第14話 佐藤理奈(その二)※別視点
東棟生徒寮、お風呂場にて。
理奈はへっぴり腰で湯船に浸かり、ドキドキと泥棒のような心境になっていた。
ここは西棟と同じく銭湯のような造りでも、なにせアウェーの真っただ中である。
リラックスして入浴できるはずもない。
そんな中、隣ではレイカが平然と風呂を浴びている。
頭にタオルを載せて、わが物顔での入浴スタイルだ。
ただ幸いなこと、自分たちのほかには誰もいなかった。
レイカの話によれば、朝の時間帯に風呂へ入る生徒はあまりいないということだ。
それでも理奈は緊張感をぬぐうことができず、ビクビクと脱衣場の方へ気を張っている。
「ねえ、レイカさん。勝手にお風呂に入ってまずくないの?」
「学園規則でもあるまいし、まずいことなどありませんわ」
「それはそうだけど、レイカさんは東棟から追い出されたんでしょ?」
彼女は純血でありながら魔法が使えない劣等生。
それをインチキでひた隠し、優等生としてのポジションを定着させていた。
しかし、太一が嘘を見抜いたことにより、もろくもその牙城は崩れ落ちた。
それだけではない。
レイカはみんなに謝りもせず、あろうことか世界征服を掲げてひらき直ったのだ。
そのことが原因で彼女は居場所を失い、西棟の生徒寮へ転がり込んできた。
平たく言えば村八分である。
それなのに、どうして平気な顔で東棟の風呂へ入ることができるのか。
理奈がそう疑問に思っていると――。
「たしかにわたくしは退去処分を受けましたわ。でも、わたくしは逃げてきたわけじゃありませんことよ。自分の居場所を探しに、自分の意志で、純血の聖地を去ったのですわ。だからわたくしは東棟に未練などありませんし、負い目を感じることもありませんの。お風呂に関しても、ただの銭湯に来たぐらいの感覚しかありませんわ」
レイカはそう言って、悪びれた様子もなく肌にお湯を滑らせた。
そして彼女は凛然と話を続けた。
「それに理奈さん、あなた細かいことを気にしすぎですわよ。人間とのハーフだからって、なにも引っ込み思案になることはなくてよ。ハーフだろうが魔法が使えなかろうが、デュラハンはデュラハン、もっと堂々としていればいいのですわ。もちろん、わたくしだって魔法が使えないのでコンプレックスはありましてよ。でも、いずれ世界征服を成し遂げんとする大きな目標があるからこそ、インチキで自分の弱点を補っていたのですわ。つまり、わたくしが言いたいのは、何事にも負けない強い心を持つということでしてよ」
レイカはその瞳に恒星のような光を宿し、自身の胸にドンと親指を押しあてた。
世界征服のくだりは同意しかねるが、心の奥にじんと響くご教示だ。
思い起こせば入学した当初、彼女は独裁者のような人だった。
だが人知れず劣等感を抱え込み、誰よりも苦悩していたのだ。
苦悩しながらも、それを克服しようと強くあり続けている。
そんな彼女の胸の内を知った今、当初の見方とはガラリと印象が変わった。
この人は――漁村を束ねるぐらいの資質は持っている。
市長レベルにはなれないだろうが、じゅうぶん尊敬に値する人なのだ。
だからこれからもレイカと友だちでいたい。
もっともっとお互いの気持ちが通じ合い、親友になりたい。
そう思えるからこそ、理奈はあの秘密を打ち明けることができた。
「レイカさん、聞いてほしいことがあるんだけど」
「なんですの?」
レイカはすました顔で問い返し、牛乳瓶の牛乳をゴクゴクと口にふくんだ。
その牛乳をいつ用意したのかはわからない。
「じつはあたし、中庭でおしっこをしちゃったの……」
「――ッ!?」
