんな彼女を救えない自分を情けなく思っていることを伝えた。
「なるほど。職場の女性が受ける苦しみで貴方も悩んでおられるのですね」
所長が静かに頷いた。
「まあ、他人のことで胸を痛められるなんて、お優しい……」
福地さんも優しく微笑んで頷いてくれた。
「いえ、そんな……」
優しい人なんてはっきり言われると面映ゆい。
「貴方の上司のような、自分本意な人間がいるせいで誰かが苦しんでいる。これは悲しいことです。そう思いませんか」
「それはそうですけど……」
それは当たり前のこと。
僕でもわかる。
でもだからどうすればいいのかなんてわからない。
社会は理不尽なものだって言われるし、諦めるしかないんじゃないだろうか。
「実は間もなく終末が訪れます」
唐突に所長が言った。
「えっ、終末……?」
僕は聞き返す。
「ええ。世間一般の皆様はご存じないことですが、じきに終末と呼ばれる世界の破壊が起こるのです。一旦、今のこの人の世が終わり、その後、選ばれた者のみで世界は再構築されるのです」
所長は静かに語った。
「ふだんニュースとかで目にする戦争や児童虐待、いじめやハラスメント、人種差別、環境破壊、醜いネットでの誹謗中傷などなど……、これらはなんで起こると思います?それはね、情がないからなんです」
今度は福地さんが語る。
「正論やから、合理的やからって言って理屈を振りかざして、他人を思いやる優しさ、温かい情を人々が持たへんと、世の中は弱肉強食の冷たい世界になるんです。人は理屈で動くんやないんです。理に支配された世界は自己中心的な人ばかりになる。可哀想やけど新世界ではそういう人間には不必要やから消えてもらわんとあかんのです。たとえば貴方の上司のような人とかには」
福地さんは僕の目をじっと見つめた。
「我々は、そのような理に冒された者を粛清し、情を湛える仲間とともに世界の再構築を目指す立場の者。そして終末後に、心優しい者だけで構成された理想的な世界、そんな新世界を一緒に創世してくれる協力者を探しているのです」
いっそう宗教めいてきた。
でもこの人達の話ぶりは、まるで自分達は人間ではないような口ぶり。
僕は唾をごくりと飲み込む。
「あなた達は……」
「我々は貴方達人間が神と呼んでいる者です」
所長のその台詞の瞬間、部屋のシャンデリアが強く光を放った気がした。
神様?
まさか。冗談だろう?
「もしあなたが良ければ我々の協力して頂きたいのですが」
その神様が僕に協力を求めてきた。
「いえ、僕なんか……」
どう答えて良いのかわからない。
「貴方のような心優しき人は、終末後の新世界で生きるにふさわしい」
なんだか理解できない展開なってきた。
「あの、協力者って何を……」
「貴方に任せたいのは、我々の主張を世の中に普及させ終末に生き残る人間を一人でも多く増やすこと、および新世界に相応しくない人間の粛清。つまり人々を新世界へと導く、先導者になって欲しいのです」
僕が、新世界の先導者……?
「僕なんかに……、できるのでしょうか?」
「貴方ならできます。何故なら貴方は人の苦しみ、悲しみに共感して心を痛められる優しい人。ここに相談に来られたのも職場の女性をハラスメントから救いたいという気持ちからでしょう。そういう方でないと新世界の先導者は務まらないのです」
そう、僕がここへ相談へきたのは、清水さんが受けているセクハラを解決するため。
所長は僕のことをわかってくれていた。
僕を認めて肯定してくれる、こんな人達に出会ったことは今までなかった。
もしかして、この人達は……、本当に神様なんじゃ……。
「頭の良し悪しは関係ない。理屈を優先して人間の心の機微を無視するような人間がいない、他人を思いやる心優しい人達だけで創る新世界。素晴らしいものになると思いません? 私、実は新世界の先導者に相応しい人へ告知をする役目があるんですよ。そして貴方こそ、その先導者になるに相応しいと思って、公園で声をかけさせてもらったんです」
福地さんも優しい声で語った。
僕は涙が溢れそうなのをこらえる。
「もし新世界を創るのに、微力でも僕が力になれるのなら……、ぜひ協力させてください」
僕は所長に向けて頭を下げた。
「ありがとうございます。我々は契約書は交わしません。貴方を心より信じます。しかし今のままの貴方では、残念ながら新世界創世の先導者としての必要な力が足りません。我々の協力者の証として、貴方のうちに眠る奇能を開花させて差し上げましょう」
所長はそう言うと、両腕を高々とあげ、花を撒くかのように優雅にふわっと手を大きく広げた。
すると突然、僕の目を強烈な光が襲った。
視界が真っ白になる。
甲高い笑い声とともに、その白い光の世界ににくっきり浮かび上がったものは、無表情の仮面みたいな顔。
その顔は右半分が黄金、左半分が銀色に輝いていた。
その左右非対称の仮面は無表情ながらも笑い声を上げて光の中をくるくると舞うと、そのうち光の奥へと飛び去っていった。
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