第3話 野ション
高度、およそ三百メートル。
眼下に街明かりすら望めない僻地の上空を、軽トラは飛行機のように飛んでいた。
幽霊の話によれば、霊的な力を使いフライトを可能にしているらしい。
はじめはそれに仰天し、心臓が止まりかけた太一だが、今は落ち着きを取り戻している。
空を飛んだ以上、己ではもうどうすることもできないので、半ば諦めムードだ。
ただひとつ気になるのは、なぜ幽霊が迎えに来たかということである。
むろん、それを訊いてみたのだが、守秘義務があるらしく教えてはくれなかった。
隠し事をするということは、なにかやましいことがあるからだ。
これから向かう先、DH女学園にはなにかとんでもない秘密が隠されているのでは――。
なーんてことがあるはずもなく、太一はいらぬ心配を頭のゴミ箱へ捨て去った。
「坊主、見えてきたぞ。あれがおまえの入学する学園だ」
フライトを続けること数時間。
険しい山並みに囲まれる景観の中、朝もやの立ち込める湖が目の前に広がった。
軽トラの高度はおよそ百メートルにまで降下している。
まだ未明で薄暗いのだが、アルプスのごとく壮大なパノラマを望むことができた。
湖は円形状を成しており、その大きさは北海道の洞爺湖クラスと思われる。
そんな湖の中ほどに、これまた洞爺湖にも似た小島がひとつ浮かんでいた。
その小島を土台にして、西洋の古城のようなものが建てられている。
鉛筆型をした大小複数の塔がそびえ立ち、まるで難攻不落の要塞と化していた。
城の規模としては、姫路城と同じぐらいの大きさがあるだろう。
見た目は堅牢で物々しいのだが、ぽつぽつとオレンジ色の窓明かりが灯されており、どこか幻想的な雰囲気も織り交ぜていた。
あの城がDH女学園、女だらけの極楽エロ浄土。
ついに念願叶って、魅惑のアイランドへと足を踏み入れたのだ。
それはそれとして、太一にはいろいろと解せないことがある。
「おい、おっさん、これどういうことだよ」
「どういうこととはなんだ?」
「ここはどこだよ。こんな海外の絵葉書みたいな場所が、日本のどこにあるんだよ」
「詳しいことは教えられん」
「そうか。守秘義務ってやつか。ならそこはスルーしてやるよ。でもな、あそこにドーンっておっ建つ城はなんなんだよ。どこぞの魔法魔術学校みたいなあの城はよ」
「あれでもいちおう学び舎だ。そう気にするな」
「よしわかった。そっちがそういう態度でくるんなら、こっちにも考えがあるからな」
太一はポケットからスマホを取り出し、城の全体像を画像に収めた。
それをネットにアップし、洗いざらい情報を仕入れようと思ったところ――。
ネットがつながらない。
それどころか、音声通話もできない電波状態となっていた。
「坊主、あきらめろ。ここは電話やネットのたぐいはいっさい使えない」
「それっておかしいじゃねーか。俺は学園の担当者と電話でやり取りしたんだぞ」
「その担当者はこのオレだ。こことはちがう場所で坊主の電話を受けたまでだ。ついでに言っておくが、幽霊のオレがなぜ携帯を所持してるのだとか、料金の支払い方法はどうしてるのだとか、そういったたぐいの質問は受け付けんからな」
今どきの幽霊は携帯の所持があたりまえとなっているらしい。
その後、日の出まで学園の上空を旋回し、それから太一は小島に降ろされた。
時間の都合上、幽霊と無駄話をして暇を潰しただけのことだ。
「坊主、オレを恨むなよ」
なにやら不穏な言葉を残し、軽トラはフラフラとどこかへ飛び立っていく。
なんのことかは知らないが、それよりも荷台のスーツケースを返せと言いたい。
ひとまず太一は周辺の状況について把握することにした。
今いる場所は学園の中庭だ。
広さとしては、盆踊りもじゅうぶん可能な面積を有している。
春先とは思えない青々とした芝生が広がり、ゴルフ場のように管理もされていた。
それだけではない。
洋風の白いあずま屋、虹をつくる噴水、角ばった生け垣、それらが何ヵ所かに設けられており、イギリス庭園の装いも兼ね備えている。
決して立ちションの許されない庭もさることながら、より目を見張るのは城の景観だ。
