第24話 宝珠
「第十九地区、竜澤」
早朝、コトシロの託宣が下った。直ぐに半径五十キロ以内に避難勧告が発令される。だが森や田畑が多く残る地域とはいえ東京都下である。都心まで直線距離で四十キロもない。東京湾から相模湾にかけての大都市が避難勧告域にすっぽり入る。住民全員の避難など、考えるまでもなく不可能である。だから強制指示ではなく、単なる避難勧告を出したのだ。先の富士では奇跡が起きた。ならば再び奇跡が起きるのを期待するしかない、と言うのが政府の偽らざる本音であった。
田圃の真ん中に天穴は開いた。それはツクヨミによって発見された。しかし一時間経っても二時間経っても何も出て来る気配がない。そして三時間が経ち、こちら側が焦れて先制攻撃を仕掛けようかという雰囲気になった頃。
「何か来る」
ツクヨミの言葉通り、子供くらいの背の高さの、無限軌道を左右に配した直方体が天穴から現れた。その箱は、広域の電波を発信した。翻訳機を通したメッセージを乗せて。
「こちらはドラーコ連邦共和国統合軍である。我々には貴国の指導者と対話の用意がある。繰り返す。こちらはドラーコ連邦共和国統合軍である……」
これまでこちら側からの度重なる対話要請を全て無視してきたドラーコが、急に方針転換したのは何故か。政府内でも議論が起こった。「富士の一件が効いているのだ。今なら有利な条件で停戦ができるかもしれない」と言う者もあれば「敵は宝珠が我々の手にあると思っているのだ、ないとわかればその瞬間に全てが終わる」と主張する者もあった。それでも最終的に対話を行おうという結論に内閣として達したのは、賀茂防衛大臣の強い勧めがあったからである。
「対話しましょう。ただいたずらに可能性ばかり論じていても何も始まりません。叩けよさらば開かれん、まずはスタートする事です。何なら私が矢面に立っても良い」
その言葉に首相の心が動き、了解の旨を現地部隊が無線で伝えた。そこからは早かった。体内に核を持った二頭のティラノサウルス型が露払いに現れ、そして最後に装輪装甲車が一台、天穴から姿を見せた。二頭と一台は道路を北上し、国道二十号線へと向かった。
有銘は携帯の向こうからの問い掛けに、二度、三度と答えると、最後に「了解しました、では」と電話を切った。
「スサノオとナビコナは一緒に来なさい。首相の護衛任務があります。ツクヨミ、コトシロ、何かあったらすぐみんなに伝えて。トリフネはいざという時、すぐ逃げられるようにしておきなさい。なるべく遠くへね。フツヌシとミカヅチはみんなを守るのよ。ハヤヒノ、ノコヤネ、みんなをお願いね。天照さん、まとめてあげてね」
「あ、あの私、こんな時に何をどうすればいいのか」
不安げな日美子に、有銘は笑顔を向けた。
「大丈夫よ、みんなもう大人だから。心配はいらないわ」
そしてノコヤネを見た。
「そんな顔しないの。また会えるから」
そして有銘は背を向けた。その瞬間、ノコヤネは有銘の脳をスキャンした。全てを知った。涙が溢れて止まらなかった。
「ドラーコの大竜と車両は東へ向かう道へ入ったようであります」
ジャーザカの言葉にもライワンは動じない。
「そうか」
「殿下、急がれませんと」
「そう急くな。ドラーコはまだどこに宝珠があるかを知らぬはず。慌てる事はない」
「ですが」
「待つのだ。ギリギリまでな」
何を待つのか。それはライワンにもわからない。だが彼の異能の力が囁くのだ、今は待つのだと。
有銘は首相の警護班にスサノオとナビコナを引き継いだ後、防衛省の大臣室へと向かった。
大臣室に入った有銘を難しい顔で出迎えると、賀茂は重々しく口を開いた。
「間もなくドラーコの代表がやって来る」
「はい」
「この国が生きるか死ぬかの瀬戸際だ」
