第61話 悪を屠る殺意
後には不気味な静けさだけが遺された。悟志は眼前の光景を現実として受け止められなかったし、愕然ともした。
バーチュの特攻は、彼の願望を叶え切れなかったのだ。虚無から辛くも逃れたマラファルが、抉られた大地を忌々し気に見つめながら呟く。
「だから馬鹿だってんだ。雑魚が俺を道連れにできるわけないだろうが」
だがマラファルも無事では済まなかった。バーチュが解放した虚無はマラファルの右腕を肩口から食い破っていた。痛みと屈辱がマラファルの神経を逆撫で続ける。
「搶光のマラファルが逆に奪われるなんて笑い話だ。クソ……弱い癖に、足掻きやがって……」
マラファルはフラフラと歩き出す。悟志は鎚剣を構えようとしたが、一瞬で肉薄したマラファルに先手を取られ、腹部を身体が浮き上がる程の衝撃で蹴り上げられる。たまらず悟志は苦しみ喘ぎ、蹲るところに容赦ない蹴撃を浴びせ続けられる。
「クソ、クソ、クソクソクソクソクソ。雑魚の癖に調子に乗りやがって。俺の右腕は高くつくよ。お前の全部奪っても足りない。この村全部でも足りない。ルクサディアまで出張って殺しまくって
「そ、そんなこと……させない……」
苦悶に耐える悟志は、息も絶え絶えに、そして声を震わせながらも、マラファルに立ち向かう勇気を失ってはいなかった。彼に望みをかけ、散っていったバーチュの期待に応えようとする誠意が、為す術なく見殺しにしてしまった罪悪感が悟志を駆り立てる。
(怖い、苦しい……。でもそれ以上に、悔しい。こんな風に、命が軽々しく踏みにじられることが、堪らなく悔しい)
マラファルは悟志を浅薄な眼差しで見下しながら、胸ぐらを掴み上げる。
「なら、お前も命を懸けて俺に挑むか?」
マラファルの朱い瞳が悟志の黒曜の瞳と交差する。その瞬間、悟志は過呼吸となって悶え始めた。マラファルの瞳に魅入られ、普段は意識すらしない呼吸の仕方を奪われてしまったのだった。
マラファルは嘲り笑う。剣臣をなぶり殺す歪んだ愉悦に浸ろうとするのも束の間、マラファルは背後から一瞬の内に近づく濃密な殺意の気配に目を剥く。暴戻な速さの横薙ぎを回避し、マラファルはその場から退いた。
攻撃を仕掛けたのは颯磨だった。マラファルを睥睨する颯磨の形相は、過日、鬼神の如き力でマリスティアを切り伏せたそれよりも怒りに猛り、憎悪に満ちていた。
「また剣臣か。そこのみっともない弱虫を助けたいなら俺を殺すしかないけど、どうする?」
颯磨の額の血管が引き千切れる音が聞こえるようだった。飽和した憤怒に強く後押しされるように、これまでの速さを凌ぐ動きで一気に距離を詰める。マラファルは打ち捨てられていた剣を拾い上げて応戦したが、颯磨の猛攻は彼の予想を遥かに超える速度と威力で以て襲いかかった。攻撃を凌ぐのが精一杯のマラファルは苛立たしげに舌打ちした。
「片腕はまだ慣れないな……」
分が悪いと判断したマラファルは逃走を画策する。いかに伝説の剣臣といえども、その正体は戦い方も知らず、殺し合いに耐性もない脆弱な精神の子ども。人質を取るなり仲間を身代わりにするなり、マラファルが逐電する程度の時間を稼ぐ方法はいくらでもある。
「破界剣『鳴無』」
だがマラファルの悪辣な奸計が行使されることはなかった。彼が思考を巡らせている間に、颯磨の太刀筋はさらに強く、早く、重くなっていったからだ。猛撃は衰えることを知らず、さらに加速し、マラファルの反応速度を軽々と超えていく。
――なんだ、この力と圧迫感は。
マラファルはここに来て初めて明確な恐怖を抱いた。片手を失ったとはいえ、マラファルは自らの戦闘能力に絶対の自信を持っていたし、いかに剣臣が強かろうと怖気づくことなど考えられなかった。
自らに敵う人間などいない。バラルの加護と持って生まれた戦闘の才、そして殺しを嗜好する精神。完成された一人の戦士であるマラファルは、強者であるが故に孤高であり、弱い仲間のために割を食うことも、自らが犠牲になることも許し難い。
だというのに。
――どいつもこいつも、他人のために命を懸ける馬鹿ばかり。
マラファルは無性に腹立たしかった。その怒りが彼を颯馬に立ち向かわせ、さらなる力を発揮させたが、友人を傷つけられた颯馬の怒りには敵わなかった。激しい剣戟の末、マラファルは左腕も切断され、颯磨の双剣が左右から同時にマラファルの首を捉える。
最期を予期したマラファルの朱い瞳が、颯磨の周囲で蠢く禍々しい何かを見て取った。陽炎のようなその不気味な揺らめきは赤黒い色味を明瞭に帯びて、颯磨の身体に纏わりついていく。恰も、この世ならざる何かに憑りつかれるように。今わの際に見る信じ難い光景にマラファルは引きつった笑みを見せる。
――これが人の業。世界の条理を改変するアルテミシアの呪い……
諦観するかのような吐息が漏れる。マラファルは怒りに狂う若き剣臣を哀れみすら感じさせる眼差しで見返した。
「せいぜい苦しめ、にんげ――」
マラファルの言葉は、彼の首とともに断ち切られる。抑えきれない憤怒を解放した颯磨は、返す刀でさらにマラファルの体躯を切り刻み、細切れにした。
再び戦場に静けさが戻る。颯磨と悟志の荒い呼吸音だけが大きく響いた。
アミューネ村の平穏は斯くて失われた。元の世界の日常を取り戻そうとした少年少女達を嘲笑うように。
彼らが失ったものは計り知れない。無邪気な笑顔、憂いのない希望、暴力と無縁の日々。そして数多くの人の死を目の当たりにして、この世ならざる深淵に魅入られた彼らは、あの平和な日常へ戻る道すら閉ざされてしまった。
だが、戻る道がないのだとしても、進むしかない。たどり着く場所が、彼らの新しい安息の地であることを信じて。
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