第64話 広がる縁

 涼風と柚希は、村人や騎士団員達に混じって瓦礫の撤去作業と怪我人の看護に従事していた。村内を忙しなく走り回る柚希の後ろ姿を涼風は心配そうに見つめる。


「柚希、あんまり頑張りすぎないでね。怪我をしなかったからって、疲れてないわけじゃないんだから」


「ありがとう。でも大丈夫だよ。それに……今は余計なことを考えないように、体を動かしていたいんだ」


 上着を着替えたとはいえ、梢の血の跡がまだ残る柚希の衣服を涼風は直視出来なかった。意識が戻らないほどの重傷、そして目を覚ます保証はないという現実を突きつけられて、冷静さを保つことは出来なかった。だから今は、考えるより先に行動したい。するべきことに全身全霊を傾けたい、その一心だった。


 小休憩していた二人に、村の女性がマグに入った飲料を差し入れる。


「ありがとうございます。いただきます」


 一口含んだ柚希は眉を顰め、警戒するようにマグの中の白く濁った液体を凝然じっとと見つめていた。


「まだこの味に慣れない?」


 半ば呆然とすらしていた柚希は取り繕うような笑顔を見せた。


「う、うん、やっぱり薄味かな。涼風は慣れたんだ? 意外に順応性高いよね」


「こういうものだって吹っ切れただけよ、慣れてはないわ。私は柚希みたいにグルメじゃないし、そこまで舌が敏感じゃないから、そういう意味では順応性が高いかも」


「味覚音痴だもんね、涼風」


「笑顔で断言しないで」


「剣臣殿」


 二人が呼び掛けに振り返ると、居住まいを正した女性騎士が軽く一礼した。背後に控える大柄な男性騎士もそれに倣う。


 柚希は騎士達に見覚えがあった。スピッツベルゲン霊廟へ救援にやってきた騎士団の指揮を執っていた二人だ。崩壊する霊廟から自分達を助け出してくれた恩人でもある。


「信僕騎士団ルクサディア管区騎士のイゾレ=マリーヌ・フォン・エスターライヒと申します。少しお時間、よろしいですか?」




 シエラの案内でアニーの居宅を訪れたメーネは絶句していた。深緑色の装束に身を包んだ見慣れない存在にばったりと出会でくわしたからだ。鼻歌交じりに食料保存庫を我が物顔で漁っていたタッチストーンは、メーネの来訪に気づくなり、徐々に驚愕の表情を浮かべていく。


「あ、アニー殿! 盗人だ! とんでもない美人が我輩の心を盗みにきた!」


「盗人は貴方です。何勝手に保存庫を物色してるんですか」


 黄金色に輝く蜂蜜の瓶を抱えていたタッチストーンは、シエラに取り上げられて駄々をこねる。


「嗚呼! 我輩、焼いたパンには蜂蜜をかけるのが習慣なのだ」


「知りません。いくらなんでもくつろぎすぎです」


「あの、シエラさん、この方は……?」


 騒々しさを聞きつけたアニーがひょっこりと顔を出し、包帯が巻かれたメーネの両手に視線を落とす。


「あらメーネ、いらっしゃい。傷の具合はどう?」


「大したことはありません」


「ならよかった。コズエもすぐに目を覚ますから、あんまり気に病んじゃダメよ?」


 力なく首肯するメーネにアニーは殊更陽気な調子で続ける。


「紹介するわ。彼はタッチストーンさん。精霊なんですって」 


「せ、精霊!?」


 メーネはしたたかに驚いた。彼女の理解において、精霊とは人類が気軽に接触できる類の存在ではなかったからだ。


 テルマテルという星も一つの巨大な生命体である。人の細胞が日々生まれ変わって生命活動を支えているように、惑星も自らが生み出した様々な命の循環によって活性化を促している。その星の自我たる惑星神霊わくせいしんれいが、自然界との接触のために生み出す境界面こそ精霊である。惑星神霊の意志はしはしば仲立ちたる精霊を介して人類にもたらされ、星の危機を回避してきた例は枚挙に暇が無いが、道端でばったり出くわすような気安い存在ではなかった。


