第23話 夜叉
届いたナビコナからのテレパシーに、ノコヤネは絶句した。
「どうしたの」
「寮が、襲われました」
有銘の問いにそれしか答えられない。
「それで現状は」
「とりあえず、全員無事だそうです」
「そう、それならいいわ。仕事を続けなさい」
「え」
ノコヤネの目が丸くなる。
「いや、今すぐ帰らないと」
「いま帰って何になるの。あなたに何ができるの」
「でも」
「状況は終わっているんでしょう、それで全員無事なんでしょう、ならば今あなたが急いで帰らなければならない理由はありません。仕事を続けなさい」
「審議官は」
「嫌いになってくれて結構よ」
有銘は耳元で囁いた。
「私はならないけど」
「……わかりました」
そう返事をするしかなかった。
パーティも終わりに近付き、参加者の粗方は脳の中を覗いたが、酒呑童子について一般教養としての知識を持っている者は何人か居たものの、首塚について知っている者は居なかった。
「居ませんね」
ノコヤネの言葉に、しかし隣に立つ有銘は不満げだ。
「もう全員見たの」
「殆どは。後は賀茂大臣くらいですよ」
「じゃあ大臣も見なさい」
「いいんですか」
「あなたはそんな疑問を持つ必要はありません。言われた通りにしなさい」
一つ溜息をつくと、ノコヤネは賀茂大臣に意識を向けた。
「あれ」
だが、見えない。いや、違う。見えてはいる。見えているのに見える物がない。つまり闇があった。頭の中に、本来記憶があるはずの場所に、全てを飲み込むかのような、深い深い闇がある。その奥を覗く。覗いてはいけない気がした。本能が危険を叫ぶ。だが止まらない。その深淵に、奥底に意識を沈める。そのとき、光った。闇の中に二つの光。眼か。何の眼だ。そう思った瞬間、噴火の如き勢いで、何かが闇の中から飛び出して来た。龍だ!
「うわあっ!」
ノコヤネは思わず叫び声をあげ、尻餅をついた。辺りがしんと静まり返る。周囲の客が不審げな顔で遠巻きに見ていた。
「大丈夫? 気分でも悪くなった?」
有銘は落ち着いた顔で声をかけた。手を貸してノコヤネを立たせる。その耳元で囁いた。
「見つけたのね」
「あれは、何なんですか」
「言ったでしょ、そんな疑問を持つ必要はないの」
そして微笑んだ。
「でもお手柄よ」
グレインは悩んでいた。ガルギエルの背信を総統府に報告すべきだろうか。だが証拠がない。今の段階では、シラを切られてしまえばそれで終わりである。いかに赤の将姫と言えども、証拠もなく誰かを告発するのは無理な相談であった。ならばガルギエルに従う振りをして機会を待つしかない。とにかく今は時を稼がねば。
部屋の内線が鳴った。
「グレイン将軍閣下、ガルギエル将軍閣下がお呼びです」
来たか。さて、どう誤魔化すか。果たして自分に腹芸などできるのか。グレインは憂鬱だった。
ハヤヒノはネットで中華鍋を検索していた。自分の小遣いで買えない金額ではなかったが、寮母が既に需品科に発注しているだろうし、無駄になるとわかっている物を購入する訳にも行かない。ただ、これからは揚げ物が続いても文句を言うのはやめておこうと思った。
ミシリ。天井が小さな音を立てた。誰かが屋上で暴れているのだろう。思い当たるのは一人しか居ない。ハヤヒノはドアに向かった。
ノコヤネが寮に戻ったとき、食堂にはナビコナが一人スマートフォンをいじって座っていた。
「デートお帰り」
「デートじゃない」
デートならどれだけ嬉しかっただろう。
「みんなは」
「疲れ切って寝ちゃってる。まあ寝てないのもいるけど」
「君は寝ないんだ」
「だって誰かが見張りしなきゃ、怖くて眠れないじゃない。今日の今日なんだから」
こういう時に、率先して仕事を引き受けてくれるのがナビコナなのだ。本当に頼りになる小学生である。
「それじゃ、ナビコナも寝ていいよ。僕が代わりに起きてるから」
「ノコヤネも疲れてるっぽいよ」
「疲れてはいるさ。でも眠る気にならないんだ」