こちらにグルンと首を捻り、目玉をズボっと突き出すレイカ。
そして彼女は口にふくんだ牛乳を、ブシャーッ!! と理奈の顔にぶっかけた。
理奈は麻呂みたいな白い顔でぼやく。
「なんであたしの顔目がけて牛乳を吐き出すのよ……。てか、風呂上りでもないのに牛乳なんか飲まないでよね……」
「そんなことより理奈さん……あなた、今なんとおっしゃったのかしら……?」
「だから、中庭でおしっこをしたのよ……」
「犬がしたのでして……?」
「犬じゃないわよ……あたしがしたのよ……」
「そ、そうですの……あんなところでおしっこをしたのですの……」
レイカは湯船から頭だけを出した格好で、スススー、と横方向に遠ざかる。
お湯の中をよく見ると、彼女の足はカルガモのように慌ただしく動いていた。
さりげなく逃げているつもりらしいが、水面下では全力で逃げている。
理奈は少しカチンときた。
「ちょっと、なんであたしから逃げるのよ」
お湯の上に漂う金髪縦ロール。
それをグイっと引っ張り、理奈はレイカを隣の位置までたぐり寄せた。
「理奈さん……あなたは中庭でおしっこをしたのですわよ……。そんな場所でおしっこをできる猛者なら、お風呂の中でもおしっこをするに決まってますわ……」
「お風呂の中でするわけないでしょ」
「なら、プールの中でしたことがあるのではなくて……?」
「あるわけないでしょ」
「海で泳いでいる最中はどうでして……?」
「そ、それもないわよ……」
理奈はややトーンダウンで否定した。
本当のところ海ならある。
というか、おしっこ選手権じゃあるまいし、どこで場数を踏んだとかの問題ではない。
この秘密を打ち明けた真意、それは太一に関係しているのだ。
入学初日に中庭でのおしっこを盗撮され、彼に弱みを握られたこと。
昨晩、その動画を削除しようとしたら、すでにそれは削除済みだったこと。
太一の優しさに心打たれ、彼を迎えに行ったはいいが、自分が迷子で死にかけたこと。
だが、どうにかして太一を連れ戻し、こじれた関係を修復したいこと。
理奈はそれらの事情を包み隠さず伝え、レイカに協力してほしいと願い出た。
「そうでしたの。あの屁っこき虫と、そんな事情があったのでして」
「だからレイカさん、あたしと一緒に太一を探してくれる?」
「それはかまいませんことよ。わたくしもそろそろ許してやろうと思っていたことですし」
「ありがとう。あなたに話して本当によかった」
「でも、ひとつだけ大きな問題が残っておりますわ」
レイカは眉間を曇らせ理奈の顔をすっと見た。
次いで彼女は口をひらく。
「マダム殺人事件でしてよ。それがまだ解決しておりませんわ」
たしかにレイカの言うとおりだ。
マダムを殺した犯人(おそらくボブ)は、何食わぬ顔で用務員の仕事を続けている。
透明なので顔は見えないが、軽トラとワンセットでそこらをちょろちょろしている。
その彼が野放しになっているということは、太一が犯人にされてしまうのだ。
しかもボブは蘭子先生と地下でなにかを企てていた。
つまり、二人は黒いつながりがあるということだ。
DH女学園、最高責任者、折原蘭子学園長。
彼女の後ろ盾がある以上、ボブに容疑がかけられることはないだろう。
それにこの事件はいまだ表面化しておらず、生徒の間で噂にすらなっていなかった。
蘭子先生が隠匿しているのは想像に難くない。
マダムがなぜ殺されたのかもふくめ謎は多いが、これだけははっきりしている。
太一が捕まれば命はないということだ。
昨晩は向こう見ずで飛び出したものの、かえって彼が見つからなくてよかった。
