第15話 絵馬・ワトソン

「ほなこれから、帰りの会をはじめるかの」


 DH女学園、三年C組。

 本日の授業を終えた夕方の教室。

 そこでは担任の先生が教壇に立ち、日課である帰りの会(SHR)がひらかれていた。

 担任の名前はメアリ。

 たいそうかわいらしい名前だが、腰の曲がったシワクチャの婆さんだ。

 手押し車に生首を乗せた斬新なスタイルで、教員活動に従事している。


 そして、この三年C組こそが、絵馬・ワトソンこと青島太一の在籍するクラスだ。

 もちろん、その正体を知る者はいない。

 唯一の例外は、理奈とレイカの二人だけだ。

 先日、東棟の女風呂で彼女たちと出くわし、それが発端で正体がバレた。

 二人とは仲直りしたので結果オーライだが、太一は今でも絵馬の役を演じ続けている。

 マダム殺人事件が解決していない以上、冤罪をこうむる恐れがあるからだ。

 だからこそシダレ髪で本体を隠し、キワモノキャラになりきっていた。

 ちなみに、なぜ太一がこの上級生のクラスに潜り込むことができたのか。

 それは担任のメアリがボケ気味だからである。


「わしからはとくに連絡事項はないんじゃが、係の生徒はなにかあるかえ?」

「はいですわん!」


 教卓の真ん前に座る太一は、手をあげてビシっと起立した。

 飼育係という責任のある立場だ。

 クラスのみんなに言っておかねばならぬことがある。


「はて……、あんたの名前はなんじゃったかの?」

「絵馬・ワトソンですわん!」

「おお、そうじゃった、そうじゃった。先日、転校してきたんじゃったな」


 手押し車に乗せたメアリの生首。

 その老眼鏡をずり下げる彼女は、ひ孫を見るようにクシャリと顔を綻ばせた。

 いつもこんな感じなので騙すのは簡単だ。

 いや、太一とて悪意があって騙しているのではない。

 あくまでもしかたなく騙している。

 それにお年寄りを敬うことを忘れず、入れ歯の洗浄や肩揉みもしてあげているので、とくに差し支えはないだろう。

 ともあれ、


「オホン」


 と、厳粛に咳払いをひとつ、太一はクラスメイトへくるりと振り向いた。

 生首を机の上に置き、眠たそうにあくびをする生徒。

 生首を宙に浮かべ、手鏡で化粧のチェックをする生徒。

 生首を反対方向に装着し、後ろの席とおしゃべりをする生徒。

 そんな彼女たちに対し、飼育係としてバシっと物申す。


「誰ですのん! いつも金魚鉢にパンクズを入れる不届き者は誰ですのん!」


 教室後方の壁に設けられた荷物棚。

 その上に金魚鉢が置かれており、金魚を数匹飼育している。

 だが、そこへパンクズを入れる、けしからん輩がいるのだ。

 無駄に餌を与えると金魚がメタボになるし、水質環境もいちじるしく低下する。

 ゆえにそのような蛮行を許せるはずがなかった。

 すると――。

 教室の中ほどで、生首を両手に支える生徒がどんよりと席を立つ。


「絵馬さん……金魚にパンクズを与えていたのは……このわたしなの……。よかれと思ってつい……」


 その気持ちの悪いワカメ髪。

 西棟で寮長を務める黒海藻江である。

 そう、この三年C組には彼女が在籍していた。

 繰り返しになるが、絵馬・ワトソンの正体を知っているのは理奈とレイカだけだ。

 よって、太一は藻江にも秘密を隠し通している。

 彼女を信じていないわけではないが、そのほうがなにかと都合がいいと思ったからだ。


「犯人は藻江さんでしたのん! 金魚がぶっといウンコ垂れっぱなしで、水の取り換えに手間がかかっていたのですわよん!」


 責め立てるつもりはなくとも、これはクラス全体への戒めも兼ねている。

 だから太一は厳しく注意をしておいた。

 とはいえ胸が痛む。

 己は大量のシャンプーを湯船にぶち込み、西棟の全員に甚大なる被害を及ぼした。

 しかも、その後始末は藻江一人でしたという。

 理奈とレイカへの嫌がらせだったのに、たくさんの人に迷惑をかけてしまったのだ。

 太一も軽はずみな行動だったと反省はしている。

 いずれ、菓子折りを持って西棟に謝りに行きたいとも考えている。

 しかし、それとこれとは話がてんで別。

 金魚にパンクズを与えた藻江が悪い。


「ごめんなさい……これからは気をつけるわ……」

「本当に反省しているのかしらん!」

「反省しているわ……」

「それならよろしくてよん」


 これ以上はさすがにかわいそうなので、太一は問責をここまでとした。