周囲の外壁には抽象的なレリーフが施され、まるで建築家のガウディが設計したような建物となっていた。
とにかく城のすべてが古めかしく荘厳であり、三日はオナ禁頑張るぞ、なんてストイックな気持ちにもなってくる。
しかし、そうは問屋が卸さないのが、この学園のいやらしいところだ。
その言葉のとおり、エッチでいやらしい。
ご当地アイドルていどの女子生徒なら、壁ドンひとつでイチコロである。
超極端な男女比率において、『ただしイケメンに限る』などという、ふざけた言葉は存在しないのだ。
と、太一が股間をムズムズしていたところ――。
「この学園って広すぎ! トイレはどこなのよ! トイレは!」
中庭のどこかから、やけに切羽詰まった女子生徒らしき声が飛んできた。
どうやらトイレを探しているらしい。
教師や上級生であれば、トイレの場所ぐらいは知っているはず。
すなわち、彼女は新一年生であることを意味する。
「――ッ!!」
太一はとっさに生け垣の陰へ身を潜めた。
隠れる必要はないのだが、この状況はさすがに気まずい。
すると――。
「もう我慢できない! 漏れちゃう!」
その道のツウにはたまらないであろう、強烈なセリフが飛んできた。
声の方向を察知し、太一は生け垣からそっと彼女を盗み見た。
その道のツウではなくとも、この後の展開がとても気になるところだ。
すると前方およそ二十メートル先、庭木の下にターゲットをロックオン。
そこで女の子がそわそわとしゃがみ込んでいる。
セーラー服のスカートをまくし上げ、プリティなお尻が丸見えとなっていた。
それもかなりの美少女だ。
黒髪のセミロングに飾り気はなくとも、むしろそれが自然体で好印象となっている。
つぶらな瞳はあどけなさを残しつつ、大人の魅力も備わっていた。
そんなかわいい女の子が、この立ちションすら許されない庭園で、ケツ丸出しの和式便所スタイルとなり、今から軽犯罪をやらかそうとしているのだ。
「――ッ!!」
太一は迅速かつ密やかに、ズボンのポケットからスマホを取り出した。
もちろん下ネタ動画を収めるためだ。
だがこれは犯罪ではない。
むしろ犯罪者は彼女のほうであり、その証拠を残すため撮影に踏み切るのだ。
けしからん、けしからん、と思いつつ、太一は被写体の隠し撮りを開始する。
「誰も……見てないわよね……?」
周囲をキョロキョロうかがい、小さく声を漏らす女子生徒。
ついでに言うなら、おしっこもシャーシャーと漏れている。
限界集落の婆さんじゃあるまいし、ここで野ションをするとはすごい度胸だ。
そんなとき――。
「へ、へ、へっくしょん!」
あろうことかこのタイミングで、太一は豪快にくしゃみをしてしまった。
事態はこの上なく深刻だ。
おっさん顔負けのくしゃみをしただけに、彼女がそれに気づかないわけがない。
「誰ッ! そこに誰かいるの!」
やはり気づかれていた。
女子生徒はこちらの生け垣に向け、盗撮犯を見つけたかのように叫んでいる。
もしバレたら一巻の終わりだ。
変態でクズの称号が学園全土に広がり、お友だちは便所の個室だけとなる。
そして刻々と精神をむしばまれ、やがてその便所の個室で首を吊ることになるのだ。
そうならないためにも、ここはなんらかの策を打たねばならない。
「コッケコッコーーーーーーーーッ!!」
太一は生け垣の陰からニワトリの鳴き声をマネしてみた。
しかし、いざ声にすると場違い感がハンパない。
これではますます限界集落だ。
だからといって、今さらライオンの鳴き声をマネるわけにもいかなかった。
すると――。
「なーんだ、そこにニワトリがいたんだ。くしゃみなんかするから、てっきり人がいたと思ったじゃない。はー、ビックリした」
どうやらこの女子生徒は、ニワトリと同レベルの頭であるらしい。
そんな彼女は、葉っぱを使っておしっこを済ませ、スタスタとその場を立ち去っていく。
なんと、木の葉っぱで股間を拭いたのだ。
ここまでくると限界集落を通り越し、もはや部族といっても過言ではない。
太一は上から目線で彼女を憐れみ、ひとまず入学式の会場へ向かうことにした。
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