第16話 アン・メアリー・ハサウェイの洗礼

 シエラとロザリーに導かれ、玲士朗達はアーデンの森の中枢――エルフ達の集落へ辿り着いた。


 一帯は高々とそびえる木々と生い茂る草花に囲まれていて、外界と隔絶された自然の異界だった。複雑に絡まり合った木々の枝葉が見上げる空を覆い隠しているのに、不思議と陽光が降り注ぎ、柔らかな明るさと温かさに溢れていた。


 集落はアミューネ村とはまったく趣が異なる。いくつもの巨木の太い幹やうねる根を利用して住居や生活道が広がっていて、清らかな小川の周囲には野菜畑や果樹園が営まれていた。爽やかな深緑と、あちこちに群生する色とりどりの花々の鮮やかさが相まって、見渡す限り天然自然の華やかさに満ちている。玲士朗達は感嘆を禁じえなかった。


 道すがらすれ違うエルフ達は誰も彼も皆見眼麗しく、人の好さそうな笑顔を見せる。詩音は思わず唸った。


「意外に余所者よそものにも愛想いいのね」


「基本的に、エルフは生活圏外からの来訪者を快く思わないものなのですが、このアーデンの森の住人達については例外ですね。エルフ以外の方々も生活しておられますし、主宰者の薫陶くんとうよろしきを得ていると言ったところでしょうか」


「主宰者?」


 詩音の問いを耳聡く聞き取ったロザリーは、未だ玲士朗達に対する疑心がしぶとく残る声で答えた。


「主宰者はこのアーデンの森の一切合切を取り仕切る人のこと。余所者がおいそれと会えるような人じゃないんだけど、まぁ、本当にあの伝説の剣臣だっていうなら会わせてあげなくもないってゆーか、本人も乗り気ってゆーか」


「ふーん……エルフを束ねる実力者か。どんな偏屈爺へんくつじじい老獪婆ろうかいばばあが出てくることやら」


 颯磨のぼやきに、シエラはプッと吹き出した。


「大丈夫ですよ。姉さまは見た目は若いし、結構綺麗な人ですから。それに、偏屈でも老獪でもなくて、本人が面倒臭がって外の方と会おうとしないだけなんです。根が適当というか、万事において楽な方に流れる性質の人なので」


 シエラの語る“アーデンの森の主宰者”にして“姉さま”とやらの人物像について想像を巡らせながら、玲士朗達は一際大きい巨木の幹に接する階段を上る。


 太い枝の上に築かれた不思議な造形の人家は、外観と同じく家具や調度品も木材や植物で拵えられていた。天井は吹き抜けの二階建てで、紅蓮と青藍の鮮やかな尾を持った見慣れぬ巨鳥が頭上の止まり木から玲士朗達を監視するかのように見下ろしてる。シエラによると、巨鳥はヨウカハイネンという名を持ち、“姉さま”が幼い頃から生活を共にしてきた家族なのだという。


「姉さまー、どこー?」


 ロザリーの呼び掛けに返事はない。シエラは頭上の巨鳥を見上げながら、困惑気味に嘆いた。


「ヨウカハイネンもいるし、近くにいるはずなんですが……。今日は来客があるって、昨日あれだけ口を酸っぱくして言い含めたのに」


 全員が途方に暮れていると、彼らの背後に人影が音もなく忍び寄り、最後尾にいた柚希の両肩ががっしりと掴まれる。


「ここにいるわよー」


 おどろおどろしい声色に柚希は悲鳴を上げて腰を抜かした。玲士朗達が咄嗟に振り返ると、シエラやロザリーのそれより華美な装飾の耳飾りイヤーカフを身に着けた女性が柚希の驚き様を見て大笑いしていた。


「あー面白い! メーネは全然驚いてくれなかったけど、貴方達は期待を裏切らないわね。おかげで涙が出るくらい笑える」


 ケラケラと笑い続ける女性は黄水晶シトリンのような色鮮やかな瞳を持ち、唇は桜色に色づき、白皙は滑らかで、均整のとれた長身を豪奢なドレスで着飾った華やかな印象を与える絶世の美女だった。たっぷりとしたエクルベージュの髪をポンパドールと編み込みでまとめ、草花を模した美しい装飾の髪留めが彩を添えており、自然の祝福を享けて誕生した女神のような印象さえ抱かせる。


「きゃーっ! 姉さま今日もめちゃ可愛かわ! 尊い! 最強!」


“姉さま”の登場にロザリーは沸き立った。その興奮とは対照的に、シエラは呆れたように溜息を吐く。


「姉さま。子どもじゃないんだから、そんなことして喜ばないで。剣臣様方に失礼でしょう?」


「だって、あの子達の無防備な背中を見ていたら、つい悪戯したくなちゃって」


「いいから、とりあえず謝って」


“姉さま”は大人びた容姿に不釣り合いな子どもっぽい膨れっ面を見せる。


「ちぇ、シエラはおっかないなぁ。――驚かせてごめんなさい、お嬢さん。立てる?」


 しばらく呆けた顔で自らを驚かせた“姉さま”を見つめていた柚希は、差し出された手を借りてようやく立ち上がった。


「ちょ――超絶美人さんですね!」


 ロザリーよろしく、若しくは敬愛するアイドルを間近にして興奮するファンのように柚希は目を輝かせて、女性に熱視線を送っていた。その熱量を受け止め慣れているらしく、“姉さま”は顔色一つ変えずに応じる。