 ひとまずパンクズ事件はこれで決着だ。

 金魚も心置きなく金魚鉢の中でリラックスできることだろう。

 との思いで、太一が着席しようとしたところ――。


「藻江ってさいてー」

「転校生の絵馬ちゃんに迷惑かけるとか、マジありえないんだけどー」

「パンクズで嫌がらせするなんて、やっぱ人間との雑種はクズだよねー」


 教室のあちらこちらで非難の声が上がった。

 西棟では見ない顔ばかりなので、彼女らは純血のデュラハンだ。

 それどころか、太一と藻江を除けば、クラスには純血の生徒しかいない。

 ここ一週間で太一は薄々感づいていた。

 あからさまなイジメはないにせよ、藻江は孤立しがちだったのだ。

 人間とのハーフは忌み嫌われている。

 それゆえの孤立であることは想像に難くない。

 しかも最悪なことに、パンクズ事件を発端とし、藻江がやり玉に上げられてしまった。

 もちろん、その導火線に火をつけたのは太一だ。

 飼育係としての問責が、クラスにいらぬ炎上騒ぎをもたらしたのだ。

 頼みのメアリは都合よく眠りこけている。

 これは今すぐ火消しに走らねばならない。


「みなさん! もういいのでしてよん! 藻江さんを責めないでほしいですわん!」


 太一は体を上下に揺らし、シダレ髪を振るうように火消しに走った。

 江戸時代の火消しが手にする、あのヒラヒラのついた棒のつもりだ。

 その効果があってか、クラスのバッシングは鎮火の様相を呈し、なし崩し的にSHRは解散の運びとなった。

 メアリは手押し車を押して退室し、クラスメイトもパラパラとその場からはけていく。

 やがて、夕日が差し込む寂しげな教室に、太一と藻江の二人だけが残された。

 肩を深く沈めて着席し、机の上で生首を両手に包む藻江。

 そんな彼女にそっと近づき、太一は懺悔の思いで声をかける。


「藻江さん、ごめんなさいですわん。あたくし、こんなつもりじゃなかったですのよん」

「いいのよ、絵馬さん……。あなたが謝る必要なんてないわ……」

「でも、あたくしのせいで藻江さんはつらい思いをしたのでしてよん」

「こんなことは慣れっこだから気にしないで……。それに雑種のわたしがつらい思いをするのは当然のことなんだし……」

「あたくしの実家の隣に住んでるクソムカツクじいさんが、ポチという雑種の犬を飼っておりますのん。誰にでもしっぽを振る頭の悪いアホ犬ですけど、ポチは幸せそうに暮らしておりますわよん」

「ポチは本当に幸せなのかしら……」

「え?」


 太一は思わず地声を漏らした。


「ポチが血統書付だとしたら、品評会で優勝できたかもしれない……。CMや映画に出て、アイドル犬になれたかもしれない……。ポチだって本当は、そういう華やかなステータスを望んでいるんじゃないかしら……。でもね、絵馬さん……」


 藻江は机の上からすっと太一を見上げた。

 そのワカメ髪の隙間には、捨て犬のような物悲しげな瞳を覗かせている。

 そして彼女は弱々しい声で言葉を紡いだ。


「雑種にはそれが無理なの……。いくら自分が頑張ったところで、雑種は雑種でしかないのよ……。純血のあなたには、わたしの気持ちなんてわからないでしょうけど……」


 設定上、絵馬・ワトソンは純血である。

 東棟で暮らしているので当然だ。 

 それでも太一には、藻江の気持ちがよく理解できた。

 何年か前、芸能事務所に顔写真付の履歴書を送ったことがある。

 するとこんな返事をよこしてきた。

『その顔では無理です』

 生まれ持っての顔をたった九文字で否定され、芸能界入りを断られたのだ。

 何回読み直しても十文字に届かなかった。

 そんなつらい経験があるからこそ、藻江の気持ちがよくわかる。


「正直、わたしは純血がうらやましい……。できることなら純血として生まれ変わりたい……。でも、その望みを叶えるためには始祖の力が――いえ、なんでもないわ……。とりあえず絵馬さん、わたしなんかを気遣う必要はないのよ……。それじゃこれで……カハッ!」


 藻江は吐血した生首を両手に乗せ、陰鬱な長い影を落とし教室を出ていった。

 太一はそんな彼女の後ろ姿を目に、


「始祖ってどこかで聞いたことあるような……ま、いっか」


 と気分を改め、東棟の生徒食堂でTボーンステーキでも食べることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る