第17話 帰り道は遠回りしたくなるものだから
自身の想像に陶酔するアニーの脈絡ない指図に、玲士朗達は息の合った声を上げた。メーネは何が起きたのかと眼を瞬かせ、シエラは頭を抱え、ロザリーは心酔していた。
「常人には理解できない思考回路……流石姉さま」
「それって褒めてるのロザリー……? 姉さま、意味不明だから皆さんにちゃんと説明してあげて」
「えー何で分かんないの。面倒くさいなぁ」
「あの、アニーさん。何度も言うようですが――」
「わかってるわよぅ。メーネったら過保護なんだから。今から懇切丁寧に説明しますぅ」
一頻りいじけるように小声で不平を鳴らしてから、アニーは大きく咳払いをした。
「最前も言ったように、貴方達剣臣にふさわしい衣装は私達が用意する。何故そんなことができるかというと、エルフは他の七種族のいずれにもない洗練された独自の仕立て技術を有しているから。加えて、私には一家相伝の優れた秘法も継承されている。そんな技術の粋を集めた衣装の具現化にあたっては、まず、貴方達の身体の採寸が必要不可欠だから服を脱げって言っただけよ。大体想像ついてたでしょ?」
そんなわけないだろう、と言わんばかりの戸惑いが玲士朗達の表情に張り付いていた。しかし、アニーはそんな大多数の不平不満を意に介することなく、あっけらかんと言い放つ。
「さて、と。立ち話も長くなっちゃったし、お茶でも御馳走するわ。ただその前に採寸だけはさせてちょうだい。貴方達が自分の使命に納得するかどうかはともかく、私、早く完成品をお披露目してみんなにちやほやされたいから」
集落を流れる小川沿いの芝生に腰を下ろし、玲士朗は
仕事に精を出すエルフ達は、玲士朗が元の世界で見慣れた大人のように、やつれた顔やくたびれた姿を見せることなく、また、せかせかとしていなかった。成果に追われず、時間に縛られず、楽し気に仲間と協同する姿が玲士朗には新鮮な驚きだった。
かつて日本という国も、労働集約型の農業が長く主流だったらしい。自然を相手に、仲間とともに生きる糧を生産する営みは、仕事というより生きがいであり、仲間との絆を象徴するものであり、時間に縛られない生活そのものでもあったという。
――いつから自分達の世界は、時間を“流れる”ものから“使う”ものと感じ、消費する対象と見なすようになったのだろう。玲士朗は考えを巡らさずにはいられなかった。
効率性や生産性といった、そもそも存在しない感覚を生み出して、物質的な豊かさと引き換えに生き方を窮屈にしている。寿命という限られた時間を価値や成果に“費やす”のではなく、ただ単純に“生きる”ものと考えることができれば、“無駄な時間”とか“無意味な一生”とか、現代人がしばしば陥りがちな悔悟や自己嫌悪もなくなるはずなのに。
命は有限だ。死は誰にでも訪れる。だから限られた一生の中で、深く悩んだり、悲しんだり、傷つけ合ったり……誰だってそういうものとは無縁でいたいはずのに、何かを得るために何かを犠牲にして、自傷行為のように痛めつけて、苦しんでいる。そうでもしなければ生きる幸福すら実感できない。
――歪んでいる。倒錯している。
姉の死に際を思い出してしまったからか、一人になると
「あ、玲士朗。ここにいたんだ」
背後からの声に玲士朗が億劫そうに振り返ると、柚希が軽やかな足取りで近づいてくる。そのすぐ後ろから、梢とメーネも付いてきていた。
「意外な組み合わせだな」
玲士朗にとっては何気ない言葉だったが、梢は他意を感じて拗ねるように呟く。
「何よ……メーネにはちゃんと謝ったわよ」
「だろうな。そこは心配していない」
照れ隠しで視線を逸らす梢を満足そうに見てから、柚希は興奮気味に声を弾ませて話し出した。
「聞いてよ! 畑に見たこともない野菜があってさ、『カンラビ』っていうらしいんだけど、葡萄みたいに一房に実がいくつもついてて、食べるとすごく甘いの! 私、ビックリしちゃった」
柚希は玲士朗の隣に腰掛け、大きく伸びをする。
「玲士朗は日向ぼっこ? あ、ここ気持ちいいね、絶好の場所」
言いながら、柚希は芝生に身体を投げ出す。その姿を見て、佇んだままの梢は呆れ返った。
「柚希ってホント呑気よね。元の世界に帰りたいって気持ち、ちゃんとあるの?」
寝そべったまま、心外だと言わんばかりに柚希は拗ねた表情を見せる。