「はい」
「大事の前に小事は片付けておきたい」
「と仰いますと」
「妻は今、意識不明だ」
有銘は平然とうなずく。
「うかがっております」
「地位も名誉も財産も、今ある私の全ては、妻の実家の人脈あっての物だ」
「心得ております」
「これからもそれは必要だ」
「でしょうね」
愛しげな視線で小さく笑う。一方、賀茂の顔は一段と難しくなった。
「妻を何としても助けなくてはならない」
「如意宝珠をお使いになるのですか」
「やはり気付いていたのか」
「はい」
また静かにうなずく有銘を見ながら、賀茂は一度深く息を吐くと、背を向けた。
「……賀茂の家は平安の陰陽師に連なる家系だ。その故に代々如意宝珠の力を任されてきた。嫡流ではなく傍流に任せたというのも、時の権力からも、権力の転覆を狙う者からも距離を置くためだったという。だが危急存亡の
一気に話す賀茂を、有銘の静かな瞳が見つめた。
「それを私に話して宜しいのですか」
「宝珠は万能の力を持つ。だが、ただでは動かん」
「自在の力を使うのにもコストがかかると」
「そうだ、対価を必要とする」
「対価……」
「つまり
その言葉に後悔はない。賀茂は再び振り返ると、有銘の目を正面から見据えた。相手はそれを当然のように見つめ返す。
「奥様を助ける為にも生贄が要ると」
「君を贄とする事に決めた」
「私を、ですか」
しかしその声に驚きはない。動揺も困惑もない。ただひたすらに静かな表情を浮かべる愛人に向かって、賀茂も冷徹な言葉を向けた。
「憎んでくれても構わない。呪ってくれても構わない。だが今ここで妻を助ける事は、私を助ける事であると同時に、ひいてはこの国を助ける事にも繋がるのだ。わかって欲しい」
「丁度良い口封じですものね。勝手な人」
「龍王の珠よ」
賀茂はつぶやくように唱えた。
「我が願い叶えよ。今ここに贄を差し出す。その名、雨野有銘」
有銘は透き通った瞳でしっかりと賀茂を見つめた。
「ならば死んで差し上げましょう。けれど一つ忠告を」
そして最後に微笑んだ。
「女をあまり舐めない事です」
部屋の中に、ごう、と風が吹き、手折られた花のように有銘は倒れた。
病院の一室で、賀茂静江は眼を覚ました。驚いた看護師が医師を呼びに走ったとき、静江は小さな声でつぶやいた。
「……龍が」
ノコヤネは部屋で一人泣き伏せっていた。全て知ってしまった。有銘と賀茂の不倫の事も、賀茂の頭の中にあるのが如意宝珠だという事も、有銘がロヌに捕まり工作員に仕立てられた事も、そしてその結果手に入れた異能の力を使って、賀茂の妻を呪い殺さんとした事も。
全てを知って、しかしそれを誰にも言えなかった。言えるはずがない。だから部屋で一人泣く事しかできなかった。その背中を、誰かが優しく抱き締めた。はっと上げた彼の顔に、そっと口付けると、その気配は消え去って行った。その瞬間、ノコヤネは悟った。有銘はもう二度と会えない場所に逝ってしまったのだと。
主が退出した防衛大臣室。そのソファに横たえられたままの、有銘の死体に近付く二つの影があった。
「確証を得たぞ。やはり宝珠はあの大臣の頭の中だ」
ライワンの声はやや上ずっていた。
「おめでとうございます、殿下。かくなる上は」
「うむ」
有銘の死体を見下ろす。
「死んでおるな」
「死んでおります」
「ならば良し。ジャーザカよ、そなたの力、存分に示すがいい」
「は、有難き幸せ」
ジャーザカは有銘の額の上で印を結んだ。
「哀れなる冷たき
有銘の右手が動いた。死人使い。これがジャーザカの本分か。光を求めて這い登る草の蔓のように、有銘の手は中空を
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