理奈は自分の軽はずみな行動を猛省し、それを気づかせてくれたレイカに感謝した。
「レイカさん、まずマダム殺人事件を解決するってことよね?」
「そのとおりですわ。それに彼も本当のところ、冤罪を恐れて地下に隠れているのではなくて?」
「そうよ、きっとそうだわ。帰ってきたくても帰ってこれないのよ」
冤罪を恐れているのもあるだろうが、太一は優しい心の持ち主だ。
あのときのケンカ別れにしても、あえて演技を装ったとも考えられる。
それすなわち、仲間に迷惑をかけたくはないという、自己犠牲の精神。
自分だけが地下に残るためには、偽りで仲間を突き放すしかなかったのだ。
「でも太一、ご飯とかどうしてるんだろ。地下に食べ物なんてあるわけないし……」
「理奈さん、そんな心配は無用でしてよ。あの屁っこき虫なら、空気さえあれば生きていけますわ。口から空気を食べて、お尻から屁をこくのですから」
そしてレイカは、「ブッ、ブブブッ!」と、屁のような音を立てて吹き出した。
逆さ三日月の瞳に涙を浮かべ、タコ唇で頬をパンパンに膨らませ、大爆笑寸前のご様子。
そんなとき――。
「ふん♪ ふん♪ ふん♪」
脱衣所の方から、やけに軽快な鼻歌が聞き漏れてくる。
東棟の生徒がお風呂に入りにきたのだ。
理奈はお湯に体をズブっと沈め、顔を半分潜水しそちらの様子をうかがった。
仕切りは一面、ほぼガラス張り。
その向こうに見えるのは、一人の女子生徒。
金髪のロングへアが足元近くまで伸びている。
顔は見えない。
というか、髪の毛がシダレヤナギのように垂れ下がり、かろうじてピンクのジャージが見えるくらいだ。
不気味さでは藻江のワカメ髪とタイを張っている。
「ふん♪ ふん♪ ふん♪」
よほど機嫌がいいのか、彼女は鼻歌を続けながら脱衣を開始した。
壁際に据えられた脱衣棚、その網カゴの中へ、上下のジャージを投げ入れる。
そして彼女がブラジャーを外し、パンツも脱いだところで――。
理奈は「ん?」と少々の違和感を覚えた。
あの女子生徒が手にするパンツとブラジャー。
その濃紺な色合いが、自分の紛失した下着とまったく同じなのだ。
下着の形状まで視認できないが、色だけはピタリと一致している。
とはいえ、それが珍しい色というわけでもない。
ましてや、彼女が自分の下着を盗むわけがない。
ゆえに理奈は、たまたま色が同じであったと解釈にいたった。
「ふん♪ ふん♪ ふん♪」
全裸になった彼女は、ガラス扉を横にひらき、風呂場の中へ足を踏み入れた。
全裸といっても、肘から先の腕、それと足元だけしか見えない。
それ以外の体表は、金色のシダレ髪で隠されている。
そのほがらかな鼻歌に相反し、見た目はすでに妖怪の域に達していた。
幸い、こちらには気づいておらず、彼女は洗い場で体を洗いはじめた。
「ねえ、レイカさん。ヤバイ奴がやってきたわよ。どうするの?」
理奈はヒソヒソ声で判断を仰ぐ。
あれはどう見ても、東棟で一、二を争うキワモノキャラだ。
そんな者にからまれたとあっては、なにかしらの事件に発展してしまう。
「なにかおかしいですわね」
するとレイカは神妙な面持ちを浮かべ、女子生徒の方へ視線を注いだ。
距離にして十メートル。
その者は壁を向いた形で風呂イスに座り、シャワーで体を清めている。
「おかしいもなにも、とんでもなくおかしいわよ。あの髪の毛を見たらわかるでしょ。たぶんあの人、柳の木の生まれ変わりよ」
「その髪の毛なのですけど、わたくしのウィッグと色艶が同じなのでしてよ」
「え? ウィッグと?」
理奈はレイカの縦ロールとシダレ髪を交互に見やる。
