第63話 颯磨の弱音
「ソーマ! やっぱりここにいた」
湖に張り出したテラスの淵に腰掛けて、湖面をぼんやりと見つめていた颯磨は、駆け寄ってくるロザリーに鬱陶しそうな視線を向けた。
「安静にしててってあんなに言ったのに。無理して戦った所為で、傷の治りも解毒作用も鈍化してるんだよ?」
「どうりで滅茶苦茶掌も頭も痛いわけだ」
「なら大人しく寝ててよ」
「もう少しここにいたい」
ロザリーは観念したように小さく溜息を吐くと、颯磨から微妙に距離を空けて腰を下ろした。
「何? 待つの?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど、空気読んでほしいなぁ」
「空気読んだ上でここに残ってるんですけど!」
「残念、失格。また次回お越しください……と、普段ならにべもなく追い返しているところなんだけど。暇ならちょっと弱音、聞いてくれない?」
「よ、弱音!? ソーマが!?」
ロザリーは大いに狼狽え、颯磨は心外だと言わんばかりに不満を露にした。
「だってソーマがそんなこと言うなんて思いもしなくて」
「だろうね。柄じゃないってのは自分でも分かってるんだけどさ」
「そ、そっか……私で良ければ、聞くよ」
いつになく覇気がない颯磨を見かねて、ロザリーは柔らかな声色で応じた。普段見せない弱気な一面を見せられるほど、自分が信頼されているということが嬉しくて、内心、彼女自身も驚くほど舞い上がっていた。
「誰でもよかったんだけど、丁度良くロザリーがいてくれて助かった」
「……あー、うん、ですよねー」
「え、何?」
「なんでもない、なんでもない。それで、聞いてほしいことって何?」
颯磨はすぐには話し出そうとしなかった。それは言葉を選んでいるようにも、言葉にすべきか迷った躊躇いにも感じられた。
「昨日の俺と今日の俺、何か変わったところ、ある?」
ロザリーは目を白黒させた。
「特に変わりなく、扱いづらいけど?」
「その返しの方が扱いづらいな」
「真面目に答えて良いものかどうか判断難しかったの! 本当、どうしちゃったの?」
「……自分でも、らしくないことが苛立たしいよ」
颯磨は大きく息を吐いた。眉間には苦悶に耐える皺が深く刻み込まれている。
「俺さ、記憶力は良い方なんだ。人の弱みや失敗談は一度聞いたら忘れない」
「……えーと、真面目な話でいいんだよね?」
「でも、急に忘れっぽくなった気がする」
「うっわ、無視された」
「単なる気のせいなのか、剣臣になったからなのか分からないけど、何かを失くして、それに気付いていないような納まりの悪さがずっと尾を引いてる。よくあるじゃん? 力を得る代わりにそれ相応の代価を支払うって。
このまま戦い続けて、俺は俺のままで居続けられるのかなぁって、なんとなく不安になるんだ」
「剣臣の力を行使する代償ってこと? 確かにあり得ない話じゃないけど……人格や記憶を消滅させる反動だなんて」
口にしながら、ロザリーは思い出さずにはいられなかった。マリスティアと対峙し、人が変わったように凶暴に、そして好戦的に変貌した颯磨の姿を。あれが一種の進行性の反動、或いは呪いのようなもので、いずれ日常を忘却し、戦うことしか知らない何かに取って代わられてしまうのではないだろうか。その懸念は確かにあるのだ。
強すぎる力は身を滅ぼす。あらゆる人の営みでそれは当てはまったし、ロザリーがよく知る魔術に関しても代償は特別な意味を持つ。失うものが大きければ大きいほど、生み出される魔術的効果もまた強大だ。まして具現鋳造は人智を超えた奇蹟の類、どのような作用が颯磨に働いているか分かったものではない。そう思うと、彼女自身も得も言われぬ不安に襲われた。
「……今の私じゃ何言っても気休めにしかならないから、何も言わない」
「潔いじゃん」
「はっきりしないことを悩んでも仕方ないし、私、悩むのも悩ませるのも性に合わないから」
「単細胞なんだね、羨ましいよ」
「……褒めてないでしょ、それ」
「もちろん、貶してる」
調子を狂わされたロザリーは唇を尖らせ、拗ねるような語調で言う。
「私、ソーマのこと、まだよく知らないもの。でも、悪い奴じゃないっていうのは知ってるつもり。私を助けてくれた時もそうだけど、きっとソーマは誰かのために怒れる人なんだよね」
「えー。俺、そういう暑苦しくてお節介な奴、嫌いなんだけどな」
「そうやってソーマ自身が自分を否定するからいけないんじゃない? 魔術も術式によっては一過性の意識変性を伴うものがあるんだけど、上手く受容ができないと、意識の断絶や記憶障害が起きたりする。力の代償については何とも言えないけど、今そこにある感情、変わる自分を受け入れる率直さは、自分っていう人格を守る強さでもあると思うの」
「急に真面目。でも、言いたいことは分かるよ。失くしたものに気付かないのは、注意を向けていないからってことでしょ?」
颯磨は唐突に、間の抜けた声を上げる。
「な、何? どうしたの?」
「前にも似たようなこと、言われたことがある。思えばロザリーみたいにお節介な女だった」
「親身になってあげたのにひどくない!? ってゆうか、その子と仲、良かったの?」
「仲が良かったかどうかは分からないけど、当時は一緒に居ることが当たり前だった」
「そういうの、仲良しって言うと思うけど……」
颯磨が語る女性のことが気になっていたロザリーは気付かなかった。遠い目で地平線を見つめる颯磨の表情から、スッと笑みが消えたことに。
「――でも、もういない。そして嫌な記憶だけが残る」
物悲しく、どこか怨嗟の響きすら含む呟きに、ロザリーは思わず颯磨を見た。悲しみも苦しみも怒りも、全てを拒絶して、ただひたすら無感動であろうとする氷のような表情がそこにはあった。
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