第24話 葬送の儀

 星辰せいしんを戴く藍色の夜空に、無憂の天蓋ペール・ヴェールが柔らかな光を添えていた。湖を臨む岸辺には庭燎ていりょうが焚かれ、その自然な温かさと明るさが照らす結界が境界の内側を森厳な祭場として成立させている。その祭場には、この世からいなくなってしまった村の少年と職責に殉じた騎士の葬送の儀を執り行うために、村人全員が集まっていた。誰もが沈鬱な表情を浮かべ、すすり泣く声もあちこちから漏れ聞こえていた。


 馬の蹄鉄が土を噛む荒々しさが静寂を掻き乱す。村人達の後方から徒党を組んでやってきたのは、軽装の甲冑に身を包んだ三名の騎士であった。先頭に陣取っていた中年の騎士の一人が場違いな大声を張り上げる。


「私は信僕騎士団ルクサディア会堂騎士長、ウルリッヒ・バーチュである。村長はいずこか」


 人間離れした顔つきに、たてがみのようなこわい頭髪と顎髭あごひげは獅子を彷彿とさせる。霊長の八種族の一つである『獣人』に違いない面貌のその騎士は、厳めしい顔の造作にゴツゴツとした体つきとたくましい声音を持ち、静謐な祭場には似つかわしくない存在感を声高らかに主張していた。


 呼び出しを受けたヨシカが息子のエーリッヒを引き連れて騎士の前まで進み出た。


「ヨシカ・キルヒナーと息子のエーリッヒです。遠路御足労いただきまして恐悦でございます」


 恭しく頭を垂れるヨシカとエーリッヒを馬上から見下ろしながら、騎士は丁重でありながら傲岸さも滲ませる態度で答えた。


「なに、礼を言わねばならぬのはこちらだ。信徒を保護し、部下の亡骸を厚く遇していただき謝意を表する。我ら三名も葬送の儀に参列させていただきたいのだが、よろしいかな」


「勿論でございます。こちらへどうぞ」




 人垣の合間から横柄な態度の騎士達を観察していた玲士朗達は、皆一様に眉を顰めていた。鷹介は不機嫌さも露に呟く。


「騒がしい上に、偉そうなおっさんだな」


 ロザリーがフンと鼻を鳴らす。


「そりゃ信僕騎士団の騎士だもの。『信仰圏』の守護者を自称しているんだから、居丈高にもなるんじゃない?」


「信仰圏?」


 詩音が尋ねた。


「『セレン信仰』っていう救世主を尊ぶ教えがこのテルマテルに広く根付いていて、信仰共同体を『セレン信仰会』、その影響力が及ぶ範囲のことを『信仰圏』っていうの。セレン信仰会がマリスティアや異教徒から信徒を護るために結成した自警組織が『信僕騎士団』」


「へぇ、ということは、メーネや私達に好意的な人達ってことでいいのよね?」


 詩音は努めて陽気な笑顔をメーネに向ける。ややもすればそれは場違いな気安さだったかもしれないが、未だ意気消沈している涼風とメーネを彼女なりに励ます意図によるものは明白だった。類稀な美貌故に人目を惹きがちなメーネは、その容姿を隠すために村から拝借した外套のフードの中から、少し翳のある微笑で返した。


 ロザリーが憮然としてぼやく。


「まぁ建前としては勿論そうなんじゃない?」


「建前って……」


 悟志の呟きに、今度はシエラが答えた。


「人の集まりというのは、長く、大きくになるにしたがって、不正や怠慢を生じる悪癖があります。長らくセレン信仰は信仰圏の人々を精神的に統治する絶対的権力として君臨してきました。絶対的権力は絶対的に腐敗するんです。信仰成立当初の理想であった魂の無垢という思想も変質し、その関心が世俗世界における支配や利益追求に向けられている節もある。姉さまも私達も、その懸念があるからこそ、彼らに皆さんの素性を明かすことに消極的なんです」


 少女らしからぬ諦観。どこか寂しげなシエラの雰囲気に、美兎も寂寥感を感じ取っていた。


「二人は信仰会のことをあんまり良くは思ってないんだね」


「そう……ですね。私もロザリーも、古くから存在する大きな人の集まりというものを信用し切れないんです。人が集まれば自然に身分秩序が生まれて、一部の特権階級のために犠牲になる人達が必ず出るものだから」