「ふうん。無理してないんならいいんだけど」
「無理なんて」
していない。そう言い切りたかった。だが。ノコヤネはうつむいた。涙が頬を流れた。ナビコナはスマートフォンを置いた。
「何かあったの」
その一言が心のダムに穴を穿った。貯め込んでいた物が口から溢れ出す。もう止められなかった。
屋上でスサノオはまたナイフを手にしていた。暗い中トレーニングしていたのだろう。ハヤヒノは、けれど呆れたような顔は見せなかった。
「あんた、あれからどうしてたのよ」
ドアを背に、膝を抱えて尋ねるハヤヒノに、スサノオは不思議そうな顔で答えた。
「どれからだ」
「どれからじゃないわよ、竜側の世界に行ってからに決まってるでしょ」
「歩兵竜の群れの前に出た」
ハヤヒノは息を呑んだ。
「それで、どうなったの」
「向こうの国皇に助けてもらった」
「王様? 助けてくれたの」
「強力なテレポーターだった」
「それで」
「鶏肉を食わせてもらった」
「え」
「焼き鳥のような味だった」
「……それで」
「こちらに送り返してもらった」
「それで」
「終わりだ」
「それだけなの」
「それだけだ」
ハヤヒノはがっくりとうなだれた。
「あーあ」
「どうかしたか」
「心配して損したってこと」
ハヤヒノは立ち上がり、背を向けた。
「もういいや。寝る」
「向こうに残らないか、とは言われた」
ドアを開ける手が止まった。
「それで」
「立身出世も思いのままだと言われた」
「それで」
「断った」
「何で」
「向こうに居る時、この場所が恋しいと感じた。戻りたいと、生まれて初めてそう思った。だから断った」
「そう」
ハヤヒノはゆっくりとドアを開いた。
「お帰り」
「ただいま」
スサノオは静かにそう言った。
「それは結局のところさあ」
ナビコナは一通り聞き終えると言った。
「雨野審議官が何考えてるか、って事にかかってるんじゃないの」
ノコヤネはうなずいた。涙は止まっていた。
「それはそう……かもしれない」
「審議官の心の中は読んだの」
「よ、読まないよそんなの」
「何で」
「だってそんなの、勝手に読む訳には行かないじゃないか」
「えーっ、それは今更じゃん」
確かに今更ではある。それはノコヤネにもわかっている。だが怖かった。自分の事を本当はどう思っているのか、知るのが怖かったのだ。
「読まないと、駄目、かな」
「そこがわからないと、どうしようもないじゃん。ノコヤネがもうこのままでいいって言うんなら何もしなくて良いけど、どうにかしたいんなら方法は一つしかないよ」
とても小学生の言葉とは思えない。ノコヤネは言い返す気力も湧かなかった。
「読むしかない、かあ」
「ないね」
ナビコナはスマートフォンを手にした。
「あと、やっぱりノコヤネは寝たほうがいいよ」
「……うん、そうする」
ノコヤネは素直に従った。
ライワンは傷口に手をかざした。手と傷口の間の空間に軟鉄弾が姿を現し、地面に落ちる。テレポートで体内の散弾を一つ一つ取り除いているのだ。さらに肉が蠢き、見る見るうちに傷を塞いで行く。こうして一時間程でライワンは全ての散弾を抜き出し、傷を治癒させた。人の気配のない、近隣で一番高いビルの屋上である。
「殿下、申し訳ございませぬ」
ジャーザカは片膝をつき、深く頭を下げた。
「戦に傷は付き物。致命傷があった訳でもなし、そなたの謝る事ではない」
「ですが」
「それもこれも余の油断、慢心の招いた事よ。謝られては面映ゆいわ」
「そう仰るのであれば」
ジャーザカは、ずいと前に出た。
「甲冑を纏えとは申しませぬ。せめてお着物の下に防弾装備をお付けくださいませ」
「わかったわかった。次からはそうしよう」
ライワンは頭巾の下で、ふ、と笑った。
「それにしてもあの男」
「は」
「あの銃使いの男、転移能力者の味方があったとはいえ、あれは手強い。戦場では出会いたくない手合よ。まさに鬼神よな」