「そりゃあるよ。テルマテルにはラーメンもお寿司もないからね」
「食べ物のことだけじゃない。真剣味が足りないのよね」
「そ、そんなことないもん。海外に来たら日本食が恋しくなるものでしょ」
能天気な柚希と生真面目な梢の、微妙に噛み合わない掛け合いを眺めていたメーネは憂いを帯びた微笑を見せる。
「霊廟を巡る旅は、かつての救世主や剣臣の足跡を辿る旅でもあります。皆さんが元の世界へ戻るための手掛かりが見つかればいいのですが……」
「きっと見つかるよ、みんなで力を合わせれば」
「悪いけど、私はメーネに付いていく気はないわよ」
「梢ったら、そんなこと言わないで一緒に行こうよ。ねぇ、玲士朗も何か言ってやって――」
小川の対岸に視線を向けたままの物憂げな幼馴染を見るなり、言葉を切って柚希はまじまじと注視する。玲士朗は思い出したように柚希に向き直り、いつになく真剣な眼差しの柚希に
「どうした?」
「……玲士朗、何だか元気ないね」
メーネも玲士朗の顔を覗き込む。
「体調が優れないのですか?」
玲士朗は下方に視線を落としたまま、言い淀んだ。
「……いや、死んだ姉のこと、思い出しちゃってな」
その告白に、誰もが言葉を失った。とりわけ当惑し、動揺を隠せなかったのは事情を何も知らないメーネだった。大きな瞳がさらに見開かれ、時が止まってしまったかのように静止している。以前から聞き及んでいた柚希や梢は驚きはしなかったが、やはり悲愴な表情が貼り付いていた。
生家にじっとしていることなんてほんの短期間で、玄関を出て行くその後ろ姿を見送る度に玲士朗は羨ましいと思ったものだ。この人の背中には鳥のように羽が生えていて、思い立ったらすぐにでも大空へ飛び立ってしまえるのだ、と。
そんな彼女が病に侵され、病室という籠の中に囚われている姿は見るに堪えなかった。日に日に瘦せ衰え、飛び立つどころか歩くことさえ覚束ず、溌溂とした笑顔は見る影もなく、夏のよく晴れた青空を羨むような眼差しで見上げていた。陽気な楽観さも自信も穏やかな諦観にとって代わり、もはや玲士朗が憧れた
沈鬱な表情のメーネを見て、玲士朗は苦笑した。
「こっちの都合だからあんまり気にしないでくれ。きっと環境が急激に変わって、ちょっと
でなければ、フィリネとクシェルに姉と甥の姿を重ねることなど無かったろう。無自覚な望郷の念は、つい昨日まで当たり前だった平穏な日常を欲するだけでなく、もはや取り戻せないと知りながら夢見ることを諦めきれない思い出をも強く励起させたのだと玲士朗は思った。
「……いなくなってしまった人を思い出すのは、辛いですね」
「そうだなぁ……辛いというより、後悔しかないんだ。離れ離れになった甥っ子のことなんか特に」
柚希が記憶を辿りながら尋ねた。
「
「姉さんが死んでからは一度も」
「どうして……」
「父方に引き取られて、会い辛くなったってこともあるけど、それは建前だな。会うとどうしても姉さんのことを思い出して気分が滅入る。勝手なもんさ。その癖、こうして異世界にまで飛ばされても、悔やむことから逃れられない。
……俺は、何をしたかったんだろうな」
「……いなくなってしまった人のことを、忘れてしまいたいと思いますか?」
痛切なメーネの表情に当てられて、玲士朗もいつになく弱気だった。
「いっそ、その方が楽なのかもしれないって考えることはある」
思えば、姉の死を契機に、激しく怒ることも、深く悲しむことも、もうたくさんだと感じるようになった。感情の起伏のない、同じことを繰り返すありきたりで変わり映えしない毎日が、いつまでも続くことを望むようになった。その日常の積み重ねが、大好きだった肉親との別れという辛い記憶を覆い隠してくれるのだと気付いたからだ。
いつか辛い記憶は、積み重ねられる日常の重さに圧し潰されて、まるで初めから存在しなかったかのように忘却される日が来るのかもしれない。
「ダメだよそんなの!」
唐突に柚希は声を張り上げた。玲士朗達は唖然として俄かに立ち上がった柚希を見つめる。
「忘れていいわけないじゃん! お姉さんのことも、晴翔君のことも! 趣味は善行、特技は人助け、座右の銘は“陰徳あれば陽報あり”なんでしょ? 口から出任せでも、言ったからには貫き通しなよ! 気後れして足踏みする玲士朗なんて、カツの入ってないカツ丼みたいなものじゃない!」
