第10話.猟犬の女(天象舞)⑤

 リヤカーを引くベレー帽の夜泣き本屋さんと一緒に夜道を歩いた。


 私が連れていかれたのは、裏通りにあるなんだか寂れた感じのする低いビル。


 両隣の建物が高くて、その真ん中に凹むようにそのビルはあった。


 ビルの外観を見たところ、明かりがついているのは一部屋だけっぽい。


 エレベーターはなくて、夜泣き本屋さんに案内されて、階段で三階まで上がった。


 蛍光灯が一本だけの薄暗い廊下。

 ワンフロアに部屋は二部屋だけ。


「着きましたわ」


 夜泣き本屋さんが指をさしたドアの脇には黒板があって、文字が書かれている。


『サバト人生相談所』


 ここが彼女のバイト先の名前みたい。


 ドアを開けて中に私を招き入れた。


「シュウ、お客さんを連れてきた」


 部屋の奥を覗くと一人の男性がいた。

 大机に肘をついて口の辺りで指を組んでいる。

 私を見るなり、椅子から立ち上がった。


「ようこそ、当相談所へ」


 男性は私に挨拶をしてくれた。


 黒いドレスシャツを着たその男性は、顔は微笑んでいるけどなんだか刃物のような鋭い目つき。

 不敵な笑みって感じ。

 ぱっと見、イケメンだけど、すごく冷たい印象を私に与えた。


 その人はつかつかと私に近寄り、一枚の名刺を差し出した。


「私、この相談所で所長を務めておりますニエムラシュウと申します。どうぞお見知りおきを」


 名刺には『サバト相談所所長 贄村囚』って記されてた。


「あなたをここへ連れてきたのは、私のアシスタントをしておりますユメシロマキと申します」


「そう言えば、自己紹介がまだでしたわね。あたしの名刺もお渡ししておきますわ」


 夜泣き本屋さんが差し出した名刺。

 そこには『サバト人生相談所カウンセラー 夢城真樹』って。


「あの、よろしくお願いします……」


 私はペコリと頭を下げる。


「さあ、どうぞおかけください」


 私は部屋にあるソファーに座るよう促された。


「どうぞ」


 真樹さんが目の前のガラステーブルにグラスに入った茶色の飲み物を持ってきてくれた。


 コーヒー? ココア?


 緊張で口の中が乾いていた私。


「いただきます……」


 すぐにひと口飲んだ。


 これは……。


 コーヒー牛乳だった。


「さて、当相談所を訪れたということは何か相談したいことがお有りの事と思いますが、どのようなお悩みですかな?」


「いえ、その……」


 所長に尋ねられて、私はいい淀む。


「安心して話してください。あたし達はあなたの味方ですわ」


 真樹さんにそう言われたので、私は合コンの話を初めから話した。


 断りきれない性格のこと。

 成年の主張ゲームをやったこと。

 ルールを守らない人だと言われたこと。


「……なるほど。話はわかりました」


 所長は頷きながら私の話を聞いてくれた。


「ルールは守らなきゃいけないけど……、なんか、納得いかなくて」


 話してる途中から涙声の私。


「まず、前提としてルールは守らなくてはいけません。ルールだけではなく世の中の法や契約、約束に至るまで。これらが守られないと人の世は無秩序で破壊的な世界になってしまいます」


「そうですよね……」


「ただし、これらは両者の合意があって初めて効力を発するもの。貴方はルールどころか、そのゲームがどのようなものかすら知らず、参加の意思を表示する間も無く強制的に参加させられた。これは強要です。ルールは成立していません。貴方との合意を求めず、あたかもルールが成立し参加の意思を示したかのように、周りの連中が勝手に決めつけたのです」


「えっ、それじゃ、私は……?」


「そう、つまり貴方は従う必要はなかったのです。不参加の意思を表明し、その場から離れればよかった」


 所長は私に向かって言う。


「でもそんなことをすれば合コンの空気が悪くなっちゃうし……」


「要点はそこです。そもそも貴方を詭弁で弄し、そんな低俗な遊びに参加させ盛り上がる連中に合わせる必要があったでしょうか」


 そう言われて私は黙った。


「このような連中と関わりを持ってしまうのも貴方の優柔不断さからくるものではないですか」


 私は所長に図星を突かれる。

 言葉が出ない。


「今のままの自分でいるなら、貴方は今後も狡賢い連中の餌食となるでしょう」


「私、変わりたいです……」


「ふむ、よろしい。そう望むのであれば貴方を変えてみせましょう。ただし、我々に協力することが条件ですが……」


「協力……?」


 気づかなかったけど、いつの間にか外は雨が降り出していたらしい。

 激しく窓を雨粒が激しく打ち付ける音が、静かな相談所内にも聞こえてきた。


「実は間も無く人の世に終末が訪れます。その終末に生き残り、その後の新世界を創る為の協力者を探していましてね。貴方がその協力者になってくださるのなら我々が能力を与え、貴方の希望を叶えてみせますが」


「えっ……、終末?」


「左様」


 私は所長の言っていることが飲み込めない。


「終末って……、何ですか?」


「理で物事を考えず、神が与えたつまらぬ情で堕落を貪る愚者を粛清し、そして神をも滅ぼし、この世界を理で支配された素晴らしい理想郷へと再生させることです」


「そんなことが……起こるのですか」


「起こります、間違いなく。そのために我々は人間界に姿を見せたのですから」


 姿を見せた……?