確かに色艶はまったくの同一で、どちらもファラオ(黄金)の光彩を放っていた。
大英博物館に展示されても違和感はないだろう。
そんな神々しい髪色がかち合うなど、そう簡単に起こり得ることではない。
レイカが不審を抱くのもうなずけるところだ。
すると――。
「ふん♪ ふん♪ ふん♪」
その者は体を洗い終え、鼻歌を歌いながら湯船の方へ近づいてきた。
つま先を外に広げた、その大胆で無骨な足取り。
そんじょそこらの女子高生ではないことを物語っている。
さすが東棟随一のキワモノだと思い、理奈は警戒心をMAXにまで引き上げた。
そんなところに――。
「そこのあなた、待つのでしてよ」
レイカが先手を打った。
彼女はお湯の中で微動だにせず、射るようなまなこで警告を発する。
ファラオは二人もいらない、自分こそがまことのファラオ。
そう言わんばかりの面構えだ。
「ふん♪ ふん♪ ――ッ!?」
ここで女子生徒は鼻歌をやめ、歩みもビタリと静止した。
警告を受け、はじめてこちらの存在に気がついたらしい。
しばしの沈黙を経て、レイカが氷のような冷たい声で問う。
「あなた、名前はなんというのでして?」
「あ、あたくしの名前は……神社の絵馬と書いて、絵馬・ワトソンですわん……」
絵馬と名乗る女子生徒。
レイカが生粋のお嬢さま口調なら、彼女は新宿二丁目のお嬢さま口調だ。
不意を突かれたためだろうか、その声音にはやや狼狽の色がふくまれている。
「そ、それより、どうしておまえらが――じゃなくて、どうしてあなたたちが、こんなところにいるのかしらん……?」
「わたくしたちは、ただお風呂に入りにきただけですわ」
「でもここは、東棟のお風呂ですわよん……? お二人は西棟の生徒じゃないのかしらん……?」
「西棟のお風呂が使えないのですわ。それでこちらにお邪魔したのでして」
「そうでしたのん……。シャンプーのボトル十本も湯船にぶち込んだら、そりゃ、泡だらけでお風呂も使えなくなりますわよねん……」
そこでレイカの瞳がビカリと光った。
「なぜそれを知っているのでして? わたくしはお風呂が使えないと申しただけで、泡だらけのことは口にしておりませんわよ。しかもあなた、シャンプーの具体的な数までおっしゃいましたわ。もしかして、泡だらけにした犯人は、あなたなのではなくて?」
「あ、あたくしは犯人じゃありませんことよん……。はらわた煮えくり返る誰かさん二人に嫌がらせしようと思って、大量のシャンプーを湯船にぶちまけるなんてこと、絶対にするはずがないですわん……。だからそんなPTA会長のムカツクババアみたいな顔で、あたくしを犯人扱いするのはやめてほしいですわねん……」
シダレ髪で表情はわからなくとも、焦りを色濃く反映したその口振り。
見てくれとフルネームもひっくるめて、彼女はとことん怪しい。
職務質問待ったなしの怪しさだ。
「ところで絵馬さん、ちょっとお願いがありますの」
「なにかしらん……?」
「あなたの顔を拝見したいのですけど、よろしくて?」
「どこの世界に顔を見せろと言われて、いいっすよ、なんて二つ返事でマスクを取る、お人好しな覆面レスラーがいるのでしてん……? それと同じことですわん……」
「それなら、顔から下の体を見せてはもらえませんこと?」
「どこの世界に体を見せろと言われて、あいよ、なんて二つ返事で貝から出てくる、危機感ゼロのヤドカリがいるのでしてん……? それと同じことですわん……」
なぜ覆面レスラーとヤドカリが出てくるのかはわからない。
しかし、付け入る隙のない巧みな言い回しにも感じられた。
このキワモノ――できる!