「あら、ありがと。てっきり怒られるものだと思ったから拍子抜けね」


「柚希は美人に目がないから……」


 頭を抱える涼風に続いて、詩音が驚愕に打ち震えながら呟く。


「いや、ゆずきちの気持ちは分かるわ。何だあの美形にしてけしからんボディーは! これがファンタジーの為せる業か……」


 困惑のあまり呆然とする玲士朗達を見かねて、メーネが眉根を寄せながら“姉さま”に声をかける。


「こんにちわアニーさん。その……あまり彼らを揶揄わないでください。まだテルマテルに来てそう時間も経っていないため、戸惑いもかなりある」


“姉さま”ことアニーは玲士朗達を興味深そうに眺めた。


「そうでしょうね。でもまぁ私なりの歓迎と親愛の表現だから大目に見てね剣臣さん達。伝説や噂はかねがね伺っていたけれど、実際に御目に書かれて光栄よ」


 アニーは改めて礼節を以て玲士朗達を迎え入れた。飾らないながらも美しい所作は、彼女の美貌も相まって、見る者に息を呑ませる。


「私はアン・メアリー・ハサウェイ。アニーって呼んでもらって構わないわ。この類稀な美貌と他の追随を許さない知性によってアーデンの森の主宰者となった女傑」


 臆面もなく胸を張るアニーに対して、シエラが苦言を呈した。


「後半は自分で言うものじゃないと思うけど」


「残念ながら聞こえませーん。で、貴方達、訊きたいことがあるんですって? 私の機嫌が良いうちにどんどんお訊きなさい」


 一も二もなく、鷹介は尋ねた。


「お言葉に甘えて早速。二百年くらい前、アミューネ村に剣臣がやってきたらしいんだが、何か知らないか?」


「あら、そんなこと? 知ってるわよ。バラル神討伐を成し遂げた先代の剣臣がアミューネ村に定住したらしいわね。湖沿いに今は誰も住んでいない家があると思うんだけど、もう見たかしら?」


 涼風が得心した。


「あ――昨日みんなで行ったあの集会所」


「そうそう。そこで妻子としばらく住んでいたらしいけど、今はもういないわ。私が知ってるのはそれだけ」


 アニーの口振りに不安を感じ、玲士朗が恐る恐る問う。


「まさか……死んだのか」


「“死んだ”? 知らない言葉ね」


 思いがけない言語上の齟齬に違和感を抱きながら、美兎が問い直す。


「えっと……じゃあ、その剣臣さんは寿命で亡くなったんですか?」


「“亡くなった”? 悪いけど、“いなくなった”って表現しかできないの。ここにはもういない。それだけよ」


 玲士朗達は混乱した。破天荒な言動が目に付くものの、アニーが嘘をついていたり、何かを隠していたりする様子はない。だからこそ玲士朗達は途方に暮れて、押し黙るより他にできなかった。


 “いなくなった”という表現は、曖昧でいながらそれ以上の追究を断念させる響きを帯びる。何故いなくなったのか明かされない以上、その後の消息も判然としない。死んだのか、この土地を離れただけなのか、何かの契機で元の世界に戻れたのか……畢竟、かつての剣臣の消息について憶測でしか想像できない点は、アーデンの森へやってくる前と何ら変わらず、高校生達は落胆の重みで肩を落とし合った。


 梢が失望も露に大きく溜息を吐いて、踵を返そうとする。


「期待外れね。私、もう帰っていい?」


 柚希が慌てて梢を引き留めた。


「ちょ、ちょっと待って梢。せっかく来たんだし、もう少し話を聞いてみようよ」


「私は元の世界に戻るための手掛かりが見つかるかもしれないって話だったからついてきたの。アニーさんでしたっけ? 貴方の名前を聞いてちょっと期待してたんだけど、無駄足だったみたいね」


 美兎が小首を傾げた。


「アニーさんの名前? そういえばどこかで聞いたことがあるような……」


「アン・ハサウェイ、メアリー・シェイクスピア、それにアーデンの森……どれもウィリアム・シェイクスピアにゆかりある名前よ。アニーさんは私達と同じ世界から来たその剣臣と何かしらの関係があるんじゃないかって思うのは当然でしょ」


 玲士朗達は驚き、ざわめいた。詩音が感嘆の声を上げる。


「流石ミュージカルオタの梢」


「うるさい。で、どうなの? アニーさん」


「へぇー、やっぱりそうなんだ。テルマテルじゃ珍しい名前ではあるなぁとは思ってたんだけど」


 気の抜けるような返答に、梢は肩透かしを食らう。


「し、知らなかったの?」


「残念ながら、ね。ご想像の通り、私、父が剣臣で母がエルフらしいんだけど、私が生まれてすぐに二人とも“いなくなってしまった”みたいだから、両親との記憶も思い出も一切残っていないのよね」