 私の体が芯から凍ったように硬くなった。


「えっ、あなた達は……?」


 私がそこまで言いかけると、窓の外が一瞬光った。


 遅れて遠くで大きな建物が崩れるような音が聞こえる。

 雷が落ちたみたい。


「我々は、貴方達人間が『悪魔』と呼んでいる者です」


 私の呼吸が一瞬止まった。

 所長は話を続ける。


「この世の中の人間による問題は、全て正しい理で行動せず、つまらぬ情で動く為」


 続けて真樹さんが話す。


「戦争や児童虐待、いじめやハラスメント、人種差別、環境破壊、醜いネットでの誹謗中傷などなど……、これらは何で起こると思います? それは理で物事を考えないから。優しさや思いやりと言った抽象的なものに縋るから。論理的に考える努力を怠らない、頭のいい人達だけで創る新世界は、さっき挙げたようなくだらないものが全て無くなる世界。素敵だと思いません?」


 もし本当なら……、そうかもしれない。


「過ちも誤りもない、理に則った完全なる世界。故に誰も苦しむことはない。あなたも非論理的な人間による理不尽に苦しめらてきたことでしょう。実は人間は誰しも終末の審判の時に、神に従うか我々悪魔に従うか選択を迫られます。神に従う者は我々に滅ぼされますが、悪魔に従う者は終末を生き残り、愚かな感情から解放され、理に則った安寧なる新世界で過ごすのです」


 所長は私の顔をじっと見ている。


「そんな世界……、創れたら素敵ですね」


 私はぼそっと答えた。


「貴方が我々悪魔に従いたければ、理に従う者でなくてはなりません」


「理に……従う者……」


「理に従う者とは、論理を知り、決して感情を貪らず、常に沈着冷静に動く人間のことです」


「せっかくですが……、私はダメだと思います。すぐクヨクヨしたりネガティブで感情的で、冷静になんてなれないですから」


「いえいえ、そんなことはありません。貴方は周囲の詭弁に流されずに疑問を持ち、そして当相談所を訪れた。もし貴方が我々との出会いをきっかけに理を学び、理に努める者であるならば、それは終末に生き残る者です」


「わたしが……ですか?」


 正直言って、この人たちが本当に悪魔だなんて信じられないけど……。

 たぶん例えじゃないかな。


 でも終末思想か。

 いまの私に合ってるかもしれない。


「どうです、終末後の新世界の創世に向けて、我々に協力して頂けませんか?」


 また外で雷が鳴る音が轟いた。


 私は優柔不断な自分が本当に嫌。


 今日のような悔しい思いは二度としたくない。

 もし、本当に私が所長の言う終末が本当なら。

 もし、この人たちがたとえ変な宗教の勧誘だったとしても、私を変えてくれるなら。


「私に、できるでしょうか?」


「できますとも。何故なら貴方は奴等の主張がおかしいと気づいたのですから。それは我々側に寄っている証拠。我々の協力者となれる存在です」


 贄村さん達は、こんなダメな私を励まして、そして必要としてくれる。


 半ば自暴自棄に陥っていた私は、この話に賭けてみることにした。


「……わかりました。私、協力させていただきます」


「ありがとうございます。それでは今後、新世界創世に向け、我々の指示に従って頂きます。我々と交わすものは、飲み会の席のくだらぬ児戯のルールなどではなく、両者の合意に基づく真の契約。必ずお護りくださりますよう」


「じゃあこの紙に署名をお願いしますわ」


 真樹さんが一枚の紙を私の目の前にあるガラステーブルの上に広げた。


 いまの日常から逃げたい私は、まるで何かに取り憑かれたかのように天象舞てんしょうまいとサインをした。


「よろしい、これで契約は成立しました。

しかし今の貴方のままでは、新世界の創世には無力です。契約者の証として我々の力、奇能を授けましょう。今後、新世界創造に向けその能力を遺憾なくなく発揮するのです!」


 所長は素早く椅子から立ち上がり、私を突き刺すような視線で見つめ、右手の握りこぶしを胸元にあてて、マントを広げるような仕草で腕を大きく払った。


 次の瞬間、部屋中が真っ暗になった。

 一切の明かりがない闇。

 その闇の中に、顔の右半分は赤い目をした黒山羊みたいな、そして左半分は目玉がギョロリとした鹿みたいな、見たことない不気味な動物の顔が浮かび上がってきた。


 恐怖で体を硬直させている私。


 すると、その獣が悲鳴と雄叫びが入り混じってような声で、大きく吠えた。


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