理奈はある意味で感服の念を抱き、口ゲンカでは勝てないことを自覚した。
レイカも話にならないと判断してか、それ以上、絵馬の本体を暴こうとはしなかった。
だが、その鋭い眼光に屈服の二文字は見られない。
「なら絵馬さん、最後にひとつだけ、正直に答えてほしいことがありますわ」
「なんですのん……?」
「わたくしのウィッグなのですけど、二本だけ紛失しておりましたの。あなた、もしかして心当たりがあるのではなくて?」
「こ、心当たりなんてないですわん……」
「本当でして?」
「も、もちろんでしてよん……。なにか変装するものはないかとあなたの部屋に忍び込んだところ、偶然、脱着可能な金髪縦ロールを見つけて、それを二本かっぱらってシダレ髪になるようにほぐし、こうして頭からかぶって体を隠しているなんてこと、宇宙がひっくり返ってもあるはずがないですわん……」
嘘だ――。
理奈はそう思った。
というか、事実を述べて最後にそれを否定するという、高等戦術を仕掛けている。
もしくはただのバカだ。
いずれにせよ、絵馬に惑わされてはならない。
「レイカさん! 騙されないで! その人、嘘をついてるわよ!」
理奈はジャプンと立ち上がり、絵馬に向けてビシっと指を突きつけた。
その反動でバスト(Fカップ)がブルンブルン上下に揺れたが、そんなことは関係ない。
今はただ、目の前のほら吹きに対し、正義という名の糾弾を言い放つのみ。
すると――。
絵馬の顔の位置、そのシダレ髪の間から、ビヨーンと二つの眼球が飛び出した。
それだけではない。
彼女の股間からも、なにか細長いものが四十五度の角度でギュンと上を向く。
濡れたシダレ髪がまとわりついて、それをはっきりと認識することはできない。
でも、魚肉ソーセージみたいな形のなにかだ。
「理奈さん! 立ち上がってはダメでしてよ! 今すぐお湯の中に体を隠すのですわ!」
そこへ、レイカが切迫した様相で忠告を発する。
彼女がなにを言っているのかがよくわからない。
ここは女湯であり、女しかいないのに、なぜ体を隠す必要があるというのか。
理奈はなおも揺れ動くバストを絵馬に向けたまま、はて、と首をかたむけた。
そんな矢先――。
「ボッキリとへし折ってくれますわ!」
レイカはお湯の中に身を縮めた状態で、牛乳瓶をシュンと投げ放つ。
その軌道と速度は、十数メートル先の的を射る弓矢そのものである。
そして――。
ガコン!
牛乳瓶は鈍い音を立て、絵馬の魚肉ソーセージを的確に撃ち抜いた。
いや、魚肉ソーセージのような形をした、なんらかのそそり立つ物体だ。
「ハウッ!」
犬小屋の角に足の小指をぶつけたアホ犬。
絵馬はそんな間抜けな声を漏らし、深く身を屈めて股間を両手で押さえ込む。
そして彼女が崩れるように膝をつき、前のめりにうずくまったところで――。
シダレ髪がズルズルと頭から滑り落ち、その中から裸の本体が露見した。
痙攣するお尻を突き上げて、両手をしっかりと股に挟み込み、白目をむいて悶絶する顔を床にへばりつけている。
絵馬・ワトソン。
その正体は女ですらなかった。
青島太一というただの変態だ。
つまるところ、ギュンと上向いた魚肉ソーセージの正体も、興奮したアレを意味する。
「信じられない! なに考えてるのよ! マジ最低!」
理奈はとっさに胸と股間を両腕で隠し、立ち姿のまま辛辣に怒りを吐き捨てた。
恥ずかしくともお湯の中には隠れない。
天誅を下すために湯船の縁をまたぎ、太一に向かって助走を開始する。
そして――。
「死にさらせや! このイカれた魚肉ソーセージが!」
理奈は声にドスを利かし、弾丸シュートの勢いで太一の顔を蹴り上げた。
生命反応のないデュラハンにしてやるつもりでの天誅だ。
意に反して太一の首はもげなかったが、その体はフワリと宙に舞い上がる。