「もういいわ。それならこれ以上話すことは何もない」


 険のある口振りに、ロザリーはムッとして柳眉を逆立てる。


「感じ悪。せっかく教えてあげてるのに、姉さまに失礼でしょ」


「はいはい、ロザリーが入ってくるとややこしいことになるから口出ししない。じゃ、他に何か訊きたい人はいる?」


 アニーは梢のつっけんどんな態度にも拘泥こうでいせず、飄々とした微笑で玲士朗達に視線を投げかける。誰もが項垂れて黙りこくる中、メーネが一歩進み出た。


「私からも一つよろしいですか?」


「どうぞ何なりと」


「単刀直入に伺います。昨夜のゴブリンとの戦闘を察知しながら、貴方達は私と皆さんを試すために、あえて傍観しましたね?」


「ええ、勿論」


 シエラとロザリーがきまり悪そうに視線を泳がせる中、アニーは悪びれることなく肯定した。


「そんなに眉間に皺を寄せないで、美人が台無しよ? 悪気があったわけじゃないの。私も長く生きてきたけど、救世主メーネとその従者である剣臣達に御目にかかるのは初めてだから、本物かどうか確かめたいと思うのは当然でしょ? はぐれゴブリン達も退散できないようじゃ、バラル神討滅なんて夢のまた夢だもの。現地に飛ばせたヨウカハイネンの眼を借りて、貴方達がここに来るまでの間の動向は逐一拝見させてもらったわ。

 結論から言うと、貴方達は間違いなく伝説の剣臣だと私は思っている。明らかにテルマテルとは異なる文化と技術水準の高い衣服や持ち物、圧倒的な身体能力に具現鋳造の力。疑いようはないと思うの。まだまだ頼り無いことは確かだけど、伝承が真実であれば、いずれ大成するはず。だからメーネとの約束通り、アーデンの森は全力を挙げて貴方達を支援するわ」


 アニーの言わんとしていることに理解が追いつかず、涼風は思わず口を挟んだ。


「一体、何の話?」


 メーネが表情を曇らせながら、ゆっくりと玲士朗達に向き直る。


「昨夜お話ししましたように、皆さんは剣臣としての類稀な力を有している。伝承によれば、剣臣は救世主と共にテルマテル各地を旅し、かつての救世主を祀る霊廟を訪ね、バラル神討滅のための力を得たといいます。そのひそみならい、私もまた、霊廟を巡る旅に出る必要がある。アニーさんはじめアーデンの森の方々にはそのための支援をお願いしていたんです」


 アニーがメーネの後を引き取った。


「これまでの救世主と剣臣がそうであったように、歴史を作るとき人は、過去の亡霊を呼び出して借り物の台詞と衣装を使い、人類史の新しい場面を演じてきたものよ。私達は貴方達にふさわしい衣装を用意し、舞台に送り出すのが役目。かつて蛇神バラルやマリスティアの魔の手から剣臣達の身を守ったとされる伝説の鎧装束を復元して、ね」


 詩音はこめかみに指をあてて唸りながら何とか言葉を捻り出す。


「えーと……つまりRPGで言うところの伝説級防具をアニーさんが私達に用意してくれるってこと?」


「何を言っているのかよく分かんないけど、たぶんそうね!」


 神妙さから一転したアニーのぞんざいな口振りに、悟志は呆れて困り果てた。


「て、適当すぎる……」


「まぁ百聞は一見に如かず、よ。何なら実物をお見せするわ」


 その場から移動しようとするアニーを、梢が呼び留めた。


「ちょっと待って。一方的に話を進めないで。私はまだ自分が剣臣だなんて納得してないし、使命やら責務とやらに従うつもりもない。はっきり言っていい迷惑なのよ」


「あら、そうかしら? 異世界だろうがそうでなかろうが、人の一生なんて大概変わらないわ。生きるために一生のほとんどを費やし、それでもいくらか手に余る自由な時間を何とか消費しようと頭を悩ますものでしょ。使命や責務があるだけ悩む必要がないから気楽じゃない」


「貴方の個人的な人生観に賛同する気はないわ。私は、見ず知らずの世界のために命を懸ける理由が見出せないって言ってるの」


「それはもっともなご意見ね……ん? ちょっと待って……あ、そっか! 歴代の剣臣達が旅に出た理由はそっちこそ本懐だったのかも」


 俄かに熱を帯び始めた口調のアニーに、梢は不審気な眼差しを向ける。


「……どういうこと?」


「つまり、テルマテルを救う理由を探すために各地を回って、この世界に関する見識や人々との交流を深めていったのよ! 私の父が良い例証なんじゃないかしら。きっと彼は旅の途中に出会ったエルフの女性と恋に落ち、彼女を護るために、世界の敵と戦う決意をした。種族を超えた愛と世界を超えた献身……なんて胸熱! そしてなんてロマンチック! これは俄然、気合が入るわね! さぁ! 貴方達、服を脱いで裸になりなさい!」


「「「「……いや唐突!!」」」」

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