第5章 いつか必ず再会を

第62話 悲哀と後悔と自責と

 神経回路に通電が走るかのように、断絶していた意識を取り戻した玲士朗は跳ね起きた。鬼火が揺らめく暗黒の戦場で倒すべき敵を必死に探したが、彼の目に映ったのは、見知らぬ家屋に集まる村人達と、目を丸くする詩音の姿だった。


「び、びっくりした」


「詩音……何で……」


「私達が気を失ってる間に、アミューネ村まで戻ってきたんだって。嗚呼、安心して。スピッツベルゲンは梢が倒した」


 詩音の言葉は陰鬱な響きを持っていた。玲二郎の記憶は励起され、大きな代償と共にスピッツベルゲンと差し違える梢の姿が反芻される。


「梢は――」


 無事か、とは聞けず、玲士朗は口を噤んでしまう。腕はもがれ、身体に深い傷を負わされた梢が無事であるはずがないのだ。


 沈鬱な面持ちで俯く詩音は、玲二郎と視線を合わせずに呟く。


「……説明するより、会った方が早いわ。歩ける?」




 救護所として村人達に解放されていた村長宅から外に出た玲士朗は驚きを隠せなかった。長閑で平和だったアミューネ村の空気が一変していたからだ。


 鉛色の曇天の下、破壊され、燻った黒煙を上げる家屋、打ち捨てられた武具、散在するゴブリンの死体と血痕……そして何より玲士朗を動揺させたのは、笑顔の消えた村人達の悄然とした姿だった。記憶に焼き付いてしまった悲しい既視感に言葉を失い、そして悟った。


 ――誰かが、死んだのだ。


「私達が村を出た後、ゴブリンが襲ってきたのよ。颯磨達も怪我をしたみたいだけど、大したことないって。ただ……エルフ達に犠牲者が出たみたい」


「そう……か」


 玲士朗は無意識に人々から視線を逸らす。誰かの死という認めがたい現実を前にした悲しみや苦しみ、怖れと無力感で、魂の活力をすり減らせていく痛々しい姿は見るに堪えなかった。失われたというのにずっしりと重く圧し掛かる喪失感は、明日になれば記憶を無くすテルマテルの人々にとっても決して消えることはないし、癒えることもない。時間の経過と忘却によって姿をぼやかしていったとしても、生きている限り、心に痕跡を残し続けるのだから。




 詩音に先導されて、玲二郎は梢が運び込まれたバルウィンとレニの自宅に向かい、先に到着していた美兎に出迎えられた。


「玲君、よかった。目が覚めて」


 美兎は力なく笑う。泣き腫らした眼と憔悴し切った表情が痛々しかった。


「コズエさんはこちらに」


 レニの案内で部屋に通されるなり、玲士朗は言葉を失った。ベッドに横たえられた梢は左腕の肱から先を失い、首筋も大きな傷を抉られ、乾いた赤黒い血の色で染められていた。顔色は蒼白で、身じろぎ一つせず、呼吸の律動すら感じられない。亡き姉の死相を連想してしまった玲士朗はショックのあまりフラフラと後退りした。


 詩音は震えた声を絞り出す。


「大丈夫。死んでないわ。首の傷を見て」


 痛々しい首筋の大きな裂傷は、凝固した赤黒い血の色に混じって、淡く輝く光が蠕動していた。それは具現鋳造の光と同じ、あらゆる可能性の具象にして、現実を改変する意志の発露。そして梢が生きることを諦めていない証左でもあった。


「命に関わるほどの外傷を受けると、一時的に肉体を仮死状態にして、傷の再生能力に専念する仕組みが私達の身体にはあるのかもしれないって、アニーさんが言ってた。少しずつだけど、その光が傷口を修復してる。どれだけ時間がかかっても、きっと梢は目を覚ます。私はそう信じてる」

 

「お、俺が……みんなを連れ出したから、こんな事に……」


「違うよ。玲君のせいじゃ無い。誰の所為でもないんだよ。命懸けで私達を守ってくれたのは、間違いなくコズ自身の意志だから」


 美兎は苦しげに息を吐いて、梢の穏やかな表情を哀傷とともに見つめた。


「辛くても苦しくても誰かのために独りで頑張って、傷ついて……そういう子だから」


 再び涙ぐむ美兎を慰めながら、詩音は血に染まった梢の髪を優しく梳る。


「……目を覚まさなかったら、一生許さないんだからね、この頑固者」




 治癒魔術を施され、ベッドで静養していた鷹介と悟志もまた、他人には癒せぬ苦しみに耐え続けていた。目の前で仲間を傷つけられ、為す術なくそれを傍観することしか出来なかった二人は、誰よりも大きな自責の念に苛まれていたのだ。


 鷹介達の危急を救ったマハは彼らの帰還に同行し、アミューネ村に滞在していた。意気消沈する二人に引きずられるように、マハもまた鬱々とした心持ちを抱いていた。


「マリスティアの上位個体『中枢種』に、ゴブリンの精鋭集団『マシアフ戦士団』か。ぬしら剣臣と比肩する強者がまだまだいるなど考えたくもないな」


 鷹介は自嘲とともに呟いた。


「強者であるもんか。仲間を犠牲にしなきゃ、自分の命も守れないのに」


 悟志も身につまされる思いを抱く。目の前で自決したバーチュの悲壮な後ろ姿が網膜に焼き付いて離れなかった。


「……すまん、感じ悪いな。それと、ちゃんと礼が言えてなかった。助けに来てくれてありがとう、マハ」


「礼には及ばぬ。ぬしには外に出る契機をもらったからな、ついでに借りを返したまでじゃ。

 傷を癒した後、ぬしらは次の中枢種を討ちに行くのか?」


 逡巡は沈黙となって滞留する。


「そうだな……そうしなきゃいけないっていうのは分かってるつもりだ。でも……何だろうな。自信がなくなってきた」


「弱気じゃな」


「スピッツベルゲンみたいな化け物が少なくともあと六体霊廟に封じられていて、俺達はそれを倒さないといけないらしいじゃないか。弱気にもなるさ」


「それに……僕達はもう誰も、目の前からいなくなって欲しくないんだ」


 悟志の切実な思いに、鷹介もマハも返す言葉が見つからなかった。


「何で、こうなっちまったんだろうな」


 鷹介は上の空で呟く。


「うん……」


 悟志も心ここにあらずといった態だった。お互い、吐き出さずにはいられない後悔を口にしているだけだ。そして言葉とは裏腹に、二人は残酷なほど単純な答えを既に弁えていた。

 

(もっと強ければ、誰も傷付かなかったのに――)

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