 鷹介が飄々とした態度で尋ねる。


「訳アリってことか。この際、シエラとロザリーの生い立ちを訊いてもいいか?」


「別にいいよ、隠すようなことじゃないし。この際だから言っておくけど、あたしとシエラは本当の姉妹じゃない。同じエルフの生活圏を追放された棄民きみん――まぁ簡単に言えば口減らしってやつ。多くなり過ぎた人口を調整するために、あたし達は幼い頃に森を追われた者同士なんだ」


 事も無げに語るロザリーであったが、玲士朗達は絶句していた。彼らの生きてきた世界において、口減らしとか追放だとか、社会の機能不全の単純な解決策として、子どもを犠牲にすることなどあり得なかったのだから。


「エルフは自然との調和のために厳しい自制を自らに課す頭の固い人達なんだよね。例えるなら、天秤が常に一部の狂いもなく均衡することを至上命題にしていて、ちょっとでもどちらかに傾くことを容認できない性質たちっていえばいいのかな。あたし達は、そのほんの少しのバランスを正すために棄民となった。エルフの中じゃよくある話だよ。それに、私達は身分秩序の底辺にある夫婦の子どもだったから、むしろ当然の措置だったと今では思う」


 柚希が苦しげに呻いた。


「そんな……そんなのって酷いよ」


 シエラは物悲しい微笑を柚希に見せる。


「でも、仕方がないんです。それが私達の生きていた世界だったから。

 追放されてからは、二人で各地を放浪し、やっとのことで姉さまの主宰するアーデンの森に辿り着いたんです。正直、道中出会った人間達や他の霊長の異種族には良い思い出がなくて……。ここに来た当初も不信と不安でいっぱいでしたが、姉さま達は優しく、快く受け入れてくれた。それがとても嬉しかったことを今でも覚えています」


 シエラとロザリーは顔を見合わせ、屈託ない笑みを浮かべた。


「故郷を追われて初めて分かったことだけど、帰る場所があるって幸せなことなんだなって感じた時でもあったよね」


「帰るべき場所……か」


 鷹介は物憂げに呟き、ロザリーの言葉を反芻していた。




 馬の手綱を村人に預け、アミューネ村の地に降り立ったバーチュはヨシカに尋ねた。


「ところで……一つ確認しておきたい。くだんのマリスティアは討滅されたと報告を受けているのだが、事実か?」


「左様でございますが……」


「ふむ。物珍しくない『優占種ゆうせんしゅ』とはいえ、会堂騎士を手こずらせるだけの個体であれば、流石にお主達のような百姓だけで討滅したというのは信じ難いのでな……」


 バーチュが射竦めるような鋭い眼差しでヨシカに疑念を呈したのと同時に、アニーが優雅な足取りで騎士の前に進み出る。暗闇の中でも淡い光沢を発する美麗なドレスの裾を広げて、慇懃に礼を尽くす。


「お初に御目にかかります。アーデンの森の主宰者、アン・メサリー・ハサウェイと申します。お見込みのとおり、此度のマリスティア討滅は、私達エルフの力によるものでございます」


 見眼麗しいアニーの容貌としなやかな挙措に、バーチュの後方に控える若い騎士達は目を奪われていた。その魅力に一瞬にして酔ったかの如く、締まりのない表情を見せる。


 しかし、バーチュはそうではなかった。若い騎士達の気の緩みを睥睨へいげいだけで叱責し、次いでアニーを侮蔑も露な視線で見据えた。


「やはり、な。村の境界を警衛するエルフを見てもしやと思ったが……しかし不可解な。戦いを忌避するを信条とする民族が用心棒を請け負っているとは」


「古くからの盟約により、私達はこの村の安寧に資するを使命としております。専守防衛、徒に戦火を拡大させないはエルフの伝統、民族の誇りを失ったわけではございません」


「よく回る舌だな、良い油を食していると見える。それだけの力を持っていながら、自分達だけの平和と平穏を享受することに良心の呵責は感じ得ないのか?」


 挑発的なバーチュの嘲笑に、ヨシカとエーリッヒは流石に気色ばんだが、当のアニーは柔和な笑みを絶やさず冷静に答える。


「無論、弱きを助け強きを挫く正義の心を私達も持ち合わせておりますので、信僕騎士団のお力になりたいと切に願うところでございますが、なにぶん数で劣る私達は、武力を振るい続ければ滅亡するは必定。故に平和を維持し、その価値を後世に伝え続けることにこそ重きを置くことが、私達エルフの未来に向けての戦いであると考えております」


 饒舌なアニーの切り返しに嗜虐的な興が削がれ、バーチュは面白くなさそうに吐き捨てる。


「ものは言い様か。まぁよい。信徒を守護していただいたことは感謝申し上げる。村長、彼らの容態も確認しておきたい。案内あないいただこうか」

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