「どういう例えだよ……カツのないカツ丼は、もはやカツ丼じゃないだろ」
「だからそうだよ! そんなの玲士朗じゃない」
「おいおい、浪花節は詩音の専売特許だろ」
柚希の代わりに、梢が神妙な口調で答える。
「詩音のは頼んでもないのに現れるヒーロー気質。玲士朗の場合は、言うなれば都合の良いトラブルシューターかしらね」
「辛辣だなお前……」
自覚がないだけに、幼馴染達から聞かされる自身の人物評に玲士朗は戸惑った。
確かに、頼られれば力は貸したし、不本意ながら喧嘩の仲裁もした。嫌々ながら男女の間を取り持ったこともある。思えば全て受け身的で、無碍に断ることも出来なかったから、都合の良いトラブルシュータ―という梢の評はあながち間違いではないのかもしれない。
ヒーローになりたいわけじゃない。むしろ自分は、そこまで余裕もないのに請われれば微力を尽くし、ひっそりと手助けするような、どこにでもいるお人好しでいい。自分の手の届く範囲の家族や友人が悲しまないように、苦しまないように。それだけで十分なのだ。
――嗚呼、なら柚希の言うとおりなのかもしれない。玲士朗は自分が何を望んでいるのか、少し分かったような気がした。
「よし、私決めた! テルマテルを救って、絶対みんなで元の世界に戻ろう」
血気盛んに意気込み、決意表明する柚希に玲士朗は狼狽えた。
「と、突然どうした」
「玲士朗が柄にもなく後ろ向きなことを言うからいけないんだ。私はメーネと一緒にテルマテルを救うよ。そして必ず元の世界に帰る方法を見つける。絶対に」
梢が大仰に溜息を吐いた。
「帰るにしても、えらく遠回りな道を選ぶのね」
「ほら、帰り道は遠回りしたくなるって、アイドルも歌ってたじゃん」
「何そのふざけた理由。意気込みだけで道が開けるなら人生苦労はないわ」
「私はムードメーカーだからいいだもん。細かいことは梢達が考えてくれるでしょ?」
「すこぶる他力本願なのね」
「違うよ、これは信頼っていうの。私、みんなの良いところも得意なことも知ってるんだよ? だから異世界だろうと心強い。みんながいれば怖くないよ」
「……ズルい奴」
負け惜しみのような響きを持った梢のぼやきに、柚希は満面の笑みを見せる。
「あのねメーネ、梢は素直じゃないから、この発言も翻訳が必要なんだよ。これは『ありがとう』かな」
「ふざけないで」
「ごめんごめん。でも、真面目な話、みんなそれぞれ得意なことがあるように、私はみんなの美点を見つけるのが得意。だから、玲士朗が玲士朗の良いところを忘れたときは、私達が思い出させてあげるよ。ね?」
「ね、って……私に振らないでよ」
「梢のときも、メーネの時も同じだよってこと」
臆面もなく言い切られ、梢は照れ臭さを隠すように顔を背けた。
「……勝手にすれば?」
メーネは嬉しそうに、素直で穏やかな笑みを見せる。
「ありがとう、ユズキ」
満足そうに表情を綻ばせる柚希の様子を見て、玲士朗も自然と微笑が漏れる。感傷的で後ろ向きな気分もいつの間にか雲散霧消していた。
自我は揺らぎやすい。確固たる自画像なんて誰の頭の中にもなくて、揺らいで、悩んで、反省して……それでも定まり切らない存在の
世界と個人の境界は常に引き直されている。身体の細胞が毎日入れ替わるように、自分以外の他人との関係から再帰的に定義し直す。だから、鴇玲士朗という“人格”は、自分と自分を取り巻く人々によって作り上げられている。その感覚が心強かった。
自分は孤独ではない。そう感じるからこそ自分以外の他人に感謝もできる。力も貸したくなる。優しくできる。それが鴇玲士朗という人間なんだろう。
「……ホント、しょうがねぇなぁ」
観念したように、玲士朗は穏やかな声で呟いた。その様子を見て、柚希も相好を崩す。
そんな二人の姿を、メーネは物思いに耽るような遠い眼差しで見つめていた。梢がメーネの様子に違和感を抱くのと同時に、周囲から漏れ聞こえてきた物々しいざわめきが彼らの平穏を掻き乱す。
「皆さん!」
酷く取り乱したシエラが玲士朗達に駆け寄った。息も絶え絶えに切迫した声を絞り出す。
「村の近くにマリスティアが! 力を貸してください!」
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