「オーホホホ! 屁っこき虫の分際でやってくれますわね! オーホホホ!」
ここでレイカの追撃。
彼女は謎の花びらで胸と股間をシークレットしつつ、空中で飛び膝蹴りを繰り出した。
それは太一の顎をバコン! と貫き、彼の体はペシャリと天井に張りついた。
やや時間を置いたのち、ボロ雑巾と化した亡骸がヒラヒラと床に落ちてくる。
それ見て理奈とレイカは、
「よし」
「よしですわ」
と満足げにうなずき、二人仲良くお風呂でゆっくりとリフレッシュした。
場所は変わって西棟生徒寮、205号室、太一の部屋。
理奈とレイカは並んでベッドに腰をかけ、目の前で土下座するバカを取り調べていた。
反抗的な態度を取れば容赦はしない。
ゆえに二人は生首を装着し、いつでもボコれるように目を光らせている。
「で、太一。お風呂を泡だらけにしたのは、あんたの仕業なのよね?」
「そ、そうですわん……。お二人に嫌がらせしようと思って、シャンプー十本ぶち込みましたわん……」
「その気持ち悪いしゃべり方はもうやめてよね」
「わ、わかりました……」
太一はシダレ髪をかぶっているのだが、それをめくり上げているので正面は見えている。
裸にブラジャーとパンツ姿の変態がそこにいる。
問題はその紺色の下着だ。
「ねえ太一、あんたがつけてる下着なんだけど、それってあたしのものよね?」
「おっしゃるとおりです……」
「どうしたの、それ?」
「こっそり部屋に忍び込み、下着ケースの中を吟味した結果、これが一番エレガントかと思い、拝借させていただきました……。後日、入念に洗ってお返しいたします……」
「あんたの穢れが洗濯で落ちるわけがないでしょ。そんなもの、くれてやるわよ」
「ありがとうございます……」
「なんであたしが感謝されなきゃいけないのよ」
「す、すみません……」
太一はうつむいたままで目も合わせない。
それでも反省している様子だけは見てとれた。
理奈も下着の一つや二つでそこまで怒りたくはない。
だからこの件に関しては水に流すことにした。
次はレイカの番だ。
「そこの屁っこき虫、正直に答えるのでしてよ」
「な、なんでしょうか……」
少し悔しさが声にあらわれている。
「そのシダレ髪は、わたくしのウィッグを盗んで作ったのでして?」
「はい……縦ロールを手延べソーメンのようにほぐしてこしらえました……。後日、もとの形状に戻してお返しいたします……」
「臭そうなので返却は結構でしてよ。ですけど、きっちりと弁償していただきますわ」
「お、おいくらほどに……?」
「ウィッグは特注品ですので、一本、五十万円ですわ。それを二本盗んだのですから、百万円を弁償していただきますわ」
「い、今すぐには無理ですが、コツコツと末永く返済させていただきます……」
「よろしくてよ」
さすがファラオのウィッグ。
テレビショッピングで買える、数万円のおばさん仕様とはわけがちがう。
しかし、それを盗んだ太一が悪いので、こればかりは同情の余地がない。
なんにせよ、これで一連の事件はカタがついた。
残る問題は、太一がどのように生活をしていたのか、それを知ることだ。
ゆえに理奈は問う。
「ところで太一。あんた、どこで寝泊まりしてたわけ?」
「東棟の生徒寮の空き部屋で……」
「いつからよ?」
「地下でケンカ別れしたその日からです……。ツインルームのお部屋にシングル使用で滞在してました……」
「食事はどうしてたの?」
「東棟の生徒食堂です……。朝昼晩、きっちり三食いただき、じゃっかん太ったかと……」
「まさかあんた、東棟の生徒として暮らしてたの!?」
「はい……謎の転校生を演じて、よそのクラスで普通に授業も受けてました……。名前をハーマイオニー・グレンジャーにしようと思ったけど、さすがに丸パクリはまずいんで、絵馬・ワトソンでいこうと決めたしだいです……」
理奈は開いた口が塞がらない。