そう話しながら笑い続けるライワンに、ジャーザカは眉を寄せた。
「殿下」
「おかしいか。己以外に化け物を見つけた事を喜ぶがそれほどおかしいか」
「またそのような事を」
「厄介と言うのなら確かにドラーコの五将も厄介よ。だがあれらは所詮、甲冑の能力。機械の威力に過ぎん。人型には見えてもただの兵器だ。それに対してあの男は身一つに小火器を携えただけで我が異能に匹敵する。何と馬鹿げた奴であろうか!」
声が震えている。今ライワンが頭巾の下でどんな顔をしているのか、ジャーザカには容易に想像がついた。思いを口にして気が晴れたのか、ライワンは少し冷静になった。
「まあ良い、気にするな。別に手を緩める訳ではない。ただ余とてオニウヤミ、やりがいが欲しくなる事もあるのだ」
そして額に指を当てた。
「さてあの女、収穫はあったか……ん」
「如何されました」
ライワンは勢いよく立ち上がる。
「ジャーザカよ、どうやら当たりを引いたようだぞ」
その声は自信に満ちていた。
賀茂静江は一人、寝室で
疲れている。夫が防衛大臣に任命されてから、急に周囲が慌ただしくなった事も一因だと思う。だがそれ以前に、眠れなかった。正確には、眠りはするのだが、悪夢を見て目が覚めるのだ。だが、その悪夢の内容は目が覚めた瞬間にきれいに忘れてしまう。だから眠っている間に何が脳内で起こっているのかはわからないのだが、とにかく怖い。眠るのが怖い。だが眠らなければ身体がもたない。処方された睡眠導入剤を飲み、横になった。
道延とは見合い結婚だった。家柄は由緒正しく格式の高い古い神社の次男坊で、しかし実際のところ裕福とは言えなかったが、その事を気にするでもない正直で真面目な人柄に好意を持った。
それからあっと言う間に二十五年。夫が国会議員になると聞いた時も驚いたが、まさか大臣になるなどとは夢にも思わなかった。だから、なのかもしれない。あまりにも予想外の事が起こり過ぎて、頭がついて行ってないのだと思う。悪夢を見るのも、きっとそのせいだ。慣れてくればじきに眠れるようになるだろう。そう考えて静江は眼を閉じた。
どれくらい時間が経ったろう。息苦しさに静江は眼を開けた。その眼の前。自分の顔の上すぐのところに、女の顔が浮かんでいた。眼を怒りに血走らせ、口は耳まで裂けている。誰だ、どこかで会った気がする。だが思い出せない。
女は静江の首に手を回し、ギリギリと締め上げた。静江は悲鳴を上げたかった。だが声が出ない。身体も動かない。
「恨めしや、嗚呼恨めしや」
首を締め上げる女の指先は皮膚を破り、やがて肉へと食い込んだ。血が噴水のように噴き出し、ベッドが真っ赤に染まって行く。
「妬ましや、腹立たしや、死ね、死ね、死ねえい!」
女はそう叫びながら、静江の頭をベッドに打ち付けた。
「死んで頂戴……お願い」
涙で顔をぐしょぐしょにしながら、しかしその女の眼は、嗤っていた。
悲鳴と共に静江は跳ね起きた。思わず首元に手をやる。何も異常はない。夢か。夢。どんな夢だったか。思い出せない。時計を見る。まだ一時間程しか経っていない。もう一度寝直すか。嫌だ。理屈では眠らなくてはと思うのだが、心と体が拒絶をする。
静江はよろめく身体で立ち上がった。ミルクでも温めて飲もう。そう思って台所に向かった。寝室は二階にある。階段にはセンサー付きの足元灯があり、近付けば自動で足元を明るくしてくれる。一段一段、ゆっくりと下りて行く。だがそのとき、すうっと血が下がって行く感覚。意識が一瞬遠のく。スリッパをはいた足が、一段踏み外す。重い物が転がり落ちる音。階段の一番下まで足元灯が点き、そして一番下以外はすぐに消えた。
翌早朝、帰宅した道延によって静江は発見された。直ちに救急搬送されたものの、医師の診断は脳挫傷による植物状態、回復の見込みはない、との事だった。
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