「アニー殿、我輩と君の仲じゃないか、敬称など不要だ。いつものとおり旦那様と呼んでくれたまえ」


「ね、面白いでしょ? 星の御使いたる自然霊がこんなにお道化た存在だと思わなかった」


「私もまだ信じられませんが、タッチストーンさんが精霊であることは事実のようなんです。これまで抱いていた畏敬の念が少し揺らぎますよね」


 呆れた態のシエラと同じく、メーネも苦笑した。


「まぁ……他の精霊がこうまで気さくとは限りませんし、ありがたいことです」


「して、絶世の美女たるアニー殿に負けず劣らない美貌の貴方、お名前をお聞きしてもよいかな?」


「め、メーネと申します」


「メーネ? はて、どこかで聞いたような……」


「聖祖アルテミシア様の生まれ変わりであるメーネさんですよ」


 タッチストーンはしばらく呆けたようにメーネを見つめた。シエラは彼女の耳元でそっと囁く。


「気を付けてください。あの人、女性に対して距離の詰め方が尋常ではないので」


「そう、なんですね……タッチストーンさんは、何故こちらに?」


「嗚呼、勿論、アニー殿を助けに推参したのだ。悪を挫き、美を守るのが我輩の務め故」


 嘯きながら、タッチストーンはここに来て初めて神妙な面持ちを見せる。


「……またバラル神との戦いが始まるのだな。人類存亡の危機に際し、今代の剣臣達もまた、斯様に重大な使命を背負うか――む、なるほど我輩が目覚めた理由もそういうことなのだな」


 独り得心したタッチストーンは、芝居がかった動作で自らのこめかみを軽く叩く。


「失敬。どうやら我輩、記憶に制約がかけられているようだが、少しずつ思い出してきた。かつて剣臣達と共に旅をした記憶だ」


 メーネは驚いたが、シエラは訝し気な視線をタッチストーンに向ける。


「……それ、本当ですか?」


「明日から本気出すと豪語する普段ダメな甲斐性なしを見るような眼差し! 安心めされよ、嘘偽りない! ただ先ほども言ったように記憶に制約がかかっている。我輩は星の従僕しもべたる精霊であるが故、安定した世界運営を阻害する恐れのある情報は禁則事項に指定され、君達に伝えることができんのだな」


「タッチストーンさんの過去の記憶は今世に混乱を招く、と?」


「本来なら知り得ない知識や持ち得ない技術は必ず星を損なう。惑星神霊はそれを看過しないのだ。剣臣という異世界からの来訪神が極めて異質なのは、その掣肘を振り切ってこの世界に存在するからであるが、その分、力を用いる反動は計り知れない。いや、そもそも存在することすら何らかの代償を払っている可能性もある」


「……薄々、感じてはいましたが、やはり……」

 

 言葉を失うメーネの代わりに、アニーが先を促す。


「覚えているのは剣臣の力のことだけかしら? 二百年前に活躍した剣臣のこととか知っていたりする?」


 その場の全員の視線がアニーに注がれ、彼女は珍しくバツが悪そうに身じろぎした。


「思い出を一切無くしていても、やっぱり自分の親のことは知りたいって思うじゃない?」


「アニー殿のご両親は剣臣なのか?」


「父親がそうだって伝え聞いてるの。顔も名前も私は一切覚えていないし、こういう機会がなければ知りたいとも思わなかったんだけど……薄情な娘よね」


「そんなことはない。子を産むのも育てるのも、親がしたいからしているのだ。子どもは親に気兼ねすることなく健やかに長生きすればいい。それが親孝行というものだ」


 タッチストーンの言にシエラは素直に感心していた。


「……真面目なことも言えるんですね」


「冗句の中にも一握りの分別を混ぜるのが伊達男というもの。

 さて、話を戻すが、覚えているのは散文的な情報のみで、剣臣達との思い出と呼べるような情緒的な記憶はまるでないのだ。アニー殿の期待にも応えられず、かつて良い仲だったかもしれない転生前のメーネ殿のことも思い出せんとは我が生涯痛恨の痛手!」


「フフ、真面目なのは一瞬だったわね。いいのよ、気にしないで。それより貴方が覚えている剣臣の情報を教えてほしいわ。できればレイジロー達にも聞かせてあげたい」


「アニー殿の頼みなら断る理由などない」


「ありがと。じゃ、完成した装束のお披露目もしたいし、みんなを集めましょっか。メーネ、お願いできる?」


「は、はい……行ってきます」


「あ、待って」


 アニーの呼びかけに、踵を返しかけていたメーネは立ち止まった。


「そういえば、何か用があってここに来たんじゃないの?」


「え、ええ、でも……大丈夫です。また、後ほど」


 歯切れの悪い返答を訝しながらも、アニーは遠ざかるメーネの背中を見送る。彼女の眼には、メーネの抱える苦悩の色がはっきりと見てとれた。

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