なんと、太一は堂々と東棟で生活を送っていたのだ。
豪華なツインルームを確保し、太るほどたらふく飯を食べ、鼻歌の余裕をかまして女風呂に入り、それだけでは飽き足らず、前向きな姿勢で授業にも参加していた。
さらに詳しく聞けば、飼育係で金魚の世話までしていたという。
ここまでくるとサクセスストーリーに近いものがある。
というか、そのクラスの担任はなにをやっているのか。
理奈はほとほと呆れ返り、老け込むほどに大きなため息を吐いた。
「屁っこき虫のくせに腹が立ちますわね」
レイカは腕を組んで人差し指をしきりに動かし、プンプンと苛立ちを募らせている。
太一が滞在していたツインルームの空き部屋。
そこは本来、レイカの部屋であったらしく、彼女が気分を害するのも当然だ。
「うっ……ううっ……」
すると太一は肩を小刻みに揺らし、嗚咽を漏らして涙をこぼしはじめた。
膝の上でギュっと握り締めた拳の甲に、その涙がポタリポタリと滴り落ちていく。
やがて堰(せき)からあふれ出した大水のように、彼はその感情を一気に爆発させた。
「俺だって本当は西棟に戻ってきたかったんだ! でもおまえらとケンカした手前、戻りたくても戻ってこれなかったんだ! だからしかたなく絵馬・ワトソンなんてぶっ飛んだキャラを演じて、東棟の生徒として暮らしてたんだ! 俺だって生きるために必死なんだぞ! なんも悪いことしてないのに生贄で連れてこられてさ、それでもいつか家に帰れると信じてさ、俺なりに頑張ってるんだぞ! それなのになんだよ! 青島探検隊のミスは全部俺のせい! ちょっと屁をこいたぐらいで屁っこき虫呼ばわりだ! おまえらのほうこそ、もっと俺に優しくしてくれてもいいじゃねーか! うおおおおおおおおおおおお!」
そして彼は慟哭した。
両の拳を何度も床に叩きつけ、鼻水をビローンと伸ばして泣きじゃくった。
そこに男らしさなど微塵も感じられない。
シダレ髪をかぶり、裸に女物の下着を身に着ける、哀れな変態が泣いているだけだ。
しかし、理奈はこれが本当の太一の姿だと思った。
強がることを捨て、弱音を吐き散らす、そんな太一の姿に、本当の男らしさを感じた。
もちろん恋心なんかじゃない。
その変態仮装パーティーみたいなナリを見て、ドキっと惚れる女はまずいない。
だけど、太一はかっこよく見えた。
児童ポルノで逮捕されるキモいおっさんよりも、太一のほうがかっこよく見えたのだ。
「太一! ごめん! あたしが悪かった! 太一の気持ちも知らないで、あたし、勝手なことばかり言ってた! 本当にごめん、太一! うあああああああああああん!」
理奈は膝をついて太一に寄り沿い、彼の肩を両腕でガッシリ包み込んだ。
そして壊れた蛇口の勢いで涙を流し、あらん限りの声を上げて号哭した。
ここまで感情が高ぶると、心の元栓はそう簡単には閉まらない。
「屁っこき――いえ、太一さん! もう二度と、屁っこき虫なんて呼びませんわ! だから、このわたくしを許してくださらないこと! びえええええええええええん!」
レイカも体を重ねるようにして太一に覆いかぶさった。
そして、ナイアガラの滝のように涙を流し、すべてをかき消す大音量で泣き叫ぶ。
「うおおおおおおおおおおおお!」
「うあああああああああああん!」
「びえええええええええええん!」
そんな三人で流す、大量の涙。
それは奔流の渦となって混ざり合い、心までもが三位一体となり――。
青島探検隊はここに真の結束を果たした。
理奈はいつまでもみんなと泣きながら、本当に、本当に、そう確信することができた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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